型破りな教室のレビュー・感想・評価
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王道‼️
今作は昭和の日本の学園ドラマやスポ根ドラマ、はたまた「いまを生きる」や「陽のあたる教室」といった名作の精神を受け継ぐ作品ですね‼️主人公の教師の熱血漢ぶり、型破りな授業、そんな彼に理解を示す校長との友情、疎ましく思う教育委員会のお偉方、生徒それぞれが抱える家庭の問題など、ある意味王道とも言えるストーリーが、犯罪と貧困が日常化し、麻薬や殺人といった犯罪が子供たちの生活へも直に影響を及ぼすメキシコ社会に上手く取り入れられてて、ヒジョーに見応えのある作品だと思います‼️いつの時代も、どんな社会でも、先生と生徒の温かい絆は見ていてホッコリしますね‼️
radicalとは。子ども扱いせずに大事な問いを考えること
少しタイミングがずれて地元のミニシアターで見ることができた。
やる気のない子どもたちのところへ異色の教師がやってきて開花させる、という物語はたくさんあるだろう。この映画の場合は教師が特に個性派でなく、ネットの動画を参考にしていることを打ち明けるなど、わりと普通の人が試行錯誤するところが面白い。
最初の授業で、先生はフルーツバスケットみたいに「均等な人数のグループを作って着席しよう。そうしないと海に沈んでしまう」という課題を出す。小学校6年生の子どもは「幼稚園みたい」といってとりあわないが、ふと「船はどうして沈まないか」という疑問が共有され、担任の先生と太った校長の「密度」を比較する活動などへ発展していく。
こうした探究が周到な準備のもとで行われているわけではなく、子どもが考えている間に先生が校内で教材となる風船を探すなど、ジタバタする姿に共感した。
机の上の勉強になじめない子どもに対し、身近な現象を素材に教えるということは日本の教育でもよく行われているはずだ。この映画の場合はそれだけでなく、radical(=根本的)という原題のように、子どもだからといって見くびらず、大事な問いを考えることがテーマになっているように思えた。
実際、「海に沈みそうなときに誰を助けるべきか」という問いから一人の女の子は哲学に進んでいき、教室でも中絶をテーマに討論が行われる。
それに対し教育委員会から来た役人が「小6で学ぶべきことが身についていない」と水を差すのは象徴的。学習指導要領では年齢相応のことしか教えられないが、子どもの心に火をつけるには、時に、大人にとっても難しい問題を考える必要があるのだ。
最初に触れたように先生の授業はそれほど画期的なわけでもない。最後に統一学力テストのようなもので学力を証明することになるのはちょっと皮肉だけれど、要は子どもに合わせた思考のきっかけが必要ということではないか。学び方の目新しさに本質があるわけではないと思う。
その意味で最後にアインシュタインの「私の学習を妨げたのは、教育だった」という言葉を掲げたのはやや疑問。「型破りな教室」という邦題もそうなのだが、教育の型を崩すことが大事だと誤解されてしまわないだろうか。
教育とは
メキシコの実話が元になってる。
子供の教育には、興味を持たせるきっかけを作ってあげれば、知的好奇心が芽生えて周りから知識を与えなくても自ら調べて向上していくよ、っていう話し。
こういう教育をやっている学校のドキュメンタリーを何度か観たことがあるけど、ほんとに子供が秘めている可能性は無限だと思うし、かつての自分もそうだったわけだし、って思う。
そんな子供達の可能性が、だいぶ歳をとった私にとってすごく眩しくて輝いて見える。
そんな可能性を貧困や周りの大人たちの所業によって奪われる事の酷さがつらい。
本来勉強って楽しいものだなって、改めて思った。そこは歳をとっても関係ないって思う。
教えるということは
映画「型破りな教室」と「アイ・ライク・ムービーズ」の2本を柏駅の隣にある「キネマ旬報シアター」で観てきました。
ここの映画館は、大きなシネコンでは上映されない小品だけども質いい作品を上映しています。
ロビーも映画ファンには、たまらない空間になっています。早めに行ってもロビーで楽しめます。
