コット、はじまりの夏のレビュー・感想・評価
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コットの気持ちに応えてもらえたら
コットが、大人びた整った顔立ちなので、9歳に見えなかった。
うつむきがちなところも、15~6歳の思春期の少女の様。
あんな父親がいるやたらに子沢山の家に育ったらそうなるか。(クズな父がいる家は何故か子沢山が多い気がする。)常にネグレクト気味だし、おねしょするのもストレスのせいでしょう。
ほぼ厄介払いで、母方の親戚で子供のいないアイリンとショーン夫婦に預けられて、心細くても不安でも、どうしていいか分からずに、やはり無表情で黙ってうつむいているよう。
当初は冷たかったショーンが、徐々に彼女を受け入れていくところは心が温かくなる。
この夫婦が実は昔一人息子を失っていたことが分かってから、更に理解が深まり、本当の家族の様になったのにひと夏で別れの日が来るって、え、そうなの!? 好きなだけ預かっていい、とコットのママ自身がわざわざ手紙で書いてきたくせに?(好きなだけ預かっていい、って言い草にむかむか。自分たちが娘を預かってもらう側なのに。)
アイリンとショーンも、返せと言うなら、と一時的に預かった理解で、養子にするような方向に行かない。そこまで引き受けるつもりがないのだろう。
養子にするのは大変な責任を負うことになるし、リスクもあるからそれは当然だ。
夫婦ふたりで穏やかに満ち足りて暮らしているので生活に波風たてることはないです。
あるいは、自分たちの子供は亡くなった息子だけだから、かも。
だが、せっかく居場所をみつけたコットの気持ちはどうなるのだろう。
いいことは続かない、と人生投げないだろうか。
家に連れて行った途端にもとの寡黙でうつむいた女の子に戻って、周囲に気を使い元通り家の中の「秘密」を使い分けるようになるコット。
こんないたたまれない姿を見ているのに、ショーンとアイリンは自分たちが引き取るとは言わない。他所の家のことには口を挟まないというスタンスに見える。
親から継続的な虐待を受け、施設に保護されたのに保護解除されて親元に返され、結果最悪の事態になった野田市の女児の例を思い出した。
家に戻された時の女児の絶望を思うと胸が詰まる。
大好きなアイリンとショーンが行ってしまう、何を言えばいいか何をすればいいか、9歳の子供にできるのは力の限り走って、優しいおじさんに飛びつくこと。
コットが「ダディ」と言ったのは、実父とショーン、どちらを指したのだろう
鬼みたいな「ダディ」が追ってきている気をつけて、と実父のことを指したのか、
または、とっさにショーンを「ダディ」と呼んだのか。
後者だったら、ショーンは是非、コットの気持ちに応えてあげてほしいと思う。
コットを抱きしめたショーンは、彼女を実父に引き渡すのか。
クズ父はこれまでのところ暴力ふるってはいないようだが、今後は分からない。
野田市の女児のようにならないといいと願ってしまった。
アイルランド 少女の夏
あらすじ読むのがキライだから、
アイルランド、少女の夏
それだけの情報で観ました。
アイルランドの自然が綺麗で美しく、センスよく切り取っては、絵画みたいな素晴らしい画を観せてくれます。
牛のミルクについて、少女コットが言った言葉が好きだわ(笑)
そうだよね、そのとおり(笑)
汚れていない子供の心。
静かで、優しく、美しい、映画かな?
最後は、どう受け取りますか?
たぶん、みんな同じでしょうけど(笑)
スコアは、70点ぐらいです。
おとなしいハイジ
題名から、性自認や、性的指向に目覚める少女の話かと思って警戒していましたが、違いました❣️
あやうく、佳作を観る機会を逃すところでした。
はっきりとした虐待はなさそうでも、冷たく乾いた雰囲気の家、明るくはないけれど、接し方には愛がある親戚。愛情の有無は子どもにもわかります。
ひと夏預けられたくらいでは、明るい子にはならないし、実家も変わらないし、実家に帰らないといけないのも変わらない。
それでもきっと、この夏の思い出が、これからのコットを支えてくれるはず…❣️
そう信じたい、余韻のありすぎる最後の場面でした🩷
都合のいい時間に上映されていたから、という消極的な理由で観ましたが、思わぬ拾い物でした。観てよかったです😊
最高の体験をありがとう
物語の紡ぎ方、魅せ方、オチへの流れ、そして振り返ると演出意図が私ごときでも理解できる。フラッシュバックのようにすべてのシーンが最後の余韻として心に来る。
私にとっては最高の映画でした。
この控えめで育児放棄されてきた子どもの演技を主演の彼女がどうしてこ...
