「【”悲しみの王(キング)”今作は映画を撮影中に主演俳優且つ親友だった男が失踪し作品が未完になった監督が、その男を探す中で自分が生きて来た時間を辿る物語であり、劇中劇との関連性も見事なる作品である。】」瞳をとじて NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”悲しみの王(キング)”今作は映画を撮影中に主演俳優且つ親友だった男が失踪し作品が未完になった監督が、その男を探す中で自分が生きて来た時間を辿る物語であり、劇中劇との関連性も見事なる作品である。】
■1947年秋。パリ郊外の屋敷に住む主人レヴィ(ホセ・マリア・ポウ)が、フランコに敗れたスペイン人民戦線の男フランク(ホセ・コロラド)に、中国に居る自分の娘、チャオ・シュー(ベネシア・フランコ)を探して欲しいと懇願している。
どうなるのかと思いながら10分以上観ていると、このシーンが未完に終わった映画”別れのまなざし”のワンシーンだと分かる。
そして、その映画の監督だったミゲル(マノロ・ソロ)が撮影が中断した22年後の2012年に、スペイン人民戦線の男を演じ乍ら、撮影中に失踪したフリオ・アレナス(ホセ・コロラド)を探す”未解決事件”というスペインのTV番組に出演した事から、親友だった二人の過去の人生が交錯していくのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ミゲルは、現在はスペインの海岸沿いの町の浜辺にある小さなバラックで、世捨て人の様に読書、野菜作りをしたり、時折文章を書いて過ごしている。
だが、彼はTV番組”未解決事件”ディレクターの申し出を了承し、インタビューを受ける。矢張り、親友だったフリオ・アレナスの行方が気になった事と、”別れのまなざし”が未完で終わっている事で、自分の時が止まったままだという事が原因だろうと、勝手に推測する。
・そして、ミゲルはフリオを探す中で、彼の娘アナ(アナ・トレント)や、且つてフリオと恋を争ったロラ(ソレダ・ビジャミル)と数十年振りに出会う事で、自身が生きて来た時間を辿り直して行くのである。
・ある日、フリオが小さな町にある高齢者施設で働いているという情報が入る。そこに赴くと”退行性健忘”になり、記憶を失ったフリオが確かに働いていたが、ミゲルと会っても気が付かない。
だが、二人は且つて船員だった頃に覚えたもやい結び(水夫結び)をミゲルがやると手先の器用なフリオは、思い出す様にもやい結びをしたり、フリオがミゲルの手を見て”仕事をしている手だ。”と褒めたり、徐々に交流を深めて行く。
・そして、施設でフリオの面倒を見ているベレン(マリア・レオン)から、フリオが日記に挟んでいる中国女性の写真や、金属の箱に入っていたチェスのキングを見つけて行く中で、それが映画”別れのまなざし”の中で使われていたモノである事に気付き、親友の映画の編集者マックス(マリオ・パルド)にその”フィルム”を持って来るように頼み、町中の最近閉館した映画館に、アナ、ベレン、施設のシスターたち、そしてフリオを招きフィルムを上映するのである。
■今作のラスト、20分は圧巻である。
映画館のスクリーンに映し出されるパリ郊外の屋敷に住むレヴィの願い通り、娘のチャオ・シューをフランクが連れて来る。その姿を見たレヴィは布を花が活けられた瓶の水で濡らし、チャオ・シューの顔を確かめるように拭くのである。すると、チャオ・シューの眼に薄く施した化粧が黒い涙の様に流れ、その表情を見たレヴィは目を見開いたまま事切れるのである。
そして、チャオ・シューはレヴィの瞼を静に指で閉じて、自分も”瞳をとじる”のである。
その映像を客席で、娘のアナの隣に座っているフリオは、”目を見開いて観ている”のである。
<今作は、映画を撮影中に主演俳優且つ親友だった男が失踪したために作品が未完になった監督が、その男を探す中で自分が生きて来た時間を辿る物語であり、劇中劇との関連性も見事なる作品なのである。>
<2024年2月10日 伏見ミリオン座にて鑑賞>
<2025年2月9日 別媒体にて細部を確認しながら再鑑賞>
■佳き映画は、二回鑑賞するとその良さが倍加する事を再確認した映画でもある。
共感ありがとうございます。
最初と締めくくりに未完のフィルムを持って来る事は決まってたんでしょうね。ただそこ迄がかなり長い・・もう監督しないんじゃ?と言われるエリセ監督にとっては全て必要なシーンなんでしょうが。ちょっと自分には2度観ようとは思えない作品です。