型破りな教室のレビュー・感想・評価
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観たあと、色んな思いが浮かんでくる映画
観てよかった。
過酷な家庭環境と、知を一方的に「伝達」される授業で、学びに対してやる気や意欲を奪れていた子どもたちが、新任熱血教師の探求的授業によって変わっていく。
日本の現状に重なるな。
最後、母親に乳児の世話のため学校を休ませられた子が結局登校できなかったのは残念。
でも彼女には公共図書館がある。
彼女が学校の図書室に本を探しに行って、空っぽな書架と司書のさんざんな態度にへこまず、そのあと公共図書館に行って、たくさんの本に出会い司書のレファレンスに助けられるシーンは、すごくよかった。
学びは学校だけじゃない。
彼女はきっとそうやって学び続けるだろう。
だって、先生から「可能性は誰にもある」と気づかせてもらえたから。
よき映画でした。
メキシコの土地の様子はリアルだが、肝心の教室内容は少しガッカリ
評判の良さに惹かれて鑑賞したが、教員としては期待はずれであった。教師は大勢の生徒を相手にすることに大変さがある。特にこの映画のような地域ならば、問題を抱える生徒は何人もいるはず。それなのに、全編を通して主人公教師が関わっていることが描かれるのは3人の生徒のみ!(そのうちの1人が全米1位をとったという実在の優秀な子。)また、描かれる授業内容が目新しくないのにもガッカリ。等差数列の合計を直ぐ出せた生徒を天才の証拠のように描いたり、生徒を惑星に見立てて自転させたり、どこでもやっていることでは?冒頭で、主人公が生徒の興味を引こうと投げかけても、生徒はキョトンとするばかり、という場面こそがリアルで、そんなにすぐ浮力の理解ができる子ども達になるか?
ただ、乾いたメキシコの風景には目を奪われた。これは一見の価値がある。
太った校長先生がだんだん味方になってくれるのは微笑ましい。子守でまた学校に行けなくなったルピはどうなったのか気になる。
傑作
大感動作でした。子どもたちの学びたいという気持ちを何より重視する事ができれば子どもたちの本来持つ可能性を引き出すことができる、と。教育を受けたことがある人、教育をする人、とにかくすべての人に見てほしい傑作です。「コーダ」でも教師役が素晴らしかった主演俳優がこちらでも(タイプはまったく違いますが)素晴らしい教師を演じています。
一点、思ったことです。教室の中で哲学に興味をもった少女が、家庭の都合で子守をせざるをえなくなります。この少女には少なくとも作中では救いはありません。しかし、この少女を描くことは製作者のメッセージを伝える点で大変重要だったのだろうと思います。
つまり、作品の中では素晴らしい教育の機会を得た子どもたちが描かれますが、実際にはこの哲学を志した少女のように、学びたいと思いながら家庭の事情で学べずにいる子どもがたくさんいる、ということです。「なんで親は自分で子育てできないのに子どもを作るのか」と親を責めることは簡単です。しかし親は親で働かなければ、子どもという稼ぎ手をつくらなければいけないという事情もあるでしょう。その課題こを、国がしっかり解決すべきことです。それを作り手は訴えたかったのだろうと思います。
学びと成長の可能性と現実
「生徒から教えられた」と、きちんと言える先生が素晴らしい。
試験場での涙に貰い泣きしてしまった。
パーフェクトじゃなく、とても人間らしい先生。
だから余計に魅力的たった。
そんな素晴らしい先生の授業を私も受けてみたくなりました。
でも、こんなステキな先生に出会える子どもたちは一握りなんだろうな…。
やはり、産まれたばかりの妹弟の面倒をみるためや、貧困のために学校に通えなかったり、
犯罪に巻き込まれてしまったり、
全てが完璧なハッピーエンドではないところにリアルさを感じました。
いや、本当は、もっと、子どもたちにとって厳しく学び辛い現実なんだろうな…。
自分の恵まれていた子ども時代に感謝しつつ、
忘れていた学ぶことの大切さ楽しさを思い出していました。
子どもに関わる全ての大人に観て欲しい。
私自身、小学校時代の先生たちを一番覚えている。
1日、同じ先生と過ごすからだと思うけれど。