『実話の映画化です。治安の悪化が深刻なメキシコの町。学力が国内最底辺の小学校にやって来た新任教師が、型破りな授業で生徒たちの考える力を引き出していく。』
NHKドラマ「宙(そら)わたる教室」と相通じる内容でした。
記念すべき2025年の1本目となる映画です。
今年教師になる新人教師、教師歴10年の中堅教師にぜひ、観てほしい映画です。
悲しい現実の中に見出す希望
メキシコでの実話に基づいた話。2011年、アメリカ国境に程近く、向こう側にはNASAの宇宙センターを臨むことのできるマタモロスの街では犯罪が蔓延り、パソコンは設置すれば盗まれ、百科事典の全巻すら揃っていないほど小学校の設備は劣悪、教員も意欲のない者ばかりで、半数の生徒がドロップアウトしていた。そこに6年生クラス産休の代用教員として赴任して来たのがフアレスだった。彼の奇抜な(あるいは型破りな)教え方は周りの教員や教育委員会からは決して認められるものではなかったが、教室の生徒たちは明らかに変容を遂げていた。しかし、ある事件が起こり……。
なんでスペイン語ではなく英語のタイトルなんだろうと思っていたのだが、英語の "radical" はスペイン語でも "radical" だった… というのは置いておいて、フアレスの教え方は、実は、私自身の目には決してラディカルには映らず、「主体性」「対話」「探究」「課題解決」「学習者中心」といった近年のバズワードで表現される手法。ただ、現在の各地の教室でもそれが主流になっているとは言い難い状況で、統一試験(ENLACE)で点数を取ることしか考えていない当時の教師たちにとっては明らかに過激(ラディカル)に映ったであろうことは想像に難くない。そして、フアレスのファシリテーションの上手さは感動的ですらある。
類似のテーマを扱った、まだ記憶に新しいテレビドラマの『宙わたる教室』とも重なる部分も少なくないのだが、メキシコの小学校の現実は新宿の定時制高校ほど甘いものではない。悲劇は悲劇のまま終わってしまうことも悲しい現実だ。
ニグレクト、ヤングケアラー、貧困、児童労働、暴力、殺人、麻薬、汚職、等々、何でもありの環境の中で「現実を見ろ、夢を見るな」という大人と「自分の可能性を生かすも殺すも自分次第だ」という大人。本当の希望を与えられるのはどちらなのか、と大人たちが自問することを迫られる。
キツそうに思えるかもしれないが、全体的にはコメディタッチで描かれ、希望も感じられる良作だ。
『いまを生きる』他の作品との共通性
一番イメージが近いのは、『いまを生きる』であろう。教師が机の上に立ち上がったり、様々な働きかけをして、子どもたちに既成概念から脱却するような発想ができるように仕向け、管理職や同僚、保護者から睨まれ、子どものなかから死者を生みだした挙げ句に職場を追放されるところまで行く。同じ中央アメリカの貧困な環境で生活する『マリア怒りの娘』のような状態があり、『泥の河』に出てくる子のように、学校の外から羨ましそうに覗き込む子がいたり、『人間の壁』に出てくる子のように、家庭で子守をしなければならないために学校に通えない子がいたり、『宙わたる教室』のように、科学に興味をもち、自分たちで工夫して実験装置をつくり上げる子がいたり、悪い環境から抜け出そうと藻掻く子もいたり、『みんなの学校』のように、助け合いの日常生活の積み重ねでテストの点数も上がったりする成果を挙げたり、『風をつかまえた少年』のように、学校で学ぶことができなくても、図書館で自分で調べて知識を高めようとする子がいたりするように、つながりが広がっていく。
浮力の原理の発見では、アルキメデスを出してほしかったところだった。
エンディングで、実話に関わる写真で、パロマしか出さなかったので、少し疑問に感じた。命を失ったニコや学校に通えなくなったルペのことを忘れさせないことこそ、仲間の絆が確認されるところではないかと感じたところであった。しかし、その二人は架空の人物であったようだ。それならばせめて、パロマが自分の学力でどんな社会貢献を果たそうとしているかを語る場面があったら良かった気がする。
メキシコの辛くともからっとした感じ