この控えめで育児放棄されてきた子どもの演技を主演の彼女がどうしてこんなふうに適確に演じられてしまうのかということにまず驚く。表情、佇まい、頑なな感じ、繊細さ、人との距離感、すべてが素晴らしい。
ショーンが最初、目も合わさない冷たい関わりだったのは、息子への感情を消化できていなかったからなのだということが後でわかる。ショーンはむしろ優しすぎるくらい優しく少女を抱き抱えるからだ。逆に少女に過剰に優しさを示す妻の方はむしろより深い心の傷にさいなまれていることが後でわかる。日常の中の心の亀裂、怖いくらいの表現。
原題の「Quiet girl」
そのままの静かな展開で前半は少し眠くなりましたが、静かな中にもしみじみとした良作品だと思います。静かな彼女が感情を爆発させたラストシーン泣かない人いる?そしてダディは誰に言ったのか。きっと抱きしめてる人よね。
原題「The silent girl 」そのままの静かな映画
前評判を読んだことによる期待が高すぎたのか、起伏が自分にとっては無さすぎて、半分寝かけてしまった。原題が「The silent girl」だからかな?預け先の牧場のおじさん(このおじさんとの出会いも素っ気ない)とのふれあいがもう少したっぷり描かれてたら、もう少しおじさんとの牧場仕事のシーンが多かったら、もっとよかったかも。
透明感のあるとても美しい映像でした💛
アイルランド映画って初めてかも。主人公の内気な少女コットが、初めて家族の愛に包まれ、殻を破って成長する姿が、とても美しく描かれてて、じ〜んときちゃいました😃
ある無口な少女コット
両親からネグレクトされた物静かな9歳の少女が、夏休みの間子供のいない親戚宅に預けられ、自分の居場所を見つける単なるビルドゥングス・ロマンとして見たら、この映画面白くも何ともないのです。高々数週間を一緒に過ごしたくらいで、血も繋がっていない叔父さんのことを「パパ」と呼んですがりつく少女の姿にまったく共感できなかったのですが、映画をご覧になったみなさんもきっと「ベルリンでグランプリを受賞するほどの作品か?」という感想をもたれたはず。
80年代アイルランドの田舎が舞台になったこの映画、なぜかイングランド人映画評論家がのきなみ星5つをつけているほどの高い評価を受けているのです。技術的にも未熟な若手無名監督が撮った映画にも関わらず、です。妹に冷たい姉3人、ギャンブル好きで粗暴な父親、いつも不機嫌な妊娠中の母さんに囲まれ、四女のコットは学校にもそして実家にも自分の居場所がありません。精神的に不安定なコットは、そのせいかおねしょ癖がなかなか治りません。そしてある日、母親の従姉にあたるアイリーンとその夫ショーンが営む牧場に預けられることになるですが....
しかし、子煩悩のアイリーンはともかく、夫のショーンの方ががなかなかコットに心を開いてくれません。そんなある日、ショーンがコットに向かってこんなことを言うのです。“Many’s the person missed the opportunity to say nothing.” と。口は災いの元だから何も言わないことはけっして悪いことじゃない、とコットに諭すのです。これってもしかしたら、ことあるごとにアイルランド国内でテロ騒動を起こすシン・フェイン党ならびにIRAに対する皮肉なのでは、とふと思ったのです。
いわゆるアイルランド内戦は、おおまかにいうとカトリック(アイルランド独立派)vsプロテスタント(イングランド帰属派)の紛争であることがよく知られていますが、劇中、それを臭わせる怪しい表現が多々見受けられるのです。食の細いコットが座っているテーブルにクッキーを置く(聖体拝領)ショーン、知人の葬儀では酒(キリストの血)を未成年のコットに飲ませ、極めつけは聖なる人工池に落ちて全身ずぶ濡れ(バブテスト派の洗礼)になるコット。
実はこの映画見かけとは違って、貧乏なカトリック(独立派)の家に生まれ邪魔者にされた少女が脱走し、最終的に裕福なプロテスタント(帰属派)に改宗、新しい神=父親=ショーンを「パパ」と(強引に)呼ばせる、なんともプロパガンダ臭の強いメタファーがしれっとしこまれていたのです。イングランド人の評論家がこぞって本作にをおす理由もご納得いただけると思います。単純に『ハイジ』をパクった映画ではなかったのです。
心が穏やかになる作品でした
