型破りな教室のレビュー・感想・評価
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ニコ...
まだまだ可能性で溢れている12歳。
「もう少し学校に行きたい」と学校の楽しさ、学ぶ楽しさ、好きなコに会える喜び、を実感していた頃...。
ギャングの道に行かず、自分で選んで、自ら進もうとしていた“学び”の道...。
ニコの結末が辛すぎる...。
好きな女の子を命懸けで守ったニコ...。
勇敢で、、目まぐるしく急成長してたニコ...悲しすぎる。実話なんだよね...。辛い。
パロマは凄いね👏
国内一位🥇ってすごすぎる。
言うまでもなくパロマの可能性を発揮させたのは先生。
この映画でも分かるように、学生時代、先生との出会いって人生を左右するよね。
先生の影響次第で無限にも将来の可能性が広がる。
ほんとに先生次第。
とっくの昔に義務教育を終えた身として心からそう思う。
私も良い先生に出会ってれば天才になれたのかなー。なんて😛
あとは勿論家庭環境と。
天才ってなにで決まるかというと、
①遺伝
②親の年収
③幼少期の家庭環境。
、、、らしい。ホンマか知らんけど。
でも、パロマはどれも当てはまらない。
てことは、上記に当てはまらない人でも誰でも天才になれる可能性はあるってことだよね🌈👏😃
よし、我が子供にも未来はある。笑
パロマのお父さん、あんなかんじだけど、天才なパロマを立派に、優秀に、優しい子に育てて凄いね。
お父さんも根はきっと優しいからパロマも優しい子に育ったんでしょうね。
家も奨学金で住み替えられたのとのことなので、しっかり療養してほしいですね。
レビューとは逸れたけど、、
パロマにはニコの分まで生きてほしい、ニコが勉強したがってたからニコの分まで勉強してほしい。
パロマも辛いね...。
これからもパロマや先生を日本の片隅から応援してます。
そして、世界にはニコやパロマ、ルペのようなヤングケアラーの家庭環境の子供がいること、学びたくても学ぶことができない環境にいる子供、死と隣合わせの環境にいる子供たちも沢山いる、ということを忘れずに日々を過ごしたい、と思った。💀
★オモローなセリフ集
パソコン💻の件で校長と喜ぶ先生のシーン。
「キスしたいくらいだ」
「遠慮する。
歯を磨いてない。」
🤣🤣🤣
いつのまにかこんなジョーク言える仲良しになってたとは💖🫶
★余談
この映画タイトルのジャケット写真について。
先生が生徒たちのほうを向いてしゃがんで、生徒たちが先生のほうを向いていて、子供たちの顔だけが見える。先生は後ろ姿だけ。
主人公は先生なのに、主人公の顔がみえない。子供達の顔だけが見えるようになっている。
あくまで設定主人公は先生だが、実は主人公は先生じゃない。
12歳、まだまだこれから無限の可能性が広がる子供たちみんなが主人公だ、と私は解釈した👏🏫
タイトルなし(ネタバレ)
メキシコの学力全国最低レベルの小学校に赴任したセルヒオ(エウヘニオ・デルベス)。
校長からの指示は、学力テストでの成績アップ。
それには、とにかく授業を受けさせろ、というもの。
だが、セルヒオは、生徒たちの「疑問」を引き出し、「自問」から「答え」を引き出そうというもの。
さらに、その「答え」は「答え」ではないかもしれない、と再び問うことも教える・・・
といったところからはじまる物語。
2本立ててで先に観た『小学校 それは小さな社会』の教育方法とは対照的。
生徒の中から、天文学に目覚める者、哲学に目覚める者、もっと単純に物事を知り学びたいと思う者が出てくる。
最後に挙げた、物事を知り学びたい者は、生徒全員だった。
それまでは、あまりの貧困ゆえに教育を受けることに価値を見出せなかったのだ。
セルヒオの指導方法で全員が幸せになったかというと、そうはいかなかった者もいる。
人生の苦くつらい部分も併せて描いている。
学力全国最低レベルからトップへ、という美談だけでないあたりが、本作を輝かせていると思う。
最後に自分の中の「可能性」に向き合ったのはいつですか?