小学校6年間、通信簿の備考欄に、「授業中おしゃべりするのはやめましょう」と書かれる子どもだったので、先生にとっても面倒だったかも。
セルヒアみたいな先生に小学校時代に出会いたかったなー。
勉強は、本来面白いもの。
それを気づけるかどうかは、子ども自身の感受性にもよるが、親や教師などの周りの大人に負うところも大きい。
作中のギフテッドのパルマでさえ、背中を押すセルヒオや父親がいてこそ、その後の開花がある。
彼女にとってはクラスメイトのニコの存在も大きいだろうけれど。
大人が子どもへ伝えることは、「失敗してもいいよ」、「チャレンジすることに意味があるよ」、「どんどん自分を表現してみて」、「君たちには力があるよ」だ。
クラスで一番危ういニコでさえ、セルヒオにもらった言葉「生き方は自分で選ぶんだよ」に従って、最期自ら決断して命がけでパルマを守った。
驚くほど涙があふれた。
私、子育てをやりなおしたい…。
メキシコに比べれば、日本はとても恵まれた環境にある。
この映画、是非全国の小中学校で上映して欲しい。
教師にとっても、子どもにとっても、きっと何か得るものがある。
エンドロールを見て、実話に基づいているのか!と驚愕した。
なんてドラマテックなお話なの。
セルヒオに会いに、命がけでメキシコに行きたくなったよ。
ひとり旅で行くには少々ハードル高いけれど。
ラストのアインシュタインの言葉にクスリ。
「そう思うのは、あなたが天才だからだよ」とツッコミを入れました(*^^*)
自ら学ぶ姿勢を育むことの大切さを再認識できる
天才を育てるための特別な教育法を提示するような映画なのかと思ったが、主人公の教師が実践しているのは、自発的に「学びたい」と思わせるように子供達を導くことで、その至極真っ当な教育姿勢には納得できる一方で、何だか当たり前のこと過ぎて、やや肩透かしを食ってしまった。
ただ、主人公がスーパー・ティーチャーではなく、過去に失敗した経験を持つ普通の人間で、しかも、彼の型破りな教育法も、インターネットの動画サイトからヒントを得ているところなどには親近感が持てる。
最初はモブキャラと思われた校長も、主人公の一番の理解者として彼を支えるという重要な役割を担うようになり、思いがけず良い味を出している。
そんな主人公と校長が、ビールを飲みなから初めて心を通わせるシーンでは、「自分もあんな先生になりたい」と思えるような恩師がいるということが、万国共通の「教師になった理由」なのだということが分かって、思わずニヤリとしてしまった。
だが、この映画で最も心に突き刺さるのは、やはり、生徒達が置かれている過酷な環境で、学ぶことの楽しさや知識を得ることの喜びを知った子供達の生き生きとした表情が印象的なだけに、貧困のせいや治安の悪さのために学ぶことを断念せざるを得なくなる彼ら、彼女らの姿には、胸を締め付けられるような理不尽さを覚えた。
特に、不良グループから抜け出そうとする少年を待ち受ける運命は過酷で衝撃的だが、ここでも、主人公を立ち直らせようとする校長の友情にはジンと来たし、2人で少年のボートを海に押し出すシーンでは、思わず胸が熱くなった。
試験の結果、全国1位の成績を収めた天才少女に脚光が当てられるハッピーエンドは心地よいのだが、その一方で、哲学に対する興味が芽生えたにも関わらず家庭の事情で進学できなかった少女のその後や、車を売り払ってまでして手に入れたパソコンで主人公がやりたかったことなど、気になることもある。
また、ラストでは、卒業式で、多くの生徒が主人公のところにお礼にやってくるというエピソードを回収してもらいたかったと、少し残念に思ってしまった。
優等生だったが自分の頭で考えたことはなかった
いつもの映画館
気づかぬうちにポイントが貯まっていて
年末年始3連続ロハ 駐車場代半額400円だけ 嬉しい
会員更新時期に来ていたので当然更新したど
本作ストーリーの骨組み
起
・荒廃した学校
・やる気がない児童
・管理を強めようとする学校や教師
承
・型破りな教師がやってくる
・児童一人ひとりと向き合う
・さまざまな境遇や個性を把握して勇気づける
転
・いいところで壁が立ちはだかる
・悲しい出来事が起きてしまう
・型破りな教師がくじける
結
・型破りな教師が励まされて再起
・児童たちはそれぞれの生きがいを見つけて成長する
スパイス
※管理型だった教師が共感して味方になる(本作では校長)
