コット、はじまりの夏のレビュー・感想・評価
全34件中、21~34件目を表示
見た人に任せる結末でしたが、養子として親戚夫婦に引き取られどうか幸...
見た人に任せる結末でしたが、養子として親戚夫婦に引き取られどうか幸せに…と願ってしまう。
丁寧なエピソードの積み重ねが感動的 主演のキャサリン・クリンチの表情、自然な演技が素晴らしい
ギャンブル漬けで、人に預けておいて、家出娘呼ばわりするような、人としても駄目な父親。
終始物静かで大人しいだけなのに、変人扱いされるコット。
子だくさんで大事にされない家庭で育ってきたけれど、親戚のもとで初めて大切にされる。
とてもおだやかで優しいアイリン。
寡黙だけれど黙々と仕事して時々コミュニケーションをとってくるショーン。
(性格がコットそっくり。)
別れの日が来て、ついに我慢できなくなって、最後の疾走をするコットに、ひと夏の様々な思い出がよみがえる。
丁寧に描かれた数々のエピソードの積み重ねが効いている。
そして、ラストの一言二言が泣ける。
アイリン役キャリー・クロウリー、ショーン役アンドリュー・ベネットの静かで控えめな名演も良かったですが、何といっても主演のキャサリン・クリンチの表情、自然な演技が素晴らしい。
(蛇足)
このラストの先が気になるところですが、これは実話ではないので、観客の想像次第。
ありがちなのは、暗転後、キンセラ家の朝。
コットが学校に出かけるあわただしい日常がえがかれてクレジットとか。
いずれにしても、あの流れでは、そうでなくても苦しい家計に家族が増えて、物入りになる。
「子供を失って寂しいから頼むからコットを預かりたい」
と、ショーンが、父親ダンのプライドを傷つけないように頼めば、きっと、コットはキンセラ家の子になるでしょうね、
小さな優しさ
ひとりの孤独な少女が、新しい環境で少しずつ自分の居場所を見つけていく様を繊細なタッチで描いている。
観客と登場人物の間にある絶妙な距離感を抱かせる作品だった。
説明的な描写はなるべく避けているようで、主人公のコットが抱えている孤独感にはじめは共感することが難しい。
コットは両親と姉弟たちに囲まれて暮らしているが、どこか馴染めないでいる。
国語の授業では音読がままならず、学校でも変わり者と蔑まれ居場所を見付けられないでいる。
そんな彼女を夏休みの間だけ親戚夫婦であるショーンとアイリンが預かることになる。
コットを送り届ける父親のダンの態度は冷たく、まるで彼女は口減らしのために厄介払いをされたようだ。
どこかこの世界と繋がれないでいるコットを、アイリンはとても優しい言葉で受け入れる。
コットの受け答えのほんの過ごしのズレが、彼女の生きにくさを物語っているようだ。
特に大きなドラマは起こらない作品だ。
コットとショーン、アイリンの間で劇的なやり取りが行われるわけではない。
それでも彼らがコットに示す小さな優しさが、少しずつ彼女の心を解きほぐしていく。
たとえばアイリンはおねしょをしてしまったコットに対して、マットレスに水が染みていたのだと弁解し、彼女の罪悪感を拭い去ろうとする。
ショーンは黙ってコットの前に自前のお菓子を置く。
彼がコットに走ってポストから手紙を取りに行かせるのも、彼なりの思いやりなのだろう。
コットに対していつも穏やかな二人だが、実は彼らが過去に最愛の息子を亡くしていたことが分かる。
コットはその亡くなった息子の着ていた服を身に着けていたのだが、彼女はそんな二人の悲しい過去には気づかずにいた。
やがて夏休みが終わりに近づき、コットは自分の家に戻ることになる。
どうやら彼女には新しく弟が出来たらしいが、その報せにも彼女は興味がない素振りをする。
彼女が誤って井戸に落ちたのは、少しでも帰る時間を延ばしたかったからだろうか。
感情の高ぶりをあまり見せないコットが、最後に去っていくショーンとアイリンを追いかける姿に心を打たれる。
