「お葬式を通して徐々に見送る者たちの悲しみが実感されていくところがよく描かれています。」カオルの葬式 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
お葬式を通して徐々に見送る者たちの悲しみが実感されていくところがよく描かれています。
伊丹十三の「お葬式」との関連への指摘がある。確かに題材として葬式をとりあげているところは共通だし、ショットにも似通ったところがある。通夜の日が大雨で、告別式と野辺送りの日がよく晴れている設定も同じである。でも「お葬式」は都会人から見た葬式そのものの仕組みの面白さに主眼があったのに対し、本作は葬式は舞台に過ぎす、あくまてもカオルの思いを明らかにしていくことに趣旨がある。エンドクレジットをみた限りでもこの映画のもともとは「カオルという女」という企画であり、田舎で神童といわれ東京に出て脚本家を目指す女の成功や挫折を描こうとしたものらしい。多分、カオルと訳ありの、ひょっとしたら娘の父親なのかもしれないプロデューサーの安藤によると、カオルはいかにも「青い」。一つ賞を取ったぐらいでは食えない、今どきオリジナル脚本にこだわっていてはね、ということらしい。おしぼり工場で働かなければならないくらい駆け出しの脚本家の生活は厳しい。アメリカと違って組合もないしね。
ところでカオルの葬式では、カオルの仕事仲間、そして地域の人々が入り乱れて参列していて人間関係がわかりにくい。最低限の説明しかないし、セリフが全体に聞きづらく、英文の字幕が目に入ってくるのも混乱を助長する。でも、これは最終的にはカオルを愛し、彼女の死を本当に悼んでいるのは、元夫の横谷と娘の薫だけであることを際立って表現することにつながっている。二人にとって葬儀は「完全アウェイ」。でもその孤独感、疎外感がカオルと二人のあいだの愛を改めて思い起こさせる。途中、挿入される過去のカットもこの二人との分だけなのである。(ごめん、正確に言うとワヤンとのくだりはあったね)
そして最後には横谷と薫が岡山に移住し、二人で新たな生活を築くことを予見させて映画は終わる。葬式は死者にとってはこの世との永遠の終わりをしか意味しないが、見送るものたち=生者にとっては新たなスタートのきっかけになるのかもしれない。そこを指し示すよいエンディングでした。