※考えが変えられない同僚教師は一杯くらわされる
1970~80年代の日本の学園ドラマそのものではないか
・熱中時代
・ゆうひが丘の総理大臣
・ただいま放課後
・金八先生
大好きだ
自分は優等生だったが自分の頭で考えたことはなかった
議論することの大事さとか知識をシェアすることとか
その大事さを知ったのはつい最近のような気がする
などと振り返った
穴をふさいだ船を海に流すシーンが一番良かった
悲しいけど
最初の方の校長がドーナツを心配するところ
ばぁちゃんの車いすを押す少年のくだり
パソコンにこだわる理由
よく意味がわからなかった
それでもオラとしては満点の一作
今年のオラのベストテン入り 間違いなし
期待度○鑑賞後の満足度⭐ 何も言うことがない。予定調和的な処もあるが、それさえも美点に思える。人類の未来にとって一番大切なことを教えてくれる。ずっと泣いてました。
①今日は朝ドラ『お結び』の今週分を一気観して散々泣かされたので、情緒的に「泣き虫」の日だったにのかも知れないけれども…
②とっても当たり前でシンプル過ぎて見落としがちなこと、それは、子供たちに接する大人たちが忘れてはならないのは、一番大切なのは国でも組織でも自分たちでもなく、子供たちであること、子供たち一人一人が自分たちには可能性があると信じてもらうこと、それに尽きることを教えてくれる映画。
③何より生徒たちが学び知る喜びを知っていく過程が観ていて楽しく嬉しい。
④私も60数年生きて来ましたから現実は甘くないことは十二分に分かっております。
それでも夢を見させてくれるのは映画の大きな力ではないだろうか。
⑤(拳銃が入っている)リュックを渡すように言われたとき涙をが流すニコが痛ましい。涙受けを狙ったありドラマならばニコは何とか足を洗う事ができた方向に話を持っていっただろうが、本作では安易なヒューマニズムを
選ばない。
結局ニコはセルシオ先生と出逢う前にはためらいなく進んだ道をやむを得ず選ばざるを得なくなるが、その入り口で好きな女の子を守るために命を散らしてしまった悲劇に心が痛む。
ニコの兄さんもニコを守るために相討ちになって命を落としたと信じたい。
しかし、そこまでニコを変えたこと、ニコがボートを治し塗り治りパロマ号と名付けたことに、セルシオ先生の教えが決して無駄ではなかったことがせめての救いとなる。
出来ればニコとパロマを乗せて海に浮かぶはずだった筈のボートが波を越えて沖に消えていくところを俯瞰で描くショットは、花啓く前に散って行ったニコへの鎮魂歌か。
⑥実話を基にしていると云ってもあくまで劇映画であってドキュメンタリー映画ではないので、ニコのエピソードは作劇的に脚色されたものだと察するが、現実の人間の歴史・社会ではニコやルぺのような子供たちの存在の方が当たり前であってパロマの様なケースは極めて稀であるに違いない(だから映画化されたのだろうし)。
だが、パロマがセルシオという教師に出逢えた事が彼女にとっての僥倖というよりも、受け持った生徒の中にパロマという生徒がいた事がセルシオ先生にとって僥倖と云うべきなのかも知れない。
そう、あくまで焦点を当てられるべきは子供たちであり、大人たちにとっての教師は子供たちであるという不思議だけれども正鵠な事実のメタファーだと捉えるのは穿ちすぎであろうか。
果たせなかったニコの夢の分もパロマが引き継いだ事も静かな感動を呼ぶ。
⑦マルチェロ・マストロヤンニを地味にしたような(失礼かな?)セルシオ先生役の俳優さんが実に良い味を出している。
セルシオ先生が「小さなお願い」を言い出す前の表情が印象的な、いつの間にかセルシオ先生のペースに引き込まれていく校長先生も
ステレオタイプと云えばステレオタイプであるけれども、これまた本作の中で良きアクセントとなっている。
⑧舞台である街がロケット打ち上げセンターが望遠鏡で見えるほどアメリカ合衆国との国境に近いというところで、トランプの“メキシコとの国境の壁”の事が頭を過ったけれども、アメリカ合衆国側にも事情のあることで、此れは此れで現実なんだよなぁ…
音楽演出の妙。
新春1本目。
メキシコの貧困、犯罪と子供たちの未来実話を基に映画化。
「教えない」授業で先生と子供達が学ぶことに目覚めていくライド感がテンポ良かったですね。所々あるジョークと現実との緊張緩和のバランスも見ていて心地よかった。