先生と子供たちのやりとりがとてもいい。子供らが過酷な現実もありながら前向きに、課題や日常に取り組んでいくのを見て、頑張ってほしいと思う。メキシコの情勢を知る機会にもなった(アメリカへの移民で話題になっており)。担任の先生と、数学の特異な子、哲学の好きな子、校長先生とのやり取りが心に残った。
メキシコの国内事情を背景に描かれる実話ベースのお話です。どうしようもないやるせなさを感じると同時に、子供たちの将来への希望も熱く伝わってくるお話です。
作品紹介を読んで気になった作品です。
メキシコの映画を観るのも初めて(多分)な事もあり
鑑賞してきました。・_・
お話はというと…。
◆アウトラインは
貧困と暴力、そして格差。
画面に映し出されるのは、メキシコという国の実態。
老婆の座った車椅子を押す少年。
近づいてきたバイクの少年が「隠れていろ」と言い
そのすぐ後を、手を縛られた男が車に繋がれて
どこかへと引き立てられていく。んー
日本なら、戦後の混乱期でも見ることのないような光景かも。
「MADMAX」の世界感を持った作品なのかと錯覚しかけた。
だが、メキシコでは良く見かける光景のようだ。@_@;
多くの子供は小学校を卒業すると働き始める。いや
かなりの割合で、小学校を卒業できない子供もいるらしい。
子供は家庭内の貴重な労働力になっているのだ。
明治、大正、そして昭和と。
戦前の日本の農村部なども、子供の立場は似たようなモノだった
のでしょう。しかし、この作品の時代は今から数十年前などでは
ない。2011年。
今からほんの10数年前に起きた実話がベースになっている。
◆あらすじ的な内容は
舞台となったのは、マタモロスというアメリカとの国境近くの町。
その町の小学校に、一人の教師がやってきます。
そこから始まる、教師と生徒たちとの交流のお話です。
教師の教え方は、恐らく「指導要領」とはかけ離れたモノです。
最初は当然、とまどう生徒たち。(それはそうかも ・_・;)
けれども、この教師が生徒に教えようとしているのは「考える力」
であったり「積極的な行動」だったりします。
この教師、校長先生をも巻き込みながら、時には強引に、時には
一歩下がりながらも自分の考える方法で子供たちに接して行くのです。
(この校長、好きです♡)
次第に「考える楽しさ」が分かってきて、画面に映る子供たちの姿に
「明るさ」が見えるようになっていくのが印象的でした。
けれども、順調に進んでいくばかりではなく… あら
・そんな教師を快く思わない「旧態依然」な教師たちの反発
・本来学ぶべき学習項目がほとんど進んでいない
・全国学力テストの「不正」への参加強要
・卒業後には現実が待ち受ける子供に「夢を見せるだけ」との反発
そして、天才女子生徒に仄かな恋心を寄せるようになった男子生徒。
彼には、不良組織に加わっている兄がいる。
自分も手伝い的な行動をしていたのだが、組織に入らないと伝えると
それを許さない不良組織の手が、その女子生徒に伸びてしまい…。
あああ…
◇
と、まあ
メキシコの抱える 光と闇、それを描きながら未来への希望をも描き
出した作品。ひと言で言えば、そんな作品に思えました。
単純に面白いとか悲しいとか、それだけの内容では無いです。
くすっと笑ってしまう場面も多々あるのですが、終始表面には出て
こない奥のほうで、何か穏やかならざるものを感じてしまう…。
複雑な感情が交錯しながらの鑑賞でした。 …・_・;;
けれど、 観て良かった。
それは間違いないです。
◇あれこれ(登場人物に寄せて)
■フアレス先生
迷える導師。
生徒を導きたい想いに溢れているが、時には自分も導かれたいヒト。
校長室に乗り込んで何を言うのかと思ったら
” 君は正しい と言って下さい ”
” …… ”
” 君は意味不明だ ”
うーん そうなりますよね。・_・;
■ルペ
悩める哲学者。
現実を見ながら未来への扉を探す君のコトだから
回り道したとしても、学びたい気持ち揺らがない。きっと。
産まれたばかりの妹を抱きかかえ見つめる表情には、家族
への愛が感じられるただけではありませんでした。
きっと数年先の進学と、それまでに学べることを模索して実践
し続けるのではないだろうか。そう思います。
■バロマ
優しき天才。
学びたい。けれど目立ちたくない。
父を見捨てるなど考えられない。
ならば夢を諦めることは…できる? できない?