これからコットがどのように世界と向き合っていくのか、映画の余韻の中で考えさせられた。
愛を注げるのは実の親だけじゃない。
今年のベスト入り確実。子沢山で経済的も人手的にも大変な大家族、お母さんの出産前後のひと夏、叔父叔母の家に預けられる少女。珍しいお話でもないのに、一人一人、ひとつひとつが丁寧に丁寧に美しく描かれており、涙が止まらない。ラストの少女の一言、「daddy」の一回目二回目の意味の違い、向けられる相手の違い…台詞が少ないだけに更に印象的でこそにすべてが表れていて、また涙。
でも実の両親を、「悪者」「ネグレクトのひどい親」と決めつける気にはならないです。この親ほどではないにしろ、実の親は渦中にいるとなかなか毎日の子育てや仕事や家事で手一杯、手や愛情が回り切らないことってあると思う。なのでこの叔父叔母や祖父母など、ひたすら可愛がってくれる愛してくれる存在は子供にとって大切なことなんだなあと思わされる。別に実の親じゃなくても良いのだ。
コットの気持ちに応えてもらえたら
コットが、大人びた整った顔立ちなので、9歳に見えなかった。
うつむきがちなところも、15~6歳の思春期の少女の様。
あんな父親がいるやたらに子沢山の家に育ったらそうなるか。(クズな父がいる家は何故か子沢山が多い気がする。)常にネグレクト気味だし、おねしょするのもストレスのせいでしょう。
ほぼ厄介払いで、母方の親戚で子供のいないアイリンとショーン夫婦に預けられて、心細くても不安でも、どうしていいか分からずに、やはり無表情で黙ってうつむいているよう。
当初は冷たかったショーンが、徐々に彼女を受け入れていくところは心が温かくなる。
この夫婦が実は昔一人息子を失っていたことが分かってから、更に理解が深まり、本当の家族の様になったのにひと夏で別れの日が来るって、え、そうなの!? 好きなだけ預かっていい、とコットのママ自身がわざわざ手紙で書いてきたくせに?(好きなだけ預かっていい、って言い草にむかむか。自分たちが娘を預かってもらう側なのに。)
アイリンとショーンも、返せと言うなら、と一時的に預かった理解で、養子にするような方向に行かない。そこまで引き受けるつもりがないのだろう。
養子にするのは大変な責任を負うことになるし、リスクもあるからそれは当然だ。
夫婦ふたりで穏やかに満ち足りて暮らしているので生活に波風たてることはないです。
あるいは、自分たちの子供は亡くなった息子だけだから、かも。
だが、せっかく居場所をみつけたコットの気持ちはどうなるのだろう。
いいことは続かない、と人生投げないだろうか。
家に連れて行った途端にもとの寡黙でうつむいた女の子に戻って、周囲に気を使い元通り家の中の「秘密」を使い分けるようになるコット。
こんないたたまれない姿を見ているのに、ショーンとアイリンは自分たちが引き取るとは言わない。他所の家のことには口を挟まないというスタンスに見える。
親から継続的な虐待を受け、施設に保護されたのに保護解除されて親元に返され、結果最悪の事態になった野田市の女児の例を思い出した。
家に戻された時の女児の絶望を思うと胸が詰まる。
大好きなアイリンとショーンが行ってしまう、何を言えばいいか何をすればいいか、9歳の子供にできるのは力の限り走って、優しいおじさんに飛びつくこと。
コットが「ダディ」と言ったのは、実父とショーン、どちらを指したのだろう
鬼みたいな「ダディ」が追ってきている気をつけて、と実父のことを指したのか、
または、とっさにショーンを「ダディ」と呼んだのか。
後者だったら、ショーンは是非、コットの気持ちに応えてあげてほしいと思う。
コットを抱きしめたショーンは、彼女を実父に引き渡すのか。
クズ父はこれまでのところ暴力ふるってはいないようだが、今後は分からない。
野田市の女児のようにならないといいと願ってしまった。
原題の「Quiet girl」
