ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディのレビュー・感想・評価
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留学中の記憶を刺激された
疑似家族関係を描く秀作。クリスマスシーズンに全寮制の高校で、帰る家のない青年と、家族のいない教師、ベトナム戦争で息子を失った寮の料理長が束の間のホリデーをともにする。生徒は生意気な問題児だった。ことあるごとに教師にぶつかる。教師の方は気難しい性格で、生徒たちから嫌われている。ホリデーシーズンにも関わらず、寮での生活を厳しくルールで縛ろうとする教師に生徒はうんざりするが、料理長が緩衝材となっていって、打ち解けていく。
アメリカ人にとってのクリスマスシーズンは家族の時間。家族を持たない人はその団らんの輪を築けない。団らんの輪を築けない人同士がちょっとデコボコした輪を築く物語だ。筆者もアメリカ留学時代、その空気はちょっと体験した。学生はみなクリスマスには実家に帰るが、留学生はわざわざ帰らないので、クリスマスは孤独になる。やることなく手持ち無沙汰で一層の孤独感を感じたものだ。
クリスマス映画として異色の作品だと思うのだけど、誰にとっても大事なことが描かれていて、心が温まる素晴らしい作品だった。
前向きなノスタルジーの成果。
1970年代というのは、映画でもポップ・ミュージックでもある種の黄金時代であり、ノスタルジックな憧憬の対象で有り続けている。ソダーバーグ、リンクレーターあたりに顕著だと思うが、アレクサンダー・ペインが70年代趣味を全開にしてきたのがこの作品。音楽のチョイス、映像や編集のスタイルなど、形から入れ!とばかりに、もう70年代にできた映画ですと言われても信じそうになるくらい、細部まで時代性を表現している。デジタル撮影なのに、35mmフィルムの上映用プリントまで作ったのも、監督の強いこだわりの現れだろうう。
じゃあ、ただの形式主義かというとそうではなく、70年代的なルックが、特に新味があるわけではないけれど、繊細で沁みる物語にピッタリあっている。というのも、ペインが参照している70年代が、しっとり、かつ飄々とした70年代ヒューマンドラマだから。アルトマンみたいに尖っているわけでもニューシネマみたいに抗っているのでもない。ハル・アシュビーとか『ペーパー・チェイス』とか『ヤング・ゼネレーション』とか、今では滅多に見られなくなった地味だけど愛すべきタイプの映画が、この時代にも価値を持つと信じているからこその、前向きなノスタルジーの成果なのではないだろうか。
いい映画を見た、と幸福な溜息が出た
本作の序盤、寄宿学校で暮らす人々の関係性は不協和音に近いほどギクシャクしている。なかなか素直になれない。身の回りのすべてに反発する。あえて他者と距離をおく。自分は嫌われ者だと高を括っている・・・などなど理由は様々。彼らは家庭がとびきりの温もりに包まれるクリスマスシーズンにも帰省できない人たちなので、よっぽどの事情があるのは明らかだ。そんな「ワケありさん」たちが、誰もいなくなった学校で、まるで擬似家族にでもなったかのように過ごす数日間。最初はしょうがなく、しかし途中からは本心で、苦笑いを浮かべながらもぎこちなく、ありったけの心を持ち寄り始める姿がなんとも胸を打つ。自分のことだけで精一杯の意識にふと「他者のために」という気持ちが芽生える時、人は誰もがルビコン河に挑むカエサルになりうるのだろう。そうやって人生は押し開かれていく。監督によるジアマッティの演出が相変わらず冴え渡った至福の一作である。
誰もがどこかで感じている"置いてけぼり感"
人生のレールから逸脱した人々にもひとかけらのプライドがあることを描かせて、今のハリウッド映画では右に出る者がいないアレクサンダー・ペイン。その最新作も期待通り、皮肉と優しさとユーモアに満ちた作品になっている。
その厳しすぎる性格から生徒からも同僚からも疎んじられている教師と、母親に見捨てられた男子学生と、息子をベトナム戦争で亡くした料理長。以上、3人の主要キャラには同じ寄宿学校の住人という以外に何の共通点もないのだが、たまたま、クリスマス休暇で誰もいなくなったキャンパスで共に過ごすうちに、互いの心の奥底に同じ傷を隠していることに気づいていく。でも、ペインは彼らが傷を癒し合う話にはせず、絶妙の語り口で矛盾だらけの人生を生きることの悲しさと可笑しさを同等に配分して、温かみのある後味を残してくれる。こんな贅沢な時間は滅多にない。