間違いなく自分が好きで且つ秀作。だからこそ、唯一気になったのが後半の演出過多。具体的には、試験時の円陣を組むシーンなどはもう少しあっさりしても良かったのかな。
(本作、絵面は日本では考えられない地獄絵図(ゴミ、麻薬等)が終始続くのですが、テンポ展開に合わせて、和やかな音楽が流れます。「ここは安心して観られるシーン」「ここは子供が未来に向かっていくシーン」など言葉で説明なくても音楽が客側にそれを訴える。目立たないですが音楽演出にも気にかけて頂きたい、大満足の一作でした)
不意打ちの展開に思わず・・涙
2024年見納め作品になりましたがもっと口コミで広げたい作品
邦題が奥行がないのでたぶんタイトルでひっかかる人もいなさそうで残念
この登場人物、世界観でもっともっと見たくなる登場人物の描き方で
冒頭から最後まで感情を揺さぶられまくりました
先生や校長先生も人間として素晴らしいですが、子供たちも素晴らしい
それぞれの環境で学びに目覚めていく過程は見ていて思わず頑張れと応援したくなるし
生徒たちがそれぞれの学びを楽しむ姿は感動的でした
一方でその思いとはうらはらに厳しい現実に直面して、不本意な選択をせざるを得ない
子供たちの描き方には胸が張り裂けそうになりました
希望や夢すら持てなかったそれまでの人生だけでなく新しい生き方を選択できない子供たちがいること、現実がそう簡単に変えられないことがこの映画の肝ですね
エンタメ作品ならもっと希望のある展開も描くことができたのでしょうが
不意打ちの展開は・・・
自分と同じ絶望を子供に押し付ける親たち。メキシコにも真面目に前向きに考える人がいるんだと初めて知る。
子供の未来を信じることができない大人たちが腹立たしい。
少しの可能性も、寄ってたかって台無しにする。
どうせこの現実から逃れられないのだから、少しでも傷つけないようにと教え込む大人たち。
親から子に引き継がれるあきらめの気持ちが、その状況から抜け出せない連鎖を作る。
いかにも容姿端麗なパロマとニコのカップルより、弟たちを風呂に入れながら、疑問の答えを見つけたときの喜びを知ったルペの表情が素晴らしい。
貧しい家庭で、子供が子供の面倒を見るために学校にいけなくなるのに、なぜ子供を作るのか。
本当に疑問。
教育が無くて大人になると、そんなことも考えられないのか。
アメリカのアクション映画やドラマのせいで、メキシコは単なる犯罪国家で無法地帯としか思ってなかった。
(あと、コロンビアは麻薬犯罪密輸出国、のイメージしかない。)
真面目に前向きに考える人なんていないと思っていたので、こういう真面目な映画をどんどん作ってほしい。
Radical
革命的な授業、こういう授業を小学生の時に受けてたらどうなってたんだろうなーって観ながら思いました。
序盤からメキシコの現在の状況を少ないセリフとシーンで見せるのがお見事でした。
車椅子を押す少年はヤングケアラーだと思いますし、麻薬組織が蔓延っていたり、奴隷のように扱われてる人たちと一気に不穏な状況が映され、これがリアルなんだとも突きつけられるのも強烈でした。
ダメダメな教え子たちをエリート教師が立ち直らせていくという感じの構図だと思っていたのですが、子供たちの知識を伸ばす方向にシフトしていくというのが珍しく面白かったです。
学校のお堅い考えを全て変えていくとかではなく、ちょっとおかしいんじゃない?というところを楽しく開拓していくスタイルがとても好みでした。
ボートの推進力や密度などを小難しく説明するのではなく、生徒同士で考えて、人でも実践してみようというフアレス先生の考えが展開されるんですが嫌味なくストレートにこちらにも伝わってくるもんですから小学生の頃を思い出すようなワクワクした授業風景が繰り広げられて楽しかったです。
最初は嫌がっていた校長先生がめっちゃ協力してくれるのもとても良かったです。
パソコンがあったら子供たちは自分たちで学んでいくから導入してほしいという切り口はとても新鮮でした。
現代的に捉えればパソコンやスマホは中毒性のあるものだからむしろ離すべきという考えになってしまうんですが、そういう文化が根付いていない国や国民にとっては便利なもの一つがあれば価値観も変わるんだなとなって感心しっぱなしでした。
