ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだのレビュー・感想・評価
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掘っても掘っても
1972年白昼、早稲田大学構内の一室で革マル活動家のリンチによって殺された川口大三郎さんの事件を巡るドキュメンタリーです。当時は、学生運動も様々なセクトに四分五裂し、各セクト間での暴力沙汰、いわゆる「内ゲバ」が横行していました。当時何があったのかに不案内な多くの人に、特に若い人に本作は是非観て欲しいです。と強く勧めて、その上で。
作中、川口さんの殺害場面は鴻上尚史さんによるドラマ仕立てになっています。当日の実際の現場を映画で語れる人がいないし、当時を想像も出来ない若い人にはこんな見せ方も必要なのかもしれませんが、僕にはとても芝居じみて映りました。しかし、実際がこんなに芝居じみていたのか、作劇がうまく行かなかったのかが分からず、ドキュメンタリーの流れを滞らせる結果になりました。特に、劇パートのオーディションや劇パート撮影場面映像は不要だったのではないでしょうか。
そして、僕の脳裏を過るのは、いつかまたこんな時代が来て暴力に晒される恐怖ではなく、正義の名のもとに自分が暴力をふるう恐怖なのです。その為には、加害者の革マル活動家の証言を是非聞きたかったです。犯行の当事者が無理なら、当時の暴力的活動家の心情でもよい。何が彼らを暴力に走らせたのかの示唆がないと自分が加害者にならない為には何を見つめればよいのかが掴めません。
一方、本作制作のきっかけとなった樋田毅さんの著書「彼は早稲田で死んだ」は、あの時何があったのかの事実だけでなく、問題の本質に至る考察までが深く、革マル活動家との対談記事もあり、理解にとても役立ちました。「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容であるべきか」(つまり、寛容な社会を目指すならば、「寛容性など押し潰せばよい」という考えにまで寛容であるべきかと言う問いです)内ゲバを考える時の本質に迫る問です。この映画をご覧になった方は是非読んで欲しい。
それはさておき、本作関連商品である「ゲバルト手ぬぐい」は意表を突くデザインで、うれしくなって即購入しました。うむ、僕は当時学生であったとしても、やはり浮かれたノンポリだったろうな。ちなみに、僕は代島監督と同い年です。
信じ過ぎないよう踏みとどまること
映画が問いかけるのは、信じることが行き着く狂気がもたらす暴力の無意味さ、不毛さ。劇中ドラマは舞台劇風でいかにもつくりもの然としており、リアルさを追求した演技にも思えなかったのだが、こと暴力のシーンには不意を突かれた。耐え難いほどのリアリティに息が詰まり、相手を問い詰める狂気の宿った眼差しに戦慄し、角材とバッドでのいつ終わるとも知れない殴打の末、白いセーターに血が滲むシーンには思わず目を背けた。世界を平和にしたい、社会を変えたいと願い、真面目に変革を訴えていたはずの若者たちが、信じるもののために容赦なく暴力を振るった挙句に人を殺してしまう姿には、連合赤軍リンチ殺人の当事者、テロ行為を進んで行ったオウム真理教の信者たちの姿を重ねた。
映画の中で内田樹は、「(当時)大義名分を与えられると他人に対して容赦なく暴力を振るうことができる人間がたくさんいること」に恐怖を抱き、「普通の子が暴力的なことを平然とやる。それがふっとキャンパスで会うと普通の子に戻っている」ことに驚嘆したと述べている。実際のところ確かにそうだったのだろうが、彼らはすでにもう「普通の子」ではない。暴力を肯定・行使した時点で、何かを強く信じるが故に暴力に訴えても仕方がないと思いそれを実行に移した時点で一線を越え、もはや後戻りのできないところに足を踏み入れている。映画に加害者が登場しないのはそういうことだと思う。そう思いたい。
