劇場公開日 2024年6月14日

「人間の可能性という言葉では表せない。未知的な何かがあることを引き出せた本作を多いに評価したいと思います。」ディア・ファミリー 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5人間の可能性という言葉では表せない。未知的な何かがあることを引き出せた本作を多いに評価したいと思います。

2024年6月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

幸せ

 何事も淡々と、諦めがいいのが当世流。低成長、停滞期が長く続いたし、夢や希望は持つだけ無駄。しかし執念やド根性が、不可能を可能にすることもある。しかし医療のずぶの素人が、いきなり人工心臓の開発に取り組むという話になると、いささか無謀に感じます。
 それでも本作の主人公のモデルは、心臓疾患の娘を救うため、私財を投じて人工心臓の開発に挑んだのです。不可能と思われた挑戦は、やがて画期的な医療器具の誕生へと実を結びます。娘を救うことはできなかったものの、この発明は後に、世界中でこれまでに約17万人の命を救くうこととなったのです
 主人公のモデルとなったのは愛知県春日井市の医療機器メーカー「東海メディカルプロダクツ」会長、筒井宣政さん(82)。今でもご存命で取材陣が訪ねると、年齢を感じさせない力強さで、映画化の経緯や今の思いを語ってくれるといいます。
 その筒井さんの体験をノンフィクション作家・清武英利さんが『アトムの心臓「ディア・ファミリー」23年間の記録』として刊行。本作はこれを原作としており、余命10年と宣告された娘の命を救うために、IABPバルーンカテーテルの開発に人生を捧げた男とその家族の姿を描かれます。

●ストーリー
 娘の父・坪井宜政(大泉洋)はあきらめが悪い!
 次女の佳美(福本莉子)には、生まれつき重度の先天性心疾患がありました。佳美が9歳を迎えた1977年に、主治医から手術は不可能であり、余命は約10年と宣告されてしまいます。
 それでも諦めきれない宜政は、父は一軒一軒訪ねては、治療を懇願するが答えは同じでした。1970年代当時の医療水準では治せる術式がなかったのです。それでも諦めきれない宜政は、渡米し訪ね歩くも、アメリカの病院からも「手術はできません」という返信ばかり届くのでした。
 それでも諦めきれない宜政は、「じゃあ、人工心臓を作ってやる」と、娘と無謀とも思える約束をするのです。
 いくらビニール製品樹脂工場の経営者だから、合成樹脂に詳しいといっても、宜政に、医学的な知識があるわけではありません。医師から見ればズブの素人です。知識も経験もない状態からの医療器具開発は限りなく不可能に近かったのです。けれども、宣政は娘を救いたい一心で、パートナーとなってくれる医療機関を探し、有識者に頭を下げ、自らも膨大な研究資料を読み、試作を繰り返すのでした。費用も用立てないといけなればいけません。10億円単位の資金繰りが必要でした。
 徒手空拳で始めた研究がやっと実り、実用のための臨床試験を始めようとした矢先に、先行するアメリカで人工心臓を装着した患者の死亡事故が発生し、宜政と協力関係にあった医療機関は、リスクに萎縮。人工心臓の開発から撤退してしまいます。しかし佳美の命のリミットは刻一刻と近づいていました。
 「オレが諦めたら終わり」と不屈の闘志で進み続けようとする宣政に、佳美はに「私の命はもう大丈夫だから、苦しんでいる人たちをパパが助けてあげて」という言葉を投げかけます。
 その言葉に奮起した宜政は、同じ人工心臓開発チームのメンバーだった東京都市医科大学・日本心臓研究所の研究医である富岡進(松村北斗)から、バルーンカテーテルを日本人の体格にあった国産で開発する必要性を聞き、これならこれまでの人工心臓開発のノウハウが活かせるものと、自ら開発に手を挙げるのでした。
 あきらめの悪い父の駆動力になったのは、妻の陽子(菅野美穂)と3人の娘、奈美(川榮李奈)、佳美、寿美(新井美羽)への限りない思いだ。手が施せない心臓疾患の子供を抱えた不幸な家族という枠を自分たちであっさり取り壊し、あすへと向かおうと奮闘できたのも家族の力があったからなのです。