手作りの望遠鏡を作りながら将来への夢を観ていた少女の前に
現れた一人の教師が、希望の扉を開くきっかけをくれました。
■ニコ
悲しき不良(…の予備軍)
” どうすれば女の子の気を引けるの?…センセイ ”
気を引くどころか、パロマの永遠の記憶として心にに残りました。
間違いなく、君はパロマのヒーローだ。
■チュチョ(校長センセ)
この人を忘れてはいけません。・_・
最初はアタマの固い、古い考えの先生かと思わせておいて
次第にフアレスの影響をうけ、自分も変わり始める人。
もしかしたらこの先生も昔は、熱き志を抱いていたのかも。
◇最後に
作品を通して振り返ったとき、印象に残っているのが
「 子供たちのキラキラした瞳と笑顔の表情」です。
ルペもパロマも、他の子供たちもみんな輝いてました。
この子たちの将来が、より良いものになりますように。
そう願わずにはいられません。
◇おまけ ・_・ あら?
フアレス先生の中の人(?)
” フアレス先生、巻き舌の発音を教えて下さい ”
” 来る作品が違うようだが、まあ良い …こーだ ”
「あいのうた」でも熱血指導の教師でした。・_・♪
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
観たあと、色んな思いが浮かんでくる映画
観てよかった。
過酷な家庭環境と、知を一方的に「伝達」される授業で、学びに対してやる気や意欲を奪れていた子どもたちが、新任熱血教師の探求的授業によって変わっていく。
日本の現状に重なるな。
最後、母親に乳児の世話のため学校を休ませられた子が結局登校できなかったのは残念。
でも彼女には公共図書館がある。
彼女が学校の図書室に本を探しに行って、空っぽな書架と司書のさんざんな態度にへこまず、そのあと公共図書館に行って、たくさんの本に出会い司書のレファレンスに助けられるシーンは、すごくよかった。
学びは学校だけじゃない。
彼女はきっとそうやって学び続けるだろう。
だって、先生から「可能性は誰にもある」と気づかせてもらえたから。
よき映画でした。
メキシコの土地の様子はリアルだが、肝心の教室内容は少しガッカリ
評判の良さに惹かれて鑑賞したが、教員としては期待はずれであった。教師は大勢の生徒を相手にすることに大変さがある。特にこの映画のような地域ならば、問題を抱える生徒は何人もいるはず。それなのに、全編を通して主人公教師が関わっていることが描かれるのは3人の生徒のみ!(そのうちの1人が全米1位をとったという実在の優秀な子。)また、描かれる授業内容が目新しくないのにもガッカリ。等差数列の合計を直ぐ出せた生徒を天才の証拠のように描いたり、生徒を惑星に見立てて自転させたり、どこでもやっていることでは?冒頭で、主人公が生徒の興味を引こうと投げかけても、生徒はキョトンとするばかり、という場面こそがリアルで、そんなにすぐ浮力の理解ができる子ども達になるか?
