劇場公開日 2024年2月9日

瞳をとじてのレビュー・感想・評価

全88件中、21~40件目を表示

4.0劇中劇との重なり

Mさん
2024年3月11日
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最初、劇中劇であることがわからず、筋を理解できてなかったのですが、見ているうちにわかってきてよかったです。

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M

3.5映画の素晴らしさをあらためて実感!

2024年3月9日
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鑑賞方法:映画館

冒頭からグイグイ作品の世界に引き込まれていきました。
序盤は少々冗長とも感じましたが、
中盤以降は本当に見逃せない展開になっていき
ラストまであっという間でした。

ワンシーンごとの見せ方が素晴らしく
逐一余韻があってさすがだなと思いました。

私としては、『ミツバチのささやき』のアナ役で
主役だったアナ・トレントが、
アナという名前のキャラクターで重要な役で登場するのも
グッときました。

それからエリセ監督ならではだと思うのが、
女性のアップシーンが美しいということですね。
ポスターの宣材になっていますが、
劇中も素晴らしかったです。
女性のみならず、犬の表情もバツグンでした。

本作はラストが素晴らしい。
映画って本当に奇跡を起こせると思いましたし、
冒頭とラストの繋ぎ方も絶妙でした。
このラストのための約3時間だったと思うと
すごく納得しましたし、この尺で丁寧に描いていたから
こそ、ラストの感動もひとしおだったと思います。

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ひでちゃぴん

1.0早くも年ワースト候補。

2024年3月9日
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何とツマラナイ物語だろう。
伝説の巨匠が久々に撮るという触れ込みの高級感のみ。
筋に無理アリ且つ凡庸、
キャラは全員立たず、
説明台詞が延々ゆえ字幕を読まされっ放しの3時間。
なんじゃこりゃ。
本作の何処を如何に広告すべくのこのポスターか?詐欺だ。
早くも年ワースト候補。

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きねまっきい

4.0映画の缶詰

2024年3月9日
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鑑賞方法:映画館

この監督の人生のすべてを映画にしたような大作でした

まず冒頭の劇中劇に引き込まれた
予告を見ていたので
この人が失踪するのか…と思いながら観てるのだけど
あたかもベトナムに依頼者の娘を探しに行ったままなのかと錯覚する自分
丁寧な撮影制作にも物語の進行にもたっぷり時間をかけてくれているように感じる、それが贅沢な観劇の時間を作ってくれる
各所に映画愛を感じる
久々に「鑑賞」と言えるフィルム
ストーリー自体はそんなに絶賛できないけど(記憶喪失?とか笑)
懐かしい人との再会とか
海辺のトレーラーハウスの暮らしとか
同世代のあたしには人生観に響く

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mamagamasako2

4.0〝 最高傑作は1本の作品では無く私の人生である 〟

2024年3月9日
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☆☆☆★★★(1回目)

☆☆☆☆(2回目)

〝 最高傑作は1本の作品では無く私の人生である 〟

2回目を鑑賞して来ました。
前回のレビューの下に、2回目で補足したレビューを追記しておきます。

以前、小津安二郎作品を巡るシンポジウムに出席したエリセは、小津の『晩春』での終盤にて。笠智衆と原節子が旅先で隣り合わせの布団で寝る場面で、ワンカットだけ映る壺?花瓶?(近いうちに確認します)を、《近親相姦》のモチーフなのかな?…と感じたらしい。

日本人にはなかなか思いつかない感情だとは思うのだけれど。おそらく西洋人には、その様な思いを意識しながら観ている人が居るらしい…と言うのを、その意見を(文章にて書き起こされていたので)読んで、「嗚呼、外国の人にはそう映るんだ!」…と、感じたのを覚えていました。

日本人には思いつかない…とは記したものの。当の本人である小津安二郎が、どうゆう意図でその場面を演出していたのか?は。当然ながら、小津本人にしか分からない。
それは確かに、《父親》と《嫁入り前の娘》との間に起こる〝 ささやかな確執 〟とゆうのは、晩年の小津作品に於ける重大なテーマでもあっただけに。

