ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
全53件中、21~40件目を表示
宮城県の小さな港町、ろうの夫婦・陽介(今井彰人)と明子(忍足亜希子...
宮城県の小さな港町、ろうの夫婦・陽介(今井彰人)と明子(忍足亜希子)の間に男児が生まれる。
大と名付けられた男児は健聴だった。
3人は、明子の両親(でんでん、烏丸せつこ扮演)と同居し、大は育っていったが、周囲からは他と異なったと見られ、からかわれたり、あらぬ疑いをかけられたりと、ときには嫌な思いもした・・・
といった物語で、ろうの両親を持つ健聴者の物語は、『エール!』や『コーダ あいのうた』などでも描かれた。
これらの映画と異なるのは出生から描くという点で、この前半、短いエピソードの積み重ねながら、丁寧に描いていきます。
丁寧に描くにあたっての演出で、もっとも重要なのは、音の使い方。
冒頭、大の両親の世界から描かれるので、無音のシーンがつづき、そして第三者的に音のある世界へと切り替わります。
そのほかにも、ささやかな虫の声、降り出す雨の音など繊細な演出です。
(鑑賞した日本語字幕版では、それらの音についても字幕で表現されていました)
物語上の工夫(か実際の話なのかはわからないが)としては、明子の父・「ゾロ目のヤス」の異名をとった(本人の言による)という祖父の存在。
がさつで無遠慮、耳の聞こえない娘を愛しているが、ちょっと見下している。
この人物設定がよく、映画を芳醇なものにしています。
志望高校に不合格になった大少年(吉沢亮)は、少々ドロップアウト気味。
高校卒業後は何するでもなく地元でアルバイトし、夜行バスで東京に出て俳優のオーディションを受けるもことごとく落ちる。
東京では「耳の聞こえない両親に育てられた可哀そうな子」のレッテルは貼られないが、その代わり、何者にもなれない・・・
そんな中、結果、アルバイト先のパチンコ店で知り合った、ろうの中年女性の誘いで、手話サークルに入り、これまでみてきた「ふたつの世界」がそれほど大差がないことを知る・・・
聴こえる/聴こえないのふたつの世界はそれほど変わらない。
それは久方ぶりに会った母からも感じる。
幼い頃から、無条件に彼を愛してくれていた。
最終的には、そんなやさしさに包まれた映画でした。
くー、愛は普遍なり。
耳の聞こえない両親から愛情たっぷりに
育てられた大くん。
また、キャスティングが凄いこと。
良くできた映画でした。
絶対的に小さいときの大くん、小学生の大くん
あっっとーてきにナデナデしたくなるくらい
良い。。
植木鉢の件で濡れ衣かけられ、(こういうはた迷惑オバサンいるわ。)わー!
て、なったら、
可愛げない中学生の吉沢亮大くん。
ほんとにスムーズに見ていけたな。
吉沢大くん、ほんとに思春期で多感で
頭くるの。
は!?あんなに、たとえ、障害者だって
がんばっている、お母さんに罵詈雑言。
ばかやろー!
吉沢大くんのちょっとした、転機。の軸になってる
智子さん、良かった。
手話サークルに入って
自分と同じような障害者の親を持ち、
世間とつなぐ「コーダ」の存在が
2万人以上いることを知って、
から、
憎たらしい表情から、だんだんと
可愛かったころの大くんにもどる、?
ちょっと変化が見えてきて。。
最後、お母さんと駅で。
知らん間にナミダがでていた。
お母さんの手紙。
お元気ですか。
あなたの人生が、
うまくいきますように。
そうだね。。
わたしも1人の母親として、
3人の子供たちに対しての思いは同じ。
親としての愛は見返りなんて
求めない。
ただ、ただ、普遍なんですね。不変、普遍?
良かった!
今年、カラオケ行こ!
