型破りな教室のレビュー・感想・評価
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人生の舵は自分で取れ
スラムの広がるメキシコ北東部の街マタモロスに在る小学校に、セルヒオ・フアレス・コレア( エウヘニオ・デルベス )が後任教師として着任し、貧困等様々な家庭の事情を抱えた生徒達に学ぶ喜びを伝えるべく尽力する。
厳しい生活環境を送る彼らが、学びに目覚め瞳をキラキラと輝かせる姿が眩しい。
貧しい家庭で育ちながらも、数学が得意で宇宙に興味を持つパロマ( ジェニファー・トレホ )が実在の女性だとエンドロールで紹介され、驚きました。
『 学ぶ喜び 』を生徒達が持てるよう、日々頑張っている先生方がゆとりを持って教えられるような教育体制が、1日も早く整いますよう願うばかりです。
映画館での鑑賞
【”生徒自身に自らの可能性を想像させる授業。”今作は、既成のカリキュラムに捉われず、子供の好奇心を刺激する授業により飛躍的に学力向上を実現させたメキシコ人教師の実話の実写化作品である。】
■2011年。米国国境に近いメキシコのマタモロスにあるホセ・ウルビナ・ロペス小学校が舞台。麻薬と暴力が蔓延る中、小学生たちは家の手伝いなどで、勉強に身が入らずに6年生の半数は卒業が難しい状態。
そこに、地元出身の元中学教師フアレス先生(ヘウエニオ・デルベス)が赴任して来る。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・フアレス先生は、赴任初日からラディカルな授業を繰り広げる。部屋の生徒の机は逆さまにおいてあり、自分の机は廊下に押し出す。
生徒は自由な場所に腰掛けて、この不思議な先生が何を言うのか興味深げに見ている。
ー 所謂、掴みはOKと言う奴である。
先生は”井戸に落ちたロバの話”をして、ロバのように土に埋もれずに這い上がれ!”とはっぱをかけ、更に生徒達に質問するのである。”君たち、23人が6つの救命ボートに同人数乗るには、どうしたら良い?”
生徒達は皆で話し合いながら、その問いを考えるうちに、物理や哲学などにまで思考を広げて行くのである。ー
■この映画では、当時のメキシコの教育を阻む社会問題が描かれている。
1.数学に秀でながら、父の廃品回収の手伝いをしなければいけないパロマ。それにしても彼女が、フアレス先生の”1から100まで足すと幾つになる?”という問いに、”5050”と答えるシーンは彼女の数学の強さを一発で示すシーンであり、フアレス先生が彼女の数学に秀でたる生徒である事を知ったシーンでもある。
2.兄と同じ犯罪組織に入るようにプレッシャーを掛けられ、ナップザックに勝手に銃を入れられ戸惑うニコ。だが、彼は密かにパロマが好きなんだよね。
それを、あと押しするフアレス先生も素敵である。
3.幼い姉弟の面倒を見ながら学校に通う、哲学に興味を持ったルペ。彼女は哲学書を読むために大学の図書館から本を沢山借りて来るのである。だが、子が生まれる母から学校を休学するように言われてしまう。
・フアレス先生は、生徒達に対し上から目線では接しない。故に生徒達は、フアレス先生の問いを自分達でドンドン”思考”して行き、比重に気付いて行くのである。
フアレス先生をサポートする太っちょ校長と、フアレス先生を水槽に沈め、生徒達が大喜びするシーンは、良かったなあ。
■要領の良いズルイ先生は、メキシコの全国共通テスト”ENLACE"の答案を何故か持っていて、生徒に事前に教えたり、教育委員会のお偉いさんは”パソコンを配布する・”と新聞記事にさせておいて、実際は配布しないというメキシコ教育界の不正も今作では描いているのである。
それに対し、敢然と抗議するフアレス先生。彼はズルイ先生から”ENLACE"の答案を渡されても、ごみ箱に捨ててしまう。
・だが、ある日パロマと下校途中だったニコの所にギャング達がやって来て、悲劇は起きてしまう。それ以来フアレス先生もカリキュラム通りに授業をしなかった事を咎められ、2週間の停職。それを知った生徒達も学校に来なくなる。
・校長が、フアレス先生を説得し何とか外に連れ出すシーン。彼らは浜辺に有った”パロマと書かれた小舟”を浜辺を引きずって、海に浮かべるのである。
ー 今作の中身を暗喩した象徴シーンだと思う。ー
<今作は、メキシコの貧困、犯罪、家族環境など学びには障害が山積みの中、生徒達に”自らの可能性を想像させる授業”を行う気概ある先生と、先生により学びの楽しさ、素晴らしさに目覚めていく生徒の姿を描いた作品なのである。>
知的好奇心こそが、私たちの最も偉大な業績を推進する燃料である。
ニコ!君の選択を私は否定できないよ。
そして君はもう、自由だ!