ポール・ジアマッティ、ドミニク・セッサ、ダバイン・ジョイ・ランドルフが醸し出すケミストリーも芳醇だ。"置いてけぼりのホリディ"という日本オリジナルの副題が、誰もがどこかで感じている置いてけぼり感を言い当てていて、なんかこう、今の日本人にピッタリの映画であり、副題だと思う。
悲しい者同士、弱い者同士の、不思議な連帯感。
昔、ニコニコ生放送のレジェンド配信者に「ウナちゃんマン」と呼ばれる、有名なオジサンがいた。
「KP(ケーピー)」という、若者が使う流行語にもなった、
乾杯を意味する言葉を、最初に使った人物と言われている。
彼は生まれつき「ロンパリ(斜視)」で、上半身裸の様相で座り、大好物の発泡酒を飲みながら、
他の配信者の悪口ばかり言う「皮肉屋」で、
ペットの犬が、彼のワキを嗅いで気絶する「体臭」動画がバズり、
海外ニュースで取り上げられた事もある。
ウナちゃんマンは、みんなから嫌われており、
過去に悪いことをして捕まった経歴もある前科者でもあり、
現在進行形で悪口ばかり言うものだから、本名が佐野という名前もあって、
何かニコ生で事件や事故が起こると、
「全部、佐野が悪い」
と、責任を擦り付けられることもあった。
人間の悪行、原罪、業みたいな者を背負う者として見られていた節もあり、
「嫌われ者」でありながらも、一部視聴者からは、神様のように崇められるカリスマ性もあり、
「孤独」の象徴として、配信画面に鎮座していたのだ。
こうしたウナちゃんマンの、
「斜視」
「皮肉屋」
「体臭」
「嫌われ者」
「孤独」
の要素を兼ね備えた人物が、この映画の中にも登場する。
それが、ポール・ジアマッティ演じる、教師のポール・ハナムだ。
ポール教師が出てきた時、あ~これは、ウナちゃんマンにそっくりな奴だなと瞬時に思った。
ただ、ポールとウナちゃんマンとで決定的に違うのは、
生真面目で、堅物で、融通が利かないところ。
嫌われ具合はそっくりだけれども。
彼が勤める全寮制の名門エリート高校「バートン校」の生徒たちは、他の学校と同じく、
クリスマスになると皆、自宅に帰り、家族と共に過ごす。
ところが、訳アリ事情で、家族とどうしても過ごせない学生が、毎年何人かは生じる。
その何人かのうち、問題児扱いされている生徒、アンガスだけが学校に取り残され、
問題児アンガスと堅物教師ポール、
そして、ベトナム戦争で息子を失った黒人料理長メアリーとの3人で、
クリスマスを含む年末年始を過ごす事になった、というお話。
映画の冒頭から、バートンの学生連中がこぞって、生意気でちょーしに乗っているもんだから、
いつものように、私が個人的な好き嫌いとして、
生理的に受け付けない「海外の思春期世代の鬱陶しさ」を感じ、早くも鑑賞脱落しかかるが、
残された3人だけの、奇妙な「疑似家族」的構図になってからは、没入感も感情移入もグッと深まり、
尻上がり的に、物語へ深く入り込む感覚があって、段々と面白くなってきた。
嫌われる要素しかない男2人と、マイペースで常に場に馴染んでいない女1人の、
それぞれの内面性や複雑な事情が、徐々に露わになるにつれ、心通わせるうちに、
悲しい者同士、弱い者同士の、不思議な連帯感と、優しい感情が芽生えてくるのだ。
堅物で、信念や規律やルールを重んじるポールも、次第に柔軟な態度になり、
3人でルールを破って学校を飛び出し、小旅行へ出かける。
その小旅行で生徒アンガスが、とある単独行動をしたために、
退学のピンチに陥るのだが、
それを教師ポールが、自身の立場を投げうってアンガスを助ける。
教師ポールが、序盤では想像もつかない「自己犠牲」によって、
生徒を救おうとする姿勢に、涙が出てきた。
なにかこう、心と心の触れ合いというか、魂と魂の呼応とでも言うべき関係構築により、
堅物だったポールの、カチコチだった心が凝りほぐされる感じが、とても良かった。
そういえば、、、
「おまえらは、どうして俺の配信なんか見てるんだい?」と、
ウナちゃんマンが視聴者に問いかけた事があった。
「ココはな、ニコ生の底の底なんだよ。普通に過ごしてたら俺の放送なんか見ない。弾かれに弾かれた末、辿り着いたのさ。」
ウナちゃんマンに散々悪口やら誹謗中傷やらのコメントを書き込んで、
「は~い、NG。」と、何十回NGコメント牢屋にぶち込まれたことだろう。
