「父親と母親」ディア・ファミリー U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
父親と母親
コレはあかん。
もうずっと泣きっぱなしやった。
凄い人やなぁと思う。
娘さんの命を救いたいが為に未経験の分野に足を踏み入れて、実績を残すまでになる。誰でも出来る事じゃないし、やれる事でもない。
家族のバックアップも凄かった。
父親が人工心臓を作ると言った時、母親は「そうよ…何でそんな簡単な事に気づかなかったのかしら?」とあっけらかんと笑う。
簡単な訳はないと突っ込まずにはおれないのだが、この無敵感はなんだ?父親が「作る」と言っても驚きしかないのだけれど、母親が「作れる」と肯定した時の信憑性が半端ない。とんでもねえ!
誰も作った事もなければ、父にその経験もない。でも「この人なら作る」って確信が母の言葉から滲み出る。
それを聞いた娘さんは、どれほど頼もしかったろうか。後に彼女は日記の中でこう綴る「私、生きていてもいいんだ」と。
その後の父親の行動は機関車のようだった。
電気で動くスマートなもんじゃなく、機関部に石炭を目一杯放りこんで猛進するかのようだった。
どれくらいの月日が経ったのかは分からないのだけれど、人工心臓の雛型が出来る。
町工場の社長がコレを作り上げたのかと目を疑う程、洗練された心臓で、収縮する様はまさしくポンプのように見え、鼓動まで聞こえてきそうだ。
かつての日本を支えた確かな技術力が見てとれる。研鑽に研鑽を重ねる職人気質が見てとれる。
だけど、その人口心臓は廃棄される。
医療大国のアメリカで人口心臓への悪評が高まる。医者側の言い分はよく分かる…だが、やるせない。
どれほどの時間とどれほどの苦悩があったのかと思う。そんな事お構いなしで「そちら側の都合でしょ」とまで言い放つ。…踏み躙らんでもよかろうに。
居間でのシーンがもうダメだ。
消沈し項垂れてる父の肩を揉む娘…。
もう、思い出しただけでも泣けてくる。
彼女に出来る最大限の事なのだと思う。父の肩を揉む娘の手に力が入ってるようにも見えず…それでも彼女は精一杯の感謝と労いを父親に伝えてたのだと思う。
伝わる体温の温かさまで感じとれるようであった。
この娘さんがずっと健気で…。
子役もそうだけど、福本さんも好演だった。
こんな天使みたいな子いるのかなと思うけど、物静かで控えめな彼女の態度から、どれほどの我慢を自分に強いていたのだろうかと、そんな事まで想像してしまう。
そして父親は「バルーンカテーテル」の開発に着手する。娘さんとの約束が根底にあるようで、のめり込んででいく。
開発が進み完成した所で娘さんの命を救えるようなものではない。が、完成しそれが普及していくにつれ思う事がある。
このバルーンカテーテルは佳美さんがいたからこそ出来たものだ。言うなれば彼女の存在証明だ。
間接的ではあるけれど、彼女は17万人もの命を救ったのではなかろうか。父親が娘に向けた愛情の副産物は、17万人の命を救い、それに連なる命まで救った。
その革新的なバルーンカテーテルによって、父は表彰される事になるのだが、その表情は暗い。
彼は「私は自分の娘を救えなかったダメな父親です。本来、表彰されるようなものじゃないんです」と言う。
…朴訥に話しだす大泉氏は素晴らしかった。
彼の葛藤と苦悩が凝縮された一言だった。
そのインタビュアーはかつて心臓疾患があり、バルーンカテーテルによって救われたと言う。
彼はその手を取り「ありがとう」と力強く話す。
おそらくは佳美の夢を叶え続けてくれている1人だからだ。彼女が生きてるって事が佳美が生きていた証になる。なんと深い愛情なのかと嗚咽が止まらない。
エンドロールで初めて脚本家の名前を探した。
「林民夫」さん
原作から物語を抽出し言葉を繋げるのは脚本家の仕事なのだと思う。いい話し過ぎるとこはあるけれど、初めて脚本家を意識した作品にもなった。
母親の菅野さんも素晴らしく…父が脇目も振らず行動出来るのは、この人が傍にいたからだと台詞の端々から感じられる。
役者陣は皆様素晴らしくて、物語のうねりを過不足なく作り出してくれてた。
1970年代の街並みを再現するのも大変だったんじゃないかと思う。特に車や衣装には手がかかったんじゃないかと。
俺は父親なので思うのだけど、父親が見せるべき背中を思い出させてもらえたように思う。
出来る事は違っても、あの気概がベースにあるべきだと思った。
一家の大黒柱とよく言われるけれど、経済的な事はむしろその一部で、支柱になる事こそが本分なんだなぁと。母親は家で言うなら基礎かしら。盤石な基礎があるからこそ大黒柱もその任を果たせるような。
坪井家は誰しもが支え合ってたように見えたし、誰しもが支えになろうとしてるように見えた。
そんな家族の姿にも涙が溢れる。
佳美さんが認めていた日記はもう…泣けてくる。
妹の存在は彼女の存在意義を満たしてくれていたんだろうなぁ…。