とても穏やかな作品で派手な見せ場はなかったですが、心が洗われる良心的な気持ちになりました。
寡黙で大人しい少女コットは夏休みを親戚夫婦キンセラ家の農場で過ごすことになります。
キンセラ家のショーンとアイリンの夫婦の愛情に接し徐々に心を開いていく少女の心を繊細に描いています。
ラストも心地よい雰囲気で終わりおすすめ度は普通のやや上です。
幼少期に田舎に預けられた経験がある自分には懐かしさを感じる作品でした。
子供は環境次第
大きな愛情でコットを包むアイリン、不器用ながらもすこしずつ寄り添い始めるショーン、二人のあたたかな想いに包まれて成長していくコット。本当の両親は典型的なダメ親よね。この出会いがあってよかった。不憫なのはお姉ちゃんたち…
綺麗な作品
映像もストーリーの進み方も終わり方も綺麗。
血のつながりだけが全てではない
一緒に過ごして、少しずつ関係が変化して
お互いの心持ちも変化して
心地よい距離感で、心地よく過ごせる人というのは
なかなか出会えない。
そういう部分を、少ない会話と美しい映像で表現していて
とても良かった。
終わり方も全てを語らない感じが良かった。
邦題に込められた、”はじまりの夏”
2024年劇場鑑賞5本目 秀作 67点
繊細で丁寧で、印象的で観客に委ねる様なタッチに、最後の駆けての包容には涙が止まりませんでした
彼女にとって、今後の人生を歩む上でなくてはならないひと時で、この時にこの人達に出会い愛されて良かった、人格形成が好転し自信と個性を備え自分自身で居場所を開拓するきっかけになったと思う
色々な人のレビューや動画で気づかなかった演出に驚愕している箇所が沢山あるので、配信されたら必ず見返したい。静かで集中してないと見過ごしてしまう演出が多く、当方としてはそういったのに気付くのが楽しくて好きなのに、悔しい限りです
ストーリーとしてはベタなのにすごく感動した、これはベタだからなんだかんだ感動したのでなく、どこか新しさを感じたのがその細かな演出や主演の女の子の眼差しというか、目の奥が暗く陰な雰囲気から、彩っていく流れ。周りの人の関わり方も鑑賞しすぎない感じとか、寛容で繊細な親しみ方がわかりやすく愛が伝わるのが素敵でした
是非
オジサンの表情が柔和になってる
ひと夏を過ぎて、心身共に成長したのはコットだけでなく、オジサン(ショーン)も然り。
日々コットと接することによって、口数の少なかったオジサンの表情が柔和になっていった。
派手なストーリーではないけれど、それぞれ立場になって「心の動き」に注目しながら観ると、いろいろな解釈ができると思う。
邦題がダサい。 タイトルのせいで見逃すところだった。
ダメおやじが、本当に苦手だ。
アル中やらギャンブル中毒のろくでなしの父親が登場すると、心がキューッと寒くなる。
そして大抵母親は、優しいけれど、貧乏で苦しい毎日に疲れきって、子どもに愛を注ぐ余裕が無い。
コットは、まさにそういう家庭の少女だ。
愛情もかけられず、人から大切にされない。
とても静かなので、いてもいなくてもいいと思われている女の子。
最初は、そんなコットと一緒に縮みこんでいた気持ちが、次第にほぐれていくような、気持ちの良い映画だった。
少し昔のアイルランド。日常的にゲール語が使われていて、子どもたちは学校で英語を「習う」
アイリーンの話すゲール語は、響きが豊かでとても美しいと思った。この俳優さんは、ゲール語話者なのだろうな。
無伴奏で歌唱する彼女の歌(シャーン・ノース?)もめちゃくちゃ美しくて、うっとりせずにはいられない。
この歌にのせて、コットが少しずつ心を開いていく部分がとても素敵だった。
派手さも意外さもないけれど、静かで優しい映画でした。
ただアイリーンもショーンもとても優しいし、コットに愛情も注いでいるけれど、それは「他人」の愛だなと思う。
自分の子ではないから、期間限定だから、可哀想な子だから、無制限に優しく癒してあげる愛情だ。
2人は、次第にコットのことを家族として、愛するようになっていったのかもしれないけど
愛のことはよく分からない。
私は、コットは、あのクソ親父の元に帰って行ったのだろうと思う。
ショーンとアイリーンの家は彼女にとって、とてもとても大切な場所になったんだろうし、この先、彼女の心の拠り所になっていくんだろう。
全ての愛されない子どもが、そういう場所を持てればいいのに。
映画の後はどうなる?
