12日の殺人のレビュー・感想・評価
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実話を元にした未解決事件
全体的によくできた映画だと思います。(残酷なシーンはありますが)
ただ実際に2013年5月にフランスのセーヌエマルヌ県ラニー・シュル・マルヌで起こったこの事件もそうだった様ですが、映画も未解決で終わったのが少しモヤモヤしました。
当時21歳の女性が焼かれ無残な遺体が発見されたシーンは胸が詰まされました。
こんな酷いことをする真犯人をフランス警察に何とか頑張って見つけて欲しい気持ちです。
無駄が多い駄作。この映画の制作意図は何なのか?
冒頭にこれは未解決事件である、といきなり暴露してはいたが、まさかこんな終わり方とは?仮説を立て、想像を交えて犯人像を描き出すと思っていたので失望した、というか驚愕した。いくら恋愛に奔放なフランス人であるとは言っても、ここまで自由恋愛を重ねる被害者の女性には余り同情は感じられない。警察の捜査は地道な努力の積み重ねで、そしてそれが報われないことも多々あるというのは理解出来るが、それに我々を付き合わせないで欲しい。事実に基づいたフィクション、とのことだが刑事の人間関係(誰が離婚するとか、趣味が自転車だとか、誰かの親が死んだとか)も単に時間を無駄に潰しているように感じる。無駄なエピソード、不要な容疑者が多すぎて無駄に長い駄作。そして一体この邦題は何なのか?
警官から見た事件の再現ドラマ
2016年10月12日深夜、帰宅途中の女性クララが突然ガソリンをかけられ火を着けられて殺されます。事件を捜査する警察、班長になったばかりのヨアンが中心となります。そこからは捜査官の目線での展開となります。親友のナニーへの聞き取りから、クララの交友関係を聞き出し関係者に次々と事情聴取していきます。特徴的なのは、関係者がクララについて証言しますが、回想シーンや想像でのクララは一切登場しません。まさに事件の再現フィリムというつくりです。捜査する警官にこの事件がどのように理解されていくのかを伝えています。事件発生時には、火を着けられ殺されてしまうクララへの同情と犯人への怒りがあります。しかし、クララは数々の男性関係があり、惚れやすく尻軽女性でした。そのことが明らかになることで、捜査官達の意識に変化が起こります。よくある痴漢等被害女性に対して、被害者女性にも非があるというような雰囲気となります。あくまでも犯罪を犯す側に問題があるはずがゆらいでいきます。関係した全ての男性が疑えてきます。しかし、どれも決定的な証拠はありません。これにより迷宮へ陥っていく捜査官この展開を淡々と映し出しています。未解決事件を主軸に描かれるミステリーというより、凄惨な事件を前にして動揺したり、犯人に対して憤りを感じたり、偏見をもってしまうという人間の本性を現していると思いました。事件解決への妨げが証拠不足や捜査不足ではなく人間性にも影響を及ぼすこともあるという一つの事例のように思いました。
人生の不条理がテーマなのだろうか。実事件での被害者(同じく生きたま...
人生の不条理がテーマなのだろうか。実事件での被害者(同じく生きたまま焼かれたのだろうか?)も浮かばれないだろうなあ。
10月12日の深夜、仏国グルノーブルで、女子大生クララが友人宅から...
