ソウルメイトのレビュー・感想・評価
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みんな違ってみんな良い
自由奔放でちょっと変わった子なミソと普通の女の子ハウン、小学生女子二人が出会って、性格は違えどふたりでひとり、二人の少女時代、ジヌが加わってちょい複雑になった青春時代の描写がテンポよく微笑ましく、気持ちよく見ていたら徐々に失速
飛び飛びの時系列で二人の空白期間が明らかになっていくが、どのエピソードにも必ず涙涙のシーンがあるようなベタベタどろどろ成分が多く、ため息が出ました。
いなくなるミソと、置いていかれるハウンだったが、途中からミソとハウンの役割が逆になる
ハウンはミソに近づきたくて無理してなかったか、お腹に子供がいながらジヌとの結婚式から逃げたが、ミソのようなたくましさと自己責任が身についた筋金入りの自由人とちがって付け焼き刃自由人なので上手くいかず、切羽詰まってミソに助けを求めたまではまあいいが、赤ちゃんをミソに託して一人で旅に出るって意味がわからない、と思っていたら、旅に出たのはミソの脳内変換で、実は産んですぐ亡くなっていたのか
ハウンは無理して「自由人になりたい自分」を演じていたような気がする。
ミソがどうであろうが、ハウンはハウンで良かったのではないか、ヒトはそれぞれ、みんな違ってみんな良いのだ。
ミソが絵を完成させて出品したのだろうと割と早く想像が付きました
母子家庭で娘より男をとる母と二人暮らしのミソを、娘のように受け入れるハウンの家族が温かく微笑ましい。
猫の「母さん」が大変いい仕事をしていました
二人の成長に寄り添うように、傍らにさり気なく、いつもいるんですよね。
子猫が成長し、若猫、成猫、老猫になり、「母さん」の指定席の座布団が焼かれたところで旅立ったのがわかってじんわり涙が出ました
「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」を見たばかりで、元女子高生の自分としては、この二人にカドデとおんたんのようには共感が続きませんでした。
でも、ミソとハウンが魂の相方であることは良くわかった
願わくば、二人が幸せになる話だったら良かった
「ソウルメイト 七月と安生」未見ですが見てみたいです
魂と魂
ハウンがバイクで追い抜いていくミソを見て「背中を見たのは初めてだった あんたはずっと隣にいたから」 と呟くシーンがすごく好きです。お互いがお互いの隣にいるのは当たり前だと思っていたけど、それは成長と共に変化して、それにハウンが気づく苦い感情が突き刺さりました。ハウンはミソを羨ましく思っていたけど、きっとミソも同じで、仲の良い親子関係や絵の才能に憧れを抱いていた気がします。そばにいるだけが真の友情ではなくて、離れていても想い合う2人の関係がとても眩しかったです。間違いなく最近でいちばん見て良かった映画!
ひとつにはなれない魂の片割れ
ソウルメイトとは運命として惹かれ合う人のことで、恋愛感情をも超えて深く結びつく存在のこと。
また前世から深いつながりのある相手であり、魂の使命を教えてくれる相手でもある。
ツインソウルという言葉もよく耳にするが、どれだけ魂がつながっていたとしても、それぞれに違う意志を持った人間同士であるため、本当に分かり合うことは出来ないのだと思う。
そしてどれだけ深く結びついたとしても、ひとつになることは出来ない。
魂の片割れであるからこそ、失った時の喪失感は何ものよりも大きく、決して幸福な関係が約束されているとは限らない。
正直観ていてとても悲しい思いをする作品だった。
映画はミソが彼女をモデルにした精密な鉛筆画を前にする場面から始まる。
その鉛筆画は大きく評価され受賞を果たしたのだが、作者の存在が分からない。
モデルになったミソならば作者の存在が分かるのではないかと、展覧会の主催者側は彼女に問いかけるが、彼女は幼い時の関係なので今はどこにいるのか分からないと返す。
やがて物語はミソが鉛筆画の作者であるハウンと初めて出会った子供時代へと遡る。
お互いに性格も生まれ育った環境も違う二人だが、出会った日から意気投合しお互いに惹かれ合うようになる。