●解説
 なんといっても宣政の猪突猛進ぶりがすさまじい!きっと『プロジェクトX』の開発者たちですら軽々と凌駕してしまう勢いでしょう。
 まず日本中の病院を回って診断を仰ぐことだって、インターネットを検索すれば、情報が簡単に分かる時代ではありません。ノートには調べ上げた手書きで。日本中の名医と病院名が書かれ、それを元に一軒一軒訪ねては、治療を懇願して廻ったのでした。
 実話だけにモデルとなった人物のその熱意に打たれます。
 治療不能と告げられると、こんどは自力で人工心臓開発を決意するのです。医療知識も経験も皆無ですが、大学に潜り込んで講義を聴き、研究室に飛び込んで相手が「ウン」と言うまで協力を懇願します。「10年で人工心臓は絶対無理」という医学生に、「人類が月に行くと思っていたか」と反論する押しの強さ。私財を投じ機械を特注し、全くくじけません。
 そんな宣政の「娘を救う」という一念が馬力となっていました。扉があればこじ開ける。壁は乗り越えるか、穴だってうがつ。決して諦めない姿というものは、映画になっても感動を呼ぶものです。けれども事実は残酷でした。
 10年の苦労は実らず、人工心臓でも佳美の命を救えないと宣告されても、蓄積した技術と知識を使って新しい医療機器の開発に取り組んたのです。
 人工心臓開発の挫折から、再起していくまでの展開が、本作をより感動の強いものとして押し上げています。

 監督は「君の膵臓(すいぞう)をたべたい」「君は月夜に光り輝く」など、“難病もの”をヒットさせた月川翔。今作では佳美の死そのものよりも、彼女が残したものを手厚く描いています。70年代から80年代にかけての時代考証や開発経緯など細部を丹念に作り込む一方で、宣政の行動原理は枝葉を落とし「佳美への愛」に特化させました。ぶれることなく向かった愛情は、一つの命から人類全てへと広がっていくのです。映画としては出来すぎのように見えてしまいますが、そこの根幹は事実。一直線の情感が胸を打つとでしょう。タイパ、コスパなんてみみっちいことに思えてしまう不退転ぶりでした。

●感想
 月川監督はバルーンカテーテル開発までの困難な道のりや、1970年代の空気感を丁寧に描き出しています。常識で考えればとんでもないプロジェクトにまい進する男の記録を縦糸、家族の物語を横糸にして爽やかな余韻を残す感動作を織り成しているのです。娘への愛ゆえという言葉では語りきれない、絶対に諦めることを知らない父親役を豪快かつ繊細に演じた大泉が、この人物像に説得力を与えてくれました。普段のひょうきんさと比べれば、大違い。何かに取り憑かれたかのように研究に邁進する姿と、ラストの旭日双光章受章記念式典に向かう、すべてを達観したかのような枯れた演技に感動しました。
 「夜明けのすべて」とは全く違う顔を見せる光石研、松村北斗ら脇の俳優陣の献身も光り、映画をより立体的にしています。

 ただし実話の強み、説得力は十分ですが、月川監督だけ「泣ける話」に集約されているところが気になりました。人工心臓からバルーンカテーテルへの開発過程でひっかかり、高名な医師の対応もドラマを高揚させるための紋切り型に見えたのです。
 終盤に突然明かされるリポーターの事情も「ここで感動してください」と言われている感覚。家族愛の尊さと佳美の「私は大丈夫」という言葉を物語の中心にしたのはいいが、肝心の佳美のキャラクター、生きざまがやや見えづらかったのが残念です。取材メモを基にした脚本でしたが、感動や涙腺刺激にとらわれすぎたのでしょうか。これまでの月川監督作品でも同様に感じてきたことです。

 それでも人間の可能性という言葉では表せない。未知的な何かがあることを引き出せた本作を多いに評価したいと思います。何しろ 町工場の経営者であった主人公が、自身の熟練の技術が人工心臓の開発に結びつくことを深く考えていたとは思えません。そんなこと全然考えず、娘の病を治したいといういちずな気持ちが、自身も予期しない途方もない力を引き出したのです。
 今挫折のただ中で打ちひしがれている人でも、本作を見れば、自分も頑張ってみようと希望をたぎられることでしょう。

流山の小地蔵