ただ、乾いたメキシコの風景には目を奪われた。これは一見の価値がある。
太った校長先生がだんだん味方になってくれるのは微笑ましい。子守でまた学校に行けなくなったルピはどうなったのか気になる。
傑作
大感動作でした。子どもたちの学びたいという気持ちを何より重視する事ができれば子どもたちの本来持つ可能性を引き出すことができる、と。教育を受けたことがある人、教育をする人、とにかくすべての人に見てほしい傑作です。「コーダ」でも教師役が素晴らしかった主演俳優がこちらでも(タイプはまったく違いますが)素晴らしい教師を演じています。
一点、思ったことです。教室の中で哲学に興味をもった少女が、家庭の都合で子守をせざるをえなくなります。この少女には少なくとも作中では救いはありません。しかし、この少女を描くことは製作者のメッセージを伝える点で大変重要だったのだろうと思います。
つまり、作品の中では素晴らしい教育の機会を得た子どもたちが描かれますが、実際にはこの哲学を志した少女のように、学びたいと思いながら家庭の事情で学べずにいる子どもがたくさんいる、ということです。「なんで親は自分で子育てできないのに子どもを作るのか」と親を責めることは簡単です。しかし親は親で働かなければ、子どもという稼ぎ手をつくらなければいけないという事情もあるでしょう。その課題こを、国がしっかり解決すべきことです。それを作り手は訴えたかったのだろうと思います。
学びと成長の可能性と現実
「生徒から教えられた」と、きちんと言える先生が素晴らしい。
試験場での涙に貰い泣きしてしまった。
パーフェクトじゃなく、とても人間らしい先生。
だから余計に魅力的たった。
そんな素晴らしい先生の授業を私も受けてみたくなりました。
でも、こんなステキな先生に出会える子どもたちは一握りなんだろうな…。
やはり、産まれたばかりの妹弟の面倒をみるためや、貧困のために学校に通えなかったり、
犯罪に巻き込まれてしまったり、
全てが完璧なハッピーエンドではないところにリアルさを感じました。
いや、本当は、もっと、子どもたちにとって厳しく学び辛い現実なんだろうな…。
自分の恵まれていた子ども時代に感謝しつつ、
忘れていた学ぶことの大切さ楽しさを思い出していました。
子どもに関わる全ての大人に観て欲しい。
私自身、小学校時代の先生たちを一番覚えている。
1日、同じ先生と過ごすからだと思うけれど。
小学校6年間、通信簿の備考欄に、「授業中おしゃべりするのはやめましょう」と書かれる子どもだったので、先生にとっても面倒だったかも。
セルヒアみたいな先生に小学校時代に出会いたかったなー。
勉強は、本来面白いもの。
それを気づけるかどうかは、子ども自身の感受性にもよるが、親や教師などの周りの大人に負うところも大きい。
作中のギフテッドのパルマでさえ、背中を押すセルヒオや父親がいてこそ、その後の開花がある。
彼女にとってはクラスメイトのニコの存在も大きいだろうけれど。
大人が子どもへ伝えることは、「失敗してもいいよ」、「チャレンジすることに意味があるよ」、「どんどん自分を表現してみて」、「君たちには力があるよ」だ。
クラスで一番危ういニコでさえ、セルヒオにもらった言葉「生き方は自分で選ぶんだよ」に従って、最期自ら決断して命がけでパルマを守った。
驚くほど涙があふれた。
私、子育てをやりなおしたい…。
メキシコに比べれば、日本はとても恵まれた環境にある。
この映画、是非全国の小中学校で上映して欲しい。
教師にとっても、子どもにとっても、きっと何か得るものがある。
エンドロールを見て、実話に基づいているのか!と驚愕した。
なんてドラマテックなお話なの。
セルヒオに会いに、命がけでメキシコに行きたくなったよ。
ひとり旅で行くには少々ハードル高いけれど。
ラストのアインシュタインの言葉にクスリ。
「そう思うのは、あなたが天才だからだよ」とツッコミを入れました(*^^*)