といい、
ぼくのお日さま
といい、
今作
といい、
子どもたちに
オバサンは泣かされまくりだよ。
ちなみに烏丸せつこさん、相変わらず可愛いでした。おばあちゃん役かあ。。。
もっと殺伐してるかと
予告みたら、もっと酷いのかと思ったけど、全然ぐれてないし、むしろずっといい人。
反抗期になっても、なんだかんだ優しい?愛されて育ったから、愛が伝わってるのだと思う。
出会いに感謝
先行上映に間に合わず、ようやく観るができた。
原作の五十嵐氏と同郷の宮城が舞台、そして主要キャストの吉沢、忍足の両氏に、ただならぬ魅力を感じての鑑賞だった。
この作品には数多くの感銘を受けた。
まずは「情景の豊かさ」
画面に映し出される景色や人物、そして発する言葉…
それらが一体となって迫り来る「美しい描写」
それがなんとも心地よく、深い感情を呼び起こした。
次に「心の豊かさ」
耳が聞こえない母と「コーダ」の息子が手話を用いて、時に穏やかに、時に激しく、互いの感情を曝け出す。
普段我々がオブラートに包み込み、気を遣いながら話す、上辺の言葉を打ち消すほどの豊かな感情、心がとても温かかった。
最後は「無音の響き」
母の視点から眺める時に、時折映し出される「無音の響き」は、単に母に感情移入するという「テクニック」ではなく、「母という人物が醸し出す「響き」と、それを受け取る(観客としての)自分の「響き」が相互に作用することで、この作品が完成するのだ」ということに気付かされた。
この作品は、スクリーンに映し出される「人」・「風景」・「音」全てが美しく、時に穏やかに、時に激しい感情のキャッチボールが、自分の今までの人生、そしてこれからの人生に寄り添ってくれるものであると確信した。
この作品に出会えたこと、正に「一期一会」の出会いに感謝。
どの家にもいろんな事情があるよね。
両親ともに耳が不自由な家に生まれ、いつのまにか自然に2つの世界の通訳をしていた。幼い頃は感じていなかった事が、成長するに連れて人と違う、恥ずかしい,なんで自分だけが、と考え始める。
なかなか個性的な祖父母が同居していたこともあり、いつのまにかちょっと冷めた感じの大人になっていた。
そんな彼に父親がかける言葉がいい。
そして話が進んでいくうちに、そう言う特殊な事情もあるけれど、親を思う気持ち、子供が幸せになって欲しいという気持ちはみんな同じだと心に沁みて涙が出た。
彼が心に溜めていたことを言葉にし始めるのだ。
この映画の冒頭,全く音が消える時,まずはハッとする。これがこの人たちの世界なんだ。なんで静かなんだろう。最後の歌も涙した。
余談だが,大好きな吉沢亮くんの赤ん坊時代,子供時代ともによくこれほど似ていて瞳の美しい子を探してきたなぁと感動(笑)でした。
劇的なBGMが流れなくても美しさに涙することができる
ろうの両親に生まれた青年の物語。
誕生から幼稚園、小学生、中学生、20代、そして今を追いかける物語。
主演の吉沢亮が中学生から今を演じる。30歳の彼が中学生を演じてしまうのがすごい。
また、幼稚園、小学生の時の男の子が吉沢くんにすごく似ていて、かなりびっくりした。
CGじゃないよね、なんて思うほど。
ドラマの中心は彼とお母さんの物語。
お母さん役の忍足亜希子さん、お父さん役の今井彰人さんもろう者の役者さん。
障害者の夫婦に生まれた子供としての葛藤。反抗期。
ドラマティックな展開はほとんどない。
ある意味、違いはあってもどの家庭にもありそうな親子の間のすれ違いと心の触れ合いにも思えた。
「産んでくれ」と頼んだわけじゃない。そんな言葉を吐きかける少年時代は障害者の親の下に生まれなくてもあるような気がする。
ただ、最後のところのシーンのような、楽しそうな親子の買い物やご飯や会話。
そんなごく当たり前な普通な時間を母親がとても喜んでくれている、そんなことに気づいた時、今までの自分に気づいて涙が滲んでくる、そんなことは分断された特別な世界でなくても、起こっていることのように思う。
15の夜、十七歳の地図から卒業していく姿のように思えた。
ラストになって映画の中で一切、BGMが流れていなかったことに気づかされた。
冒頭はろうの方の世界を表現するために音のない世界。
そこから彼が生まれて音がある世界に変わったけれど、現実の世界は劇的なBGMなんて流れやしない。
それでも僕たちは現実の世界の美しさに涙することがある。
手話で拍手する時は両手を上げて、手のひらを開いて、左右に回すんだ?
タイムボカンのキラキラスターの振り付けみたいで、何か楽しそうだな。
さぁ、連続更新、最終作品となりました!オラオラオラオラァ!!