「夢が小さいな」と先生は優しい声で笑った。
小学校の時、同級生の世界に馴染めていなかった私は、休み時間や掃除の時間になると、学校内の人が来ない「私だけの秘密の場所」でいつも時間を潰していた。
ある時、そこに一人の先生が現れた。
理科を受け持つそのおじさん先生は、おじさん特有のファッションでいつも髭が薄く伸びていた。
喋るとほのかにタバコの匂いがして、女子生徒たちの間で「おじさんくさい」「気持ち悪い」と毛嫌いされていた。
厳しい指導が校風の小学校は、多くの男性先生が生徒たちに高圧的に接してくる中、その先生はいつも笑顔で弱々しい態度だった。
そのソフトな立ち振る舞いが対比的に頼り甲斐がない印象を与え、女子生徒に文句をつけやすい口実を与えていたのかもしれない。
けれど、私は思慮深く授業を進める先生に、密かに信頼を置いていた。
そんな先生が時間潰しのための「私だけ秘密の場所」に時々顔を出すようになった。
生徒たちが騒がしい声がこだまする校舎の陰で、先生と私はただ黙って座って時間を潰した。
そして、休み時間や掃除の時間の終わりを知らせるベルがなると、どちらともなく黙って立ち上がり、それぞれの「戻らなければならない場所」に向かった。
その先生に自分だけの場所を見つけられたことも、自分だけの時間を邪魔されたことも、私は不思議と嫌にはならなかった。
先生はただ黙って座っているだけだったし、私も黙って座っているだけだった。
その間、目も合わなかったし、こちらを気にする気配も感じなかった。
まるでお互い別の時空に過ごしているようで、それでも何となく包まれているような安心感があった。
卒業が近づいたある日、同じように黙って時間を潰していると、その先生はやって来た。
そして、いつもの通り、黙って座って、黙って佇んでいた。
休み時間の終了を知らせるベルが鳴り、いつものように重い足を引きずって「戻らなければならない場所」に仕方なく戻ろうとした時、先生は私の背中に静かに声をかけた。
「将来、なりたいものはあるのか?」
私は立ち止まり、少し考えたあと「先生みたいな先生になろうかな」とそっと呟いた。
「夢が小さいな」
先生は優しい声で笑った。
振り返ると、先生は小さく頷いて、もう一度優しく笑った。
Dreamin' アスファルト泥だらけのクツあふれ
Dreamin' 灰色の風から俺たちは生まれ
ボルト&ナットのしくみで組みこまれる街で
爆弾にはなれない OH NO!
Dreamin' よくできたおちこぼれはすぐはずれ
Dreamin' いつからか番号だけで呼ばれ
汗のにおい信じない言葉に刺もない
悪びれないスペアマン WOW
そんな奴らは好きじゃない俺はそんなにバカじゃない
ハートは今ここにある WOW
(BOØWY「DREAMIN'」)
コレア先生の教育は成功したと言えるのか
おじさん風のファッションで無精髭を生やしているコレア先生は、麻薬と殺人が日常化した街の子どもたちに「自分の可能性」と向き合うことを教えようとした。
けれど、そのやり方はそれまでの学校教育とは異なるやり方で、その規格外の授業スタイルに先輩教師や市の上層部は眉を顰めた。
しかし、そんなコレア先生の情熱に生徒たちは心を動かされた。
のちに雑誌「WIRED」で「次のスティーブ・ジョブズ」と紹介されることになる女生徒は、コレア先生チルドレンたちの中でも、この映画の核を成す存在だ。
学校や教育委員会が求めるテストでの成績という点で、コレア先生が教えるクラスは抜群の結果を残し、生徒の中の10名は全国上位09.1%のトップクラスの成績を残すほどになった。
コレア先生の情熱が身を結んだ瞬間だった。
物語を俯瞰で見ればハッピーエンドだが、観る者は心から安堵できることはない。
それは映画というものが、あくまである期間を切り取った「人生の途中経過」でしかないという特性を持つからだろう。
映画には優れた能力を秘めた魅力的な小学生が何人も登場する。
そして、そんな子どもたちが通うこの小学校は、全国テストでトップクラスの成績を収めるという喜ばしい結果を手に入れる。
しかし、観るものが求めるような「多くの小学生たちが今後も幸せな人生を突き進んでくれるはずだ」という確信は、最後まで決して与えてくれない。
手にしたのはあくまで「教育システム」の勝利であり、現状の社会システムが変わらない限り、その中で学び、現行の「教育システム」が課す試験で優れた結果を残した子どもたち自身が、その後も幸せな人生を歩めるという約束は果たされない。
どれほど優れた才能を持つギフテッドな子どもでも、新たな興味の扉を開いた好奇心に溢れる子どもでも、生まれた環境次第でその「可能性」は小学校で強制終了させられてしまうメキシコという国の現実。
その残酷な現実を突きつけられるぶん、むしろこの映画の鑑賞後は重い気持ちを抱えることになる。
日本で生まれ、今の環境を与えられている自分の境遇に改めて感謝の念を抱かずにはいられない。
「可能性」とはなんだろう?