おそらく、小津本人は。あくまでも【父親】側の立場から。〝 悲しさを押し殺しながらも、嫁いで行く娘を笑顔で送り出す 〟その姿を、晩年は突き詰めて描いたのだと理解している。

そこを踏まえてでは有りますが。エリセはどうなのか?と、遂に31年もの年月を費やして公開された本作品と(まさかエリセの新作が観られるとは、、、と思いながら)対峙したのでした。

正直に言って、「いや〜!これは言語化が非常に困難な作品だなあ〜」と言うのが本音です。
鑑賞後から数日経ってしまったのですが、全然自分の中で消化し切れて無いのです。

…と、言う訳で。小津を引き合いに出して、エリセの過去の作品から(足りない知能をフル回転させて)読み取ろう…と思ったのです。

小津が《父親の立場》から描いていた父と娘との関係。
思えばエリセは、『ミツバチのささやき』と『エル・スール』では。《少女の立場》から〝 父親の過去 〟を知ろうと(又は、何となく理解する)する姿を描いて来た人。

『ミツバチ…』で「いい匂い!」と呟きながら、アナが嗅いだ毒キノコ(独裁者)を。怒りを込めて踏み潰した父親。
ご存知の様に。この場面では、スペイン内戦で受けた父親の心の傷跡に。心ならずもアナが入り込んでしまった(その様な意味で描いている)為に。幼いアナにすら、父親は思わず怒りを露わにしてしまったのでした。
だからこそアナの胸の中で、その時の父親の怒りを受け止め切れず、その後にアナは〝 或る秘密 〟を持つに至ります。

そんな【秘密】は、次作の『エル・スール』では。『ミツバチ…』の時の少女では無く、女の子へと年齢が上がり。主人公のエストレーリヤは、ベッドの下に隠れ《父親の秘密》と対決します。
『エル・スール』では、エリセが描く《父親と娘との確執》は更に深く・鋭くなって行くのです。

『ミツバチ…』『エル・スール』共に、父親と母親の間には、(ハッキリとは提示されないものの)大きな溝が存在します。
『エル・スール』で、父親が映画館でイレーネ・リオスの映画を観て、興奮のあまりカフェで手紙をしたためている時に。窓越しでその姿を見つめるエストレーリヤ。
その時はまだ少女の面影を残す女の子でした。

「イレーネ・リオスって誰?」

そう母親に聞いた後に、父親と母親は激しくなじりあいをします。
どうやら、聞いてはいけない事を母親に話してしまったエストレーリヤ。
自分の責任を強く感じた為に、その後ベッドに隠れては父親との《沈黙の対決》へと至ります。
この時のエストレーリヤには、もう少女の面影は無くなっているのです。

やがて時は流れ、初聖体拝受の時に父親とダンスを踊ったあの場所・あの調べ。

「覚えてる?」

そう聞いて来た父親。
この時のエストレーリヤにとって、最早父親は疎ましい存在になっていました。
女の子は《女》になろうとしていたのです。

新作の『瞳をとじて』では、中盤に至るまでその様な《父親と娘》との関係性は、あまり描かれずに進んで行きます。
いや!寧ろ、一見してダラダラとした。失踪した俳優を探す元映画監督の姿を延々と描いて行きます。
画面を見つめながら、この長い長い時間を掛けた映像で、エリセが描いた或る作品に想いを馳せる事となるのです。

『マルメロの陽光』

『マルメロ…』は、完璧主義を貫く画家の姿を淡々と描く作品でした。
実りを蓄えた果実は日々大きく変化をして行く為に、その変化で毎日果実に当たる陽の光は変わって行く。
今描いている様子は昨日とは違っている。
そんな日々を繰り返した行く末に待っているのは。熟れすぎた果実が自らの重みに耐えかね、地面へと落ち、遂には朽ち果てて行く姿でした。