久しぶりに、忍足亜希子さんが映画に主演するので鑑賞。
両親共に聾唖で、耳が聞こえる一人息子が両親から逃れたくて東京に上京してから、しばらくしてから帰省するまでのお話し。
冒頭からしばらく聾唖者の生活しにくいあるあるが続いて暗い話しが続く。
現実逃避したくて、映画館にいるのに身近な不幸あるあるを見るのはちょっとキツイもんがあります。
同じ不幸なら、とことんどん底の不幸にして、
「 あぁ、良かった。俺、この人よりは不幸じゃない」
と、安心できるのに( おい)
勝手に「エール」 「 コーダあいの唄」 みたいな映画だと思っていたのがそもそもの間違いでした。
このまま、不幸あるあるが続くのかと諦めていたら、主人公が手話教室に通い出してからが明るい話しが多くなる。
自分の爺ちゃんが、ヤクザでギャンブル狂でばあちゃんが信仰している宗教が大嫌いだったのに、死んじゃってから仏壇に向かって毎日その嫌いな宗教のお経を唱えられているという自虐ネタを話したら、それがウケちゃって雑誌編集者になれるとこは良かったなぁ。
映画終盤で、無音状態になって聾唖のお母さんが手話で話しかけるシーンが続くのだけど、何を伝えているのかが全然分からない。あぁ、聾唖者の人の感覚ってこうなんだなと理解できました。
離れて暮らす事でより両親との絆が深まっていく過程は子育てあるあるなのか?耳が聞こえる世界と、耳が聞こえない世界。この二つの世界の間には深くて暗い川がある。ローエンドロー🎵
上映中、手持ちカメラの映像がずっと揺れているのはどんな演出意図があったのか?昔の映画では、よくある手法でしたけどね。
笑えて泣けるコメディなんだろうという先入観があったので、暗い話しが多くて残念でした。字幕版もあるので、聾唖者の方にも楽しめる映画なので良いかなと。
んー、でも配信で見ていたら前半の暗い話しにウンザリして見るのを途中でやめるかなぁ?それくらい、暗い映画でした。ポイントで見るなら損はしない映画です。
Coda日本版と、言ってはいけない。
邦画を字幕付で観ると、字幕なしで観た時と違う印象を持つ場合がある。
聞き取れなかった言葉や台詞が文字で表された事により視覚と聴覚に二重に訴えるからかも知れない。最近は字幕付上映もあるので、邦画でも可能な限り字幕付で鑑賞している。今回は内容からも、あえて字幕付版の回で鑑賞。五十嵐大の自伝的エッセイの原作は未読。
9月24日(火)
新宿ピカデリーで「ぼくが生きてる、ふたつの世界」日本語字幕版を。
「Coda あいのうた」に触発された作品かと思ったがアプローチが違った。
この映画は大が生まれたところから始まる(背景音は無音)。宮城の港町、誕生祝いに集まる人々。両親は耳が聞こえない。赤ん坊の大が泣いても泣き声が聞こえない。小学生になった大は親と手話で会話するので同級生から奇異な目を向けられる。そんな状況に母親を疎ましく思い始める。授業参観日を母に教えない。奇異な目で見られたくないからだ。
高校受験のための三者面談でも耳の聞こえない母親は上手く相談に乗れない。塾にも通うが第一志望の高校には入れない。
20歳の大はやりたい事を探すため東京へ旅立つ。しかし、パチンコ店で働くなどしている。壁には上京する時に母が買ってくれたスーツが掛かっている。母から送られてくる荷物、食料品と封筒に入った五千円札。大は東京でも手話サークルに入り、聾者と交流する。
スーツを着て出版社の面接を重ねる大。やっと調子の良い編集長(ユースケ・サンタマリア)に採用され、編集の仕事を始める。しかし、その編集長も逃げ出し、大はライターとなる。父が病に倒れて見舞いに宮城に戻る。東京に戻る大を母は駅まで見送りに来る。その後ろ姿に上京する際の母の後ろ姿を重ね、過去の様々な母の姿を思い出し泣き崩れる。
無音世界から東京へ向かう電車は暗闇のトンネルを抜ける。それは別の世界に出て行く大の姿を現しているように見えた。
大は、母を疎ましく思いつつ、東京でも手話サークルに入り聾者との繋がりを続けて行く。サークルの飲み会で注文を耳が聞こえる大が行い、聾者でも出来るから余計な事をするなと諫められる(聾者の気持ちが理解出来ていない事を現している)。
少年時代を演じた子供たちが吉沢亮に似ているのは良かったが、さすがに中3を本人が演じたのはきつかった(似ている中学生はいなかったか)。両親を演じたのも、その他の聾者の役にも聾者の俳優を使ったのも良かった。祖母が烏丸せつこだったのがビックリだった。