あくまでも「可能性」とは伸びしろであり、その無限の力を自分自身が信じない限り、どこにも連れて行ってくれないし、何も生み出さない。
そして、可能性を信じ、自分を信じて行動しても必ず「夢」が叶う訳ではない。
だったら、大人たちが敷くレールの上で、事例に沿って生きる道を選ぶことは、「社会から脱落しない」という可能性において決して間違った選択とは言い切れない。
コレア先生の存在は、ある人にとって「可能性」を高める最高の出会いとなる一方で、自分の「可能性」に賭けた結果、数年後、数十年後に路頭に迷う者を生む危険な存在にもなりうる。
先代が築き上げてきた「教育システム」は、そんな落伍者を生みにくい手堅い人生の道標という点で、頭から非難されるべきものではないのではないか……。
大人になった今、思ってしまう自分がいる。
限られた年齢に許された「夢」や「可能性」を無条件に信じる気持ち
「夢が小さいな」
先生はどんな気持ちで私にそう言ったのだろう。
私のどんな「可能性」を見たのだろう?
コレア先生を信じて、非合法な悪事に手を染める兄たちと決別しようとしたニコは、最後の瞬間どんな思いだったのだろう?
「夢」や「可能性」という言葉を大人が子どもに発する時、そこには前向きな祈りが込められている。
けれど、それが重い十字架になることもあるということを、子どもだった私が学んだのはずっと後になってからだった。
OH Yeh I'm only Dreamin' I'm only Dreamin'for me
OH Yeh I'm only Dreamin' I'm only Dreamin'for me
右へならえでおちつき一日を選べない
人形ともちがわない OH NO!
そんな奴らは好きじゃない俺はそんなにバカじゃない
ハートは今ここにある WOW
OH Yeh I'm only Dreamin' I'm only Dreamin'for me
OH Yeh I'm only Dreamin' I'm only Dreamin'for me
OH Yeh I'm only Dreamin' I'm only Dreamin'for me
OH Yeh I'm only Dreamin' I'm only Dreamin'for me
(BOØWY「DREAMIN'」)
教育とは何かを改めて問い掛ける良作
実話を基にした物語の映画。
中々面白い映画でした
メキシコでも管理教育が幅を利かせていて、だからこそこうした実話を基にした物語の映画が作られたという背景はあるのでしょう。
物語的に、能天気なオールハッピーではなくて、取り返しがつかない悲劇も、変わることのない理不尽も、象徴的に描かれている。
教育とは何かを改めて問い掛ける良作だと思いました。
王道‼️
今作は昭和の日本の学園ドラマやスポ根ドラマ、はたまた「いまを生きる」や「陽のあたる教室」といった名作の精神を受け継ぐ作品ですね‼️主人公の教師の熱血漢ぶり、型破りな授業、そんな彼に理解を示す校長との友情、疎ましく思う教育委員会のお偉方、生徒それぞれが抱える家庭の問題など、ある意味王道とも言えるストーリーが、犯罪と貧困が日常化し、麻薬や殺人といった犯罪が子供たちの生活へも直に影響を及ぼすメキシコ社会に上手く取り入れられてて、ヒジョーに見応えのある作品だと思います‼️いつの時代も、どんな社会でも、先生と生徒の温かい絆は見ていてホッコリしますね‼️
radicalとは。子ども扱いせずに大事な問いを考えること
少しタイミングがずれて地元のミニシアターで見ることができた。
やる気のない子どもたちのところへ異色の教師がやってきて開花させる、という物語はたくさんあるだろう。この映画の場合は教師が特に個性派でなく、ネットの動画を参考にしていることを打ち明けるなど、わりと普通の人が試行錯誤するところが面白い。
最初の授業で、先生はフルーツバスケットみたいに「均等な人数のグループを作って着席しよう。そうしないと海に沈んでしまう」という課題を出す。小学校6年生の子どもは「幼稚園みたい」といってとりあわないが、ふと「船はどうして沈まないか」という疑問が共有され、担任の先生と太った校長の「密度」を比較する活動などへ発展していく。