公開当時この作品が私には、エリセ自身の映画製作に於ける困難な状況と苦悩を吐露している様に見えたのです。
映画製作に於ける現場や状況は日々変化して行く。「こうゆう内容で、この様に描きたい!」と思っても、あれこれと口に出して来る人や資金面等で、なかなか自分の撮りたい映画がどうしても撮れない苦しさを。
(あくまでも個人的な感想としてですが)

『瞳をとじて』の主人公の元映画監督には、未完に終わった『別れのまなざし』とゆう作品が有りました。

息子を事故で亡くし、自身で撮ったものの未完に終わってしまった作品に対する悔恨。
更には、主演俳優フリオの失踪。

そのフリオの存在を追い掛けるドキュメンタリーを通して、主人公のミゲルは。自身の未完に終わった作品に〝 ある種のケジメ 〟をつけ様と思ったのか奔走します。
失踪したフリオと、その娘のアナを対面させる事で、自身の悔恨・胸のつかえを少しでも取り除こうとしたかの様に、、、

ここまで書いて、エリセの心の中での、31年とゆう年月の長さゆえの変化に気付いてきます。

小津が《父親側》から娘への心情を、描き続けたのに対して。エリセは《少女であり女の子》の立場から《父親への想い・接し方》を描いて来た人との感覚を、それまで抱いていたからに他なりません。
しかも、目の前のスクリーンで展開される、終盤からクライマックスへと至る物語には。父親でも女の子でも、ましてや少女でも無く。失踪した父親とアナとの間に存在する《溝》を、第3者の立場であるミゲルから描いているのです。

「わたしはアナよ!」

或る怪物に接し、当初は怯える様子だったのですが。秘密を共有する事で怖さは次第に消えていった〝 あの時 〟のアナ。

幼い頃にはダウジング等を通じた魔法で、父親に向けていた眼差しも。次第に父親の秘密が露わになるに連れ、その姿がさもしいモノに見えて来てしまったエストレーリヤ。

そして…

記憶を無くしてしまった父親に対して、〝 あの時のアナ 〟とは逆の立場で、今、父親と対面する中年の女性となった数十年後のアナ。
やがて、静かに瞳をとじるアナ。
美しいフェードアウトがアナに被さる。

その2人が、今、見つめているのは。立場を変え、過去に未完の作品として世に出せなかったフイルムの中で描かれていた《悲しみの王》の一編。
息も絶え絶えな父親が、長年に渡って望んでいた娘との再会がそこには描かれていた。

「私の名前はチャオ・シュー!」

父親の本当の望みを知ったチャオ・シュー。
今まさに父親の最期に立ち会ったチャオ・シューは、静かに瞳をとじる。

そして…フリオも…

この未完に終わった作品にはエリセの過去の作品との関連性を。
そして監督のミゲルこそは、エリセが自身を投影させた人物像なのだろう?と言うのは、多くの人が感じるところだと思う。
『瞳をとじて』本編のファーストシーンとラストシーンには、1つの石像の表と裏に異なる顔が彫られた石像がスクリーンに映る。
その表裏一体の石像にこそ、エリセ自身が。過去の自分と(おそらくは)今後の人生を締めくくりに至る自分とを端的に表現しているのでは?…と、自分の浅はかな知識と、無い知恵を絞り出して思い浮かべるのです。

※ 思えば小津安二郎は、同じ題材・名前・状況等を。様々な俳優達であり、台詞や小道具で、その時々の状況に応じて巧みに描き続けた巨匠でした。
今や伝説の巨匠と言われているエリセも、小津と同様に。同じモチーフを駆使しては、その時に描いている人物の年齢に応じ。本当に執拗に同じ事を繰り返していると言えるのではないか?と思えるのです。