本作にはユーモアはあってもエンタメ性はない。劇映画なのでその点が不満。(Codaにはあった)
Codaでは、大学に旅立つ娘を家族全員で見送り、娘は愛していると表現する。
上京する息子は、母親に愛する事を表現出来ない。
今日観た2本は、上京する息子を見送る母親(本作)と上京する娘を見送る父親(ごはん)が描かれていた。子供は親を疎ましく思っても、子を思う親の気持ちは変わらない。
そして、その思いを知った時に、子は親を思い涙を流すのである。
小さな物語の大きな感動
予告編の吉沢亮君が無性に気になり、鑑賞する事に。
物語としては普遍的な親子の愛情物語なのだが、構成に一切無駄がなく過剰な演出もせず、でも描く所はしっかり描くという呉美保監督の手腕がはっきり見て取れる作品だったように思う。息子の誕生から始まり、前半部分では息子の成長と共にろうあ者の日常生活で生じる不便や困難、危険などが描かれ、さらに息子(吉沢亮)のコーダとしての葛藤や苛立ちもリアルに伝わってくる。この辺のさりげない自然な見せ方が実に上手く、しかも本当に無駄がない。最小限の表現で最大限の効果を発揮している。呉美保作品を観るのは初めてなのだが、前半だけで「この監督すごいかも」と思わずにはいられなかった。ろうあ者の日常生活において起こる様々な出来事はあらゆる困難や不安に満ちており、それらの多くが彼らにとってはあるある話なのだろうが、僕にとっては驚きの連続だった。
三浦友和に似てる似てないのバカ話、カレーの隠し味に味噌を使ってボロクソ言われる、パチンコ屋でどの台が出るか聞いてみたりする。まさにどうでもいいような「会話」を、彼らだって僕らと同じように日常的にしている事にすら僕は気付かずに今まで生きてきた。そんな自分を恥ずかしく思うが、それと同時に僕は基本的に「聞こえる世界」の住民であり、だから「聞こえない世界」というものを実は何ひとつ分かってない、という現実を思い知らされるのだ。最初は「ふたつの世界」って何だろう?と思っていたのだが、上映が始まってすぐに「なるほど、そういう事か」となる。
登場人物はみな素晴らしい。母は息子の全てを受け止め、信じ、寄り添い続ける。補聴器を20万で買い、ろくに会話出来てないにも関わらず「これで大ちゃんの声が聞ける」と嬉しそうに言う。それを聞いて泣かずにいられるかっつーの。父は地元で働くと言う息子に「東京へ行け」と背中を押す。たったひと言だが、父の思いがしっかり込められている。またフルーツパーラーのエピソードだけでも両親がどう生きて来たかをしっかり想像させてくれる。
じいちゃんとばあちゃんも素晴らしい。荒くれ者のじいちゃんなりに孫に何かを伝えているし、ばあちゃんは大にとって家庭内で貴重な「話し相手」だったわけだ。彼らの果たした役割(家庭としても映画的にも)は実に大きいと思う。また大の成長する姿だけでなく、彼らが年老いて行く姿を通じて、家族の「時間の流れ」というものをはっきり感じさせてくれた。2時間に満たない尺でこれだけ深みのある物語を作り上げた呉美保監督には本当に驚かされる。
また上京してから知り合う河合(ユースケ・サンタマリア)も非常に印象深かった。大(吉沢亮)の採用を決めるくだりも面白かったし、大がライターと喧嘩した後に河合が「大はどこでも生きていけそうだな」と笑いかける。それまで「何者」でもなかった大が東京に来てしっかり成長している様(さま)を河合の何気ない言葉が的確に表現しているように感じ、非常に深く刺さる言葉だと思った。そして偉そうな事言ってると思ったらタモリの言葉を丸パクリだったり、しまいには結局飛んでしまうという掴みどころのないこの男は、実は大の成長において(この作品においても)かなり重要な立ち位置だったのではないかと個人的には感じた。
そして最後。
これはもう完全にやられた。駅のホームで母からの「手話で話してくれてありがとう」という言葉に、不意を突かれた大は思わず泣き崩れる。ここでまさかの「無音」という演出かいっ!これは見事としか言いようがない。この静寂の瞬間、僕にはふたつの世界が「ひとつ」になったような、たまらなく愛おしい時間に思えた。もう本当にマジでやられた。母にとってはたわいもないひと言でも、この言葉がその後の彼を支え続けたんじゃないかと思うし、こういう小さな出来事ってきっと誰の人生にもあるはずなのだ。だから大のくしゃくしゃの泣き顔に、誰もがどこかで自分の人生と重ね合わせたのではないだろうか。そして大の心を表現してるかのように、真っ暗闇の奥に見える微かな光が大きくなりながら眩いトンネルの出口へと向かっていくラスト。もうただただ号泣です。最後に流れる歌(手紙の歌詞)も良かった。