勝ち気で自由奔放なミソと、真面目で誠実なハウン。
共に絵を描くのが好きだという共通点もあり、進学して学校が変わっても二人はいつも一緒だ。
しかしハウンにジヌという恋人が出来た日から、二人の関係は微妙にすれ違っていく。
ジヌはどうやらミソにも恋心を抱いていたらしい。
やがてミソはジヌが身につけていた首飾りを譲ってもらい、ハウンの側を離れていく。
それでもお互いに別々の生活を営んでいても、二人の間には生きた時間が流れていることが分かる。
魂同士でつながってはいても、お互いに違う価値観を持った二人。
衝突して傷つき、関係が終わりそうになる場面もある。
それでもお互いの心を埋められるのは、親でも恋人でもないのだ。
しかし、一度離れ離れになってしまった時点で、二人は交じり合うことのない運命だったのだろう。
後半になってミソがハウンの居場所を知らないと答える本当の理由が分かる。
それはとても悲しい理由だった。
ハウンは太陽は影の存在があるからこそ輝くことが出来るとミソに話す。
たとえひとつにはなれなくても、お互いを照らし合うことは出来るはずだ。
そうして幸せな関係を築くソウルメイトもたくさんいるのだと思う。
ハウンが残した鉛筆画が、初めて二人をひとつにつなげる存在だったことが分かるクライマックスはとても切なかった。
良いです。あっぱれ!
とりあえずジヌの言動にいちいちイラつきましたが(キャラクターに対してです。役者さんの悪口ではないです。念のため。)
、映画としては素晴らしかったです。
過去のエピソードと現在のエピソードを行ったり来たりしながらストーリーが進みますが、見ていて混乱することもなく、飽きることもなく話に引き込まれました。見せ方がうまい。
また、それぞれのシーンが丁寧に描かれており、オリジナルへのリスペクトが感じられました。
最初の数分で最後がどうなるかは何となく想像がついてしまうんですが、ミソとハウンと一緒に笑ったり泣いたり青春を謳歌したり(?)してるうちにそんなことはどーでも良くなりました。
二人で描き上げたミソの肖像画と、ラストのバイカル湖の風景が美しかった!
昔の良き思い出は何にも変え難いもの
ミソの自由奔放な性格と生き方に羨ましさを抱いていたハウン。ハウンはいつもミソの背中を見ていたんだよね、追いかけたかったんだよね。
ジヌと三人でレジャーに出かけた時自転車の後ろに座るハウンはバイクで追い越すミソを見ていたし、済州を出るフェリーに乗りかけるミソをギリギリまで追いかけたのもハウン。かつてミソが住んでいた部屋に越してくるハウン。
ミソはどこか生き急いでいるような感じで、そんな彼女をいつも追いかけているのがハウンだった。(泊まったホテルで、寝たふりをしたハウンがミソに背中を向けるシーンがあるが、それも結局その後、黙って部屋を出たミソをハウンが追いかけることになる。)
軽い仲の友達なら、正直ミソの言動はかなりハウンを傷つけているし、ハウンも何でミソのことが許せてしまうのか?と思ってしまうはず。でもそうならないのは、あの小さい頃の楽しかった幾つもの想い出や心通った瞬間がたくさんあったからではないだろうか。大人になって亀裂が生じても、昔のそれらが再び二人を引き寄せるのだと。
登場人物は多くないのでストーリーが追いやすい。10代後半〜20代前半の心の揺らぎやすさや衝動、喜怒哀楽を上手く表現していたと思う。
余談:
Netflixでドクタースランプを見ているのだが、お母さん役がなんと同じ。ドラマの方がコミカルでいい感じ。そして、お母さんの叔父さん役の人もなんとピアスの穴開け雑貨店主ではないか。この役者さんにまた出会えた〜!というのが韓国作品あるあるで、やめられないのよね。
ソウルメイト成分がちょっと足りない
元々オリジナル版の『ソウルメイト/七月と安生』が大好きで、今回のリメイクも楽しみにしていた。
オリジナル版の七月と安生が、それぞれ韓国版のハウンとミソだ。物語の大筋は双方ほぼ同じだ。
しかし正直なところ、オリジナル版を観た時ほど心を揺さぶられなかった。
なぜだろうと数日もやもやして、下記二つの理由に行き着いた。