子供たちの状況も中々にヘビーなものが多く、貧困もあってゴミ捨て場に住む子もいれば、麻薬組織に勧誘されている子、母親が妊娠しており母親代わりに弟妹たちを育てるといった過酷な状況が提示されるのでグッときましたし、しっかりと育ててもらったんだなと改めて両親に感謝しなきゃだなと思いました。
麻薬組織がいるからこそ日常の身近に潜む"死"がショックを引き起こすというのも中々に辛く、フアレス先生が塞ぎ込んでしまうのも仕方ないと思うのですが、最初にこの学校に来た時の最初の信念を思い出して一念発起する流れ、テストをカンニングに頼らず真っ向勝負で挑む姿勢がもう素晴らしすぎて拍手喝采でした。
希望が微かに見えたラスト、それでも変わらない状況がいる子供たちがい続けているリアルもあるという考えさせられる作品にもなっていたので本当に凄かったです。
その後のキャリアで大成する子もいたりと、フアレス先生の努力と子供たちの努力が実っていったんだなと観ているこちらも嬉しくなりました。
鑑賞日 12/26
鑑賞時間 13:50〜16:00
座席 G-1
人生の舵は自分で取れ
スラムの広がるメキシコ北東部の街マタモロスに在る小学校に、セルヒオ・フアレス・コレア( エウヘニオ・デルベス )が後任教師として着任し、貧困等様々な家庭の事情を抱えた生徒達に学ぶ喜びを伝えるべく尽力する。
厳しい環境下で生きる彼らが、学びに目覚め瞳をキラキラと輝かせる姿が眩しい。
貧しい家庭で育ちながらも、数学が得意で宇宙に興味を持つパロマ( ジェニファー・トレホ )が実在の女性だとエンドロールで紹介され、驚きました。
『 学ぶ喜び 』の大切さを、改めて考えさせれられる作品。
映画館での鑑賞
【”生徒自身に自らの可能性を想像させる授業。”今作は、既成のカリキュラムに捉われず、子供の好奇心を刺激する授業により飛躍的に学力向上を実現させたメキシコ人教師の実話の実写化作品である。】
■2011年。米国国境に近いメキシコのマタモロスにあるホセ・ウルビナ・ロペス小学校が舞台。麻薬と暴力が蔓延る中、小学生たちは家の手伝いなどで、勉強に身が入らずに6年生の半数は卒業が難しい状態。
そこに、地元出身の元中学教師フアレス先生(ヘウエニオ・デルベス)が赴任して来る。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・フアレス先生は、赴任初日からラディカルな授業を繰り広げる。部屋の生徒の机は逆さまにおいてあり、自分の机は廊下に押し出す。
生徒は自由な場所に腰掛けて、この不思議な先生が何を言うのか興味深げに見ている。
ー 所謂、掴みはOKと言う奴である。
先生は”井戸に落ちたロバの話”をして、ロバのように土に埋もれずに這い上がれ!”とはっぱをかけ、更に生徒達に質問するのである。”君たち、23人が6つの救命ボートに同人数乗るには、どうしたら良い?”
生徒達は皆で話し合いながら、その問いを考えるうちに、物理や哲学などにまで思考を広げて行くのである。ー
■この映画では、当時のメキシコの教育を阻む社会問題が描かれている。
1.数学に秀でながら、父の廃品回収の手伝いをしなければいけないパロマ。それにしても彼女が、フアレス先生の”1から100まで足すと幾つになる?”という問いに、”5050”と答えるシーンは彼女の数学の強さを一発で示すシーンであり、フアレス先生が彼女の数学に秀でたる生徒である事を知ったシーンでもある。
2.兄と同じ犯罪組織に入るようにプレッシャーを掛けられ、ナップザックに勝手に銃を入れられ戸惑うニコ。だが、彼は密かにパロマが好きなんだよね。
それを、あと押しするフアレス先生も素敵である。
3.幼い姉弟の面倒を見ながら学校に通う、哲学に興味を持ったルペ。彼女は哲学書を読むために大学の図書館から本を沢山借りて来るのである。だが、子が生まれる母から学校を休学するように言われてしまう。
・フアレス先生は、生徒達に対し上から目線では接しない。故に生徒達は、フアレス先生の問いを自分達でドンドン”思考”して行き、比重に気付いて行くのである。
フアレス先生をサポートする太っちょ校長と、フアレス先生を水槽に沈め、生徒達が大喜びするシーンは、良かったなあ。