ほのかな初恋の情を小舟「パロマ号」に乗せて旅立つニコ君。
ああ、いま思い出しても泣けてくる・・・(T_T)
なんだよ~もう~。
いい映画じゃんかよー(ToT)グスッ
オッサンが明るいうちか目を充血させちゃったよ。
個人的に引っかかる上映作がここ1~2ヶ月ほど無く、そして仕事の合間も無く「あぁこのまま今年の映画鑑賞は終わりかな」なんて考えていたところの、本作の鑑賞だった。
ええ、締った締った!これは良作でした。映画COMの評点、RTの評点いずれも高く、事前に抱いた期待感は裏切られなかった!
*****
掲題にリチャード・ブランソンの名言を戴いてみた。
『型破りな教室』は邦題だが、フアレス先生の考える理念や教育の本質からすれば、現代的な教育流れの方が目的ズレの、それこそ型破りだということになるだろう。
その点、原題の"Radical"は、うまい。
気になったので僕の優秀な相方・チャットGPTさんに聞いてみた。
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「radical」には、さまざまな意味がありますが、文脈によって異なります。主な意味は以下の通りです:
1. 基本的な・根本的な
物事の根本や基本に関わるものを指します。
例: "a radical change"(根本的な変化)
2. 急進的な・過激な
社会や政治的な考え方、行動が従来の枠を超えるほど革新的・急進的なことを意味します。
例: "radical politics"(急進的な政治)
3. 素晴らしい・かっこいい(俗語的な意味)
主に英語圏(特にアメリカ)で使われるスラングとして、「とても良い」「すごい」という意味があります。
例: "That skateboarding trick was radical!"(そのスケボーの技、すごい!)
4. (数学・科学)根号・基底
数学では「√」(ルート、根号)や、化学では分子のラジカル(基)を指します。
例: "radical expression"(根号を含む式)
5. 漢字の部首(英語学習時の意味)
日本語の漢字学習では、「部首」を英語で「radical」と表現します。
例: "The radical of this kanji is '木'."(この漢字の部首は「木」です。)
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おお~。まるでこの映画の内容そのもの。
⑤なんてとてもイイ感じではないか。
ジャパニーズ解釈でこじつければ、本作内容を現す部首はニンベンに違いない。
ニッポンの現代教育にもグサグサ刺さるであろう今作。そのメッセージ、その心の一文字はきっと「仁」ではなかろうか。
人口減少に向かい、更に複雑化するイデオロギー社会のなかでの教育。
常日頃より私は「仁力」が鍵になると信じている。
2024みんなに見てもらいたい映画で賞・ベスト1をあげたいのだ。
興味ある分野を伸ばすことと、基礎学習を均一化することの境界線はどこにある?
2024.12.24 字幕 アップリンク京都
2023年のメキシコ映画(125分、PG12)
原作はジョシュア・デイヴィスの記事『A Radical Way od Unleashing a Generation of Geniuses(2013年)』
2011年に実際に起こった小学校における革新的な授業を追った社会派ヒューマンドラマ
監督&脚本はクリストファー・ザラ
原題の『Radical』は、「革新的な」「基礎的な」という意味
物語の舞台は、2011年のスペイン北部の国境地帯にあるマタモロス
そこには「罰の学校」と呼ばれるホセ・ウルビナ・ロペス小学校があった
麻薬戦争の紛争地帯で治安は最悪な地域、そこに通う子どもたちは卒業できずに中途退学になるものが多かった
そんな小学校にセルヒオ・フアレス(エウヘニオ・デルベス)が赴任してきた
彼は職員会議をガン無視して授業の準備に取り掛かっていて、それは全ての机椅子を端に寄せて、大きめの机を救命ボートに見立てるというものだった
生徒たちは困惑するものの、セルヒオは構わずに「ボートは6台、君たちは23人だ。どうする?」と問いかけた
そこに校長のチュチョ(ダニエル・ハダット)がやってきて、セルヒオは「彼も助けなければ」という
すると、生徒の一人が「ボートが沈む」と言い出した
そこでセルヒオは、「なぜボートが沈むと思ったのか?」問いかけた
映画は、身近に接しているものや経験則からわかる感覚を学問に落とし込むという方法で、救命ボートの件は「物理学」の範疇になる
ボートがどうやって浮くのかとか、物質の質量や密度の求め方を学んでいく中で、考察から方式を紐解いていく流れになっていた
主要な生徒として、宇宙物理学を習いたいパロマ(ジェニファー・トレホ)、弟妹の世話に明け暮れる哲学好きのルペ(ミア・フェルナンダ・ソリス)、兄チェぺ(Victor Estrada)からアウトローの誘いを受けているニコ(ダニーロ・グアルディオラ)たちが描かれていく
パロマにはモデルの女性がいて、「次世代のスティーブ・ジョブス」と言われるほどの秀才で、そんな彼女も家庭環境から勉学の道を諦めざるを得なかった