※ 最後は強引に小津を引き合いに出して纏めています。
それくらい強引なレビューにしないと、知識の乏しい私には言語化が難しい作品でした。近いうちに2回目を鑑賞し、再度この作品に向き合っていこうとは思っています。
その時には、しれっとしつつ。ガラッと180度全然違うレビューになっているかも知れない事を、予めご了承下さい。

追記

・映画本編で何度も繰り返されるフェードイン/フェードアウト。
こんな美しい編集が今時観られるのには感動しました。

・夜行バスで移動している際の(多分、ドローン撮影だとは思うのだけれど。)空撮場面。
エリセ作品でまさかの空撮?…って想いも有るのだけれど?その美しさたるや。
あんなに美しい空撮は久しぶりに観たかも!
『みかんの丘』のラストシーン以来かもなあ〜

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↓ 以下は2回目を鑑賞しての追記になります。

1️⃣ご存知の様に、映画は全編で169分の長さがあります。
失踪した親友の謎を、テレビ番組の依頼で出演し。周辺の人達と連絡を取り合い、様々な事を話し合う。

ここまでがおおよそ50〜から60分前後だっただろうか。

2️⃣古本市で自身のサイン本を見つけ、親友と取り合いになった女性と再会を果たす。
彼女の歌声から最高に美しいフェードアウト。

このエピソードがおおよそ20分くらい有っただろうか。

3️⃣現在の寝ぐらに戻り、気の合う仲間との日々。
そして番組が放送される。

このエピソードもおおよそ20分くらいだっただろうか。

4️⃣残りの60分強は、施設に居る初老の男が本当に親友なのか?
彼は、その【真意】に確信を持つのだが。記憶を無くした彼に、その想いは届かない。
それゆえ、彼はマックスが否定するも〝 奇跡 〟を願う。

失われた長い年月。
エリセは本作を撮るまでに31年とゆう年月を費やした。

《居場所を探し続けた元親友の2人》

そんな元親友同士の2人の間には、22年とゆう溝が存在していた。

本編を観た人の多くが、元映画監督のミゲルを、エリセ本人の姿との想いを馳せる。設定等を見ても間違いないところだと思う。

空白の31年。

元映画監督のミゲルは現在、僅かな映画関連の翻訳で収入を得ていた。
そんな翻訳場面で、或る映画監督の文章が、彼のパソコンの画面に映る。

〝 最高傑作は1本の作品では無く私の人生である 〟

観た人の1人1人で、色々の意見は違って来るのだろう…とは思うのだが。(私が)映画を観た限りに於いて。少なくともエリセ本人の中では、空白の期間とゆうのは無かったのではないか?…と、思えてならないのです。

2️⃣と3️⃣は、確かに必要とも思えないのだが。まるで、「恋をし、仲間達と楽しい会話をして、少しばかりの仕事をこなしていれば、特に問題は無いよ!」…とばかりに、世界に向けてエリセが宣言しているかの様に見受けられたのです。
そう思うくらいにロラの歌声は美しく、仲間と歌い合う ♬「ライフルと愛馬 」 は、こちらの胸を熱くさせてくれました。

確かに報われない時期は誰にでも起こり得るのかも知れない。それでも《人生》って奴は、それ程悪いばかりではないんだよ!…と教えてくれる、見事な人生讃歌だった。

2024年2月16日 TOHOシネマズシャンテ/シネ3

2024年2月23日 TOHOシネマズシャンテ/シネ3人

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松井の天井直撃ホームラン

3.5監督は映画に突き動かされて映画を撮るのか?

2024年3月5日
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31年ぶりって凄い。
新作みれるとは思わなかった。

面白かったんだけど、話が田舎から街になって少し魔法を失ったような気がする。
でも映画愛は健在で、未完の冒険物の出演者を探す話です。なんか記憶を無くした役者は映画を撮らなくなった監督とだぶる感じだった。

エリセ監督がまた映画撮りたいなと思ったきっかけ何だったんだろう?気になるなぁ。

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masayasama

3.0美しい映像に脚本だったけど全体を通してこの監督の映画人生ありき。人...

