「突然始まる心臓マッサージ講座で振り落とされなければ、完走できるのではないだろうか」マダム・ウェブ Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
突然始まる心臓マッサージ講座で振り落とされなければ、完走できるのではないだろうか
2024.2.23 字幕 イオンシネマ久御山
2024年のアメリカ映画(116分、G)
ソニースパイダーマン・ユニバース(SSU)の4作目
事故をきっかけに謎の能力を手にする女性が予知夢で見た3人の少女を助ける様子を描いたミステリー風アクション映画
監督はS・J・クラークソン
脚本はクレア・パーカー&S・J・クラークソン
物語は、1973年にペルーの奥地を探検する二人の研究者を描いて幕を開ける
この地に生息するとされている希少種の蜘蛛を探しているコンスタンス・ウェブ(ケリー・ビシェ)は臨月間近ながらも研究に明け暮れていた
護衛目的で付き合わされたエゼキエル・シムズ(タハール・ラヒム)の心配をよそに蜘蛛探しに没頭するコンスタンスは、ようやく念願の蜘蛛を手に入れる
だが、その蜘蛛を狙っていたのは彼女だけではなく、裏切ったエゼキエルは彼女に発砲し、強引にそれを持ち去って消えた
瀕死の重傷を負ったコンスタンスだったが、現地民サンティアゴ(José María Yazpik)の手によって、赤ん坊だけは助けてもらうことができた
それから30年後、赤ん坊はキャシー(ダコタ・ジョンソン)と名付けられ、ニューヨークで救命士として働いていた
同僚のベン・パーカー(アダム・スコット)と共に救助活動を続けていたが、ある日の事故にて、事故車ごと川に転落してしまう
ベンの蘇生処置で一命を取り留めたキャシーだったが、それ以降、不思議なビジョンを見始める
それは、予知夢のようなもので、あるシーンが二度繰り返されるというものだった
その後、その正体がわからぬまま日常を過ごしていたキャシーだったが、ある湾岸倉庫の火災にて、上司のオニール(マイク・エップス)が事故に巻き込まれるビジョンを見てしまう
キャシーはオニールを止めることができず、彼の乗った救急車はトレーラーと事故を起こしてしまった
物語は、オニールの葬式に向かうキャシーが、その道中で3人の少女が謎の男に殺されるビジョンを見てしまうところから動き出す
偶然、列車に乗り合わせることになっただけで、接点はないように思えた4人
だが、キャシーは3人の少女とその日に会っていた
一人目は同じアパートに住む家賃未払いの少女・アーニャ(イザベラ・メルセド)、二人目は救急搬送の時に悪態をついたスケボー少女・マティ(セレステ・オコナー)、そして三人目はキャシーとベンが運び込んだ女性の娘ジュリア(シドニー・スウィーニー)だった
この偶然の一致が予知夢を見せたのかわからないが、3人の少女を追ってきた謎の黒ずくめスーツ男は、キャシーと因縁を持つ男で、彼は母親を殺し、蜘蛛を奪って逃げたエゼキエルだった
彼は「3人の謎の女に殺されるビジョン」を毎晩のように見ていて、それが起こる前に阻止しようと考えていた
NAS職員(ジル・ヘネシー)からパスワードを入手したエゼキエルは、金で雇ったハッカーのアマリア(ゾージア・マメット)に三人の少女をウェブ上で追わせていく
そして、ようやく掴んだ情報の先にキャシーとの邂逅が起こるのであった
映画は、これぞご都合主義という展開のオンパレードで、しかも主人公を含めたキャラクターの設定の作り込みが浅すぎて唖然としてしまう
説明不足の設定が多すぎて、脳内補完できるレベルではない
特に「母親の研究に無関心でキャシーが救命士をしている理由」「エゼキエルが財を為して成り上がった背景」などが完全に欠落していて、キャシーが自分のルーツを探すこともなく、単に行き着いた先にペルーがあった、みたいな展開になっている
謎の男に追われているのに、理由も言わずにベンに押し付けて一週間ペルー旅行に行く流れも不自然で、そこまで来たなら「3人を連れていく」方が自然にも思える
そこで、キャシーのルーツを知ることで、3人の未来が決まっていく、という方が自然で、この先「どうやったら彼女たちがスパイダーウーマンのような存在になっていくのか」というものが全く見えていない
エゼキエルの予知夢はキャシーによって阻まれるのだが、その内容を知っていたかのように「あなたが見たのは私」と締めくくるのも意味不明で、どうやったらこんなシナリオになってしまうのかが不思議でしょうがなかった
予告編では「本格的ミステリー」と謳っているが、一番のミステリーは「このシナリオで映画を撮ると決めた背景」だったのではないだろうか
いずれにせよ、行き当たりばったりで破綻しまくっていて、ラストでいきなり「本来のマダム・ウェブっぽくなる」という強引な展開に空いた口が塞がらなかった
スパイダーマンの女版だと思っていたら、プロフェッサーの女版だったのか!という感じになっていて、3人の少女を彼女の元に置いておく経緯も強引すぎて無茶だなあと思う
契約時とシナリオが全く違うとか、何を演じているのかわからないと主演に言われるほどで、しかも「見ない」と公言しているのは相当な闇があると思う
映画が作られた意味があるとするならば、三人の少女を演じた女優の発掘になると思うのだが、それよりも「子どもでもわかる心臓マッサージ教室」の方がインパクトが強い
2回も心マをされたら胸骨えらいことになってそうだが、そこは蜘蛛から得た再生能力ということで誤魔化すしかないのだろう
納得できるかは置いておいて、ともかく全てにおいて強引な映画だったように思える