「思春期の女の子の頭の中とランス・スラッシュブレード」インサイド・ヘッド2 だむさんの映画レビュー(感想・評価)
思春期の女の子の頭の中とランス・スラッシュブレード
実家帰省時に7歳の姪と5歳の甥が観たいと言い出すので、吹き替え版を一緒に観に行きました。前作は未見ですが複雑そうな話なので子供にわかるのか? と思いましたが、彼女達なりに解釈して楽しんでいるようでしたので子供向け映画は深いなあ、と思いました。
中年のおっさんなりの視点としては、ライリーという女の子が思春期を迎えて新しい感情が芽生えて塞ぎ込んだり親友とうまくコミュニケーションができなかったり、憧れの先輩が現れてはしゃぎたいけど恥ずかしいから抑えてしまったり・・・みたいな光景が共感出来たりできなかったり、「中学生女子」の悩みが視覚化されて面白かったです。
前作のキャラ(感情)と新キャラ(新しい感情)が対立しているようにも思えますが、全て一人の女の子の成長のために必ず発生する必要な感情達であり、対立ではない。全てが共存して必要とし合っている、というのが大切なのかな、と。それは大人にも言えることで、表面的に観ると「シンパイ」が前作のキャラを排斥してネガティブ思考に染めてしまいますが、人間が生きていく上では「シンパイ」も必要であり取り除いて良いものではない。実際、心配のあまり色々な事を考えて計画を立てているという前向きな行動をしているように見える。それを観て納得する部分も大きかった。
ただ、新キャラの中でもシンパイの出番は多いですが他は少ないです。それは主人公の女の子の環境と性格がそっちに寄っているから、と解釈しています。例えば「イイナー」は羨望ってことなんでしょうけど出番が少ない。それはこの女の子は他者を羨むことが少ないという事なのでしょう。
引っかかったとしては、ラストに向けて感情達が動いていく中で、「これまでの記憶や感情がライリーらしさを作っていく」というヨロコビのセリフ。色々な感情から行動をとり、記憶や経験が積み重なって人格が形成されて行くので、確かにその通りだと思います。ですが、それをキャラクターに言わせてしまうのは少し勿体ないと感じた。それは神視点の台詞であってキャラクター視点ではない。言うのであればお父さんとかお母さんとかコーチとか。それだと難しくなってしまうのか。言葉にせず情景として描くか、でもやっぱり一番大切なメッセージだから言語化するべきだったのか。うーん。子供向け映画は深い。
ランス・スラッシュブレード。オタクのオッサンなのでこのキャラが登場して中村悠一の声が出た瞬間に爆笑してしまった。驚いてた5歳の甥、ごめんね。「スマブ〇やんけ」「リン〇とクラ〇ドとマイ〇〇ルポニーが混ざってる」「それで声が中村悠一なんかい」「しかも出落ち」と一斉にオタクのツッコミが浮かんでしまった。吹き替えで観てよかった。