ラストでコットがショーンたちのところに走っていって、抱きついて、その後ろから飲んだくれの実父が向かってくるというラストだった。
この先どうかなるのかな?
かなうならば飲んだくれ実父とショーンとアイリンが、ちょっと喧嘩になって、コットを連れ帰って育てる流れを妄想した。
1981年が舞台らしいけど映像からは読み取れなかった。一言も聞き取れる単語がないアイルランド語の映画。人々はアイルランド語を話すが、テレビやラジオは英語。そんな生活があるんだなって思った。
コットのきょうだいは、姉3人、弟?1人いて、もうすぐもうひとり生まれるっぽい。夫婦仲は良くないのに子ができるのは、夫婦間のレイプが常態化しているか、お互いに性欲をぶつけ合ってるかのどちらかだろう。子が欲しくて作った訳ではなさそうな雰囲気してた。ヤッたら(やられたら)できたし仕方なく、みたいな。
父親は多分ショーンと同じ農夫のはずだけど、ギャンブルと酒に溺れてちゃんと働いてはない。多分暴力も振るってる。
コットは9歳なのに夜尿症で、それを自宅ではかなり責められてるっぽい。うまく話せず、本を読むのも苦手、友だちもいないし、姉の同級生から変な子と言われる。
そんならコットは母の出産のため、親戚夫妻に預けられる。そこの夫妻は優しく、夏の間のびのび暮らせる。
汚れた体を洗い、髪をとき、男の子の洋服を着せる。コットの夜尿症も責めずに見守る。家事を教え、運動もさせ、女の子の洋服も買い、本を(ハイジを読んでた)読ませ、お小遣いもあげる。
自宅とは違い、家は明るくて清潔。
夫婦仲もよい。
ここで一時癒されても、あの自宅へ帰るんかと思うと、ハラハラした。
アイリンとショーンには、息子がいたけど亡くなってるということが、コットが着せられていた男の子の服、電車?の壁紙などからわかる。決定的になるのは、近所の人の葬式(かお通夜)の間、コットを預かった近所の女が、アイリンがお菓子に入れるのはバターかマーガリンかなど、人の家庭を子どもから根掘り葉掘り聞き出し勝手なことをいうなかで、息子の死を、敬意なく暴露した時。
この女の家も、暗く(外も暗かったからしゃーないかもだけど)、清潔感がなく、居心地悪そうだった。
井戸が見たことない形だった。
コットが着てたケープが、グラニーステッチで、アイリンが編んだのかなって思った。あたし、あれ編めるってなった。
街に行った時、アイリンの世間話のネタになってた赤ちゃんも、グラニーステッチのブランケットとボンネットかぶってた。
かぎ針編みの基本中の基本の模様だけど、2024年の日本でも普通に使う技法で、それが1981年のアイルランドの生活にもマッチしてることに、なんか嬉しくなった。
つか、アイルランドは夏でも毛糸のものを着たり、夜はコートがいるくらい冷えるのかな?寒い夏は体験してみたいなぁ。
それなりに悲惨だけど、それなりに大切に育てられたかつての子どもであるわたし。
7-8才の時、夢の中でトイレにいっておしっこしたら、夢だけじゃなくて現実にもおしっこしてしまって、布団を汚したことを思い出した。
覚えてる限りでは、おむつ外れてからおねしょしてなかったはず。そして、これ以降おねしょはしてないはず。
その時、そこそこ大きくなってるのにおねしょしちゃって、すごく狼狽えた。
でも、母に責められなくて、ほっとした。
手伝おうとして迷子っぽくなって怒られたり、手伝おうとして井戸に落ちて寝込んだり、コットの行動にかつての自分が重なった。重なりはするけど、共感性羞恥で居心地悪いとかではなく、とても冷静に観られた。大人側の事情の方が、身近になったからかな?
夢中になって観た。いい映画だった。
家にも学校にも居場所のなかった少女のひと夏。まるごと受け止め優しく...
家にも学校にも居場所のなかった少女のひと夏。まるごと受け止め優しく包み込んでくれた親戚夫婦との時間が彼女の心を解放し乏しかった表情を豊かにしていく。子どもにとっていたわり大切にされる経験がいかに大切か。煌めき始めた彼女の姿が愛おしく涙が止まらない。傑作。
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