自ら学ぶ姿勢を育むことの大切さを再認識できる
天才を育てるための特別な教育法を提示するような映画なのかと思ったが、主人公の教師が実践しているのは、自発的に「学びたい」と思わせるように子供達を導くことで、その至極真っ当な教育姿勢には納得できる一方で、何だか当たり前のこと過ぎて、やや肩透かしを食ってしまった。
ただ、主人公がスーパー・ティーチャーではなく、過去に失敗した経験を持つ普通の人間で、しかも、彼の型破りな教育法も、インターネットの動画サイトからヒントを得ているところなどには親近感が持てる。
最初はモブキャラと思われた校長も、主人公の一番の理解者として彼を支えるという重要な役割を担うようになり、思いがけず良い味を出している。
そんな主人公と校長が、ビールを飲みなから初めて心を通わせるシーンでは、「自分もあんな先生になりたい」と思えるような恩師がいるということが、万国共通の「教師になった理由」なのだということが分かって、思わずニヤリとしてしまった。
だが、この映画で最も心に突き刺さるのは、やはり、生徒達が置かれている過酷な環境で、学ぶことの楽しさや知識を得ることの喜びを知った子供達の生き生きとした表情が印象的なだけに、貧困のせいや治安の悪さのために学ぶことを断念せざるを得なくなる彼ら、彼女らの姿には、胸を締め付けられるような理不尽さを覚えた。
特に、不良グループから抜け出そうとする少年を待ち受ける運命は過酷で衝撃的だが、ここでも、主人公を立ち直らせようとする校長の友情にはジンと来たし、2人で少年のボートを海に押し出すシーンでは、思わず胸が熱くなった。
試験の結果、全国1位の成績を収めた天才少女に脚光が当てられるハッピーエンドは心地よいのだが、その一方で、哲学に対する興味が芽生えたにも関わらず家庭の事情で進学できなかった少女のその後や、車を売り払ってまでして手に入れたパソコンで主人公がやりたかったことなど、気になることもある。
また、ラストでは、卒業式で、多くの生徒が主人公のところにお礼にやってくるというエピソードを回収してもらいたかったと、少し残念に思ってしまった。
優等生だったが自分の頭で考えたことはなかった
いつもの映画館
気づかぬうちにポイントが貯まっていて
年末年始3連続ロハ 駐車場代半額400円だけ 嬉しい
会員更新時期に来ていたので当然更新したど
本作ストーリーの骨組み
起
・荒廃した学校
・やる気がない児童
・管理を強めようとする学校や教師
承
・型破りな教師がやってくる
・児童一人ひとりと向き合う
・さまざまな境遇や個性を把握して勇気づける
転
・いいところで壁が立ちはだかる
・悲しい出来事が起きてしまう
・型破りな教師がくじける
結
・型破りな教師が励まされて再起
・児童たちはそれぞれの生きがいを見つけて成長する
スパイス
※管理型だった教師が共感して味方になる(本作では校長)
※考えが変えられない同僚教師は一杯くらわされる
1970~80年代の日本の学園ドラマそのものではないか
・熱中時代
・ゆうひが丘の総理大臣
・ただいま放課後
・金八先生
大好きだ
自分は優等生だったが自分の頭で考えたことはなかった
議論することの大事さとか知識をシェアすることとか
その大事さを知ったのはつい最近のような気がする
などと振り返った
穴をふさいだ船を海に流すシーンが一番良かった
悲しいけど
最初の方の校長がドーナツを心配するところ
ばぁちゃんの車いすを押す少年のくだり
パソコンにこだわる理由
よく意味がわからなかった
それでもオラとしては満点の一作
今年のオラのベストテン入り 間違いなし
期待度○鑑賞後の満足度⭐ 何も言うことがない。予定調和的な処もあるが、それさえも美点に思える。人類の未来にとって一番大切なことを教えてくれる。ずっと泣いてました。
①今日は朝ドラ『お結び』の今週分を一気観して散々泣かされたので、情緒的に「泣き虫」の日だったにのかも知れないけれども…