10月12日の深夜、仏国グルノーブルで、女子大生クララが友人宅からの帰宅途中に何者かに火をつけられ、その翌朝、焼死体が発見された・・・
といったところからはじまる物語は、実際に起こった事件で、本件は未解決のままであることが冒頭示されます。
なので、謎解きミステリー、犯人逮捕で溜飲を下げるということはない。
グルノーブル署では、ヨアン班長(バスティアン・ブイヨン)のもと、関係者への聞き込みから調査を開始。
浮かび上がってきたのは、被害者クララの奔放といってもいい男性関係だった。
クララの親友は「彼女は惚れっぽかっただけ」というが・・・
映画を観ていると、警察陣の調査は地道で手堅い。
日本の2時間サスペンスなら、犯人逮捕と相成ること請け合い。
だが、捜査線上に次々と浮かんでくる被疑者は、これまた次々と消えていく。
さて、そういう捜査の経緯を観ることになる観客は、心のどこかで、「この被害者、奔放な男性関係で、殺されても仕方がないかもなぁ」などといった不謹慎な考えが脳裏を横切る。
これこそがドミニク・モル監督が意図していたところではありますまいか。
観ている観客が犯人・・・
無意識のうちに犯人の立場になってしまう。
怖い、怖い。
警察の捜査むなしく、事件はお蔵入り・・・
だが、新任の女性検事(公判前の調査が仕事)が、事件後4年経って、捜査再開をヨアンに命じる。
まもなく、事件と同じ10月12日を迎えるのだ。
犯人は、必ず動き出すはず。
事件現場と被害者の墓に監視カメラを設置せよ、と。
それぞれのカメラには二組の人物が写っていた・・・
事件解決へと動き出すかに見えたが、冒頭に示されたとおり、事件は未解決。
事件の波紋は広がるが、被害者遺族は広がる波紋の中心に居続ける・・・
冷徹ともいえる視点で描かれたミステリー/サスペンス映画。
先に観た『落下の解剖学』にも通じる人間観察。
フランス流ミステリー/サスペンス映画の醍醐味を堪能しました。
赤いジャンパーの女メインビジュアルが印象的。警察の捜査と捜査員たちの淡々とした日常のリアル。
ある夜、生きたまま女性が焼死する事件が発生。
警察の殺人捜査班に新任の班長が就任。
事件の捜査は進み、容疑者が数人浮上するが、逮捕に至らないまま日々は過ぎていく。
やがて、その事件は”未解決事件”となり、捜査班の刑事たちの日常生活にも重くのしかかる。
フランス製のスリラー映画で、いわゆる通常の殺人事件もの、謎解きや犯人探しものとは一線を画し、犯人逮捕のカタルシスは描かれない。
犯人目線の真相エピソードも無い。
しかし、それが現実かもしれない。
赤いジャンパーの女性の姿、ポスターのメインビジュアルが強烈な印象を残す。
女性は、いつも被害者。
加害者と捜査員はみんな男性、というようなセリフが象徴するように、本作では性別を強く意識した内容になっている。
班長こそ男だが、終盤で就任する判事と女刑事が大きく物語に影響する。
密着取材したドキュメンタリー風
冒頭で宣言された通り事件は結局未解決、この映画が描いたのは犯人探しのミステリーではなく、事件を巡る人々のノンフィクション風人間ドラマだった。
新任の主任ヨアンとベテランのマルソーが軸となっているが、どこかの警察署の刑事たちに密着取材したドキュメンタリーのよう。
オフィスはむさ苦しい男の巣
帰宅できずに署のソファで寝るとか、オフィスの机に食材を並べて男ばかりのミーティング件夕食は、フランスパンをテーブルに直においてみんなで手でちぎって食べるとか、大雑把だがチーズやワインがあってさすがフランス人
新人刑事を手荒くいじる刑事たち、残業当たり前しかも手当を請求してないって、フランス人のイメージと違う。仕事そっちのけで家庭問題に悩んでいるマルソー、結婚に対して異様に嫌悪感を出すチームの刑事、ヨアンとマルソーの、トイレでおしっこの飛沫を飛ばすな、という会話には、ここまでドキュメンタリー的じゃなくてもいいのにと思った