アンガスがポールに救われたように、私もウナちゃんマンに救われていたのかもしれない。
もうウナちゃんマンはこの世にいない。
カチコチの心を凝りほぐしてくれる人は、もうこの世にはいないのだ。
そう思ったら、涙が止まらなかった。
魂と魂が通じ合える人なんて、この先、あと何人と出会えるのだろうか。
もう、そんな人は出てこないかもしれない。
過去が君の人生を決めたりしない
上映している映画館がなかなかなく、映画館で観にいけなかった作品。色んな人からおすすめはされていたので、今回鑑賞。
問題を抱えた孤独な3人が学校で過ごす2週間くらいのお話。偏屈教師、ひねくれ生徒、愛想なし調理師の3人。最初の授業シーンからして、人気なさそうな先生やなというのはすぐわかる。そしてこんな先生と残されるなんて絶望やよね…でも、一緒に生活することによりその人の見えていなかった一面が見えるようになる。
これって海外旅行とかでも思うよね。誰かと一緒に海外とかに行くと良くも悪くもその人の見えていなかった一面が見えるみたいな。これは余談。
基本でてくるキャラクターは素直じゃないし、社会では馴染まないやろうな〜って人たちやけど、それぞれみんな優しい。先生の秘密を守ったアンガスも優しい、あまりにも偏屈な先生に対してそれはダメだよって諭すメアリーも、そして、先生の最後の決断も。アンガスに先生が言う「過去が君の人生を決めたりしない」って言うシーンも印象的。
観終わった後切ないけれど、ジーンと余韻が心に残るいい映画やった。
70年代のささやかな絆の物語
アメリカにおけるクリスマス休暇は日本の正月休みに相当します。本来家族と過ごすその時期に、それぞれの事情で学校に置いてけぼりになってしまった三名の奇妙な疑似家族。交わるようで交わらない、しかし確かにお互いの過去を知って認め合う描写が素晴らしい
ショーン・ベイカー監督は、1970年代のニューイングランドの寄宿学校を舞台に、この物語を丁寧に紡いでいます。誇張された感動表現に走らず、知的で大人向けなれど気取らず、各々が抱えている孤独感やわだかまりがほんの少し溶けるような温度感の作品です
過去のトラウマや家族との確執、自己受容の難しさといったテーマを、日常の些細なやり取りや表情、沈黙の中に滲ませる演出は秀逸。物語の救済のささやかさが、逆に心に残るパターンの映画だと思います(「私はダニエル・ブレイク」をちょっと思い出しました)
舞台となっている70年代アメリカの再現度の高さは、本当にその年代に撮影された映画かと思うほど。社会のアウトサイダー要素の強い主要人物三名の配役と演技も見事で、実在する人物のように感じられました。良い映画です
全体的に少し物足りなさは残るが、嫋やか映像と音楽で、ひとコマひとコマ、丁寧に撮っている
1970年冬、ボストン近郊にある全寮制のバートン校。クリスマス休暇で生徒と教師のほぼ大半が家族と過ごすなか、生真面目で融通が利かず、生徒からも教師仲間からも嫌われている考古学の教師ハナム(ポール・ジアマッティ)は、家に帰れない生徒たちの“子守役”を任命される。
学校に残ったのは、勉強はできるが家族関係が複雑なアンガス・タリー(ドミニク・セッサ)。食事を用意してくれるのは寮の料理長メアリー・ラム(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)。メアリーは一人息子のカーティスをベトナムで亡くしたばかり。息子と最後に過ごした学校で年を越そうとしている(公式サイトより)。
大ヒット映画「ホームアローン」よろしく、アメリカ人が異様に大事にするクリスマスホリデーに取り残された先生、給仕長、生徒の2週間を描く。トレイラーの内容から何となく察せられるストーリーにプラスαが加わるくらいで、どんでん返しや予想を裏切る展開といった類のものではない。机の上に立つ、みたいな映画的な演出もないといえばないので、全体的に少し物足りなさは残るが、嫋やか映像と音楽で、ひとコマひとコマ、丁寧に撮っているという印象。
ケネディ大横領暗殺、キング牧師暗殺、ベトナム戦争への介入など、社会的に大きな混乱をもたらした数多くの事件が起きた1960年後半から1970年前半は、アメリカにとって暗黒の時代であった。そうした混迷を背景に、「ヒッピー」のような「反体制」「自然回帰」「解放」的な思想は主に10代後半から20代前半を中心としたカウンターカルチャーに成長した。そうした時代背景を、ほんのりと匂わせる程度の演出には好感が持てた。また人生訓や、それでも人生は続く、的な押し付けがましさがなく、ナチュラルに散りばめられていたところも疲れずに観られた。
