今年107本目(合計1,199本目/今月(2024年3月度)25本目)。
(前の作品 「薄氷の告発」、次の作品(明日予定)「砂の惑星2」)
大阪市では3月の公開で、高石あかりさん(ベイビーわるきゅーれシリーズほか)のファンなので見に行ってきました。
作品そのものは原作小説があるので、多少の変更はあるようですが、それを大きく超えることはできない状況で、よってそこから派生する問題(後述)はいくつかあります。
まず、ものすごく気になる点が、この映画、このサイトや公式サイトまで含めてレーティングが書かれていません(趣旨的に考えてPG12?)。小中学生の子が見るような映画ではないと思いますが(ミニシアター中心であるというのが理由の大半)、アダルト用語があっちこっち飛んでくるのが人によっては厳しいかなといったところです(まぁ、せいぜいPG12かという程度か?)。
原作を知っている知らないで個々判断が分かれ、私は原作は知らないほうですが、趣旨的には「ある小さな街(山形県が想定されている)で起きたある事件の真相はいかに」という大きなテーマを描きつつも、小学生から中学生(高校生までだったかな?)の青春時代にありがちなことがらを、複数人・複数の時間軸を変えてみるタイプの映画です。
ここで他の方も書かれていたのですが、いわゆる「ナレーション」が入るのですが、俗にいう「進学校」が設定されているため、極端にマニアックな単語を出して話してくるかと思いきや、極端に早かったりして(山形弁というより、単純に早すぎ)、聞き取るのにかなり苦労するかな…という部分は多々あります。
もっとも、特に大阪市では、インディーズ映画が多く流れ、初監督やそれに準じる方の登竜門として多くの放映が設定されているミニシアターのひとつ、シアターセブン(大阪市におけるインディーズ映画のメッカといっても差し支えがないくらい)で放映された過去の作品群の中では、大きな傷はないし(気になる点は個々)、「性表現の一部につき気になる点はある」とはいっても原作小説をご存じの方はもちろん、高石あかりさんほか、俳優さんを推している方には個々おすすめができるといったところです。
早速採点に入りましょう。
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(減点0.3/原作と展開を変えたために解釈がおかしくなる部分がある)
いわゆる「アダルト本」を河原で拾ってくる映画の設定はオリジナルのようで、原作小説では自販機から購入したというようです(トークショー)。しかし、河原にせよ何かを拾うだけでは即時取得(192)の成立する余地がなく(有効な取引行為がないため)、このあとの「警察の事情聴取」でこの「アダルト本」は警察が持っていったようにも見える(返すシーンが描写されていない)ところ、河原で拾うなどは本来は「所有権の放棄」という概念が民法上規定されていないため(後述)、所有権と占有権の異なる状況が続くことになり、そのあとの「アダルト本」は出てこないため(エンディング間近で出てくるものは別の本?少なくとも当該書籍を返すようなシーンは見当たらない)、状況的・部分的に「第三所有者没収事件」(Aがたまたま落ちていた他人C所有のピストルでBを撃ったとき、Aを処罰するにあたって、他人のものであるCのピストルを没収できるか?というタイプで争われた事件で、戦後の少ない違憲判決が確定した事件。これに伴い法は改正されています)に部分的に似た状況が起きてしまいます。
この部分は「たとえ道徳的によくないものであっても、警察が勝手にネコババして持っていってもよい」ことにはなりませんので(上記の最高裁判例の趣旨からするとアウト)、適正な描写が欲しかったです。
※ なお、トークショーで話されていた通り、原作小説通りの展開であれば「アダルト本の自動販売機で購入した」という設定であるので、「所有権と占有権がずれる」状況はおきません(自販機であっても取引行為にあたるため)。もっとも変更した理由が「今の世の中でそういう自販機がおよそ存在しないから」であって(トークショー)、それはそれで理解するものの、こうした「設定の変更」で生まれる論点があるのは、ちょっと気が付きにくいところです。
(減点0.3/事務管理と無権代理)
事務管理の管理者にあらゆる代理権が与えられているのではないので、対外的に第三者を巻き込む構成にすると、表見代理が成立しない限り無権代理にしかなりません(判例)。
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(減点なし/参考/「所有権の放棄」の概念)
民法には「所有権の取得」は規定されていますが「所有権の放棄」は規定されていません。しかしそれではゴミ出しもできなくなるので、暗黙的に「所有権の放棄」があるものという解釈論が一般的です(そうでないとゴミ出しもできない)。ただ、そのことを逆手にとって、勝手に硫酸ピッチなどを山奥に捨てる等は当然認められないので、「社会通念上妥当な範囲でのみ認められる」ということになります。
ここで「アダルト本が河原にある」という状況を考えると、河原はゴミ捨て場ではないので、明確に「捨てたものである」(=所有権の暗黙の放棄が働いた)というようには取れません。もちろん、「そういう場所」は概して「捨てる場所」の「メッカ」であることは紛れもない事実ですが(ポイ捨て条例違反などの論点除く。問題がややこしくなるので)、単に「カバンの中からこぼれてしまった」などと区別がつきにくいところでもあります(所有自体が法に触れるのではないため。もちろん「合法な」本であるということは前提)。
そうであれば、「暗黙の所有権の放棄」が働いているかどうかは微妙な部分もあるので、これを勝手に拾うのはそれこそ事務管理(遺失物法による届け出)および遺失物法による正しい処理が必要であり(もっとも、学説の話であって、実際にこんなものを警察にもってきても警察は困りましょうが)、「やや」「解釈が甘いかな」といったところです。
※ ただ「所有権の放棄」という論点自体が学説上でも解釈が割れる(民法で明確に規定されていないため。ゴミ出しなどと硫酸ピッチなどを捨てる行為をどう解釈するか等、学説の対立がいくつかある)以上、ここは減点なし(参考)の扱いにしています。