やはり予告編で感じた直感は間違っていなかった。吉沢亮君の表情がとにかく素晴らしい。かつて「青くて痛くて脆い」で闇深い青年を演じて非常に良かったのだが、今回はさらに更新してくれた。ちょっと大げさに言えば、これで主演男優賞とか獲れないかなと本気で思ってしまう。この作品はシンプルなのに奥行きがある。基本はろうあ者のお話なのに、最後はそんなの関係ないと思えるほどの親子の物語であり、一人の青年の物語なのだ。
この作品は多くの人に強くお勧めしたい。
※追記
終盤スーツを買いに親子で洋服の青山へ行っていたが、さりげなく三浦友和ネタを回収していた事にあとで気付いた。なぜ三浦友和?と思っていたのだがそういう事かと感心した。
可もなく不可もなく🙏
健常者と障がい者との間に「壁」はない。
そんなきれい事はいくらでも言えるのです。
手話出来ないし、なんなら口話ですら
(唇の動きで会話読み取る)
めちゃくちゃ難しい。
壁とまでは言わないけど、やはりどうしても
隔たりがあるのが現実ではないかと思う。
喫茶店でパフェを食べている時
カウンターに座ったカップル。
あんな感じの無神経さ。往々にあるのです。
なんでも口に出す、それを正義と思っているし
なんなら何が悪い?と開き直る。
障がい者じゃなくても生きづらいいまの世の中。
大が「こんな家に生まれたくなかった!」の言葉は
確かに、両親がろうあ者であった事の苦労から
来るものでもあるけれど、
個人的には「ふたつの世界」ではなく
「ひとつの世界」での子供の成長日記と
親の深い愛情を思い出させる、とてもセンチメンタルな気持ちになる作品だったと思うのです。
点数5点は、作品云々ではなく
自分の素直な気持ち、可もなく不可もなく🙏
ぼくらが生きてる、ひとつの人生
前半の浮き沈みが激しく、それだけで、もう…
大の誕生による幸せムードから、聾者による子育ての難しさで一気に胸が苦しくなる。
差別的な意味ではなく、祖父母のサポート無しでは実際問題立ち行かなかったかっただろう。
(手話を憶えず明子を育てきったのもある意味凄い)
それでも愛情に溢れた家庭で幸せに育っていたところ、友人の「変」の一言で世界との隔たりを意識する。
手話で人気者になれそうなときにも、茶化す阿呆が…
しかし、花壇荒らしの濡れ衣を着せてきた女性含めて、悪意なき悪意が非常にリアル。
中学時代(サスガの吉沢亮でもムリがある)からの反抗期は、みんな身に覚えがあるのでは。
正直、観てて居た堪れなくなった。
だがそれに対し悩み、相談し合う両親の姿は、これも一般的なそれと何ら変わりない。
プータローからの上京暮らしは、両親の出番が減ったこともあり、うだつの上がらない平凡な日常。
大は、成りたいモノはないけど成りたくないモノはある。
だから面接で口では嘘をついても表情で自らバラすし、理不尽なライターには決して謝らない。
この辺は自分に似てて複雑な感情になった。
そんな半生を描く中で、言葉以上に物語る吉沢亮の表情や佇まいの奥行きが凄い。
両親はじめ脇もみな素晴らしいし、複数の子役が悉く吉沢亮っぽい上に演技もちゃんと出来るという。
サークルの酔って記憶なくした一人っ子女性が好き。
聾者同士の会話にユーモアがあって楽しかった。
誰にとっても人生は自分のもの一つきりだし、父も母も一人きりで、その中で生きていくしかない。
世界をいくつに区切ろうが、それは等しく変わらない。
キングダムの吉沢亮とは全く違う演技と母親役の忍足亜紀子の演技に泣いた
聾唖者の両親のもとで育っ五十嵐大にとって、幼い頃は母の“通訳”をすることも日常だったが、成長と共に特別視されることに戸惑いや苛立ちを感じるようになり、明るい母を嫌い東京に逃げる。
その母が駅のホームに息子を送り寂しく去る後ろ姿に自分の母親が重なり泣いてしまった。
そう言えば私の田舎に暮らしていた母も私が帰省から都会に戻る時、姿が見えなくなるまで手を振っていたことを思い出しました。
母役の忍足亜希子や父役の今井彰人をはじめ、ろう者の登場人物にはすべてろう者の俳優を起用しているが、特に忍足亜紀子の演技は素晴らしかった。
優秀作品賞へ推し! 聴こえない母へ、産んでくれて育ててくれて ありがとう!!