こうした探究が周到な準備のもとで行われているわけではなく、子どもが考えている間に先生が校内で教材となる風船を探すなど、ジタバタする姿に共感した。
机の上の勉強になじめない子どもに対し、身近な現象を素材に教えるということは日本の教育でもよく行われているはずだ。この映画の場合はそれだけでなく、radical(=根本的)という原題のように、子どもだからといって見くびらず、大事な問いを考えることがテーマになっているように思えた。
実際、「海に沈みそうなときに誰を助けるべきか」という問いから一人の女の子は哲学に進んでいき、教室でも中絶をテーマに討論が行われる。
それに対し教育委員会から来た役人が「小6で学ぶべきことが身についていない」と水を差すのは象徴的。学習指導要領では年齢相応のことしか教えられないが、子どもの心に火をつけるには、時に、大人にとっても難しい問題を考える必要があるのだ。
最初に触れたように先生の授業はそれほど画期的なわけでもない。最後に統一学力テストのようなもので学力を証明することになるのはちょっと皮肉だけれど、要は子どもに合わせた思考のきっかけが必要ということではないか。学び方の目新しさに本質があるわけではないと思う。
その意味で最後にアインシュタインの「私の学習を妨げたのは、教育だった」という言葉を掲げたのはやや疑問。「型破りな教室」という邦題もそうなのだが、教育の型を崩すことが大事だと誤解されてしまわないだろうか。
教育とは
メキシコの実話が元になってる。
子供の教育には、興味を持たせるきっかけを作ってあげれば、知的好奇心が芽生えて周りから知識を与えなくても自ら調べて向上していくよ、っていう話し。
こういう教育をやっている学校のドキュメンタリーを何度か観たことがあるけど、ほんとに子供が秘めている可能性は無限だと思うし、かつての自分もそうだったわけだし、って思う。
そんな子供達の可能性が、だいぶ歳をとった私にとってすごく眩しくて輝いて見える。
そんな可能性を貧困や周りの大人たちの所業によって奪われる事の酷さがつらい。
本来勉強って楽しいものだなって、改めて思った。そこは歳をとっても関係ないって思う。
教えるということは
映画「型破りな教室」と「アイ・ライク・ムービーズ」の2本を柏駅の隣にある「キネマ旬報シアター」で観てきました。
ここの映画館は、大きなシネコンでは上映されない小品だけども質いい作品を上映しています。
ロビーも映画ファンには、たまらない空間になっています。早めに行ってもロビーで楽しめます。
『実話の映画化です。治安の悪化が深刻なメキシコの町。学力が国内最底辺の小学校にやって来た新任教師が、型破りな授業で生徒たちの考える力を引き出していく。』
NHKドラマ「宙(そら)わたる教室」と相通じる内容でした。
記念すべき2025年の1本目となる映画です。
今年教師になる新人教師、教師歴10年の中堅教師にぜひ、観てほしい映画です。
悲しい現実の中に見出す希望
メキシコでの実話に基づいた話。2011年、アメリカ国境に程近く、向こう側にはNASAの宇宙センターを臨むことのできるマタモロスの街では犯罪が蔓延り、パソコンは設置すれば盗まれ、百科事典の全巻すら揃っていないほど小学校の設備は劣悪、教員も意欲のない者ばかりで、半数の生徒がドロップアウトしていた。そこに6年生クラス産休の代用教員として赴任して来たのがフアレスだった。彼の奇抜な(あるいは型破りな)教え方は周りの教員や教育委員会からは決して認められるものではなかったが、教室の生徒たちは明らかに変容を遂げていた。しかし、ある事件が起こり……。