事件の本質は内ゲバではない
川口君事件をきっかけに早稲田で起こった混乱は、暴力で自治会を牛耳る革マルに対する一般学生の抗議運動。
セクトとセクトの対立の内ゲバではない。
50年以上の時間が過ぎたので、今の若い人には理解されにくい事件かもしれない。
再現映像を撮影する様子がインサートされるが、効果をあげているとは思えないのだが……。
暴走する正義と関心領域
今話題の「関心領域」という映画。
本作で描かれている悲劇も、当時の
大人たちの「関心領域」のなかに
当人たちがいなかったということ
が要因の一つになっているのでしょう。
そしてなによりも
「正義の為なら何やってもいい」
という、今の時代にも存在する
この感覚と集団心理の行きつく
地獄を淡々と描いてくれる本作。
大義名分がある暴力の行く末
それを見て見ぬふりした行く末
背筋が凍る史実です。
過去を知りましょう。
関心を持つ領域を拡げないと
人間はまた同じことを繰り返します。
知っているようで細かく知らなかった
学生運動のお話。わかりやすく
恐怖を感じさせてくれます。
楽しかったんだろうなあ。
私が大学へ入る約10年前の話なので、違和感しかない。当時の学生には楽しい体験だったのかな。脳内アドレナリンがドドッと分泌され自己陶酔に浸っていたのだろう。小学生の頃にニュースで見た安田講堂の攻防に漠然と憧れていただけに、入学してからのキャンパスの様変わりに腰砕けになった。映画の中身はドラマ・パートを見るにつけ、彼らの幼児性が過剰に醸し出される気がして、可哀想になる。単なる近親憎悪を成れの果てにしか見えない。門田隆将の「狼の牙を折れ」を誰か映画化してくれないかな。小説「オリンピックの身代金」のテレビドラマが貧相だったので、リアル映像化として期待したい。
映画としては評価出来ない
オープニングの長過ぎるギターノイズから嫌な予感がします。 演劇はまさに素人演劇な出来は狙いなんでしょう。
佐藤優の発言要るかな? 池上彰はあいも変わらず見てきたような講釈師。
ひとりひとりの自由に生きる問題についての映画
内ゲバ、セクト、革マル、、 と今となってはそういうしかないのでイロモノというが、イロモノ的にスキャンダル的に捉えるのではなく、本当に、当時の普通の学生授業にも出たいし自治会が暴力的に学生を支配しているならそれに反対の声をあげたい、暴力装置に加担したくないという、ごく普通の学生が殺されてしまったことを、仲間友達の命が奪われたことをおかしいと行動に移しその行動は破れそれでも、友達が殺されたことを検証し公平な目線でな二が起こったかを明らかにし、改めて非暴力で自由のために闘い続けること。
原案の樋田さんの思いが伝わる。
恐ろしいことだが、当事者がいて、その人のインタビュー内容は本にも映画にもないのだが、当事者からの聞き取り内容を再現した川口さん殺害は、鴻上さん演出の演劇スタイルで、これも大変興味深い。これが今ならどんな若い人がこんな顔をしてどんな事をするか、考えることができるし、今や、こんなファナティックなことはイスラエルやアメリカで国家、権力サイドがやってないか。
いろいろと考えさせられるが、これはそんな昔のことではないし、まさに世界中で大学での運動が広がる中、大学の自治、学生の学ぶ自由、悪事に加担しないで生きる自由を、大学側は、どう考えているか。早稲田大学が革マルと長い年月つるんでいたこと、
アメリカや日本の大学では国家権力の意思が尊重され、アカデミアとしての公正さや正義は大学側にあるのか、、、、
原案となった、樋田さんの素晴らしい真摯な著作に鴻上さんの単なる再現なんかではない演劇と、監督のこれを取りたい残したい知らせたいという気持ちが乗ったまさに共同、そのほかの関係者とのコレクティブな作品と思う。協力のところに信田さよこさんのお名前がクレジットされていた。、
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