②とっても当たり前でシンプル過ぎて見落としがちなこと、それは、子供たちに接する大人たちが忘れてはならないのは、一番大切なのは国でも組織でも自分たちでもなく、子供たちであること、子供たち一人一人が自分たちには可能性があると信じてもらうこと、それに尽きることを教えてくれる映画。
③何より生徒たちが学び知る喜びを知っていく過程が観ていて楽しく嬉しい。
④私も60数年生きて来ましたから現実は甘くないことは十二分に分かっております。
それでも夢を見させてくれるのは映画の大きな力ではないだろうか。
⑤(拳銃が入っている)リュックを渡すように言われたとき涙をが流すニコが痛ましい。涙受けを狙ったありドラマならばニコは何とか足を洗う事ができた方向に話を持っていっただろうが、本作では安易なヒューマニズムを
選ばない。
結局ニコはセルシオ先生と出逢う前にはためらいなく進んだ道をやむを得ず選ばざるを得なくなるが、その入り口で好きな女の子を守るために命を散らしてしまった悲劇に心が痛む。
ニコの兄さんもニコを守るために相討ちになって命を落としたと信じたい。
しかし、そこまでニコを変えたこと、ニコがボートを治し塗り治りパロマ号と名付けたことに、セルシオ先生の教えが決して無駄ではなかったことがせめての救いとなる。
出来ればニコとパロマを乗せて海に浮かぶはずだった筈のボートが波を越えて沖に消えていくところを俯瞰で描くショットは、花啓く前に散って行ったニコへの鎮魂歌か。
⑥実話を基にしていると云ってもあくまで劇映画であってドキュメンタリー映画ではないので、ニコのエピソードは作劇的に脚色されたものだと察するが、現実の人間の歴史・社会ではニコやルぺのような子供たちの存在の方が当たり前であってパロマの様なケースは極めて稀であるに違いない(だから映画化されたのだろうし)。
だが、パロマがセルシオという教師に出逢えた事が彼女にとっての僥倖というよりも、受け持った生徒の中にパロマという生徒がいた事がセルシオ先生にとって僥倖と云うべきなのかも知れない。
そう、あくまで焦点を当てられるべきは子供たちであり、大人たちにとっての教師は子供たちであるという不思議だけれども正鵠な事実のメタファーだと捉えるのは穿ちすぎであろうか。
果たせなかったニコの夢の分もパロマが引き継いだ事も静かな感動を呼ぶ。
⑦マルチェロ・マストロヤンニを地味にしたような(失礼かな?)セルシオ先生役の俳優さんが実に良い味を出している。
セルシオ先生が「小さなお願い」を言い出す前の表情が印象的な、いつの間にかセルシオ先生のペースに引き込まれていく校長先生も
ステレオタイプと云えばステレオタイプであるけれども、これまた本作の中で良きアクセントとなっている。
⑧舞台である街がロケット打ち上げセンターが望遠鏡で見えるほどアメリカ合衆国との国境に近いというところで、トランプの“メキシコとの国境の壁”の事が頭を過ったけれども、アメリカ合衆国側にも事情のあることで、此れは此れで現実なんだよなぁ…
音楽演出の妙。
新春1本目。
メキシコの貧困、犯罪と子供たちの未来実話を基に映画化。
「教えない」授業で先生と子供達が学ぶことに目覚めていくライド感がテンポ良かったですね。所々あるジョークと現実との緊張緩和のバランスも見ていて心地よかった。
間違いなく自分が好きで且つ秀作。だからこそ、唯一気になったのが後半の演出過多。具体的には、試験時の円陣を組むシーンなどはもう少しあっさりしても良かったのかな。
(本作、絵面は日本では考えられない地獄絵図(ゴミ、麻薬等)が終始続くのですが、テンポ展開に合わせて、和やかな音楽が流れます。「ここは安心して観られるシーン」「ここは子供が未来に向かっていくシーン」など言葉で説明なくても音楽が客側にそれを訴える。目立たないですが音楽演出にも気にかけて頂きたい、大満足の一作でした)
全30件中、1~20件目を表示