■要領の良いズルイ先生は、メキシコの全国共通テスト”ENLACE"の答案を何故か持っていて、生徒に事前に教えたり、教育委員会のお偉いさんは”パソコンを配布する・”と新聞記事にさせておいて、実際は配布しないというメキシコ教育界の不正も今作では描いているのである。
それに対し、敢然と抗議するフアレス先生。彼はズルイ先生から”ENLACE"の答案を渡されても、ごみ箱に捨ててしまう。
・だが、ある日パロマと下校途中だったニコの所にギャング達がやって来て、悲劇は起きてしまう。それ以来フアレス先生もカリキュラム通りに授業をしなかった事を咎められ、2週間の停職。それを知った生徒達も学校に来なくなる。
・校長が、フアレス先生を説得し何とか外に連れ出すシーン。彼らは浜辺に有った”パロマと書かれた小舟”を浜辺を引きずって、海に浮かべるのである。
ー 今作の中身を暗喩した象徴シーンだと思う。ー
<今作は、メキシコの貧困、犯罪、家族環境など学びには障害が山積みの中、生徒達に”自らの可能性を想像させる授業”を行う気概ある先生と、先生により学びの楽しさ、素晴らしさに目覚めていく生徒の姿を描いた作品なのである。>
知的好奇心こそが、私たちの最も偉大な業績を推進する燃料である。
ニコ!君の選択を私は否定できないよ。
そして君はもう、自由だ!
ほのかな初恋の情を小舟「パロマ号」に乗せて旅立つニコ君。
ああ、いま思い出しても泣けてくる・・・(T_T)
なんだよ~もう~。
いい映画じゃんかよー(ToT)グスッ
オッサンが明るいうちから目を充血させちゃったよ。
個人的に引っかかる上映作がここ1~2ヶ月ほど無く、そして仕事の合間も無く「あぁこのまま今年の映画鑑賞は終わりかな」なんて考えていたところの、本作の鑑賞だった。
ええ、締った締った!これは良作でした。映画COMの評点、RTの評点いずれも高く、事前に抱いた期待感は裏切られなかった!
*****
掲題にリチャード・ブランソンの名言を戴いてみた。
『型破りな教室』は邦題だが、フアレス先生の考える理念や教育の本質からすれば、現代的な教育流れの方が目的ズレの、それこそ型破りだということになるだろう。
その点、原題の"Radical"は、うまい。
気になったので僕の優秀な相方・チャットGPTさんに聞いてみた。
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「radical」には、さまざまな意味がありますが、文脈によって異なります。主な意味は以下の通りです:
1. 基本的な・根本的な
物事の根本や基本に関わるものを指します。
例: "a radical change"(根本的な変化)
2. 急進的な・過激な
社会や政治的な考え方、行動が従来の枠を超えるほど革新的・急進的なことを意味します。
例: "radical politics"(急進的な政治)
3. 素晴らしい・かっこいい(俗語的な意味)
主に英語圏(特にアメリカ)で使われるスラングとして、「とても良い」「すごい」という意味があります。
例: "That skateboarding trick was radical!"(そのスケボーの技、すごい!)
4. (数学・科学)根号・基底
数学では「√」(ルート、根号)や、化学では分子のラジカル(基)を指します。
例: "radical expression"(根号を含む式)
5. 漢字の部首(英語学習時の意味)
日本語の漢字学習では、「部首」を英語で「radical」と表現します。
例: "The radical of this kanji is '木'."(この漢字の部首は「木」です。)
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おお~。まるでこの映画の内容そのもの。
⑤なんてとてもイイ感じではないか。
ジャパニーズ解釈でこじつければ、本作内容を現す部首はニンベンに違いない。
ニッポンの現代教育にもグサグサ刺さるであろう今作。そのメッセージ、その心の一文字はきっと「仁」ではなかろうか。
人口減少に向かい、更に複雑化するイデオロギー社会のなかでの教育。
常日頃より私は「仁力」が鍵になると信じている。
2024みんなに見てもらいたい映画で賞・ベスト1をあげたいのだ。
興味ある分野を伸ばすことと、基礎学習を均一化することの境界線はどこにある?
