「花の写真を見るときに、撮影者の視点に立つか、被写体の視点に立つかで全てが変わって見えてくる」12日の殺人 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
花の写真を見るときに、撮影者の視点に立つか、被写体の視点に立つかで全てが変わって見えてくる
2024.3.21 字幕 アップリンク京都
2022年のフランス映画(114分、G)
未解決事件に挑む殺人課の刑事たちを描くクライム映画
監督はドミニク・モル
脚本はジル・マルジャン&ドミニク・モル
原題は『La Nuit du 12』、英題は『The Night of the 12th』で「12日の夜」という意味
物語の舞台はフランスのグルノーブル
2016年10月12日の夜、グレノーブル署では、前任は班長(ニコラス・ジュヘット)の退職祝いパーティーが行われ、新班長にはヨハン(バスティアン・ブイヨン)が就任することになっていた
夜も更けた頃、サン=ジャン=ド=モールエンヌでは、親友ナニーことステファニー・ベヤン(ポーリーヌ・マリエ)の家で行われたパーティーからクララ・ロワイエ(ルーラ・コットン・フラビエ)が家路へと向かっていた
彼女は真夜中の公園に差し掛かり、そこで何者かに液体を撒かれ、そのままライターで火炙りされて殺されてしまった
翌朝、現地に出向いたヨハンと相棒のマルソー(ブーリ・ランネール)は、酷い遺体と対面し、そのことを両親(キャロライン・ポール&マシュー・ロゼ)に伝えることになった
母はナニーの家に泊まっていると思い込んで受け入れず、そこにナニーがやって来て、それが事実だと認識することになった
その後、ナニーや両親などから交友関係を聞いていくヨハンたちは、その都度上がってくる容疑者たちを尋問していく
だが、決定的なものは何もなく、そればかりかクララが複数の男性と関係を持つ人物だという印象が生まれてしまう
ある日は、現場に落ちていたライターが謎の人物から届き、送り主のドニ(ベンジャミン・ブランシー)もクララと関係があったように仄めかされる
さらには、両親が墓参りした際に「血染めのTシャツ」が置かれていることが発見され、それもかつて交友があったとされるヴァンサン(ピエール・ロッテン)のものだとわかる
彼はナタリー(カミール・ラスフォード)の元に居候をしていて、彼女はヴァンサンのアリバイを保証する
だが、彼を犯人だと確信しているマルソーは、彼に殴りかかってしまい、捜査は暗礁に乗り上げてしまうのである
映画は、その3年後に大きく動く様子が描かれていく
業務を引き継いだ判事ベルトラン(アヌク・グリンバーグ)は事件の調書に目を通し、捜査再開をヨハンに告げる
予算もつけられることになって、墓の近くに隠しカメラをつけたり、事件現場の張り込みなどが再開されていく
そして、そのカメラに謎の男(ダヴィッド・ムルジア)が映り込み、今度こそ事件に進展があるのでは、とざわついてくるのである
映画は、冒頭に「フランスには20%の未解決事件があり、この事件もそのひとつである」と明示され、そのまま「未解決事件」として終わってしまう
ミステリー好きからすれば「犯人は捕まらないまま終わるのか!」と怒ってしまう案件であるが、そもそも映画は「事件解決」を描いてはいない
未解決事件がどのように起こるかという過程を描いていて、初動の捜査方針の間違い、固定観念、捜査を妨げるものなどが描かれていく
後半では、女性判事と女性刑事ナディア(ムーナ・スレアム)が登場し、ようやく事件に対して「女性目線」というものが登場する
彼女らに見えているものがヨハンたちに見えていないのだが、ナディアは「男が罪を犯し、男が捕まえる」と揶揄することになる
加害者目線で事件を観ていくことで見えるものと、被害者目線で事件を観て見えるものの違いがそこにあって、わかりやすいのはナニーへの取り調べにナディアがいたら答えた内容は違うだろうし、ヴァンサンを匿うナタリーの異変にナディアなら気づいたかもしれない、というものである
これは男性の能力云々の話ではなく、事件は多角的に見る必要があるというメッセージが込められている
事件に「刑事の勘」を働かせているマルソーはその視点に立てる人物であるが、ヨハンにはそれがわからない
それを突きつけるのが、マルソーが送りつけた写真に集約されていると言えるのではないだろうか
いずれにせよ、殺人事件を違った角度から捉えている映画なのだが、物語の導入は普通の犯罪映画にしか見えないので、ヨハン目線で事件を追っていくことになってしまう
それが演出の狙いではあるものの、視点が違うことを示すのがマルソーの写真だけというのはちょっと難易度が高すぎると思う
あの写真には上下左右というものがなく、観たいように観られるものなのだが、おそらくは三次元的な見方をしないとダメだというメッセージになっている
花を真上から撮ることによって俯瞰的になっているので、上下も左右も存在しない
ただ立ち位置によって手前と奥が存在し、それによって左右が生まれているだけだったりする
上下は自分と事件との関係性であり、それはどの角度から見ても変わらないことを意味しているので、そのあたりがサッと認識できないと意味がわからないのではないだろうか