「10年後を描く意味はあったのだろうか?」映画 からかい上手の高木さん tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
10年後を描く意味はあったのだろうか?
「好き」という気持ちを相手に伝えるのは、勇気のいることだ。
フラれるのは嫌だし、それで相手に気まずい思いをさせたら申し訳ないし、もしかしたら、友達同士としての良好な関係も壊れてしまうのではないかと不安になってしまう。
だから、高木さんは、「好き」という代わりに「からかい」続けるのだろうし、西片は、そんな高木さんの気持ちに気付けないのだろう。
ただし、そうした2人の微妙な関係は、中学生だからこそ微笑ましいのであって、それが、いい大人になった10年後も変わらないところを見せられると、あまりの成長のなさに「何をやってるんだ?」と思ってしまう。
島のゆったりとした時間の流れに合わせたかのような語り口も、それはそれで心地よいものの、テンポが悪くて眠たくなってしまった。
西片が、同級生に「好き」と告白した女子中学生から、高木さんが、告白された直後に不登校になった男子中学生から、別々に事情を聞くところが並行して描かれる場面は、この映画の大きな見所となっているが、その後、西片と高木さんが、そのことについて情報を共有していないのは気になる。ここは、教え子たちがどうすればよいのかを2人で相談し合って、その過程で、自分たちもどうするべきなのかに気づくという展開があっても良かったのではないだろうか?
ラストで、ようやく、お互いの気持ちを伝え合う場面にしても、今までの経緯を踏まえれば、高木さんか西片に「好きだ」と打ち明けたところで、「また、からかってるんじゃないの?」と疑う西片のリアクションが欲しかったと思う。
何よりも、手をつなぐ以前に、「付き合う」を飛び越えて「プロポーズ」してしまうという西片の思考過程は、それこそ、中学生にすらない単純さで、どうして、これを大の大人にやらせる必要があったのか、不思議に思ってしまった。
10年経っても何も変わらない2人を描くのであれば、そもそも、10年後を描く意味はあったのだろうか?
確かに「耳をすませば」ですね!
「耳をすませば」も、アニメは中学生の話で、実写版がその10年後の話でした。
でも、いきなりプロポーズって、やはり、中学生の発想ですよね。