2024.12.24 字幕 アップリンク京都
2023年のメキシコ映画(125分、PG12)
原作はジョシュア・デイヴィスの記事『A Radical Way od Unleashing a Generation of Geniuses(2013年)』
2011年に実際に起こった小学校における革新的な授業を追った社会派ヒューマンドラマ
監督&脚本はクリストファー・ザラ
原題の『Radical』は、「革新的な」「基礎的な」という意味
物語の舞台は、2011年のスペイン北部の国境地帯にあるマタモロス
そこには「罰の学校」と呼ばれるホセ・ウルビナ・ロペス小学校があった
麻薬戦争の紛争地帯で治安は最悪な地域、そこに通う子どもたちは卒業できずに中途退学になるものが多かった
そんな小学校にセルヒオ・フアレス(エウヘニオ・デルベス)が赴任してきた
彼は職員会議をガン無視して授業の準備に取り掛かっていて、それは全ての机椅子を端に寄せて、大きめの机を救命ボートに見立てるというものだった
生徒たちは困惑するものの、セルヒオは構わずに「ボートは6台、君たちは23人だ。どうする?」と問いかけた
そこに校長のチュチョ(ダニエル・ハダット)がやってきて、セルヒオは「彼も助けなければ」という
すると、生徒の一人が「ボートが沈む」と言い出した
そこでセルヒオは、「なぜボートが沈むと思ったのか?」問いかけた
映画は、身近に接しているものや経験則からわかる感覚を学問に落とし込むという方法で、救命ボートの件は「物理学」の範疇になる
ボートがどうやって浮くのかとか、物質の質量や密度の求め方を学んでいく中で、考察から方式を紐解いていく流れになっていた
主要な生徒として、宇宙物理学を習いたいパロマ(ジェニファー・トレホ)、弟妹の世話に明け暮れる哲学好きのルペ(ミア・フェルナンダ・ソリス)、兄チェぺ(Victor Estrada)からアウトローの誘いを受けているニコ(ダニーロ・グアルディオラ)たちが描かれていく
パロマにはモデルの女性がいて、「次世代のスティーブ・ジョブス」と言われるほどの秀才で、そんな彼女も家庭環境から勉学の道を諦めざるを得なかった
映画では、子どもが持つ重要な武器は「可能性」と言い、それを阻むのは「自分自身」だとも言う
家庭に理解を得られない子どもがいて、パロマは父(Gilberto Barraza)が理解を示したが、ルペの方は退学を余儀なくされている
だが、末っ子を背負ってどこかに行こうとする彼女を見ると、そのまま図書館で独学で勉強を始めるのではないかと思わせる
環境が確かに阻害するとは思うものの、その気になればどこでも学べると言う意味を含んでいるのだろう
だが、本作はそれだけでは終わらず、冒頭から登場する「車椅子を押す少年(Kaarlo Isaac)」がクローズアップされている
彼は幾度となく小学校の金網のところで中の様子を伺っているのだが、セルヒオの力が学外には及ばないことを示唆していた
この街には「通いたくても通えない」と言う子どもたちが一定数いて、全ての子どもたちに「機会」を与えられてはいない
小学校が無償なのに通えないのはなぜか
これがマタモロスの隠れた問題になっていて、次の課題になっているのだろうと感じた
いずれにせよ、このような教育法はあることにはあるが実践できる場所は限られていると思う
教育委員長(Enoc Leañno)がいう「基礎的なものが欠けている」と言うことも一理あり、基礎学習の理解度を測る上でのテストには意味があると思う
だが、その教育方法をどの時点まで続けるべきかには諸説あり、大学入試まで行う必要があるのかはわからない
勉強に対して「課せられた労働」と思う子どももいれば、「探究心を満たす知的活動」と捉える子どももいるわけで、そのあたりの線引きは難しいのだと思う
セルヒオの学習方法は「勉強を好きになる」と言うファーストステップだと思うので、彼の言うとおり「パソコンがあれば子どもは勝手に学び出す」と思うので、きっかけを与える授業としては有効なのかな、と感じた
クリスマスには重かったかな
10数年前のメキシコの話ではあるが、100年以上前の日本もこんなもんか?学校行くより勉強より仕事、家事手伝い、親兄弟の面倒。学べる時は学びたくなく、学べない時は学びたい。
型破りというか、詰め込み型ではなく自分で考えて学ぶ指導方。自分で考えるって後になってからも忘れないし、壁にぶつかった時も柔軟な気がします。
しかし、ニコに課した問題は子供には、あの環境下では正しい方を選択するのは難しいだろう。
フラグ立っていたけど、何とかなるかなって思ったけど、現実はこうなるよなぁ。
全21件中、1~20件目を表示