「興味ある分野を伸ばすことと、基礎学習を均一化することの境界線はどこにある?」型破りな教室 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
興味ある分野を伸ばすことと、基礎学習を均一化することの境界線はどこにある?
2024.12.24 字幕 アップリンク京都
2023年のメキシコ映画(125分、PG12)
原作はジョシュア・デイヴィスの記事『A Radical Way od Unleashing a Generation of Geniuses(2013年)』
2011年に実際に起こった小学校における革新的な授業を追った社会派ヒューマンドラマ
監督&脚本はクリストファー・ザラ
原題の『Radical』は、「革新的な」「基礎的な」という意味
物語の舞台は、2011年のスペイン北部の国境地帯にあるマタモロス
そこには「罰の学校」と呼ばれるホセ・ウルビナ・ロペス小学校があった
麻薬戦争の紛争地帯で治安は最悪な地域、そこに通う子どもたちは卒業できずに中途退学になるものが多かった
そんな小学校にセルヒオ・フアレス(エウヘニオ・デルベス)が赴任してきた
彼は職員会議をガン無視して授業の準備に取り掛かっていて、それは全ての机椅子を端に寄せて、大きめの机を救命ボートに見立てるというものだった
生徒たちは困惑するものの、セルヒオは構わずに「ボートは6台、君たちは23人だ。どうする?」と問いかけた
そこに校長のチュチョ(ダニエル・ハダット)がやってきて、セルヒオは「彼も助けなければ」という
すると、生徒の一人が「ボートが沈む」と言い出した
そこでセルヒオは、「なぜボートが沈むと思ったのか?」問いかけた
映画は、身近に接しているものや経験則からわかる感覚を学問に落とし込むという方法で、救命ボートの件は「物理学」の範疇になる
ボートがどうやって浮くのかとか、物質の質量や密度の求め方を学んでいく中で、考察から方式を紐解いていく流れになっていた
主要な生徒として、宇宙物理学を習いたいパロマ(ジェニファー・トレホ)、弟妹の世話に明け暮れる哲学好きのルペ(ミア・フェルナンダ・ソリス)、兄チェぺ(Victor Estrada)からアウトローの誘いを受けているニコ(ダニーロ・グアルディオラ)たちが描かれていく
パロマにはモデルの女性がいて、「次世代のスティーブ・ジョブス」と言われるほどの秀才で、そんな彼女も家庭環境から勉学の道を諦めざるを得なかった
映画では、子どもが持つ重要な武器は「可能性」と言い、それを阻むのは「自分自身」だとも言う
家庭に理解を得られない子どもがいて、パロマは父(Gilberto Barraza)が理解を示したが、ルペの方は退学を余儀なくされている
だが、末っ子を背負ってどこかに行こうとする彼女を見ると、そのまま図書館で独学で勉強を始めるのではないかと思わせる
環境が確かに阻害するとは思うものの、その気になればどこでも学べると言う意味を含んでいるのだろう
だが、本作はそれだけでは終わらず、冒頭から登場する「車椅子を押す少年(Kaarlo Isaac)」がクローズアップされている
彼は幾度となく小学校の金網のところで中の様子を伺っているのだが、セルヒオの力が学外には及ばないことを示唆していた
この街には「通いたくても通えない」と言う子どもたちが一定数いて、全ての子どもたちに「機会」を与えられてはいない
小学校が無償なのに通えないのはなぜか
これがマタモロスの隠れた問題になっていて、次の課題になっているのだろうと感じた
いずれにせよ、このような教育法はあることにはあるが実践できる場所は限られていると思う
教育委員長(Enoc Leañno)がいう「基礎的なものが欠けている」と言うことも一理あり、基礎学習の理解度を測る上でのテストには意味があると思う
だが、その教育方法をどの時点まで続けるべきかには諸説あり、大学入試まで行う必要があるのかはわからない
勉強に対して「課せられた労働」と思う子どももいれば、「探究心を満たす知的活動」と捉える子どももいるわけで、そのあたりの線引きは難しいのだと思う
セルヒオの学習方法は「勉強を好きになる」と言うファーストステップだと思うので、彼の言うとおり「パソコンがあれば子どもは勝手に学び出す」と思うので、きっかけを与える授業としては有効なのかな、と感じた