2024年3月5日
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鑑賞方法:映画館

美しい映像に脚本だったけど全体を通してこの監督の映画人生ありき。人に向けるための作品としては終ってる。劇中の公開されずに終わった映画はこの映画自体を指したいのかもしれない

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たな

1.5残念だった。ひどいものだった。冗長で感傷的で過去の自分に酔っていて...

2024年3月2日
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鑑賞方法:映画館

残念だった。ひどいものだった。冗長で感傷的で過去の自分に酔っていて。やはりビクトル・エリセは「ミツバチのささやき」で終わっていた。同時代の人でないし、佳作故にわからなかったけれど。
アナに「私はアナよ」と2度も言わせた時点で、この映画は終わった。残念。

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kazuyuki chatani

4.0瞳を閉じて記憶を巡る

2024年2月27日
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鑑賞方法:映画館

知的

難しい

ビクトル・エリセ監督の何と31年ぶりの長編作品。
映画は31年で劇的な変化をした。
もちろんフィルムからデジタルに移行したことは大きな変化だ。
ビクトル・エリセ監督の新作はその変化を問うような「映画についての映画」だった。
冒頭、ある映画のワンシーンから始まる。タイトルは「別れのまなざし」
そしてこの映画は撮影の途中に主演男優フリオ(ホセ・コロナド)が失踪してしまい未完成のままだ。
映画はこの映画の監督であるミゲル(マノロ・ソロ)が22年後のフリオを探す旅についての話が綴られる。
映画は記録でもあり、製作に携わった人たち、観た人たちの記憶でもある。
失踪したフリオの娘という重要な役でエリせ監督が1973年に撮った「ミツバチのささやき」で少女役であったアナ・トレントが演じている。
観客は否応なく少女と50年後の女性を重ね合わせ記憶を辿る。
50年前の映画、映画内の映画、映画内映画で失踪した俳優を探す映画、50年前の映画で少女だった女性が今演じている映画、そして未完成の映画のその後・・
もはやこの映画を見ている自分と映画で描かれている事の境目が曖昧になり記憶が錯綜する。
終盤、再会したが記憶を喪失してしまっていたフリオ、娘のアナ、監督のミゲル、そしてこの映画の観客は映画内の映画館のスクリーンで未完の映画と対峙する。
そして、そこではどんな記憶が想起されるのか・・
答えは出るのか出ないのか、映画の演者も監督も観客も瞳を閉じて記憶を辿る。

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kozuka

4.0名前に意味が?

2024年2月25日
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本作を見る前に『ミツバチのささやき』や『エル・スール』をちゃんと見直さなかったことが悔やまれる…そんな無知な自分を思い悔しくなる作品だった。強く意識させられる。劇中劇と巡るヒューマンミステリーの旅の中で役者が他者を演じること、子供からいずれ大人となり歳を重ねること。作家とはその生涯(キャリア)をかけて同じ題材(テーマ)を描き続けるものである、という説をビクトル・エリセはこの自身の集大成的な作品できっと私たちの多くが思う以上に表現している。作中至るところに実に様々な種をまきながら。思ったより後悔。大丈夫、瞳をとじればいつでも会えるから。

"悲しみの王"
P.S. 本編冒頭の企業ロゴが多すぎる

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とぽとぽ

4.0心の奥深くに染みてくる作品

2024年2月25日
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鑑賞方法:映画館

派手さはないけども、
ジワジワとフツフツと感動が後追いしてくる。
ちょっと不思議な感覚。
監督の映画の魔法かな...。

俳優たちの表情の捉え方が印象に残りました。
友情、絆、大切なものが心の奥深くに染みてくる作品。

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hkr21

2.5淡々としたストーリー

2024年2月24日
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悲しい

難しい

寝られる

淡々とストーリーが進む。静かな雰囲気の映画が好きな人にはおすすめ。自分はあまり面白くなかった。

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たくわん

4.5大人たちのニュー・シネマ・パラダイス

2024年2月24日
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鑑賞方法:映画館

スペインの巨匠ビクトル・エリセが31年ぶりにメガホンをとったことで話題になっている作品。
映画を愛している人なら
絶対に好きと思える作品です。
『大人たちの「ニュー・シネマ・パラダイス」』
私はそんな印象を受けました。