ヨアン曰く、刑事にはなぜかこだわらずにいられない事件がある
彼の場合は10月12日夜におきた、少女殺害事件がそれ。生きたまま焼かれた彼女の交流関係を調べるうちに彼女の数多くのセフレが容疑者として浮上するが、どいつもこいつもクズに近い男たちで、クズっぷりがバラエティーに富んでいる。彼ら全員怪しいだけで結局シロ。捜査は行き詰まりそのまま塩漬け。3年後に判事の協力を取り付けて再捜査するが犯人を特定することすらできない。結局迷宮入りとなる。
3年後には、署には女性刑事がいる、しかも優秀
3年後の事件の夜に事件現場の防犯カメラに映ったのは、被害者の両親の姿。音声無いが倒れ込んで慟哭する母親の姿がやりきれない
時の流れもドキュメンタリーのようでした。
かわいいうちの娘が惨殺された母の取り乱しようが気の毒すぎて見ていられなかった
その上、みだらな女として世間に知れ渡り嫌悪と好奇の目を向けられる
少女の親友が泣きながら、クララが殺されたのは女の子だったからよ、と言ったのがひりひりする。犯罪を犯すのも捜査するのも男ばかりと、新人女性刑事も言ってたっけ
ヨアンがひたすら自転車を走らせるのは、ストレスの解消と自身の思考のためでしょうか
考えながら公道を走るのは危ないかも
【"男と女の間の溝”21歳の女性が夜中帰宅途中に焼殺され、グルノーブル署の殺人捜査班が動き出す。今作は男性社会の警察と事件解決にのめり込んで行く刑事たちの姿をスリリングに描いたサスペンスである。】
ー 冒頭、仏蘭西警察が捜査する殺人事件は年間800件以上。その2割が未解決である。これは、その1件だ。とテロップが出る。-
◆感想
・冒頭のクララが何者かにガソリンを掛けられ、ライターで火を付けられ生きたまま焼死するシーンは衝撃的だ。
ー 故に、グルノーブル署のヨアン刑事や、同僚のマルソーは犯人検挙に全力を挙げて行く。犯人がナカナカ捕まらないストレス、苛立ちを募らせながら・・。-
・捜査を進めるうちにクララの奔放な男性関係も明らかになって行く。ヨアン刑事たちは署に容疑者の男達を呼び出し尋問するが、決定的な証拠は出ない。
ー 更に焦燥感を募らせていくヨアン刑事や、同僚のマルソー。ヨアンは競輪場で自転車を漕ぐ事で精神の均衡を保っているが、(二十日鼠のようにも見える・・。)マルソーは妻との離婚問題も抱えているため暴走捜査をしてしまい、自ら捜査班から抜けてしまう。-
・クララが付き合っていた男達が、クララに言及する際に、”彼女とは身体だけの関係だ。”などと、シニカルな言葉を発するシーン。
ー クララの親友ナニーだけが、”彼女は尻軽女じゃない。彼女が何か悪い事をしたの?”と涙を流しながら、ヨアン刑事に話すのである。
ここも、"男と女の間の溝”を描いたシーンである。-
■犯人が見つからないまま、3年が過ぎる。マルソーは異動し捜査班も解散しているが、ある日新任女性判事ベルトランから呼び出され、”もう一度、捜査を再開しない?調書も良く撮れているし。”と言われ、同じく新任女性刑事ナディアと捜査を再開するのである。
マルソーからは、突然青い花の写真が送られてくるが、これは”女性の力を借りる必要がある。”と私は解釈した。
・ヨアン刑事とナディア刑事は、クララの墓に隠しカメラを取り付ける。そして、そこに写っていた捜査線上に上がらなかった男が、五体投地をする姿。
ー 冒頭、”この事件は未解決だ。”とテロップで流れていたので、犯人ではないだろうと思いながら観ていたが、その男は精神を病んでいた事が分かった時の、ヨアン刑事とナディア刑事の無念そうな顔。キツイよなあ。-
<ラスト、ヨアン刑事はマルソーにメールをする。”外に出てみるよ。”
そして、ヨアン刑事は競輪場ではなく、晴天の山道を立ちこぎで登って行くのである。”峠は未だ先だな。”と呟き乍ら・・。