耳の聞こえない両親から育った一人息子コ-ダ(聴者)が今思う、
音のする世界と、静寂の世界。
普通の両親の元へ生まれたかった。・・・この思い。
貧しいし、塾にも行ったけど進学にも失敗、人生の道が開けない、
親が耳の聞こえない聾唖者だから・・・・そう思う 主人公の大。
母さんと一緒に歩くの嫌だ!、学校に来ないで!、皆の前で母と話しもしたくない! ・・・多感な少年期 彼の心に芽生える葛藤が少しずつ心に歪みを生む。
今日は 聾唖の両親を持つ青年の話「ぼくが生きてる、ふたつの世界」の鑑賞です。
感想からまず述べると、全て実話でしょう。偽りな表現は感じられませんでした。
どうしてもこの様な作品にありがちな 不要な脚色をし見栄え的展開流れを組んでしまってる事が結構有るのですが、そういった点が無く、誰の心へも等身大で奥底へ感情が入ってきます。
貧しさや、介護、祖父の暴力、孤独、進学失敗、上京そして一人暮らし、チャンスと挫折・・・誰にでも起こりえる視点と展開です。
両親が障害者だからと言って特別な人生が待っている訳ではありません。
ですが、生まれてから 生きてきた今までに与えられた運命みたいな物はあったでしょう。それに自分が向き合って いつそれに気付く事が出来るかだと思うのです。
貧乏も、介護も、両親が障害者も、自分以外の人でも有るわけで。
だから 健常者と同じように悩み、それを生きていくのが人生でしょう。
そう思います。
二つの世界の中を渡り歩く彼。でも見ていて、厳密には彼は健常者であって障害者では無いなと思うのですよ。でも 聾唖の方々の悩みや苦労は 人より遙かに理解が出来る。手話で意思が通ずることは 健常者からすればそれは素晴らしいと思いますね。 結局その思い、長けた能力を何に使うかだと感じます。
コ-ダである彼の人生も表現の一つでもあると思いますが、やはり母子の関係性が一番の魅せ場だと感じますね。
結局の所、一般的な母親との関係を描く事で、耳が聞こえない母、父を持った彼から見えた世界が一番のネタなのでしょう。
-----
(その他 思った事)
・吉沢さんの高校生姿って無理有るかなと思ってたが違和感なく見れたと思う。
・手話にも場所によって違い、方言がある事が分かった。
・仕事は常に自分の出来るレベルより少し上のレベルが遣ってくる。
・両親が聾唖者だと、赤ちゃんへの育児は相当大変であったであろうと理解した。
周囲の人達の助けが無いと多分無理だと感じる。
・耳が聞こえない両親でも大きな愛が有って、育てて貰えたから良かったと思う。
健常者の両親であっても我が子への愛が無く、虐待され放置されてしまう子もいる。不幸か、幸福かは つまりの所、愛がある家族であったかどうかだと感じますね。
-------
何とか東京で仕事をやって暮らして行く息子。
父が病で倒れて急いで帰郷。
祖母の介護と、父の看病。
母の事が心配で 家へ帰ろうかと・・・母へ申し出る息子。
”大ちゃんは東京で、頑張って~”
東京へ戻る列車待ち、駅のホームで、 昔 上京する時の事を思い出す彼。
母と列車内で手話で話した 役者になる話・・・
笑う母の顔。やがて列車を降りた母が 一言息子へ言う・・・・
”列車の中で 手話で話してくれて ありがとう~ ”
母がホ-ム端へ歩いて行く 後ろ姿を見て、
その時、今までずっと自分に話しかけてくれていた 母の声が聴こえた!
自分は何も母の事を分かってはいなかったんだと、
心から聴こうと、話そうとしていなかったんだと。
今 それに気がついた・・・
その事に 彼は深く号泣する・・・ そして母への感謝。
この場面、 メッチャ泣けましたわ。
本当に良い場面表現だったと思います。
-----
原作:五十嵐大氏「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」
脚本:港岳彦氏
監督:呉美保氏
-----MC
・五十嵐大(主人公コーダ)役:吉沢亮さん
・五十嵐明子(母)役:忍足亜希子さん
・五十嵐陽介(父)役:今井彰人さん
・鈴木康夫(祖父)役:でんでんさん
・鈴木広子(祖母)役:烏丸せつこさん
俳優陣は皆さんとても素晴らしく、本当の家族の様に思えました。
本物の赤ちゃんを使う事でリアリティがあり
特に百日祝い「お食い初め」の習わしが微笑ましかったです。
是非、ご家族揃って
劇場でご覧くださいませ!!