1.運命力が足りない 二人の関係を「ソウルメイト」と位置づける理由と描写が不足していた
2.二人のコントラストが足りない 各々の個性が弱かった
オリジナル版でなぜあんなにも心を掻き乱されたのかというと、二人の関係がまさしく特別なものだからだ。
親友でも恋人でもライバルでもない、言葉では形容し難い二人だけの関係性を、オリジナル版は絶妙な匙加減で描き切っていた。
お風呂の中でこっそりと胸を見せあったり、相手のそばで排泄をしたり……七月と安生、二人の間で交わされるやりとりは、ただの親友同士では済まされず、決定的ではないが性的な親密ささえ感じられる。
なんというか、もし仮にどちらかが「一生そばにいてほしい」と本気で告白すれば、本当に一生涯を共にしまいそうな距離感だったのだ。
ところが韓国版のほうは、ハウンとミソが、互いの存在でしか互いを補完し合えない「ソウルメイト」たる描写が見受けられなかったように思う。韓国版の二人の関係は親友同士の枠を出ない。確かに仲はいいのだけれど、「ソウルメイト」と銘打たれるような、特別な、二人だけの親密さが感じられなかった。
キャラクターの個性も、オリジナル版には及ばなかったように思える。
七月と安生は何もかもが正反対だった。七月は保守的な価値観の一般家庭に生まれ育ち、地元の大学に進学。大学を卒業後は実家で暮らしながら銀行の、おそらく一般職として働いている。彼女の人生は、地方に生まれた優等生女子の既定路線そのものだ。彼女自身も映画の中で、自分の人生は終わりまで見通せると言っていた。
対する安生は幼い頃から母との関係が良くなかったことが伺える。自由奔放で勝ち気な彼女は、高校時代はライブハウスで働き、地元を離れてからは様々な男と付き合ったり別れたりしながら、職と土地を転々とする。
離れ離れになり、まったく違う道を歩みながら、けれど二人はずっとどこかで互いの人生に憧れていた。心の奥底で、七月は自由を欲し、安生は愛情を求めていた。やがて正反対だった二人の人生が、入れ替わるかのように交差する。だからこそ、七月と安生の関係は切っても切れない「ソウルメイト」なのだ。
オリジナル版の七月と安生と比べると、ハウンとミソは個性が弱く、キャラクターのコントラストがぼんやりとしているように感じた。
ハウンは合コンのようなものに参加するし、結婚前に実家を出るし、そこまで保守的な価値観の持ち主ではない。ハウンが選んだ教師の職も、女子率100%の地方銀行の一般職には保守度では及ばない。
ミソも暮らしこそ貧しいし職も転々とするわけだが、なにより絵を描き続けているわけだし、安生のように破れかぶれに生きているようには見えない。
二人のビジュアルからも、その対比の弱さは感じられる。
ハウンもミソも、私の目にはどちらも今時のオシャレな子のように見えた。
比べてオリジナル版の七月は可愛らしいけれどややぽっちゃり気味で野暮ったく、安生は目を惹かれるけれど痩せぎすで擦れている。各々の価値観の違いを、見事にビジュアルの面でも体現しているのだ。
また、ミソの「27歳で死にたい」は、大変重要なセリフだが、「27歳で死にたい」理由が弱く、ラストシーンではやや鼻白らんでしまった。
どうしてオリジナル版はこのセリフに説得力があったかというと、熱中できるものを何も持たず、他人の愛情に飢え続けている安生が、本気で「27歳で死んでしまいたい」と思っていたのがわかるからだ。
しかしミソはずっと絵描きになりたいという夢を持ち続けているのに、27歳で死にたいって、それでいいの!?と思ってしまった。しかもその理由がジャニスジョプリンが27歳で死んだからって……ジャニスのくだりは絵とは何も関係ないわけだし、いささか唐突すぎる気がした。
絵だったりブログだったりジャニスだったり、色々とモチーフを盛り込みすぎたせいで、結果あっさりとした印象で終わってしまった。二人の関係性の深みを描くのなら、これらのモチーフは不要だったように思う。
映像は私の目を滑っていくだけで、残念ながら心にまでは落ちてこなかった。
もちろん好みはある。オリジナル版の生々しさが苦手な人もいるだろう。
けれど韓国版を観て、私と同様にソウルメイト成分が足りない…!と感じた方はぜひオリジナル版『ソウルメイト/七月と安生』を観ることを強くオススメする。