なんでスペイン語ではなく英語のタイトルなんだろうと思っていたのだが、英語の "radical" はスペイン語でも "radical" だった… というのは置いておいて、フアレスの教え方は、実は、私自身の目には決してラディカルには映らず、「主体性」「対話」「探究」「課題解決」「学習者中心」といった近年のバズワードで表現される手法。ただ、現在の各地の教室でもそれが主流になっているとは言い難い状況で、統一試験(ENLACE)で点数を取ることしか考えていない当時の教師たちにとっては明らかに過激(ラディカル)に映ったであろうことは想像に難くない。そして、フアレスのファシリテーションの上手さは感動的ですらある。
類似のテーマを扱った、まだ記憶に新しいテレビドラマの『宙わたる教室』とも重なる部分も少なくないのだが、メキシコの小学校の現実は新宿の定時制高校ほど甘いものではない。悲劇は悲劇のまま終わってしまうことも悲しい現実だ。
ニグレクト、ヤングケアラー、貧困、児童労働、暴力、殺人、麻薬、汚職、等々、何でもありの環境の中で「現実を見ろ、夢を見るな」という大人と「自分の可能性を生かすも殺すも自分次第だ」という大人。本当の希望を与えられるのはどちらなのか、と大人たちが自問することを迫られる。
キツそうに思えるかもしれないが、全体的にはコメディタッチで描かれ、希望も感じられる良作だ。
『いまを生きる』他の作品との共通性
一番イメージが近いのは、『いまを生きる』であろう。教師が机の上に立ち上がったり、様々な働きかけをして、子どもたちに既成概念から脱却するような発想ができるように仕向け、管理職や同僚、保護者から睨まれ、子どものなかから死者を生みだした挙げ句に職場を追放されるところまで行く。同じ中央アメリカの貧困な環境で生活する『マリア怒りの娘』のような状態があり、『泥の河』に出てくる子のように、学校の外から羨ましそうに覗き込む子がいたり、『人間の壁』に出てくる子のように、家庭で子守をしなければならないために学校に通えない子がいたり、『宙わたる教室』のように、科学に興味をもち、自分たちで工夫して実験装置をつくり上げる子がいたり、悪い環境から抜け出そうと藻掻く子もいたり、『みんなの学校』のように、助け合いの日常生活の積み重ねでテストの点数も上がったりする成果を挙げたり、『風をつかまえた少年』のように、学校で学ぶことができなくても、図書館で自分で調べて知識を高めようとする子がいたりするように、つながりが広がっていく。
浮力の原理の発見では、アルキメデスを出してほしかったところだった。
エンディングで、実話に関わる写真で、パロマしか出さなかったので、少し疑問に感じた。命を失ったニコや学校に通えなくなったルペのことを忘れさせないことこそ、仲間の絆が確認されるところではないかと感じたところであった。しかし、その二人は架空の人物であったようだ。それならばせめて、パロマが自分の学力でどんな社会貢献を果たそうとしているかを語る場面があったら良かった気がする。
メキシコの辛くともからっとした感じ
先生と子供たちのやりとりがとてもいい。子供らが過酷な現実もありながら前向きに、課題や日常に取り組んでいくのを見て、頑張ってほしいと思う。メキシコの情勢を知る機会にもなった(アメリカへの移民で話題になっており)。担任の先生と、数学の特異な子、哲学の好きな子、校長先生とのやり取りが心に残った。
メキシコの国内事情を背景に描かれる実話ベースのお話です。どうしようもないやるせなさを感じると同時に、子供たちの将来への希望も熱く伝わってくるお話です。
作品紹介を読んで気になった作品です。
メキシコの映画を観るのも初めて(多分)な事もあり
鑑賞してきました。・_・
お話はというと…。
◆アウトラインは
貧困と暴力、そして格差。
画面に映し出されるのは、メキシコという国の実態。
老婆の座った車椅子を押す少年。
近づいてきたバイクの少年が「隠れていろ」と言い
そのすぐ後を、手を縛られた男が車に繋がれて
どこかへと引き立てられていく。んー
日本なら、戦後の混乱期でも見ることのないような光景かも。
「MADMAX」の世界感を持った作品なのかと錯覚しかけた。
だが、メキシコでは良く見かける光景のようだ。@_@;
多くの子供は小学校を卒業すると働き始める。いや
かなりの割合で、小学校を卒業できない子供もいるらしい。