鑑賞動機:呉美保監督9割、あらすじ1割
『そこのみにて光輝く』『きみはいい子』でハードルが凄まじく上がっていたのと「私の一週間」に感心したことで逆に欠乏感が増していたこともあって、「うーん、期待していたほどでは…ない?」と鑑賞直後は感じていた。
1日寝かせてから改めて考えてみると、CODAだからどうこうではなく、普通の男の子の成長物語で、『6才のボクが、大人になるまで』がチラリと頭をよぎる。
地元から出て初めてある程度客観的に自分(の状況)を見る事ができて、それまで嫌だと思っていた事が、実はそんなに大したことではないのかもしれないと思えること(実際大してことではあるのだけれど)が、必要だったのかな。時系列順に進んでいたのが、終盤に入る回想シーンによって、こちらも気持ちの整理がついたように思う。
お父さん役の今井彰人が吉沢亮とあんまり年が違わないのにびっくり。
うーん、タカノフルーツパーラー? 千疋屋?
音のない世界
冒頭と最後に音のないシーンが挟まれます。
永遠の静寂…自分の声も聞こえない。
大切な人の声も聞こえない。
聞こえない人にしかわからない世界…なのかな。
字幕付きの回を見ました。
聾唖の方がたくさんこられていて、
手話でお話しされていました。
横には親子連れの方も。
吉沢亮さん、素敵な役者さんです。
お母さんに反抗する高校生からホームで涙する大人になった息子まで、自然に演じられていました。
フラッシュバックで思い出せる「笑顔がある人生」は素晴らしい
2024.9.23 一部字幕 MOVIX京都
2024年の日本映画(105分、G)
原作は五十嵐大著作のエッセイ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと(幻冬舎)』
コーダとして生きてきた青年の成長記録を綴るヒューマンドラマ
監督は呉美保
脚本は港岳彦
物語の舞台は、宮城県のとある町(ロケ地は宮城県塩竈市)
ろう者同士で結婚した五十嵐陽介(今井彰人)と明子(忍足亜希子)は、25歳の時に待望の第一子を出産した
大(乳幼児期:有馬麦、幼児期:横山るい、4歳時:畠山桃吏、青春期〜成人期:吉沢亮)と名付けられた男の子はスクスクと育ち、耳も普通に聴こえる状態だった
育児は、明子の父・康雄(でんでん)、母・広子(烏丸せつこ)、姉の佐知子(原扶貴子)がサポートにあたり、大は何の問題もなく育っていった
その後、小学校に上がった大は、祐樹(嶋田鉄太)と仲良くなり、自宅に遊びにくるようになった
祐樹は大の母が辿々しく話すのを聞いて、当初は日本語が喋れないのかと思っていた
大にとってはそれが当たり前の日常で、その日以降母親を恥ずかしく思うようになり、授業参観のことも隠すようになっていった
物語は、前半が大の成長物語、後半になってから、東京で一人暮らしをする中で、過去を想起するという構成になっている
志望校に落ちた大は、そのまま不本意な高校生活を送り、卒業後は東京に出て役者をしようなどと考える
だが、その根本は母親の元を離れたいというもので、俳優になりたいという熱を相手に伝えられない
それでも、東京で生きていくことを決めた大は、母親にスーツを買ってもらうことになった
そして、それを片手に「自分探し」を始めるものの、やりたいことが見つからないまま、パチンコ屋でアルバイトをして生計を立てるようになっていた
映画は、このパチンコ屋にて、ろう者の客・智子(河合祐三子)と出会い、そのつながりで手話の会に参加する大が描かれていく
ろう者の彩月(長井恵里)たちとの交流を経て、智子から「私の話を書いてくれない?」と冗談混じりに言われるようになる
彼女たちとの出会いによって、大は出版の道を目指すようになり、ある零細編集プロダクションにたどり着くのだが、そこは劣悪な環境で、社長の河合(ユースケ・サンタマリア)や社員の上条(山本浩司)も逃げてしまう
そこから、フリーライターとなり、医療に関わる現場を取材するようになっていくのである
ほぼ成長日記という感じで、吉沢亮が登場するまでに半分ぐらい過ぎてしまう印象
まさかの中学生役から登場には驚いたが、反抗期時代から、やぐされる社会人時代まで違和感なく見れるのは凄い
ラストは少しだけ時系列が変わる内容になっていて、祖母のために帰省するシーンが描かれる
そこで母親に言われた言葉で「かつての対話」を思い起こすことになり、目を見て話すことの尊さなどを再確認していく
そして、本書の原作にあたる原稿を書き始める、という流れになっていた