委ねられる結末
コレを高度な脚本ととるか、本末転倒ととるか…それによって評価が変わりそうな作品ではあって…まるでラストが2つあるかのような本作だった。
途中までは、なんだかなだらかに進んでいってて、女性の清らかな友情とでも言うのだろうか?男性だと熱い友情とかになるのだけれど、女性だとなんか人肌感があって温かい感じがしてた。
勿論、紆余曲折があって、心が離れそうにもなるのだけれど「ソウルメイト」って題名に相応しい物語だったように思う。
魂が求め合う相手。
そんな事を主演2人の見つめ合う視線に感じてた。
なのだが。
なのだか…後半になって分岐が起こる。
ハウンが死んだ世界とハウンが生きている世界。
どちらか一方の世界は、子供の父親に向かって語られる架空の物語なのである。
どちらの世界観にしても腑に落ちない点が残される。
ハウンが死んだ世界ではミソの絵をミソが引き継ぎ完成する。ハウンが生きてる世界では、おそらくハウンが完成させたのであろう。
ミソがあのタッチを再現するには無理があり…ハウンが未だ旅の途中であるなら、4年強くらいの時間の経過が腑に落ちない。前半から描写されるハウンのブログを読み返すミソにも疑問が残る。
後半に至り、妙なサスペンスを突きつけられたような気分である。
ラストカットはバイカル湖に佇むハウンだ。
コレを心象風景ととるか、現実ととるか…何故にこんなラストになったのか謎である。
巧妙な脚本は韓国作品の強みであるものの…捻りが効きすぎてて意味が分からないってレベルにも感じる。
あのミソがトイレに突っ伏してる絵も、なぜアレを絵に残そうとしたのだろうか…写真は撮ってるはずもないだろうから、そん時の記憶を辿って書き上げたんだろう。ハウンの中にどんな衝動があったのだろう。
おそらく主軸である女性の友情は、どちらの世界でもブレる事はなく、どこまでも崇高で尊くは映るのだけれども…はてさてって感じだ。
俳優陣は皆様、素敵で…くすぐったい青春譚やドロッとする人間関係や恋愛のイザコザとか見所も見応えも申し分なく感じていたのだけれど…どうにも釈然としない根本的な謎だけが残ってしまった。
レビューを漁ったら、なんか答えにいきつくのかもしれない。
あと…あの絵はとても素敵で、柔らかく温かでポストカードとかあったら欲しいなぁと、キム・ダミのファンでもある俺なんかは思う。
毎回思うけど、韓国の俳優陣が演じわける時間経過には驚かされる。ちゃんと青春してるし、ちゃんと微笑ましい。
流石なのである。
◾️追記
レビューをつらつら読むに、ハウンが死んだ世界を現在とするレビューが多く、そりゃそうだわなとも思うのだけど…あのタッチを再現するミソへの疑問は拭えないなぁ。
ハウンが生きてるなら、あの絵を見つめるミソの眼差しが不可解だ。
旅に出てそのまま音信不通で、またきっと会えるよねって事なのかもしれなく、アレを書いたのはハウンで出展したのはミソで、どこかに居るハウンへのメッセージなのであるなら、まだ合点はいくか。
となると、どちらの世界も言葉足らずって事にもなり得る。…やっぱ根本的な意図に疑問が残る。
まぁ、逆に言うとその一点さえ飲み込めば切ない物語だと言えるのだろう。
女の友情、それ以上に愛情
中国のオリジナルがとても良作だったので、リメイクどうなんだろう?でも韓国のことだからきっと良い出来であるだろうと想像。思った以上にとても良かった。3人の役者さんも素晴らしいし、韓国らしい風景や生活感も良かった。オリジナルと同等に素晴らしい良作でした。
ミソとハウンがゲームセンターで踊ってる場面や、ジヌと3人で海で遊ぶ場面など、天真爛漫に楽しむ場面がとても微笑ましい。
ただ思うのは、ジヌが優柔不断。確かにどちらも魅力的、正反対の性格のミソとハウン。2人とも好きになってしまうのはわからないでもないし、優しさゆえだろうが、どちらかに決めないと。山の中でミソと2人きりになっても、キスしちゃいけない。ペンダントだって、ミソに渡してはいけない。ハウンはやはり気づくし、傷つく。
ソウルで恋人が自殺したミソを部屋に住まわすジヌ、放って置けなかったんだろうが、やはり対応が違うのでは?
