「魂を呼び戻すもの」瞳をとじて sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
魂を呼び戻すもの
余命いくばくもない「悲しみの王」と呼ばれる男が、最後に自分の娘に会いたいと切望し、ひとりの男に捜索を依頼する。
男は上海で撮られた娘の写真を手にし、屋敷を出ていく。
と、実はこれは未完成に終わった映画のワンシーンであることが明かされる。
捜索を依頼された男を演じたフリオが、撮影の途中に姿を消してしまったのだ。
それから20年、その映画の監督だったミゲルは、『未解決事件』というドキュメンタリー番組のディレクターであるマルタの依頼でインタビューを受けることになる。
何故フリオは失踪したのか、事件に巻き込まれたのか、自殺をしたのか、それともまだ生きているのか、何一つ分かってはいない。
フリオの娘であるアナは完全に父を過去の人間として忘れ去ろうとし、インタビューにも答えなかった。
女性絡みのスキャンダルなのか、それとも老いていく自分と向き合うことが出来なかったのか、様々な憶測が飛び交う中、ミゲルは真相を知るために映画のフィルムを保管しているマックスや、元恋人のロラのもとを訪れる。
これはまず大切な人間を失ってしまった者の喪失感と向き合う映画であると思った。
後にミゲルには家族を失った過去があることも分かる。
人はいなくなっても、誰かの記憶に残る限り、その記憶の中で生き続ける。
そしてフリオは未完成ながらフィルムの中でも永遠に生き続けるのだ。
と、同時にこれは過去ではなく今と向き合う映画でもある。
ドキュメンタリー番組が放送された後に、意外な形でフリオの居場所が明らかになる。
彼は記憶を失い、高齢者施設でシスターたちに囲まれて細々と暮らしていた。
ミゲルはすぐに彼のもとを訪れるが、フリオが彼に向ける視線は完全に見知らぬ他人に対するものだった。
その姿にミゲルはショックを受けるが、彼は強引に自分が彼の友人であったことを明かそうとはしない。
まずは彼のそばで生活し、今の彼の姿を受け入れようとする。
二人が記憶の中にあるタンゴの歌を歌うシーンはこの映画の見所のひとつだ。
父親の無事を知らされたアナは、やはりすぐにはその事実を受け入れられない。
ましてやフリオにはアナと過ごした記憶もないのだから。
何とかフリオの記憶を呼び覚ましたいミゲルが思いついたのは、彼に未完成の映画を観させることだ。
フリオは20年も映画で使われた娘の写真を持ち続けていた。
クライマックスの映画館でフリオがフィルムに映る20年前の自分の姿を見つめるシーンは感動的だ。
同時に観客も冒頭の映画の結末を観届けることが出来、二重の感動を味わう。
結果的にフリオの記憶が戻ったのかは観客の想像力に委ねられる。
おそらくビクトル・エリセ監督は映画の持つ力をこの作品で伝えたかったのだろう。
映画は人の魂を呼び戻すものであると。
上映時間は長めではあるものの、終盤に向けての求心力が凄まじく、あっという間に時間が過ぎてしまった。
そして『ミツバチのささやき』のアナ・トレントが、同じくアナという役でスクリーンに映っていることに感動した。