今作は、殺人事件の捜査を描く中で、様々な”男と女の間の溝”が描かれるスリリングなサスペンスである。
そして、中盤から登場した新任女性判事ベルトランと新任女性刑事ナディアの存在が、行き詰まっていた捜査に活路を開く過程を見ていると、男性社会の弱さ、脆さを、女性が加わることで、乗り越えて行くのだろうな、と思った作品である。>
◯◯しません
はい、初っ端ネタバレです【解決】しませんwww
・被害者クララは冒頭火を付けられ上半身黒焦で殺害される。
・捜査でクララはヤリマン・ロクデナシ好きと判明
・クララの親友ナニーは可愛い
・黒猫と縁の有る?主人公男性刑事(名前忘れた)は自転車好き、排尿時便座に座るタイプ
・相棒の詩人刑事(タトゥー多数)は家庭崩壊で情緒不安定
・捜査で怪しい男達出てくるが迷宮入り
・3年後に再捜査するも解決しねーENDwww観客舐めんなゴラァヽ(`Д´)ノ
カンヌで絶賛だか何だか知らんがおフランスの感性とは分かりあえない事はハッキリした。
コレをあんだけ面白そうに編集した日本の配給元の手腕だけは評価します。
僕は面白かった。ただ日本語タイトルはタイトル詐欺。フェミニズム映画。女子3人の言葉の意味を(主にそこの男子は)考えなさいという映画。主役刑事の心理、日常が描かれる。 感想、考察せずレビューをあげる。
◎3人の女性の言葉 (前半1人、終盤2人)
・女友達ナニーは主人公ヨアンを非難する。
ナニー 「彼女は尻軽なんかじゃない。なぜ彼女の男関係ばかり調
べるの。彼女が殺された理を教えてあげる」
ナニー 「彼女が女の子だったからよ」
・事件から3年後、女性判事は捜査再開を提案する。
ヨハン 「男と女の間には越えられない溝がある 」
女性判事 「私は男だからとか女だからとか考えない」
・3年後の12日、張り込みの車内
新人刑事ナディア 「不思議なもんですよね。男が殺して男が捜査する」
レビュータイトルにある(そこの男子)というのはボクのことです。ハイ。
実は映画を見る前にネタバレも含むレビューを全部読んでしまった。いつもはこんなことはしない。ネタバレなしのレビューを2、3読んでから映画を見るつもりが、面白くなって全部読んでしまった。おかげで日本語タイトルに騙されずに済んだ。原題「12日の夜」、邦題「12日の殺人」。映画の売り上げを伸ばすためにタイトルで嘘をつくのはもうやめてほしい。
映画の内容が良かったのが救い。
花の写真を見るときに、撮影者の視点に立つか、被写体の視点に立つかで全てが変わって見えてくる
2024.3.21 字幕 アップリンク京都
2022年のフランス映画(114分、G)
未解決事件に挑む殺人課の刑事たちを描くクライム映画
監督はドミニク・モル
脚本はジル・マルジャン&ドミニク・モル
原題は『La Nuit du 12』、英題は『The Night of the 12th』で「12日の夜」という意味
物語の舞台はフランスのグルノーブル
2016年10月12日の夜、グレノーブル署では、前任は班長(ニコラス・ジュヘット)の退職祝いパーティーが行われ、新班長にはヨハン(バスティアン・ブイヨン)が就任することになっていた
夜も更けた頃、サン=ジャン=ド=モールエンヌでは、親友ナニーことステファニー・ベヤン(ポーリーヌ・マリエ)の家で行われたパーティーからクララ・ロワイエ(ルーラ・コットン・フラビエ)が家路へと向かっていた
彼女は真夜中の公園に差し掛かり、そこで何者かに液体を撒かれ、そのままライターで火炙りされて殺されてしまった
翌朝、現地に出向いたヨハンと相棒のマルソー(ブーリ・ランネール)は、酷い遺体と対面し、そのことを両親(キャロライン・ポール&マシュー・ロゼ)に伝えることになった
母はナニーの家に泊まっていると思い込んで受け入れず、そこにナニーがやって来て、それが事実だと認識することになった
