ガザ・サーフ・クラブのレビュー・感想・評価
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波を待つ
猫の額ほどのガザの海岸で、サーフィンに興じる人々を描いた2016年制作のドキュメンタリーです。
海岸で沖を見つめていい波を待つ若者の姿はどの国のサーファーとも違いません。ただ、彼らはこの海岸の波しか乗る事が出来ず、ボードが輸入できないので手持ちの物を大切に使うしかないのです。
「戦争になったら、子供よりボードが心配だ。子供はまた作ればいいが、ボードはもう手に入らない」
と冗談っぽく語る言葉には悲痛な笑いが漂います。波と向かい合っている間だけは自由を感じられると言う思いは全てのサーファーに共通するものでしょうが、彼らの場合は文字通り死と背中合わせの自由なのです。
そして、イスラエルの無差別爆撃開始以降、本作中の誰がまだ生き延びていて、ボードが一体どうなったのか想像すると胸が塞がります。
無事だろうか?
本日はシネマリンにてドキュメンタリーのダブルヘッダー。
こちらは見逃していた、ガザでサーフィンに挑む若者たちの姿を描いた2016年の作品。
停戦中とはいえ戦時下のガザでサーフィンなんて、と思いがちだが、僕らは知っている。「この世界の片隅に」で観て知っている。戦時下であっても人生は続く。恋もすれば映画も観る。そりゃサーフィンだってするさ。ボードが入手困難だって、海辺が瓦礫だらけだって、波が来ればサーフィンをする。
夢だって見る。いつかガザでサーフショップを営む夢を。
でもね、ガザでのサーフィンに対する障害はイスラエルとの戦争だけじゃない。イスラム教の戒律で、少女は大人になるとサーフィンが出来ない。自由に育てられたのに、回りがそれを許さない…
この映画の公開時点で、僥倖のようにハワイに渡航できたイブラヒムは未だ戻ってないとテロップにあった。
2024年の現在、彼等は無事だろうか?彼等の貴重なサーフボードは無事だろうか?瓦礫だらけのビーチは無事だろうか?サーフィンに反対したイブラヒムのお父さんは無事だろうか?
いま、2024年のガザでの虐殺を踏まえてこのドキュメンタリーを観る。その意味が、僕らを傍観者にはさせてくれない。このフィルムを観れば分かる。ガザに生きる人たちは市民であって兵士や戦闘員じゃない。それは明らかだ。
虐殺を止めよう。フリー・ガザ。
ガザの若者たちちは今も生きておられるのか
ガザには海がある。
空と海があるが他の土地のように空も海も無制限、自由なものではない奇怪さ。もちろんイスラエルによる植民政策、占領、アパルトヘイト、徹底して非情な隔離 政策によるもの。主人公の青年がアメリカハワイへのビザを手にできたことも奇跡にちかいだろうし、同じ空と海が全く自由なハワイの地を踏んだら、ガザの地でサーフ文化を築こうという気持ちは揺らぐだろうと思う。このままハワイに留まっておられたなら、サーフボードの土産、サーフボードを作り直し売る技術を待つ仲間たちはがっかりするだろうか。待っている仲間たちはガザの地で無事だろうか。張り裂ける思いしかない。
そして難民だろうが、被占領地の住民だろうが、生活困難な貧しさがあろうが誰しも最低限の衣食住や教育はもちろん、自由に文化やスポーツや趣味やおしゃれや何もかもを享受する権利もあるのだ。この映画に映る人全て、彼の地に暮らす人全ての無事を祈らずにはいられない。
最近は爆撃などの話題でばかり見る地名ですが。 平穏な時には、波乗り...
最近は爆撃などの話題でばかり見る地名ですが。
平穏な時には、波乗りに興じる若者もいて、目いっぱい楽しむ様子。
ハワイに教えを請いにいくとか、
女子が家族同伴で波乗りで盛り上がるとか、
鬱屈とした環境ながらも、発散している様子、拍手したくなりました。
世界最大の「天井のない監獄」・・ 閉じ込められた若者は自由と開放を求めてサーフィンに興じる (ポスター)
えっ? ガザで?
ええっ?「サーフィン」なんですか?
マジっすか・・・
・・・・・・・・・・・・・
うちの会社(運送業)には
サーファーが何人かいる。
まずは、いったいどうしたことか、せっかくの三重県、=太平洋沿いの海辺の町から引っ越してきた彼、Hクンのことだが、
Youは何しに長野県へ!?