そのままの静かな展開で前半は少し眠くなりましたが、静かな中にもしみじみとした良作品だと思います。静かな彼女が感情を爆発させたラストシーン泣かない人いる?そしてダディは誰に言ったのか。きっと抱きしめてる人よね。
子供は環境次第
大きな愛情でコットを包むアイリン、不器用ながらもすこしずつ寄り添い始めるショーン、二人のあたたかな想いに包まれて成長していくコット。本当の両親は典型的なダメ親よね。この出会いがあってよかった。不憫なのはお姉ちゃんたち…
邦題がダサい。 タイトルのせいで見逃すところだった。
ダメおやじが、本当に苦手だ。
アル中やらギャンブル中毒のろくでなしの父親が登場すると、心がキューッと寒くなる。
そして大抵母親は、優しいけれど、貧乏で苦しい毎日に疲れきって、子どもに愛を注ぐ余裕が無い。
コットは、まさにそういう家庭の少女だ。
愛情もかけられず、人から大切にされない。
とても静かなので、いてもいなくてもいいと思われている女の子。
最初は、そんなコットと一緒に縮みこんでいた気持ちが、次第にほぐれていくような、気持ちの良い映画だった。
少し昔のアイルランド。日常的にゲール語が使われていて、子どもたちは学校で英語を「習う」
アイリーンの話すゲール語は、響きが豊かでとても美しいと思った。この俳優さんは、ゲール語話者なのだろうな。
無伴奏で歌唱する彼女の歌(シャーン・ノース?)もめちゃくちゃ美しくて、うっとりせずにはいられない。
この歌にのせて、コットが少しずつ心を開いていく部分がとても素敵だった。
派手さも意外さもないけれど、静かで優しい映画でした。
ただアイリーンもショーンもとても優しいし、コットに愛情も注いでいるけれど、それは「他人」の愛だなと思う。
自分の子ではないから、期間限定だから、可哀想な子だから、無制限に優しく癒してあげる愛情だ。
2人は、次第にコットのことを家族として、愛するようになっていったのかもしれないけど
愛のことはよく分からない。
私は、コットは、あのクソ親父の元に帰って行ったのだろうと思う。
ショーンとアイリーンの家は彼女にとって、とてもとても大切な場所になったんだろうし、この先、彼女の心の拠り所になっていくんだろう。
全ての愛されない子どもが、そういう場所を持てればいいのに。
映画の後はどうなる?
ラストでコットがショーンたちのところに走っていって、抱きついて、その後ろから飲んだくれの実父が向かってくるというラストだった。
この先どうかなるのかな?
かなうならば飲んだくれ実父とショーンとアイリンが、ちょっと喧嘩になって、コットを連れ帰って育てる流れを妄想した。
1981年が舞台らしいけど映像からは読み取れなかった。一言も聞き取れる単語がないアイルランド語の映画。人々はアイルランド語を話すが、テレビやラジオは英語。そんな生活があるんだなって思った。
コットのきょうだいは、姉3人、弟?1人いて、もうすぐもうひとり生まれるっぽい。夫婦仲は良くないのに子ができるのは、夫婦間のレイプが常態化しているか、お互いに性欲をぶつけ合ってるかのどちらかだろう。子が欲しくて作った訳ではなさそうな雰囲気してた。ヤッたら(やられたら)できたし仕方なく、みたいな。
父親は多分ショーンと同じ農夫のはずだけど、ギャンブルと酒に溺れてちゃんと働いてはない。多分暴力も振るってる。
コットは9歳なのに夜尿症で、それを自宅ではかなり責められてるっぽい。うまく話せず、本を読むのも苦手、友だちもいないし、姉の同級生から変な子と言われる。
そんならコットは母の出産のため、親戚夫妻に預けられる。そこの夫妻は優しく、夏の間のびのび暮らせる。
汚れた体を洗い、髪をとき、男の子の洋服を着せる。コットの夜尿症も責めずに見守る。家事を教え、運動もさせ、女の子の洋服も買い、本を(ハイジを読んでた)読ませ、お小遣いもあげる。
自宅とは違い、家は明るくて清潔。
夫婦仲もよい。
ここで一時癒されても、あの自宅へ帰るんかと思うと、ハラハラした。