本作で給仕長のメアリーを演じたダヴァイン・ジョイ・ランドルフが、第96回アカデミー賞助演女優賞を受賞した。
自分の存在に価値を感じられない人々の再生の物語
様々な理由で、クリスマス休暇に行き場なく、寄宿学校に居残ることになった教師、職員、生徒の三人。
生徒にも同僚の教師にも軽んじられている教師。
大切なものを失って悲しみにくれている職員。
誰も自分を大切に思ってくれないという孤独感に苛まれている生徒。
最初はお互いに距離を保って、いや、むしろお互いを避けていた三人が、小さなエピソードを積み重ねるうちに、それぞれが言えなかった秘密を知り、互いの存在感がどんどん大きくなってゆく10日余りの日々を描いた物語です。
愛情の反対語は憎しみではなく無関心だといいますが、互いを知るうちに相手を尊重する感情が芽生える様を丁寧にたどっています。
しかし、クリスマス休暇に行き場がないというのは、欧米文化圏の人々にとってはクリぼっちどころではない孤独感なのですね。
しみじみとする映画でした。
良い映画
人に近付くことは地雷を踏み抜くこと
1970年代ボストン。
アメリカでも屈指の古い都市であり、保守的な考えが強い場所。
そんな場所だからバートン校も結構締め付けの厳しい学校なんじゃないかな、と。
ベトナム戦争の爪痕も生々しい時期だけに「君たち生徒は恵まれている」という言葉も重い。
そんな中、クリスマス休暇に寄宿舎に残った変な組み合わせの3人。
お互いに親しいわけではなく、教師と生徒は敵対的と言っても良いほど険悪。
アメリカのクリスマスは、恋人と家族の違いはあるが、日本と同様に孤独感を感じやすい季節。
共に過ごす家族が”いない”という事実は、日本よりも淋しく、自尊心を損なうものなのだろう。
反目し合いながらも、クリスマス休暇を過ごす中で、クリスマスという許しと親切の季節が不器用ながら少しずつ対話を重ねさせる。
作中で教師と生徒は、時に父子、時に叔父甥と偽る。
周囲から見れば、それはそのように映るのかもしれないが、一時として彼らは教師と生徒以上の関係にはなっていない。
2人にとってはどこまで言っても嫌な教師と愚かな生徒でしかない。
しかし、対話は触れられたくない事実と明かした事情を引き出し、お互いの美徳と敬意を払うべき高潔さを見出していく。
互いの幸運を真摯に祈れる関係にまで昇華していくのは非常に尊い。
「立派ではないが、聡明である」
"最高!"の一言に尽きる
初ミニシアター
宇多丸の受け売りだけど、これほど尊く崇高な映画を観たことがない。
言葉の使い方が非常に巧みで、例えば"我々だけの話(アントルヌー)"や"バートン男子"、"キャンディケーン"など、アンガスとハナム先生の間だけで使われる言葉が度々登場するが、それらの使い所がオシャレすぎて感服する。
加えて終盤ハナム先生が校長に対して口にする"人間の形をした陰茎癌"はピカイチのセンスにコミカルさも相まってすごく笑えた。
これらのユニークな言葉を巧みに使いながら、ラストシーンでハナム先生がアンガスにかける言葉は"頑張るんだぞ、君なら大丈夫"というなんとも普通で気取らないありきたりな言葉。
真に大事なことを伝えるときは、カッコつけずまっすぐに伝えるというメリハリのある台詞遣いがたまらなく良い。
実際にバートン校の演劇部に所属するドミニク・セッサの演技には脱帽。
声質が非常に耳心地よく、表情の演技も素晴らしい。
ポール・ジアマッティの過去作で最も印象に残っていたのは"アメイジングスパイダーマン2"でのライノ役だったが、これほど素晴らしい演技ができる役者とは知らなかった。
アカデミー主演男優賞はキリアン・マーフィーではなく彼に贈られるべきだったとさえ思う。
音楽や映像からもレトロな雰囲気が敢えて醸し出されており、70年代の古き良きドラマ映画が現代に甦ったかのような感覚に陥った。
間違いなく映画史に残る大傑作!
ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ
恵まれた環境の満たされない子ども
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