「余りにも余りにも」ディア・ファミリー Kさんの映画レビュー(感想・評価)
余りにも余りにも
人にとって自分の死を死ぬことは出来ない。それは自分の眠りを意識して、眠る瞬間を自覚出来ないのと同じだ。
だから、物語は「死」を幻想し、仮定し、「物語」の中に納めることで安心を得ようとする。それは仕方がないことだ。問題はその仮想化の姿勢だ。
娘が亡くなることは悲しいことだか、その末期の言葉に「家族を誇りに思う」と言わせることは、余りにも死者に対して傲慢だと私は感じる。
そんな傲慢さが細部に渡るまで行き届いた不快な映画だった。
そもそも冒頭、有村架純演ずるインタビュアーの圧が強いのは、きっとこのカテーテルで救われたからなんだろうなと思っていれば、その通りだし、同室の子が残した運動靴を代わりに履くんだろなと思えば、その通りになるし。
最初反対していた富岡が協力者になるし。お父さんのためにと呟いた後、倒れるし。
自らの洞察力を誇るつもりで言っているのではないし、フラグとその回収がステロタイプであることを非難しているのではない。
ドラマであることと、ドキュメンタリーを下書きにしたことの着地点が必要なことも分かる。しかし、ストーリーを進める時に無限にあり得る描写の中から選び取られたその選択は、どこか人を、人の存在を、もっと言えば尊厳を蔑ろにしている。
人は、あのように話さないし、あのように行動する生き物ではない。「人」の魅力はあんな行動、あんな台詞には1ミリもない。
「私の医師免許にかけて」の一言で、手術を始められるのだとしたら、ドラマツルギーなど必要ない。
また、私にはそんな専門知識がないのだが、循環器の手術に、一介の業者が立ち会うことなど可能なのだろうか?
原作は未読だが、本当にこれはドキュメンタリーなのか?
周囲の啜り泣きがなければ、『翔んで埼玉』よりずっと大笑いできる映画だ。