子供は家庭内の貴重な労働力になっているのだ。
明治、大正、そして昭和と。
戦前の日本の農村部なども、子供の立場は似たようなモノだった
のでしょう。しかし、この作品の時代は今から数十年前などでは
ない。2011年。
今からほんの10数年前に起きた実話がベースになっている。
◆あらすじ的な内容は
舞台となったのは、マタモロスというアメリカとの国境近くの町。
その町の小学校に、一人の教師がやってきます。
そこから始まる、教師と生徒たちとの交流のお話です。
教師の教え方は、恐らく「指導要領」とはかけ離れたモノです。
最初は当然、とまどう生徒たち。(それはそうかも ・_・;)
けれども、この教師が生徒に教えようとしているのは「考える力」
であったり「積極的な行動」だったりします。
この教師、校長先生をも巻き込みながら、時には強引に、時には
一歩下がりながらも自分の考える方法で子供たちに接して行くのです。
(この校長、好きです♡)
次第に「考える楽しさ」が分かってきて、画面に映る子供たちの姿に
「明るさ」が見えるようになっていくのが印象的でした。
けれども、順調に進んでいくばかりではなく… あら
・そんな教師を快く思わない「旧態依然」な教師たちの反発
・本来学ぶべき学習項目がほとんど進んでいない
・全国学力テストの「不正」への参加強要
・卒業後には現実が待ち受ける子供に「夢を見せるだけ」との反発
そして、天才女子生徒に仄かな恋心を寄せるようになった男子生徒。
彼には、不良組織に加わっている兄がいる。
自分も手伝い的な行動をしていたのだが、組織に入らないと伝えると
それを許さない不良組織の手が、その女子生徒に伸びてしまい…。
あああ…
◇
と、まあ
メキシコの抱える 光と闇、それを描きながら未来への希望をも描き
出した作品。ひと言で言えば、そんな作品に思えました。
単純に面白いとか悲しいとか、それだけの内容では無いです。
くすっと笑ってしまう場面も多々あるのですが、終始表面には出て
こない奥のほうで、何か穏やかならざるものを感じてしまう…。
複雑な感情が交錯しながらの鑑賞でした。 …・_・;;
けれど、 観て良かった。
それは間違いないです。
◇あれこれ(登場人物に寄せて)
■フアレス先生
迷える導師。
生徒を導きたい想いに溢れているが、時には自分も導かれたいヒト。
校長室に乗り込んで何を言うのかと思ったら
” 君は正しい と言って下さい ”
” …… ”
” 君は意味不明だ ”
うーん そうなりますよね。・_・;
■ルペ
悩める哲学者。
現実を見ながら未来への扉を探す君のコトだから
回り道したとしても、学びたい気持ち揺らがない。きっと。
産まれたばかりの妹を抱きかかえ見つめる表情には、家族
への愛が感じられるただけではありませんでした。
きっと数年先の進学と、それまでに学べることを模索して実践
し続けるのではないだろうか。そう思います。
■バロマ
優しき天才。
学びたい。けれど目立ちたくない。
父を見捨てるなど考えられない。
ならば夢を諦めることは…できる? できない?
手作りの望遠鏡を作りながら将来への夢を観ていた少女の前に
現れた一人の教師が、希望の扉を開くきっかけをくれました。
■ニコ
悲しき不良(…の予備軍)
” どうすれば女の子の気を引けるの?…センセイ ”
気を引くどころか、パロマの永遠の記憶として心にに残りました。
間違いなく、君はパロマのヒーローだ。
■チュチョ(校長センセ)
この人を忘れてはいけません。・_・
最初はアタマの固い、古い考えの先生かと思わせておいて
次第にフアレスの影響をうけ、自分も変わり始める人。
もしかしたらこの先生も昔は、熱き志を抱いていたのかも。
◇最後に
作品を通して振り返ったとき、印象に残っているのが
「 子供たちのキラキラした瞳と笑顔の表情」です。
ルペもパロマも、他の子供たちもみんな輝いてました。
この子たちの将来が、より良いものになりますように。
そう願わずにはいられません。
◇おまけ ・_・ あら?
フアレス先生の中の人(?)