その後、ナニーや両親などから交友関係を聞いていくヨハンたちは、その都度上がってくる容疑者たちを尋問していく
だが、決定的なものは何もなく、そればかりかクララが複数の男性と関係を持つ人物だという印象が生まれてしまう
ある日は、現場に落ちていたライターが謎の人物から届き、送り主のドニ(ベンジャミン・ブランシー)もクララと関係があったように仄めかされる
さらには、両親が墓参りした際に「血染めのTシャツ」が置かれていることが発見され、それもかつて交友があったとされるヴァンサン(ピエール・ロッテン)のものだとわかる
彼はナタリー(カミール・ラスフォード)の元に居候をしていて、彼女はヴァンサンのアリバイを保証する
だが、彼を犯人だと確信しているマルソーは、彼に殴りかかってしまい、捜査は暗礁に乗り上げてしまうのである
映画は、その3年後に大きく動く様子が描かれていく
業務を引き継いだ判事ベルトラン(アヌク・グリンバーグ)は事件の調書に目を通し、捜査再開をヨハンに告げる
予算もつけられることになって、墓の近くに隠しカメラをつけたり、事件現場の張り込みなどが再開されていく
そして、そのカメラに謎の男(ダヴィッド・ムルジア)が映り込み、今度こそ事件に進展があるのでは、とざわついてくるのである
映画は、冒頭に「フランスには20%の未解決事件があり、この事件もそのひとつである」と明示され、そのまま「未解決事件」として終わってしまう
ミステリー好きからすれば「犯人は捕まらないまま終わるのか!」と怒ってしまう案件であるが、そもそも映画は「事件解決」を描いてはいない
未解決事件がどのように起こるかという過程を描いていて、初動の捜査方針の間違い、固定観念、捜査を妨げるものなどが描かれていく
後半では、女性判事と女性刑事ナディア(ムーナ・スレアム)が登場し、ようやく事件に対して「女性目線」というものが登場する
彼女らに見えているものがヨハンたちに見えていないのだが、ナディアは「男が罪を犯し、男が捕まえる」と揶揄することになる
加害者目線で事件を観ていくことで見えるものと、被害者目線で事件を観て見えるものの違いがそこにあって、わかりやすいのはナニーへの取り調べにナディアがいたら答えた内容は違うだろうし、ヴァンサンを匿うナタリーの異変にナディアなら気づいたかもしれない、というものである
これは男性の能力云々の話ではなく、事件は多角的に見る必要があるというメッセージが込められている
事件に「刑事の勘」を働かせているマルソーはその視点に立てる人物であるが、ヨハンにはそれがわからない
それを突きつけるのが、マルソーが送りつけた写真に集約されていると言えるのではないだろうか
いずれにせよ、殺人事件を違った角度から捉えている映画なのだが、物語の導入は普通の犯罪映画にしか見えないので、ヨハン目線で事件を追っていくことになってしまう
それが演出の狙いではあるものの、視点が違うことを示すのがマルソーの写真だけというのはちょっと難易度が高すぎると思う
あの写真には上下左右というものがなく、観たいように観られるものなのだが、おそらくは三次元的な見方をしないとダメだというメッセージになっている
花を真上から撮ることによって俯瞰的になっているので、上下も左右も存在しない
ただ立ち位置によって手前と奥が存在し、それによって左右が生まれているだけだったりする
上下は自分と事件との関係性であり、それはどの角度から見ても変わらないことを意味しているので、そのあたりがサッと認識できないと意味がわからないのではないだろうか
事実は小説より奇なり
