「背景で飛び交う専門用語を、解説なしで理解できる人向けのリアルドキュメンタリー」その鼓動に耳をあてよ Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
背景で飛び交う専門用語を、解説なしで理解できる人向けのリアルドキュメンタリー
2024.2.22 京都シネマ
2024年の日本映画(95分、G)
名古屋にある掖済会病院のERの日常を描くドキュメンタリー映画
監督は足立拓朗
編集は高見順
物語の舞台は、名古屋にある掖済会病院の救急外来(ER)
そこでは病院設立以来掲げられている「断らない救急」をモットーに、現在では150名ほどのスタッフで年間10000台の救急車の対応に明け暮れていた
映画は、ERの救急医・蜂矢康二医師、ERセンター長の北川喜己医師、研修医の櫻木佑医師を中心に、そこで働いているスタッフたちの日常を追っていく
自殺者が助からないというエピソードの後に「肺癌の人が肺炎で亡くなるのと、精神疾患で自殺をする人とを区別しない」という言葉があり、「病気がなければこのようなことをしなかったかもしれない」と考え、死のうとする人ですらも助けようとしていく
社会貢献をしている実感、いろんな症例を目の当たりにできることなどをやりがいに感じ、笑顔を絶やさずに勤務に励んでいる姿が映し出されていく
ERから笑顔が消えるのは、病院がバックアップできない時で、いわゆる満床状態で受け入れが困難になっている時である
断る理由ができて喜ぶ現場ではなく、いかなる命をも助けたいと考えているから、助けられなかったことを悔やんだりもしてしまう
個人的には、ERまで行かない複数の二次救急で働いているので、病院のキャパシティにおける様々な体制を知っている
掖済会に近い「断らない救急」を目指している病院は多忙を極め、時には3台同時に搬入などという事態にも見舞われる
かつては赤電話と呼ばれた救急専用ホットラインがあって、掖済会のようにひとつだけ毛色の違う呼び出し音が鳴るのだが、コロナ禍を機に京都市消防局では、各救急隊がPHSを携帯し、救急隊本部を介さずに救急病院への搬送交渉を行なっている
その受け手として働いているのだが、要請の電話が被る時があり、これまでの赤電話だと話中になっていたものが、今ではキャッチホンのような感じで割り込んで来たりする
それでも何とか話を聞いて現場の判断を仰ぐのだが、答えはほぼ決まっているので、応需の際から「どのような治療を始めるか」という前提で情報を聞くという流れになっている
いかにして患者の状況を現場にイメージさせるかが仕事になっていて、単に右から左に言葉を伝えるだけでは成り立たなかったりする
このような職場にいるためか、この映画の戦場はとてもリアルに感じられていて、目の前で生死の境界線があっても、誰もが平然としているところに歴戦の経験値というものが感じられる
この撮影は相当邪魔だったろうなあと思いながらも、飾ることができない現場を伝えるという意味では有意地な撮影だったと思った
映画では、救急医と専門医のランクみたいな話が出てくるのだが、これもどの病院でも実際に起こってくる話で、面倒なところだと院長の大学の学派とそうでないところのパワーバランスがあったりする
また、外来と病棟の看護師間のパワーバランスというものがあって、仕事を増やしたくない病棟が小言を言うとか、病棟の仕事を外来に押し付けて、そのために外来から入院に上がるまでに時間がかかる病院もあったりする
この辺りは、体制とキャパが救急外来にも浸透しているので、無理なことはしない傾向があって、映画で描かれている以上に救急病院の闇は多い
正直なところ、上に立つ人に救急科出身がいないと言うのが一番の問題で、トップダウンで病院のカラーが決まるとは言え、現場にいなかった上役が「救急を断るな」と言っても説得力がなかったりする
このような現場を見てくると、センター長が院長になれたことで、さらなる救急病院へと進化していくようにも思えた
いずれにせよ、ドキュメンタリーとしてのテーマの投げかけとしてはそこまで深くないのだが、現場を知ってもらうと言うことは1番の薬なのかもしれない
救急病院にとってのコロナ禍を捉え切れているとは言えないものの、そこに主軸を置いても中身はあまり変わらない
社会的な問題が凝縮して人の病として表現されている場所でもあり、ニュースにはならないリアルがあの場所にはある
「患者が救急だと思ったら、それは救急だ」という院長の言葉があるように、実際に診てみないとわからない部分も多い
だが、その判断基準がかなり下がっていて、ほぼコンビニ化しているところも疲弊に繋がっているので、抜本的なことを考えるならば、報酬と負担が伴うことが最優先なのかなとも感じた