” フアレス先生、巻き舌の発音を教えて下さい ”
” 来る作品が違うようだが、まあ良い …こーだ ”
「あいのうた」でも熱血指導の教師でした。・_・♪
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
観たあと、色んな思いが浮かんでくる映画
観てよかった。
過酷な家庭環境と、知を一方的に「伝達」される授業で、学びに対してやる気や意欲を奪れていた子どもたちが、新任熱血教師の探求的授業によって変わっていく。
日本の現状に重なるな。
最後、母親に乳児の世話のため学校を休ませられた子が結局登校できなかったのは残念。
でも彼女には公共図書館がある。
彼女が学校の図書室に本を探しに行って、空っぽな書架と司書のさんざんな態度にへこまず、そのあと公共図書館に行って、たくさんの本に出会い司書のレファレンスに助けられるシーンは、すごくよかった。
学びは学校だけじゃない。
彼女はきっとそうやって学び続けるだろう。
だって、先生から「可能性は誰にもある」と気づかせてもらえたから。
よき映画でした。
メキシコの土地の様子はリアルだが、肝心の教室内容は少しガッカリ
評判の良さに惹かれて鑑賞したが、教員としては期待はずれであった。教師は大勢の生徒を相手にすることに大変さがある。特にこの映画のような地域ならば、問題を抱える生徒は何人もいるはず。それなのに、全編を通して主人公教師が関わっていることが描かれるのは3人の生徒のみ!(そのうちの1人が全米1位をとったという実在の優秀な子。)また、描かれる授業内容が目新しくないのにもガッカリ。等差数列の合計を直ぐ出せた生徒を天才の証拠のように描いたり、生徒を惑星に見立てて自転させたり、どこでもやっていることでは?冒頭で、主人公が生徒の興味を引こうと投げかけても、生徒はキョトンとするばかり、という場面こそがリアルで、そんなにすぐ浮力の理解ができる子ども達になるか?
ただ、乾いたメキシコの風景には目を奪われた。これは一見の価値がある。
太った校長先生がだんだん味方になってくれるのは微笑ましい。子守でまた学校に行けなくなったルピはどうなったのか気になる。
傑作
大感動作でした。子どもたちの学びたいという気持ちを何より重視する事ができれば子どもたちの本来持つ可能性を引き出すことができる、と。教育を受けたことがある人、教育をする人、とにかくすべての人に見てほしい傑作です。「コーダ」でも教師役が素晴らしかった主演俳優がこちらでも(タイプはまったく違いますが)素晴らしい教師を演じています。
一点、思ったことです。教室の中で哲学に興味をもった少女が、家庭の都合で子守をせざるをえなくなります。この少女には少なくとも作中では救いはありません。しかし、この少女を描くことは製作者のメッセージを伝える点で大変重要だったのだろうと思います。
つまり、作品の中では素晴らしい教育の機会を得た子どもたちが描かれますが、実際にはこの哲学を志した少女のように、学びたいと思いながら家庭の事情で学べずにいる子どもがたくさんいる、ということです。「なんで親は自分で子育てできないのに子どもを作るのか」と親を責めることは簡単です。しかし親は親で働かなければ、子どもという稼ぎ手をつくらなければいけないという事情もあるでしょう。その課題こを、国がしっかり解決すべきことです。それを作り手は訴えたかったのだろうと思います。
学びと成長の可能性と現実
「生徒から教えられた」と、きちんと言える先生が素晴らしい。
試験場での涙に貰い泣きしてしまった。
パーフェクトじゃなく、とても人間らしい先生。
だから余計に魅力的たった。
そんな素晴らしい先生の授業を私も受けてみたくなりました。
でも、こんなステキな先生に出会える子どもたちは一握りなんだろうな…。
やはり、産まれたばかりの妹弟の面倒をみるためや、貧困のために学校に通えなかったり、
犯罪に巻き込まれてしまったり、
全てが完璧なハッピーエンドではないところにリアルさを感じました。
いや、本当は、もっと、子どもたちにとって厳しく学び辛い現実なんだろうな…。
自分の恵まれていた子ども時代に感謝しつつ、
忘れていた学ぶことの大切さ楽しさを思い出していました。
子どもに関わる全ての大人に観て欲しい。
私自身、小学校時代の先生たちを一番覚えている。
1日、同じ先生と過ごすからだと思うけれど。
小学校6年間、通信簿の備考欄に、「授業中おしゃべりするのはやめましょう」と書かれる子どもだったので、先生にとっても面倒だったかも。
セルヒアみたいな先生に小学校時代に出会いたかったなー。
勉強は、本来面白いもの。
それを気づけるかどうかは、子ども自身の感受性にもよるが、親や教師などの周りの大人に負うところも大きい。
作中のギフテッドのパルマでさえ、背中を押すセルヒオや父親がいてこそ、その後の開花がある。