「海なし県で、まさか諏訪湖くんだりでサーフィンをするわけじゃあるまいし w?」と問うてみたところ
「長野県に住めば太平洋と日本海の両方に行けて、好きな波を捕まえられるからなんだ」と。
う〜ん、彼は事もなげに答えるが、驚きの返事だ。目からウロコが落ちた。さすがである。
あとの2人は新潟営業所の所属。
彼らは新潟発で、静岡県(浜松)までの区間を、週に3回、トラックで往復している。もちろん「海が目当て」で。
彼らは、見事に真っ黒に日焼けしている。朗らかで、とてもいい奴らだ。
髪も潮焼けして赤くなり、引き締まった体に、真っ白な歯が眩しい。
サーファーたちは
サーフィンをしたくてトラックに乗り、サーフィンをするために目的地を目指して夜通し走る。
平和だ。
パレスチナで、イスラエルがガザに侵攻し、大規模な地上戦を始めてからすでに4カ月。
テレビでは、壁に取り囲まれた“ゲットー”で、逃げる道さえなく兵糧攻めに遭いながら、爆撃された病院や、土埃まみれの遺体や、絶望的な瓦礫の地平が映っていて、目を覆うばかりだ。
死者はすでに29,000名。
死者の半分は子供。
「ガザ」地区は飛び地だ。
三方をイスラエル軍の壁に塞がれている。開いているところは西に広がる海だけ。
この「ガザ」で「サーフィン」をしている若者たちがいるらしい。
思いもしなかったこの2つの取り合わせを、今回、渋谷の映画館で観て、確かめてきた。
逃れられない運命からの現実逃避の行いでもあるだろうし、
侵略戦争に対する徹底的な拒否。四面楚歌を笑い飛ばす超絶アンチの行動でもあるだろうし、
サーファーである彼らは、国際赤十字の介入で、カリフォルニアから輸入したもののイスラエルに没収されて留め置かれていたボードを彼らは2年かかって取り返し、手に入れる。
爆撃の止まっていた5日間に波に乗り、
その2日前には子供が撃たれた浜辺へとそれでも乗り出し、
自分の子供よりもボードが大切なのさと言いのけて笑い、
娘にもヒジャブを脱がせて板に乗らせる。
それがガザのサーファーたち。
何なんだ、これは。
そもそも、かつて奴隷として虐げられていたヘブライ人たちは、自身、紅海を渡って、強大国家エジプトの支配から逃げおおせて来れたのではなかったか。
あの出エジプトの「海の救いの体験」はイスラエルだけの 占有物なのだろうか。
他民族は、パレスチナ人は、彼らは海を渡ってはダメなのか?
あの日、あの時の戦争では
サイパンの断崖では、
母親は赤子を抱いたまま、奈落の底の岩の浜に身を投げ、
沖縄戦では、島影も見えないのに、後ろから追い詰められた住民は沖に向かって泳ぎ出した。
元安川でも隅田川でも、猛火から逃れるために人々は水の中へ。
沢田教一は川の中の母子「安全への逃避」を撮っている。
パレスチナのガザでは、
若者たちが
それでも、この戦争のさなかにあってこそ、
命の源である水に、そして海に、
人間が遊ぶ。
― この事の圧倒的な《生》の光景に、
僕は帰りの電車で、
まだ言葉化できない衝撃を受けている。
アッ=サラーム・アライクム
اَلسَّلَامُ عَلَيْكُم
(Peace be upon you.)
誰も海では僕らの自由を奪えない。
ガザ・サーフ・クラブ
大阪十三にある映画館「第七芸術劇場」にて鑑賞 2024年1月18日
2016年の記載はおそらく上映開始かとおもいます。
誰も海では僕らの自由を奪えない。
イスラエルとエジプトに挟まれたガザ地区は、約200万人の人々が狭い土地に閉じ込められている。
経済封鎖が続くガザでは船舶の自由な出入りはなく、入る物資も出ていく物もほとんどない。
若い世代は仕事もなく、未来への展望のないまま日々を送っている。
2014年のハマスとイスラエル間の紛争は、イスラエル軍の地上侵攻に発展し、多くの人命が奪われ、多くの建物が破壊された。
しかし、このような状況下でも、若い世代は自由を求めて海に繰り出し、サーフィンに興じている。
42歳のアブー・ジャイヤブは、最年長のサーファーで、若者たちにサーフィンを教えている。
子どもたちがサーフィンを習いにやってくるが、以前はクローゼットの扉やテーブルの天板など、どんな木片の上でもサーフィンをしていた。
23歳のイブラヒームは、いつかガザでサーフショップを開くのが夢だ。アメリカからガザにやってきたマシューにその夢を話すと、マシューは支援を約束してくれた。女性のサーファーもいる。
イブラヒームは、いつかガザでサーフショップを開くのが夢だ。アメリカからガザにやってきたマシューにその夢を話すと、マシューは支援を約束してくれた。
女性のサーファーもいる。15歳のサバーフは、子どもの頃にサーフィンを習っていた。しかし彼女はもう、若い頃のように自由にサーフィンしたり泳いだりすることはできない。彼女はスカーフを腰に巻いて泳ぎ、自分なりに抵抗することもある。
彼女の夢は「世界を旅して、ガザで有名になること」
イブラヒームに転機が訪れる。仲良くなったマシューがハワイに来ないかと誘ってくれたのだ。
以前上映されていた「ガザの日常」という作品と連系しているような気がします。
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