「面白く感動ある作品でした!」ぼくが生きてる、ふたつの世界 komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
面白く感動ある作品でした!
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
今作は題材的にもう少し淡々とした映画だと予想していたのですが、意外に面白く感動ある作品でした。
私が好きだった場面の1つに、映画の中盤以降で、主人公・五十嵐大(吉沢亮さん)が上京後のパチンコ店で働いている時に、客のろうあの女性(役名・役者名不明です、スミマセン‥)が私達と変わらない欲ある人物として描かれていた所があります。
例えば、ろうあの女性の仲間が五十嵐大と共にレストランに集まっている時も、五十嵐大が良かれと思って店員との注文の仲介をすると、私達の役割を奪わないでという趣旨の否定的な発言を五十嵐大は女性の中の1人から受けます。
この場面も、ろうあの人達も私達と変わらない振る舞いをしている、もっと言えばそれぞれ尊厳ある存在なのだと、示されているように思われました。
そしてこの、ろうあの人達は(可哀そうな存在なのではなく)他の人達と変わらず尊厳ある存在なのだという基調は、映画の初めから終わりまで貫かれていたように感じました。
主人公・五十嵐大の母・五十嵐明子(忍足亜希子さん)は、夫の五十嵐陽介(今井彰人さん)と共にろうあ者ですが、外から見ると大変な日常に見えても、決して本人たちはろうあのハンディに逃げ込むことなく、私達以上に自らをそして特に息子の五十嵐大を、尊厳ある存在として示し続けていたと思われました。
映画を通して静かな感銘を受けるのは、その私達にも通じる普遍的な人間の尊厳が示され続けているところにあると思われました。
個人的に特に感動的だった場面は、映画の終盤で主人公・五十嵐大が自宅に帰って来た時に、ちらりと家の玄関の郵便ポストが映る場面です。
映画の初めの方で、幼少の頃の主人公・五十嵐大が、折り紙の裏に書いた拙い手書きの手紙を家のポストに出しに行き、郵便屋さんが来たと母・五十嵐明子に伝えます。
母・明子はそれで息子・大の手紙をポストに取りに行き、それに呼応して、自分も折り紙の裏に手紙を書いて家のポストに出しに行き、郵便屋さんが来たと息子・大に伝えます。
この幼少期の頃の母と息子とのポストを介した手紙のやり取りには、何気ない日常の中に、子供の未来が本当に希望に満ち溢れて広がっている事を、信じてやまない母の姿があったと思われます。
しかしながら現実のそこからの息子の大の未来は、高校の受験に失敗し、役者の道も諦め、バイトの日々の中でようやく行き着いた小さな出版事務所も代表者や先輩社員が夜逃げする世界で、フリーのライターで辛うじて食つなぐ厳しさある場所でした。
それでもそうなった現在でも、息子の誕生で息子の未来に希望を溢れさせた時と変わらず母は確実に今もそこに存在していました。
もちろん、生まれながらにして存在を否定されている人達がいる事は知っています。
しかしながらそれ以外の多くの人々にとって、この映画が描き出す誕生からあふれ出す未来への希望と、そこから萎んだ日常の現実になったとしても、この映画で描かれた変わらぬ母と子の関係性は、ろうあ者、健常者に関わらず普遍的な一つの姿を現わしているように思われました。
映画の終盤の駅のホームで、母・明子の背中を見ながら、過去の自らの母への悪態などとその時の母の表情を思い出し、主人公・五十嵐大は慟哭します。
この場面で描かれていたのは、母が示し続けた自らの人間の尊厳が、ようやく息子である自身にも伝わった瞬間だと思われました。
そして映画を通して描かれた人としての尊厳は、ろうあ者に関係なく、私達観客の心の普遍的な深い所を突き刺し感動させていたと思われます。
今作は、例えばなぜ五十嵐大が役者を志したのか、なぜ出版社に行こうとしたのか、など、前後が結びつく形では描かれず、事実を塊で提示し続けて行く作風で、しかしそれぞれの事実の塊は同様の作風の他作品と比べた時にそこまでの驚きはないとは感じたので、今回の点数に僭越ながらなりました。
しかしながらそれを差し引いても、感動の深さから言うと、特に母と息子を通した普遍的な尊厳ある人間表現によって、今作が他の人の評価も高いのは当たり前だよなと、一方で強く思わされました。