「感傷の処理について」瞳をとじて 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
感傷の処理について
ビクトルエリセの(ドキュメンタリーや短編を除いた)三作目の長編映画、とのこと。ミツバチのささやき(1973)、エルスール(1983)、そして本作(2023)という寡作ぶりだった。
あらすじは──、20年以上前映画撮影中に失踪し行方知れずになった主演俳優フリオ。
その映画を監督したミゲルが未解決事件を扱うテレビ番組に出演したところ、記憶喪失になり別人として暮らしているフリオが見つかる。
記憶がもどるかもしれないという一縷の望みをたくして映画上映会が行われる。──というもの。
記憶がもどるかもしれないという一縷の望みをたくして映画上映会が行われる。──のは感傷的なので、感傷に落ちないような工夫が見られた。
ところで感傷とは──
①物事に感じて心をいためること。
②すぐ悲しんだり同情したりする心の傾向。また、その気持ち。
と、辞書に書いてあった。
先日の都知事選(2024/07/07)で二大巨頭に食い込んだ無党派の候補者がいた。
その人物に興味をもったのは国際子ども平和賞というオランダの財団が主催する式典で受賞(2022年11月)した日本の女子高生のスピーチにでてくるからだった。
『(中略)けれども39歳の市長が居眠りをする議員に向かい『恥を知れ』と叫んだとき、日本はまだ変われる、わたしはそう思いました(後略)』
この一節が指し示す「市長」が東京都知事選へ出馬し、結果二位の得票をしたのだ。完全なゼロベースからたった一ヶ月で古狸をおびやかし女狐を翻弄してみせたわけである。
じぶんは女子高生のスピーチを切り取り動画で見たに過ぎないが、当初「立派な市長がいるんだな」という感想を持った。
しかし彼の街頭演説を聴いたり情報を得るたびに印象は変化していった。
すなわち「感傷」とは、まるで青年の主張のような『(中略)けれども39歳の市長が居眠りをする議員に向かい『恥を知れ』と叫んだとき、日本はまだ変われる、わたしはそう思いました』という一節を聞いたときの、一時的な感動のことである。
その時点におけるヴィジョンは、無気力に対して真っ向からたちむかう正義感だった。
たとえばグレタがどんな子供か知らずに、環境破壊にたいして「how dare you」と言って怒っているところだけを見た。──ならば、子供ながら大人の愚行に痛憤している様子に一時的な感動を覚えるだろう。
そのような刹那的な、よく解っていないままに感じ入ってしまうことが「感傷」である。
じっさいに人物を知るほどに、第一印象は崩れ去る。むしろとんだくわせものじゃねえか。ということになる。
謂わば、その知るという行為を端折って(はしょって)美しいままの第一印象を信じ続けることを「感傷」というのである。
つまり感傷とは真実を無視した態度のことだ。
川っぺりムコリッタや波紋や彼らが本気で編むときは、を見て、わたしが言いたかったのは「これは感傷ですよね、いいんですか?」ということだが、なにしろそれらをつくったのは日本の代表的な女性監督だった。
なにかと戦っている雰囲気が好きな左翼記者の妄想を映画化し2019年の国内映画賞をそうなめした新聞記者や、可哀想な境遇が露骨なエクスキューズ(言い訳・弁解)として用いられるはるヲうるひとも感傷だ。
感傷とは真実やその相当性がなく、海に向かってばかやろうと叫ぶような決着のことだ。「これは感傷ですよね、いいんですか?」という以前に「ベタすぎますけど、いいんですか?」と言いたいような「泣いた赤鬼的短絡」のことを感傷というのである。
映画は感傷的ではダメだ。なぜダメかというと、ウソだから。
たとえば波紋には震災、放射能、悪徳宗教/宗教二世問題、高齢化社会、高齢者の犯罪、障害者への忌避感、介護問題、ゴミ屋敷などの現代疾病が羅列されているが、いったい誰がそんな累々たる因果を負っているのですか?新聞記者には政府の陰謀が描かれているが誰が虐げられているのですか?──という話である。
日本に不幸がないと言っているのではなく、これらの作者は毎日おいしものをたらふく食べ、爆弾の落ちてこない屋根の下、ふかふかのベッドで眠っている──にもかかわらず、波紋や新聞記者のような誇大なアジテイトを書いて、じぶんの箔付けと謎の問題提起をしているわけである。そういうクリエイターのうさん臭さのことを感傷と言っているわけ。
わたしたちは誰もが苦労して生きている。しかし絶望や恐怖は体験が裏付けるものであり、クリエイターならばなおさらだ。見たことがなければゲルニカは描かない、という話である。
感傷についてくどくどと説明したのは、この映画が感傷に落ちない工夫がされているから。映画は感傷に落ちない工夫がされていなければいけない。たぶん絶対に。
50年間で三作、だてに寡作なわけではないと思った。
批評家にも好評でカイエデュシネマ誌やエスクワイア誌やエルムンド紙の2023年ベストに入ったが、批評家の褒め方がなんとなくおっかなびっくりという感じなのは、おそらく169分という長さの徒然によるものだろう。この映画は批評家のリテラシーの試金石になってしまっている感があり、RottenTでも絶賛系のレビューは少なかったが個人的には退屈しなかった。
映画は記憶喪失のフリオに映画を見せるが感傷を避けるためその結果は見せずに終わる。
映画中映画である「別れの視線」は探偵役フリオ(José Coronado)に娘捜しの依頼をする邸の主人のシークエンスだが、この邸の従僕らしき中国人の描き方は、けっこう紋切り型だった。──ことが一点気になった。
ちなみにフリオが(記憶喪失で)発見されたとき持っていたという持ち物のなかに日本の広島にある三段峡ホテルのマッチがあった。
imdb7.3、rottentomatoes95%(オーディエンス評なし)。