アイリンとショーンには、息子がいたけど亡くなってるということが、コットが着せられていた男の子の服、電車?の壁紙などからわかる。決定的になるのは、近所の人の葬式(かお通夜)の間、コットを預かった近所の女が、アイリンがお菓子に入れるのはバターかマーガリンかなど、人の家庭を子どもから根掘り葉掘り聞き出し勝手なことをいうなかで、息子の死を、敬意なく暴露した時。
この女の家も、暗く(外も暗かったからしゃーないかもだけど)、清潔感がなく、居心地悪そうだった。
井戸が見たことない形だった。
コットが着てたケープが、グラニーステッチで、アイリンが編んだのかなって思った。あたし、あれ編めるってなった。
街に行った時、アイリンの世間話のネタになってた赤ちゃんも、グラニーステッチのブランケットとボンネットかぶってた。
かぎ針編みの基本中の基本の模様だけど、2024年の日本でも普通に使う技法で、それが1981年のアイルランドの生活にもマッチしてることに、なんか嬉しくなった。
つか、アイルランドは夏でも毛糸のものを着たり、夜はコートがいるくらい冷えるのかな?寒い夏は体験してみたいなぁ。
それなりに悲惨だけど、それなりに大切に育てられたかつての子どもであるわたし。
7-8才の時、夢の中でトイレにいっておしっこしたら、夢だけじゃなくて現実にもおしっこしてしまって、布団を汚したことを思い出した。
覚えてる限りでは、おむつ外れてからおねしょしてなかったはず。そして、これ以降おねしょはしてないはず。
その時、そこそこ大きくなってるのにおねしょしちゃって、すごく狼狽えた。
でも、母に責められなくて、ほっとした。
手伝おうとして迷子っぽくなって怒られたり、手伝おうとして井戸に落ちて寝込んだり、コットの行動にかつての自分が重なった。重なりはするけど、共感性羞恥で居心地悪いとかではなく、とても冷静に観られた。大人側の事情の方が、身近になったからかな?
夢中になって観た。いい映画だった。
コットの体験は、「もしも自分が」の先を垣間見る、予知夢的な出来事だったのだろう
2024.1.30 字幕 アップリンク京都
2022年のアイルランド映画(94分、G)
原作はクレア・キーガンの小説『Foster(2010年)』
母の出産を機に親戚に預けられた9歳の少女を描いた青春映画
監督&脚本はコルム・パレード
原題は『An Cailín Ciúin』、英題は『The Quiet Girl』でともに「無口な女の子」という意味
物語の舞台は、1981年のアイルランド・ウォーターフォード州リン・ゲールタルト
大家族の末っ子として育ったコット(キャサリン・クリンチ)は、母メアリー(Kate Nic Chonaonaigh)の出産のために、母方の親戚アイリン(キャリー・クロウリー)とショーン(アンドリュー・ベネット)の元に預けられることになった
ショーンは牧場経営者だが寡黙な人物で、アイリンは気さくに話しかけ、家事などを丁寧に教えてくれる
コットはまだおねしょをしてしまう年代で、それをずっと気にしていたが、アイリンは家のはずれにある井戸水には不思議な力があると言い、コットに飲ませることにした
映画は、淡々と日常を切り取る作品で、田舎暮らしを通じてコットが成長する様子が描かれていく
また、その中でアイリンとショーンが抱えていた問題にふれていくことになり、コットは多くの経験を重ねていく
アイリンの友人シンニード(Grainne Gillespie)の父ジェラルド(Martin Oakes)の葬式に立ち会ったりするのだが、葬式には無関係だったコットは、シンニードの隣人ウナ(Joan Sheehy)の家にお邪魔することになった
そこでコットは、ウナからアイリンたちには子どもがいて、幼くして亡くなったことを知るのである
コット目線だと劇的なことが起きていて、人の死が理解できた頃に遭遇すると、その意味を深く考えるようになる