実際の事件に基づくストーリーとのことだが、どこまでが事実に基づいているのか、気になった。被害者の男性関係はたぶん、実際と同じように描かれているのだろう。実際より奔放に描けば、社会問題になるはずだ。でも、全くのフィクションだと思って見たとすると、「これほどまで犯人の異性関係が奔放だと、嘘くさくて笑ってしまう」と思ってしまう。相棒が警察をやめるという理由も、あまりに陳腐な夫婦関係が理由だ。見ているときには「こんな陳腐な話でよく賞をとったな」と思ってしまった。よくよく考えると、これも事実であるかもしれないので、仕方ないというか、事実は小説より陳腐なのかもしれないと思った。
でも、映画としてそういうベタな(ベタすぎる)話を盛り込むからには、その効果を考えて作られた映画ということになる。そう考えると、「ノンフィクションよりも真実にせまったフィクション」という映画のようにも思える。世の中は人が思うより陳腐であり、映画にすると嘘くさいことが大半なのかもしれない、とあらためて認識した。
でも、主役の刑事が無表情で私生活も謎。自転車こぐのが趣味だということしかわからない。案外、陰で色々やってるんじゃないのか?と勘ぐりたくなる。映画を見終わって犯人は誰だったのか考えたら、一番謎なのは主人公。真犯人はこの主人公の刑事だ、という結末も可能な気がする。
映画評とか宣伝では、スリラーとかサスペンスに分類されていて、「おぞましい未解決殺人事件」という感じの映画と思っていたが、その辺は完全に肩透かしを食らった。特に、終わり近くの墓場での変態行為は事実に基づくのだろうが、予想を超えた映像だった。
マルソーは山へ還った
実際にあった未解決事件を元にしているとのことで、真相が解明されないのは分かっていた。
『落下の解剖学』同様、逆にそれでどう面白くするのかと興味を惹かれたが、結局これは何なのか…
ヨアンはじめ刑事たちが事件を捜査する様子をひたすらに追う内容。
しかし未解決前提という以前に、終盤まで糸口となる手がかり一つ見つからない。
被害者のクララについても、性に奔放だったこと以外何も分からず。
そのくせ事件と関係ない情報が多い。
前班長の定年退職、マルソーの離婚問題、同僚の結婚、DV男と現恋人との関係性。
大量の調書とサービス残業、壊れたコピー機、小便撒き散らし口論、警察の男性社会。
墓場の男が歌った曲が意図するところも自分には分かりません。(単に悼んでいただけではダメなのか)
そもそも捜査員が総じて感情的すぎて受け付けない。
署内での飲酒をはじめとした働き方も含め、フランスの警察ってこんな感じなんですかね。
度々挟まる自転車のシーンは、堂々巡りの閉塞感が現れていてよかった。
しかし、全体として事件より警察の実態(?)と性差別を描いているようにしか見えず、面白さを感じなかった。
山に消えていくマルソーのカットだけは面白かった。
深みにハマる。
2016年10月12日の夜、女子大生クララが生きたまま焼き殺されるという事件が起こる、その事件を捜査する刑事達の話。
新班長になったヨアンとベテラン刑事マルソーが事件捜査の担当となり捜査する事になるが、クララに関わる人間を聴き込み捜査するも捜査は難航…そんな刑事達の心情と苦悩を描く。
冒頭から生きたまま焼かれる美女の描写で引き込まれ、その後の刑事達がクララ宅を訪ね母親に事件の事を話すんだけど、母親のリアクションで泣けてしまって、犯人は誰なんだと思うなか、怪しい男達が数人出てくるけど全員見当違いで3年経っても未解決。
犯人が気になるから早く捕まえてくれよ!何て思うんだけど…よくよく考えたら冒頭の字幕ナレーションで答えは出てて「未解決」と。この終わり方はある意味、日本作品の映画、ドラマでは無いから斬新は斬新だけど、「あ~スッキリしない!」って感じ!では、あったけれど作品としては終始引き込まれ面白かった。
事件は解決しない
映画の前説や予告動画からはサスペンス系の作品だと思わされるが、本作は難解な事件を解き明かすサスペンススリラーではなく、事件を操作する警察官の葛藤を描くヒューマンドラマのテイストが強い。サスペンス系の展開を期待してみると裏切られることになるだろう。