映画では、子どもが持つ重要な武器は「可能性」と言い、それを阻むのは「自分自身」だとも言う
家庭に理解を得られない子どもがいて、パロマは父(Gilberto Barraza)が理解を示したが、ルペの方は退学を余儀なくされている
だが、末っ子を背負ってどこかに行こうとする彼女を見ると、そのまま図書館で独学で勉強を始めるのではないかと思わせる
環境が確かに阻害するとは思うものの、その気になればどこでも学べると言う意味を含んでいるのだろう
だが、本作はそれだけでは終わらず、冒頭から登場する「車椅子を押す少年(Kaarlo Isaac)」がクローズアップされている
彼は幾度となく小学校の金網のところで中の様子を伺っているのだが、セルヒオの力が学外には及ばないことを示唆していた
この街には「通いたくても通えない」と言う子どもたちが一定数いて、全ての子どもたちに「機会」を与えられてはいない
小学校が無償なのに通えないのはなぜか
これがマタモロスの隠れた問題になっていて、次の課題になっているのだろうと感じた
いずれにせよ、このような教育法はあることにはあるが実践できる場所は限られていると思う
教育委員長(Enoc Leañno)がいう「基礎的なものが欠けている」と言うことも一理あり、基礎学習の理解度を測る上でのテストには意味があると思う
だが、その教育方法をどの時点まで続けるべきかには諸説あり、大学入試まで行う必要があるのかはわからない
勉強に対して「課せられた労働」と思う子どももいれば、「探究心を満たす知的活動」と捉える子どももいるわけで、そのあたりの線引きは難しいのだと思う
セルヒオの学習方法は「勉強を好きになる」と言うファーストステップだと思うので、彼の言うとおり「パソコンがあれば子どもは勝手に学び出す」と思うので、きっかけを与える授業としては有効なのかな、と感じた
クリスマスには重かったかな
10数年前のメキシコの話ではあるが、100年以上前の日本もこんなもんか?学校行くより勉強より仕事、家事手伝い、親兄弟の面倒。学べる時は学びたくなく、学べない時は学びたい。
型破りというか、詰め込み型ではなく自分で考えて学ぶ指導方。自分で考えるって後になってからも忘れないし、壁にぶつかった時も柔軟な気がします。
しかし、ニコに課した問題は子供には、あの環境下では正しい方を選択するのは難しいだろう。
フラグ立っていたけど、何とかなるかなって思ったけど、現実はこうなるよなぁ。
ゴミ山さえもが美しい。
「教育とは、生徒が自発的に成長することを促す営みである。」という信念で、型破りな授業をして、最低と見放された子供達の潜在力を開花させた実話に基づく物語。結果ではなく、知ることの喜びに目覚めた子供達の人としての素晴らしい成長の過程が何より美しく、そうなると、貧困の象徴であるゴミ山さえもが、空の青さとの対比で白く輝いて見えてしまうところが、なんとも不思議でした。(以下ネタバレありです。)
例えば、ゴミ山での金属収集で生計をたてている病弱な父の身体を労りながら、仕事を手伝うパロマは、授業を受けて、以前は思いもしなかった宇宙工学者への夢をもちはじめます。また、兄の手伝いをしながら、いずれはギャング団の一員になる道を辿っているニコは、自分が神秘的な法則に支配されている宇宙の一部であることを実感し、ギャング団に入ることをためらうようになります。さらに、自分で考えることの楽しさを知った子沢山の母子家庭の長女ルペは、大学の図書館に通って哲学の本を読みあさるようになります。この三人を軸に物語は進むのですが、三人だけでなく、学ぶことの楽しさに目覚めたこどもたちの目は、犯罪や麻薬と隣り合わせとは信じられないくらい、みんな明るく輝いていたのが、とても印象的でした。
メキシコの人質ビジネスや、麻薬犯罪を題材にした映画は数知れず、第1次トランプ政権による「壁建設」に至っては、メキシコ人がアメリカ人に比して劣っているかのような印象操作が行われているような感さえありましたが、本当にそうなのでしょうか?「1から100までの数の和」をわずか数秒で解いたパロマの計算方法は、レンガ職人の子として生まれながら「歴史上最高の数学者」と言われたガウスが小学生時代に発見した方法と全く同じでした。つまり犯罪と麻薬に汚染されているのは確かに事実かもしれませんが、それは長い歴史の違いがあってのことであって、ホモサピエンスとしての潜在的な能力は多分アメリカ人や我々と何ら変わるところはなく、天才の潜在的な発生確率は、同じなのではと思います。
また貧困のためその才能を社会で生かすすべを持たないという状態は、果たして本当に悪なのでしょうか?知る喜びだけではダメなのでしょうか?ルペが授業で「中絶の是非」の論議をするにあたりミルの「最大多数の最大幸福」(ベンサムのそれより倫理的な側面を重視しているそうです。)を引用し、「彼ならこの貧窮をみて中絶賛成と言うと思いますが、世話をしている可愛い弟たちがもし生まれなかったら・・と考えると、私は簡単に賛成とはいえません。」といった考えを述べます。そしてその考えは彼女の最後の選択に繋がっているように思うのです。その選択をしたときの表情が、たまらなく美しく見えました。
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