彼女の日常から死は遠く、どちらかと言えば「生」の方が充満しているのだが、アイリンたちの方角には「息子の死」「隣人の死」などが身近にあって、しかも息子が死んだ場所もリアルに感じられる
死を超えた先にある家庭と、そうではない家庭との温度差があり、コットにとっては強烈な体験だったのではないだろうか
自分の幼少期を考えても、祖父母は早めに他界して記憶がほとんどないけど、母は克明に覚えているし、成人してから妻の死を受けた時には「死に近い場所で仕事をしている」ためか、かなり鈍くなっている感じがする
これらの体験はいずれは積んでいくものだが、どの時点で理解に及ぶかはそれぞれの人生によって違う
コットがアイリンたちの悲しみを理解するのはもっと先のことなのだが、自分が溺れたことによる余波というものを先に体験しているので、命について深く考えるようになるのではないだろうか
いずれにせよ、9歳で主演女優賞を獲るだけの存在感はあり、完成されたように見えて純朴さが残っているというのは奇跡なんだと思う
これからさらに活躍の場が出てくると思うが、この時期の変化はとても早いので、彼女のフィルモグラフィーにこの映画が残ることも奇跡なのだろう
そういった意味では「はじまり」ではあるものの、邦題は飛躍し過ぎているので、もう少しなんとかならなかったのかな、と感じた
初めて自分に向き合ってくれる大人が見つかる
9歳の少女コットは、母親の従姉妹であるアイリンと、その夫ショーンの元に、夏休みの間預けられる。アイリンは温和で優しく、ショーンは昔気質でやや寡黙。コットは今まで家庭にも学校にも居場所が無く、誰にも見向きもされなかった。その中で、アイリンとショーンは初めて自分に真摯に向き合ってくれる大人だった。アイリンと共に料理を作ったり、ショーンと共に農場の仕事をする中で、彼女は人の温かさを感じるようになる。
コットはショーンに農場の案内をされているとき、勝手にショーンの元を離れ、大きな声で「勝手に離れるな。分かったな」と怒られるシーンがある。その後自宅に戻った2人の間に沈黙が流れる。ショーンは大きな声で怒ったことを申し訳ないと感じているらしく、謝罪の言葉の代わりに、無言でビスケットをコットの前に置いていく。ここに彼の不器用な優しさが表れていてぐっと来る。
夏休みも終わり、最後にコットはショーンに対してハグをしながら別れを惜しむ。実父が前方から歩いてくるシーンでコットは「パパ」と言い、すぐに次のシーンでショーンを映しながら「パパ」と言う。コットが認識している父親は実父ではなく、ショーンなのだということを暗に伝えていて、秀逸な表現だと感じた。
陽光に照らされ輝く自然や、済んだ空気が伝わってくる映像美も素晴らしい映画。
与えるだけ・受け取るだけでない相互の愛情がここにはあった。
シンプルな進行で物語に入り込みやすく、カメラは顔のアップと引きのぼかしや風景の扱いも素晴らしい。
オープニングの木々の間からこぼれる陽射しはコットの揺れ動く気持ちを表わし、風景も全体の雰囲気を盛り上げている。
実家の薄暗く寂しい食卓と比して明るい光が差し込むキンセラ家のダイニング。そこは大切に使い込まれた食器や家具に囲まれ暖かなた家の中心で、秘密ではなくよりよく生きるコツと愛情が溢れている。
労働と愛ではぐくまれた両手はコットの存在を受け入れ包んでくれる。すべてのシーンがみずみずしくまぶしくストレートにしみ込んでくる。
広々とした田舎の風景や近隣の人々の「人間らしい」暮らしの中で、自分の居場所と役割を見つけたコットは、夏の終わりに自分の家に戻ると、食べかすの残ったテーブルに気づきぞんざいな暮らしぶりを目の当たりにする。
今までと違う自分がいる。
ラストは心に強く響く。安心できる環境。大切にされていると言う実感。子どもが健やかに成長するのに必要なことがすべて描かれている。
コットは「子ども」としての、夫妻は「親」としての「生き直し」の物語だ。
全34件中、21~34件目を表示