コピー機の故障や同僚の立てる音に神経質になったり、私生活の問題も相まって先走ったりと、進展のない捜査状況に摩耗していく警察官の様子が丁寧に描かれている。
リアルな表現だと捉えることもできるが、進展のない捜査を延々と観続けるのは少し辛い。中盤の展開を圧縮してもう少し短い作品に仕上げたほうが良かったのではないかと思う。
未解決事件が解決するドラマだと思って観るとつまらない。人間ドラマだと思って観ると面白い。
始まった瞬間、『La Nuit du 12』が、なぜ日本版のタイトルでは『12日の殺人』何だろう?なんて考えさせられてしまい、集中するまで多少時間を要した。それと隣に座った男性が最初から何度もあくびをして、こんな事言ったら失礼だけど、その都度流れて来る生暖かい口臭がストーリーへの集中の妨げになったのは辛かった。ま、これは映画のせいではないので単なる愚痴。
感想として、わかっちゃいるがつくづく、人ってそれぞれいろいろあるなーと。なかなか子供が出来なかったのに浮気した妻が浮気相手とたったの3ヶ月で妊娠してしまった事に悩む同僚。そんな同僚を泊めてあげた主人公は、トイレのおしっこの撥ねをやたら嫌がる。
出会って間もないのに結婚を決めた新人刑事を笑う同僚。あー、ストーリー思い出しながらこう書いていくと、この映画は男性目線で書かれているな…
途中、犯人はほとんど男性とか、男と女の溝は埋められないだったかな、とか、警察が男性社会である事などなどのセリフが出て来る。出てくる男も大概ロクなやつはいない。殺されたクララの捜査を進めて行くうちに奔放な男性関係が浮き彫りになり、被害者であるのに犯罪者みたいな扱いの聞き込みをされて女友達が怒るシーンも印象的だった。かといって、フェミニストフェミニスト臭さを感じさせないこの映画。やはり脚本の上手さなのだろうか。
ミステリーではなくドラマでした
「悪なき殺人」がおもしろかったので観ましたけど、失敗したなというのが正直な感想です。
未解決で終わるのは構わないのですが、イマイチ盛り上がりに欠ける気がしました。
お墓のカメラのくだりで盛り上げたつもりなのかもしれませんが…
映画はエンタメと考えてる自分には合わない作品でした。
新班長奮闘記
未解決事件になるJD殺人事件の捜査にあたる刑事達の話。
あらすじ紹介には「未解決事件の闇に飲まれていく」とか、サスペンススリラーとか少しミスリードな書き方されているけれど、未解決事件の捜査をする訳ではなく、携わっている捜査が未解決事件になっていくというストーリー。
2016年10月12日、深夜に友人宅から帰宅途中のJDが、公園に差し掛かったところでガソリンをかけられ火を付けられ殺される事件が発生し巻き起こっていく。
班長になったばかりのヨアンと相棒マルソーが推理らしい推理もなくひたすら聞き込み捜査ばかりしている様と、その合間の捜査とは関係ない退屈な刑事達の会話劇が繰り返されて、やっと事件が主ではないと気付いた自分(´・ω・`)
頭を切り替えられるのが遅かったからか、言いたいことは判るけれど、このドラマの面白さにイマイチ乗っかれず。
かと言ってもう一度劇場で観ようという気になれる感じでもなかったかな。
フランス人の結婚観はへーなるほどだった。
私としてはあまりオススメしません
最近この手の作品が多くて、ストレスが溜まってしょうがありません💦要はクライマックスもラストシーンも無いまま、エンドロールが流れ始める映画です。
実話ベースなので真実を捻じ曲げる事はできませんが、迷宮入り時間を解決に導くかのような映画説明は止めていただきたい!"捜査が行き詰まるなか、ヨアンは事件の闇へと飲み込まれていく"、まさか観客も闇に引き込んだまま強制終了とは思わなかった😭
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