このシーンにおける母親との対話のシーンはとても印象的で、そこからエンドロールに向かう流れは神掛かっているように思えた
いずれにせよ、コーダを取り扱った作品で、その半生がどのように動いていくのかがリアルに感じられる内容だった
両親が大について話すシーンにて、「どこの家庭にも色々と問題はあるものだ」という趣旨の言葉が出てくるのだが、この物語で描かれる内容はコーダだけに訪れるものでもないと思う
母親が自分の進路に相談に乗ってくれないとか、両親との対話や生活のために自分が犠牲になっているという感覚などは、いろんな家庭にもあるものだろう
相談すべき存在がいない家庭もいれば、日本語を話しても通じない親もいるし、家族の特異な部分がからかいの対象になることも多々ある
少年時代のように、自分自身が確立していない頃は「家族が自分のステータス」みたいな部分があるので、それをどのように捉えるかで考え方が変わってくるのかな、と思った
大は違う世界に出て初めて、そこまで特別なことではないと考えるようになっていて、自分が捻くれていた時間の貴重さを感じたのだろう
そう言った意味において、親に反抗した時期がある人ならば、刺さる部分が多いのではないだろうか
優しいお父さん、お母さん。
ろうあ者を両親に持つ五十嵐大の成長物語です。
この映画は大と両親の日常を描くドキュメンタリー作品のようです。何か事件が起こる事はありません。ヤクザ者の大の祖父が賭け事に負けて暴れるぐらいです。といっても誰かが傷つくことはありません。
大の母親はとにかく優しいのです。自身の事で大に迷惑を掛けているという引け目もあって、大が何をしても決して大を叱ることはありません。とにかく「大ちゃん、大ちゃん」なのです。この子だけは幸せになってほしいという想いが伝わってきます。
大は幼い頃はお母さんが大好きな想いだけで進んでお母さんを助けようとしますが、成長するに連れ自分の両親が周りの両親と違うことを自覚し、両親を疎ましく感じるようになります。母親を授業参観に呼ばなかったり、自身が上手くいかないことを両親の障がいのせいにしたり…。
20歳になった大は父から東京で生活することを勧められます。父親自身がろうあ者同士の結婚を周囲に反対され東京に駆け落ちした過去を語ります。東京に出て、大にもっと大きな世界を知って欲しかったのだと思います。
東京で暮らすことになった大は自活することの厳しさを知ることになります。そして、大と両親との関係だけでなく、広くろうあ者の実情を知ることになります。
初めて帰省した時、実家に着いた時の大はとてもいい顔をしていました。東京に行く前の表情とはまるで違っていました。そこには成長した大の姿がありました。
ラストの大の回想のシーンで、東京に行く前に母親は大の為に一緒に大のスーツを買ったり、食事をします。最後に母が「今日はありがとう」、「何が?」、「皆の前で手話をしてくれて…。」、大が今まで母親を傷つけていた事に気付き号泣します。このことが無ければそれから東京に行く大が成長することはなかったように思います。
何かが不自由であることがこんなにも繊細な親子関係を育むのなら、世の中の全てが大のような親子関係なら、もっと優しい社会になるのではないか、そう思いました。
シビアな現実を生きながらも、根底には愛が満たされている
コーダとして生まれた僕の、半生の物語。
出生したときの家族の様子、父母の思い、子どもの思い‥。自分にもあるある、と見につまされるエピソードがたくさん💦
幼少期にパフェを食べたときの笑顔、小学生の時に友達に自慢げに手話を披露するところ、大人になっても自然と聴覚障害者を先回りして助けてしまうところ(それを真っ直ぐに指摘されるところ)、電車の中で周囲を気にせず手話で笑いあうところ、印象的で、胸が熱くなりました。
ラスト、無音の中で思い出される数々の母の姿もよかったですね。吉沢亮の演技もピカイチでした。
観て良かった。
生まれた時から抗えない現実に、虐げられて来たと感じる少年が大人になってゆく過程のお話。
家と外との違いに戸惑い、恥ずかしがり、その全てを親のせいにしてしまうどこにでもある話。ただその少年の両親は耳が聞こえないだけ。
実際そうでない自分が感じることの出来ない感情が入り交じっていると思うので簡単に共感したり共鳴したりすることは出来ないが、そこに重きを置くのではなく、誰にでもある悩み・挫折・若気の至りに焦点をあて淡々と物語を進めていく内容が深く刺さった。
最後に『なんか、ごめん』って言った瞬間、そっと泣いた。
観て良かったと思える作品でした。
凄く面白かったです。
全53件中、21~40件目を表示