ボクシング映画としては定番の感動物語だが、
この映画が斬新なのは、
居場所(DitO)の無い日本人ボクサーとその娘が、日本を出てフィリピンのスラムで再起を図るという点だ。
この設定に驚く人が多いはずだ。俺も驚いた。
なんでまた、フィリピンのスラムなのか?
しかし、今の日本はそういう状況にあるらしい。
ざっくり、貧しい外国人が豊かな日本に出稼ぎに来る時代が終わり、
逆に貧乏一直線の日本人が、外国に出稼ぎに行く時代が始まっている。
この映画は、そういう新時代の映画だ。
「恐れるな うつむくな 拳を上げろ」
この主人公の言葉は、
失敗して貧困化した我々日本人へのエールだ。
我々は、なんとかしなければならない。
奇妙なことに、
我々日本人は、勤勉に生きてきたにもかかわらず貧乏になってしまった。
つまり、貧困化の責任は我々ではなく政治家にある。
だから、
我々が拳を上げる相手は、日本を貧乏にしてしまった自民党とその支持者ということになる。
恐れるな うつむくな 拳を上げろ。奴らをぶちのめせ!
~なんてことは、監督は微塵も考えていないような気がする。
この映画は、良くも悪くも、そういう社会派映画ではない。
だから、自己責任論者の皆さんも安心して感動してください。
「貧乏人が貧乏なのは自己責任だ」
「社会のせいにするな」
「誰かを叩きのめして這い上がれ」
これがボクシングの世界観だ。
~そうはいっても、普通に考えて、この父親は叩きのめされる側にいる。
チャンピオンはただの一人で、その他大勢は叩きのめされる。
年齢も、ただの数字じゃない。
だからいずれチャンピオンも叩きのめされる。
しかし、興行主は叩きのめされない。そういうシステムだ。
~この危なっかしい親子に居場所(DitO)はあるのか?
ひとり親世帯の5割が貧困に苦しむ日本で、母と子は惨めな生活を強いられてきたはずだ。
それでも父親を信じ生きてきた娘のために、父親は父親としての責任を果たさなければならない。
それは、ボクシングではない。
拳を上げる生き方の親子にとって、フィリピンのスラムが良き居場所であるわけがない。
バギオで暮らしたい娘の夢をかなえてほしい。
娘とバギオに日本食レストランを開けばいい。
バギオには日本人の語学留学生が沢山いるから、日本食レストランはきっと成功するよ。
知らんけど。。