彼女にとってはクラスメイトのニコの存在も大きいだろうけれど。
大人が子どもへ伝えることは、「失敗してもいいよ」、「チャレンジすることに意味があるよ」、「どんどん自分を表現してみて」、「君たちには力があるよ」だ。
クラスで一番危ういニコでさえ、セルヒオにもらった言葉「生き方は自分で選ぶんだよ」に従って、最期自ら決断して命がけでパルマを守った。
驚くほど涙があふれた。
私、子育てをやりなおしたい…。
メキシコに比べれば、日本はとても恵まれた環境にある。
この映画、是非全国の小中学校で上映して欲しい。
教師にとっても、子どもにとっても、きっと何か得るものがある。
エンドロールを見て、実話に基づいているのか!と驚愕した。
なんてドラマテックなお話なの。
セルヒオに会いに、命がけでメキシコに行きたくなったよ。
ひとり旅で行くには少々ハードル高いけれど。
ラストのアインシュタインの言葉にクスリ。
「そう思うのは、あなたが天才だからだよ」とツッコミを入れました(*^^*)
自ら学ぶ姿勢を育むことの大切さを再認識できる
天才を育てるための特別な教育法を提示するような映画なのかと思ったが、主人公の教師が実践しているのは、自発的に「学びたい」と思わせるように子供達を導くことで、その至極真っ当な教育姿勢には納得できる一方で、何だか当たり前のこと過ぎて、やや肩透かしを食ってしまった。
ただ、主人公がスーパー・ティーチャーではなく、過去に失敗した経験を持つ普通の人間で、しかも、彼の型破りな教育法も、インターネットの動画サイトからヒントを得ているところなどには親近感が持てる。
最初はモブキャラと思われた校長も、主人公の一番の理解者として彼を支えるという重要な役割を担うようになり、思いがけず良い味を出している。
そんな主人公と校長が、ビールを飲みなから初めて心を通わせるシーンでは、「自分もあんな先生になりたい」と思えるような恩師がいるということが、万国共通の「教師になった理由」なのだということが分かって、思わずニヤリとしてしまった。
だが、この映画で最も心に突き刺さるのは、やはり、生徒達が置かれている過酷な環境で、学ぶことの楽しさや知識を得ることの喜びを知った子供達の生き生きとした表情が印象的なだけに、貧困のせいや治安の悪さのために学ぶことを断念せざるを得なくなる彼ら、彼女らの姿には、胸を締め付けられるような理不尽さを覚えた。
特に、不良グループから抜け出そうとする少年を待ち受ける運命は過酷で衝撃的だが、ここでも、主人公を立ち直らせようとする校長の友情にはジンと来たし、2人で少年のボートを海に押し出すシーンでは、思わず胸が熱くなった。
試験の結果、全国1位の成績を収めた天才少女に脚光が当てられるハッピーエンドは心地よいのだが、その一方で、哲学に対する興味が芽生えたにも関わらず家庭の事情で進学できなかった少女のその後や、車を売り払ってまでして手に入れたパソコンで主人公がやりたかったことなど、気になることもある。
また、ラストでは、卒業式で、多くの生徒が主人公のところにお礼にやってくるというエピソードを回収してもらいたかったと、少し残念に思ってしまった。
優等生だったが自分の頭で考えたことはなかった
いつもの映画館
気づかぬうちにポイントが貯まっていて
年末年始3連続ロハ 駐車場代半額400円だけ 嬉しい
会員更新時期に来ていたので当然更新したど
本作ストーリーの骨組み
起
・荒廃した学校
・やる気がない児童
・管理を強めようとする学校や教師
承
・型破りな教師がやってくる
・児童一人ひとりと向き合う
・さまざまな境遇や個性を把握して勇気づける
転
・いいところで壁が立ちはだかる
・悲しい出来事が起きてしまう
・型破りな教師がくじける
結
・型破りな教師が励まされて再起
・児童たちはそれぞれの生きがいを見つけて成長する
スパイス
※管理型だった教師が共感して味方になる(本作では校長)
※考えが変えられない同僚教師は一杯くらわされる
1970~80年代の日本の学園ドラマそのものではないか
・熱中時代
・ゆうひが丘の総理大臣
・ただいま放課後
・金八先生
大好きだ
自分は優等生だったが自分の頭で考えたことはなかった
議論することの大事さとか知識をシェアすることとか
その大事さを知ったのはつい最近のような気がする
などと振り返った
穴をふさいだ船を海に流すシーンが一番良かった
悲しいけど
最初の方の校長がドーナツを心配するところ
ばぁちゃんの車いすを押す少年のくだり
パソコンにこだわる理由
よく意味がわからなかった
それでもオラとしては満点の一作
今年のオラのベストテン入り 間違いなし
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