169分の長い上映時間、
導入部分はちょっとわかりにくいこともあって眠くなりがちですが、
あとはぐいぐいと引き込まれます。

とある映画の技法が使われていますが、それはヒミツ。
映画ファンにはたまらない。
他の方のレビュー読めばわかってしまいますが。

83歳という年齢を重ねた監督だから描けたであろう、
繊細さ、懐かしさ、温かさなどが何層にも重なった美しい映画でした。

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ruriruri1515

5.0コンパニョール

2024年2月24日
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鑑賞方法:映画館

すごくおもしろかった

記憶 身体が覚えてること まなざしが覚えていること
歌 名前 映画について 父と娘 父と息子 同志 友情 フィルム 映画館 若いころ 夢みたささやかな居場所 喪失 思い出 犬

言葉にするのは難しい 31年の凝縮

フランス映画社はもうなくなってしまった ああいう会社は他の人ではかえがきくものではない 興行としての日本の映画史も重ねてみてしまった

アナちゃんはおでこ動かないね…
面影が浮かぶ

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hyvaayota26

3.0需要の仕方が難しかった

2024年2月23日
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何故なら全員が表情で語るからだ…
ビクトル・エリゼは合わないのかも知れない。

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JYARI

眠い?長い?

2024年2月23日
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泣ける

幸せ

ミツバチのささやきをリアルタイムで見ていたわたしは、たいへん幸福な時間を過ごすことができました。うっとりとあっという間に終わってしまいました。

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greenpeas

5.0「ミツバチのささやき」は世界で一番好きな映画です

2024年2月23日
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監督の作品を見てると
途中で物語も映像もキラキラっと眩しく見えて
この作品を見るために自分は生きてたのだ
この作品を生み出すために人類はここまで存在したのだ
すべでの労働と芸術と創作はこの作品のためだけにあったのだと
確信してしまうので

多分脳内で何かしらの化学反応が起きている
宗教とか死とかと悟りとかソレ系

あっぶない
この作品もヤバかったです

最初と最後だけ好きではありませんでした
他の方のレビューで最初と最後だけ良かったという感想があって
面白かったです

映画のタイトルとして「瞳をとじて」は適切ではないのでは?と
思いました

監督あと3作くらい映画撮ってくれないかな

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yuen

4.024-024

2024年2月21日
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ビクトルエリセ監督31年ぶりの新作を鑑賞。
昨年遂に劇場鑑賞が叶った「ミツバチのささやき」のセルフオマージュ満載。
アナトレントの出演、
ラストの名セリフ「私はアナ」
映画が心の鍵、
などなど、後半は震えながらの鑑賞となりました。

濃密な映画体験でした😁

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佐阪航

4.0日本のホテルのマッチが出てきた!

