「小説と映画の表現の違い」トラペジウム おさかなさんの映画レビュー(感想・評価)
小説と映画の表現の違い
映画『トラぺジウム』は高山一実の一人称の小説を三人称に変えることでほぼ原作に近い展開でありながら大きく印象が異なる。
小説は主人公がアイドルになりたいが為に策を巡らせ3人の仲間を集める過程が彼女の純粋さ、情熱の合わせ鏡としての辛辣さ、計算高さ、エゴイズムが内面の一人称の語りを通して描かれている。
映画ではこの辺りの負の感情が三人称になることでラストまでほぼ見えないように設計されている。明け透けの感情が情熱の強さと絡めて描かれる小説と映画の表現の違いは比較する観点で非常に面白い。
ただこうすることで終盤の主人公の強い苛立ちが、さながらサイコホラーのように唐突なものに見える(特に辛辣な描写は映画オリジナルである)のでそこに違和感を覚える人もいるのではないだろうか。
小説をテンポよく再構成して見せている点は好印象だが残念なのは原作で最も印象的な車椅子の少女サチの抱えた感情を主人公たちが理解できていない件りは巧く取り入れてほしかった、というのはある。
かっての角川映画の「読んでから見るか、見てから読むか」の謳い文句を強く感じさせる作品。
ある意味相互補完的な関係にあるので読んでから見る、という観賞方法はお勧めかもしれない。
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