彼女だったらそりゃ怒るよね。
ここで友情決裂にはならず、ミソとハウンは2人で旅行に行くが、1人で生活して学校にも通っているミソ、アルバイトをいくつもこなし必死で生きている。少しでも安いところに泊まり、食べるものも安くていいと考えるが、ハウンはせっかくの2人旅。お金のことは気にせず楽しみたい。もう2人の価値観がまるで違う。酒場でのミソの行為がハウンには信じがたく、そんなハウンにミソも腹を立てる。ここで一旦2人は疎遠になるが、まあそうなるだろう。
ジヌとハウンはなんとか結婚までたどり着くが、本当にやりたい事を、絵を描こうと考えるハウンはジヌに打ち明けるが、否定されてしまう。ミソは応援してくれたのに、、、ハウンの表情が暗くなる。結婚式当日も浮かぬ顔。まさかの行動。もっと早くこの勇気を出していれば良かったのに。
親元を故郷を離れたことのなかったハウンが1人で街を離れ、乗れなかった飛行機に乗り、1人で暮らし始める。でもそれはミソが暮らしていた部屋。ケンカしたままでもやはり心の中では唯一の友。ハウンはあの部屋でミソを感じながら、ミソと一緒に生活していたんだろうな、心の中で。妊娠し、出産間近になって頼ったのは親でもジヌでもなくミソだった。ミソもハウンを受け入れる。
もう、友情を超えている。人間愛?とも違う、なんと言ったらいいんだろう。お互いもう離れられない、自身の体の一部、心の一部なんだろう。
娘のハウンは、大きくなったらいつの日か、母と、産みの母と父親の関係性を知る時が来るんだろう。みんなに愛されていることは間違い無いけど、本人はどう感じるんだろうか。
友情と言うより愛情
ミソを書いた絵が、すごく素敵だった!
しかも、2人で書き上げた事がわかって、
2人の友情よりもっと深い、愛情のようなものを
感じました
彼の存在も、不思議とドロドロしたものではなく
無くてはならない感じで、良かった
本当は、どっちが好きだったのか?
ふんわりしているのが、嫌味がなくて
好きです♡
けっこうよかった
どんなに仲が良くても、よすぎるあまり意地悪したくなることがある。過去にそんなふうに仲がよかった友達を雑に扱ったため今ではそんな友達は一人もいない。全員と疎遠になっている。なので今はちょっとでも付き合いのある友達に意地悪はしない。意地悪したくなるほど親しくしている友達もいない。なので、親しいからと言って甘えちゃいけないと今仲のいい友達のいる人、みんなに伝えたい。
あのペンダントは27歳まで生きるお守りとして持っていたと言うが、どこかハウンを好きすぎて傷つけたかったと解釈する方がすっきりする。ミソがあそこまで写実的な絵画の技術を身につけられそうな感じがしない。
時系列が前後して、現実じゃない場面もあっていくらか混乱する。ハウンが田舎から出たくない気持ちは僕も都会が嫌いなのでとてもよく分かる。ハウンは違うかもしれないけど、ストレスがなくていい。
【"ジャニス・ジョプリンの様に生きて27歳で死ぬ。と自由奔放な彼女は親友の私に言った。”今作は性格が違う二人の女性の数十年に亙る生き方と彼女達が愛した一人の男との関係性の変遷を描いた作品である。】
ー ご存じの通り、今作は中国映画の「ソウルメイト/七月と安生」のリメイクであるが、私はオリジナルとリメイクを比較するレビューはしない。それぞれに良さがあると思うからである。-
■ソウルから済州島に越して来た小さなミソ。先生からハウンの隣に座るように言われ、二人の交流が始まる。
