「高評価の嵐の中、スミマセン反旗翻し~当たり前をグダグダとかき回す愚作~」インサイド・ヘッド2 クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
高評価の嵐の中、スミマセン反旗翻し~当たり前をグダグダとかき回す愚作~
前作登場時、なんてこったピクサーが心理の迷宮に陥ってしまった、よくもこんな駄作を・・と正直思ったのです。人間の感情を、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリの5つに分類しそれぞれを擬人化し1人の少女の脳内プロセスを視覚化なんて、無理の上に無理を重ね、よくもこんなので金をとるとは。と思ってました。それがよもやの続編で、さらに、シンパイ、イイナー、ダリィ、ハズカシの感情を追加して。それがまさかまさかの驚異の超大ヒットってんですから驚いてしまいました。
すみません、この続編に至っても私の印象は変わらず、以下相当に厳しい言葉を連ねてしまいます。全世界で日本でもヒットと言う事は、多くの皆様の共感を得ているわけで。どうぞご不快のリスクがございますので、本作が刺さった方はこの駄文をスルーして頂ければ幸いです。もちろん個人的にはピクサーは大好きですので、ご理解を伏してお願い申し上げます。
さて、アンガーマネジメントと言う言葉があります。主にビジネスのステージで怒る事のプラス・マイナスを分析し、それを避ける感情コントロールをしましょう。と、ビジネス・スキルとして米国では70年代より開発・実践された歴史があります。最先端のアップル・コンピータから生まれたピクサーは初期の作品より脚本の造り込みが凄まじく、登場人物の感情のひだまでも精緻に描き、だからこそ大成長を遂げたのです。当然に前述のアンガーマネジメントへのアプローチは組織として取り入れていたはずで。だから「インサイド・ヘッド」なんて作品に結実したのでしょう。
もちろん日本にもその作法は導入されつつありますが、まだまだ定着とは程遠い状況です。国民性なのかすぐさま精神論に傾注してしまい、進歩には程遠い。米国は自然な感情の吐露をもコントロールし全体がスムースに前進することを目指しているのです。あるハリウッド・スターが「作品の興行が大失敗に終ったが」の問いに対し「いえ、私は演技者として100%の力を出し切って本作に取り組み、充実感は得ています。それがヒットか否かは私の問題では完全になく、まったく気になりません」と答えたのです。ここにも感情のコントロールが垣間見え、感心したものです。
こうして米国流感情分析の波に乗って、前述の5つの感情にさらに4つのエレメントを追加して、少女が思春期に直面するエポックを描きます。が、そもそも感情が計9個なんて理解し難く、なによりエレメントが独立して描かれるところがもはや受け入れられないのです。それでは第3作では初恋あたりを描き、セクシャルやジェラシーなんてエレメントが追加でしょうかね。私的に言えばもっと多くの感情のエレメントが、ちょうど棒の先に皿回しのように乗った皿に満たされ、こぼれんばかりに傾いたり、逆に傾いたりのイメージなのです。だから、個々のキャラクターの擬人化には違和感しかなく、ましてやそれぞれがまた喜怒哀楽を表すなんて無茶苦茶でしょ。
翻って、少年・少女の成長談なんて映画もいくらでも、そこで子役が自己否定から解き放たれた瞬間の演技をこれまで観てきてます。そこに感動があり、本作がグダグダ言ってることが一瞬に描かれる、映像芸術の醍醐味がここにある。そもそもポスターに明記してあるじゃないですか、「どんな感情も、あなたの宝物になる」と。こんな当たり前を何を今更、ですよ。失敗した記憶、辛い思い出などを葬り去るシーンで、もはや私は拒否反応でした。案の定後になって回収のはめに、実に馬鹿馬鹿しい。悩んでこそ成長するわけですから、こんな感情キャラのドタバタは大きなお節介そのものです。
ライリーの生きる現実世界はともかく、脳内イメージは完璧に勝手な仮のイメージで、終始ネオンサインのケバケバしい極色彩の閉塞感で息苦しくなってしまいます。感情キャラが増えることは、マーチャンダイジングのキャラが増えることに直結。ディズニー傘下の営業力は凄いよね、絶対に買いませんがね。