「揺れるまなざし」瞳をとじて Mr.C.B.2さんの映画レビュー(感想・評価)
揺れるまなざし
「ミツバチのささやき」を劇場で観てから12日後に日比谷シヤンテで「瞳をとじて」を。
ミゲルが監督した映画「別れのまなざし」は、オープニングとエンディングだけ撮影したが俳優フリオの失踪により未完成になっていた。
未完成なのに何故エンディングがあるんだ?というレビューがあったが、映画は必ずしも「順撮り」ではない。同じ建物内での撮影ならばオープニングとエンディングを先に撮影するのはあり得る事である。
先日、NHKで宮崎駿の「君たちはどう生きるか」の製作過程を描く番組があったが、全体のストーリーが確定する前に少年が母親と家に帰ってくるシーンは既に完成していた。アニメとはいえ、時間的制約から確定した所から製作に入るのだ。
評判を取ったTVの「VIVANT」も役所広司のモンゴル海外ロケの最初の撮影は同志との別れのシーンだったそうだ。
殆どの作品が順撮りでない中で、感情の起伏を表現しなければならない役者さんは大変だろうなぁ。
閑話休題
映画「別れのまなざし」は、1947年を舞台にヤヌスの二面像(それぞれが過去と未来を向いている)が入口に飾られた「哀しみの王」と名付けられた邸宅に住むユダヤ人の男レヴィが生き別れた娘を探す事を依頼する。レヴィは中国語、英語、スペイン語を話す。依頼を受けた男は上海へ娘を探しに行くと言うストーリだが、男を演じた俳優フリオの失踪により映画は完成しない。
友人でもあった俳優フリオの失踪でミゲルは監督を辞めて作家になるが、今では「南」の海辺の村に暮らして魚を獲ったりして生活している。ミゲルの息子は事故死している。
失踪から22年が経ち、TVの「未解決事件」にフリオの失踪が取り上げられ、ミゲルも番組に出演して「別れのまなざし」の一部も放映される。これをきっかけにフリオの娘アナと再会する。(「ミツバチのささやき」から50年後のアナ・トレントと我々も再会する)
作家として出版した本(かつて恋人だったロラに送ったサイン本)を古本市で発見し購入する。アメリカ人と結婚しアメリカに行っていたロラが帰国している事を知り、会ってサイン本を渡す。「アメリカに行ってる間に家族が処分したのね」ロラは喜んで戻って来た本を受け取る。ロラはフリオとも付き合っていたが、アメリカ人と結婚したのだ。
海辺の村で普段の生活に戻る(主人を待っている犬が可愛いい)が、ここにも立退き話が持ち上がっている。ミゲルはギターで隣人と「ライフルと愛馬」を合唱する(私も声を出して一緒に唄ってしまった。だって何度も観た「リオ・ブラボー」の挿入歌でシングル盤も持っているから)。
番組を観た人からフリオに似た男がいるとの情報提供があり、ミゲルは会いに行く。
男は3年前に記憶を失って発見され、高齢者施設の手伝いをしながらそこに住んでいる。(施設は南部の海辺にあり陽光に溢れている。「ミツバチのささやき」では観られなかった風景だ)
再会してもミゲルの事は判らないが、昔軍艦に一緒に乗っていたので、もやい結び等が出来る。ミゲルはアナを呼び寄せる。アナは男に呼びかける「私はアナ」と。
「ミツバチのささやき」で父親から逃げたアナから50年、私達は初めて父親に「私はアナ」と呼びかけるアナ・トレントを目撃する。フリオはそれでも記憶を取り戻さない。施設長の修道女がミゲルに発見された時の持ち物を渡す。缶の中にはチェスの王の駒(日本のホテルのマッチもある)が。王の駒は「別れのまなざし」の冒頭でレヴィが手にした駒だった。
ミゲルは映画「別れのまなざし」をフリオに見せようとする。編集の仕事をしてフィルムを保管しているマックスにフィルムを運ばせ、施設の近くに有る閉館した映画館の映写機が動くのを確認してフリオとアナの前で上映が始まる。映画「別れのまなざし」は、フリオが探し出した生き別れた娘と再会したレヴィがその場で亡くなって終わる。
そして、そのスクリーンをまじまじと見つめるフリオのまなざしで「瞳をとじて」が終わる。
「瞳をとじて」は、過去を失った男と過去を忘れたい男、父親と娘、そして、人生の記憶、映画と友人の思い出に溢れた映画だった。
「リオブラボー」の情報コメントありがとうございます。残念ながら地方在住なもんでこっちでかかるかわかりません。「リオブラボー」は何回かTVで観た位で、飲んだくれで後に助手になる男がお気に入りでした、「荒野の七人」のロバートボーンみたいで。
共感ありがとうございます。
リオブラボーの歌だったんですね!ポニー=小馬?になんか覚えが有りました。そういう部分からも今作は「ニューシネマパラダイス」と類似点多いですね。
共感ありがとうございます。
何かを感じることでいくつもの深みの色が足される人生をみせ、自身も振り返りながら私たちの前を歩いていく。
そんな監督の背中がみえるようでした。