高校生になったミソ(キム・ダミ)とハウン(チョン・ソニ)は変わらずに仲良し。
だが、ハウンは同学年のジヌ(ピョン・ウソク)に恋をし、恋人同士になるが、ジヌはミソにキスしてしまう。
◆感想
・わずか2時間の中で3人の関係性の変遷を描いている。その中で、ハウンは自由奔放なミソに憧れの気持ちを持って行き、彼女の生き方から自身の済州島の教師になる生き方に疑問を持つようになる。
ー 典型的なのは、好きだったジヌとの結婚式場からいなくなるシーンである。ハウンは自分の事を本当に理解していないジヌとの生活に不安感を抱いていたのだろう。
ジヌに自分の想いを伝えるも”教師をやりなよ。絵は趣味にして・・。”というジヌの言葉。
そして、式場での暗い顔をした彼女を中心にした集合写真。-
・一方、高校を中退し済州島を出、ソウルで暮らし始めたミソは様々な職業を経験しつつ、バイカル湖に行く夢を持つ。
■高校時代のミソは、ジャニスジョプリンの”ミー・アンド・ボビー・マギー”を流しながらミニバイクで、自転車をこぐハウンと並行して走っているシーン。
乗り物が、二人の性格を表しているし、ミソの選曲が激シブである。
・大人になったミソとハウンは、時に大喧嘩しながらもお互いの事を何時も心に止めている。
ー 正に親友である。勤めていた会社社長が自殺し、自分の金も全て使われていたミソがジヌのアパートに住まわせて貰っている時に、ハウンと鉢合わせ。普通であれば、大喧嘩になる所だが、ハウンはジヌを部屋に入れず、ミソの派手なブラジャーを見て、”ジウはこういうのが、好きなの!”と言って自身の胸をはだけるシーンは、何だか可笑しい。-
・ハウンはジウとの結婚式場からいなくなり、ソウルに行ってミソが暮らしていた丘の上の家に住み、好きだった絵を再び描き始めるのである。
ハウンはジウとの子を宿しており、無事出産する。が、二人で育てようと思っていたハウンは突然の病魔により、ミソが言っていた27歳でこの世を去ってしまうのである。
ー 設定が、哀しいが巧い。ハウンはミソの生き方に憧れ、自由に生き、早逝するのである。-
<ミソがハウンの子を自分の子として、可愛がって育てているシーンも良いのだな。
今作は性格が違う二人の女性の数十年に亙る生き方と彼女達が愛した一人の男との関係性の変遷を描いた作品なのである。>
女の友情を越えた”ソウルメイト”二人の絆の物語。17歳から27歳を演じた主演二人が魅力的で輝いている。
小学生から高校生まで、二人の日常が本当に輝いていて、素晴らしい。
明るく、あたたかく、光ってる。
17歳から27歳を演じた主演二人が、本当に魅力的で輝いている。
島を出ていったミソが帰ってきて、二人で行った釜山の夕食で口論になってしまう。
二人の生き方の違いが明らかになるシーンが悲しい。
その後も、お互いを思いあっているのに、心がすれ違ってしまう。
それでも求めあう二人の強い絆を、女の友情を越えた”ソウルメイト”という。
ハウンは、島の平穏な日々から抜け出して、ミソの自由奔放な生き方を追いかけるように行動しだす。
ミソがジヌに語る出産後のハウンの人生は、ミソが思う、ハウンが本当にやりたかったことだった。
そう思うと本当に切なくて泣いてしまう。
”ピアス”が出てくるところとか、小さなものまで愛おしく。
そして、自由の象徴「バイカル湖」の美しさ、冒頭と終盤に登場するハイパーリアルな肖像画が、実に象徴的で強烈な印象を焼き付けました。
暫く心から離れない。
今年の、これまでの映画で1位です!