2024年2月21日
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寡作のスペインの巨匠、ビクトル・エリセの作品。
冒頭、1990年に撮影されたが未完との設定で「別れのまなざし」の導入部で始まる。1947年、パリ郊外の邸宅「悲しみの王(トリスト・ル・ロワ)」が舞台。一番魅力的だったのは、モロッコ出身のスペイン系ユダヤ人、フェラン・ソレル(Mr. Levy)、彼は上海で生き別れた、ただ一人血のつながっている中国系の娘ジュディスを探すためにフリオ・アレナス(フランク)をやとう。二人の会話には、フランス語、英語、スペイン語だけでなく、カタラン:カタルーニャ語(まるで、イタリア語のように聞こえる)も、それから召使の使う中国語まで出てくる。国際的。しかし、字幕では表示されることはない。冒険譚の始まりに違いないが、画面は重厚で、濃密な空気で満たされている。フェランは、ゴッホがアルルで描いた(アルジェリアからフランスに来た)「ズアーヴ兵」に少し似ていた。
次の中間部分では、最初の劇中劇に出演していた人気俳優フリオが撮影途中に失踪し、その監督を務めていたフリオの親友でもあるミゲル・ガライが探して突き止める話が続く。失踪してから行方の知れないフリオを探す2012年のテレビ番組に、ミゲルは協力することになる。ミゲル自身も、フリオがかつて付き合っていた恋人や、彼の娘を探し出し、話を聞いて回るものの、大した収穫は得られず、グラナダ海岸の自宅に戻る。この部分は、まるでテレビドラマのよう。カメラも対象に近い。ミゲルがフリオの失踪する時の姿を想像するところが出てくる。そこだけはモノトーンで、幻想的。
驚いたことに、フリオの失踪を追った番組を見た視聴者から通報があり、ミゲルの自宅から遠くない海辺の修道院付属の高齢者施設にフリオはいるらしいことがわかる。彼は記憶を失ったまま、器用だったのか、漆喰塗りやら、車椅子の修理など、施設のお手伝いをしている。医師の診断により、彼は慢性のアルコール中毒による健忘と知れる。むしろ、それは放浪の結果に違いない。彼は、船に乗り込んで、世界を回っていたようだ。
最後に、ミゲルは、施設でいつもタンゴを口ずさんでいるためガルデルと呼ばれているフリオに、彼の娘も連れて、半年前に閉鎖されていた映画館に頼みこみ「別れのまなざし」の完結部分を投影してもらう。その中で、フリオ(フランク)は、上海からジュディスを連れてきてフェラン(Mr. Levy)に会わせていた。この場面、場内からはすすり泣きの声も聞こえた。さて、フリオは自分を取り戻したのだろうか。
私は、この映画全体が、ビクトル・エリセの自伝なのだろうと思った。彼が作りたかった映画の一部の再現と、彼の日常の暮らし。さまざまな事情が介在して、エリセの多くの長編映画の制作はうまくゆかなかった。トリスト・ル・ロワ邸や、上海への冒険譚はもちろん、フリオの娘が学芸員をしているプラド美術館ですら、その題材であったのかも。劇中劇の部分では、エリセは、フェランの姿に投影されていた。
中間部では、ミゲルの活動は、実はエリセのそれに由来するのだろう。彼の雌伏の時、短い文章を書くことを主な仕事として、トマトを作ったり、漁に出たり、イヌを連れて歩く生活をしながらも、映画のことは片時も忘れなかったに違いない。では、失踪したフリオとは、一体何だったのだろうか。そうか、フリオもまた(ある程度まで)エリセの反映なのかも知れない。自分を見失ったフリオが高齢者施設に引き取られた時、持ち込んだ数少ない身の回り品の中に、日本のホテルのマッチがあった。エリセもまた、世界を放浪したかったのだろう。実際に日本のホテルには来たことがあったようだ。

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詠み人知らず

0.5静か過ぎる3時間

2024年2月20日
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ごめんなさい!
2ヶ月ぶり『枯れ葉』以来久々にやっちまいました!気付けば9割方寝ちゃってたタイムリープ!!
前前日一睡もしなかったための睡魔で映画が悪いわけではない!(と思う!!)

ただ、睡眠不足でなくても入眠誘いの儀式に思えそうなほどの静かな映画。『ファーストカウ』みたいな静けさ。(あたしの中で1番の静か映画体験となった『ロマンスドール』よりは音あったかな。)
今回は便宜上の星0.5として機会があればもう一度リベンジ試みます🙏

ワンちゃんはめっちゃ可愛い😍

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らまんば