ひねりまくり
メジャー系の作品を見るときは、心の片隅でちょっとしたお話の仕掛け、驚きを期待している自分がいる。その期待には十分応えてくれているんだけど、ラストの構成に凝りすぎで、お話に感動するよりも混乱して冷めてしまった。残念。
ふたりともあの場所には行ってないという認識でいます。
ソウルメイト
ソウルメイト
面白かった。時の流れがある分、話しが結構飛び飛びで展開が早い感じもしたが、それ込みでも全然みれた。もっとじっくり3時間くらいかけて描いてもいいと思う。
リメイク版とだけあってやはりお話自体は、単調でよくある感じ。画も韓国ドラマを思わせるような特に面白くもない画作りだったが、構成と役者の演技力の力で心動かさせるところまで持ってきていると感じる。
つくづく、女性の価値観というものと男性の価値観は違うと思う。俺が女性だったなら、死ぬほど刺さる映画だったのでは?と思う。
男性は、あんなふうに心からの友達という関係になるには難しい。女性特有の母性や、相手を思いやる感情が相互に働くとあのような関係になるのだろう。
最終的にお互いに全てを言い合った。包み隠さずに。そこに至れるのがソウルメイトなのだろう。そして相手のそれを許すのでもなく、恨むのでもなく、受け入れると言う境地に至るには、何度も別れと再会を繰り返して時間をかけて育んでいくものである。学校や幼い頃の青春は一瞬で、その友情は脆く弱い。しかし、社会に出て恋愛し、傷つき、壊れていった先にある友情は、堅いものになる。
テーマはその名の通り「心からの友情」が誕生する瞬間だ。お互いに好きになったり嫌いになったり、恨んだわり妬んだり、男を取り合ったり。一見仲良くないように見えて、実はお互いにずっと気にしている。遠くに居ても、連絡を取らなくても心のどこかで繋がっている。それが「ソウルメイト(心からの友情)」である。
ログライン
仲の良かった幼馴染の自由人のミソ、現実派のハウンが、ジヌと出会うことで関係が壊れていき、別れと再会を繰り返して、心からの友情が芽生える話。
あらすじ
自由人のミソ、現実派のハウンは、幼い頃から仲が良く、お互いに絵を描くのが好きだった。
お互いに楽しい青春を過ごしていたのだが、ハウンがジヌという男と付き合い始め、3人でいることが多くなってきた。
3人で過ごす中でミソとジヌが惹かれあっていき、間違いを犯してしまう。
そんな最中、ミソは画家になるため世界を旅しに行く。5年もの月日が経ち、再開するミソとハウンだったが、堅実に生きるハウンと、旅をしたことで自由に拍車のかかったミソとの価値観の違いに2人はまた離れていってしまう。
そしてまた月日が経ち、ハウンがミソと再会したのは、ミソが付き合っていた人が自殺し、ジヌの家に居候していた時だった。ジヌとハウンの浮気のような行為に、怒りと悲しみを抑えきれないハウンは、ミソに「嫌いだった」と本音をぶつける。(ハウンは、ミソの軽い性格や自由奔放な姿が、自分とジヌとの間にヒビを入れている事が嫌だった)
その後ハウンは、ジヌに結婚を申し込まれ、結婚式を執り行うが、自分の夢を応援してくれないジヌを見て、ミソのように自由に生きるチャンスがこの後にない事を悟り、結婚式を抜け出してジヌと別れることにした。(これに関しては急に自分勝手になるハウンに多少困惑した。堅実に生きていこうとするハウンにあわせ、移住までする覚悟できたジヌがこれでは…)
ミソの前に現れたハウンは、身籠っていた。入院するハウンにミソは、つきっきりで看病していたが、子を産んだハウンは容体が悪化し死んでしまった。
ミソは、ハウンの子を引き取ることに決めた。ハウンが住んでいた部屋を整理しに行くと、ミソの顔が描かれた描き途中の絵があった。ミソは、ハウンのその絵を完成させた。まるでミソが隣で一緒に描いているかのように。
ちょっと難解な部分があったので、あらすじが下手くそでした。違うところがあればご指摘ください。
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