サン・セバスチャンへ、ようこそのレビュー・感想・評価
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白湯のような映画(いい意味で)
この映画の話をするのに、ウディ・アレンとディラン・ファローの問題についてはさておく(とはいえ自分なりに意見は持っているが)。といいつつ、告発のあとアメリカではほぼ干された状態でスペインで撮った映画、という裏事情は、当初の主演予定が降りてしまって急遽ウォレス・ショーンが登板したことからも伺えるわけで、ウォレス・ショーン主演作という地味さが興行的に足を引っ張っていることもわかる(ウォレス・ショーンは大好きな訳者ですけども)。
しかし内容といえば、実にウディ・アレンらしいいつもの「愚かなおっさんの惑いの話」なのだが、ちょっといつもとは勝手が違う。アレンは『カフェ・ソサエティ』でもなんともならない人生の悲哀みたいなものを前面に出していたが、こちらはもっとそこはかとない、どうじたばたしたところで人生は進んでいくしそのうち終わる、という達観した境地が基調にある。
よって、なにが起きようとも、主人公がバカげた失態を晒そうとも、大局的にはなんの影響もない。主人公夫婦は離婚もするし、それぞれのキャラクターの人生にはいろんな事情があることも匂わせているが、それもまた人生であり、とりたてて騒ぎ立てることでもないのだ。
と、結局アレンを取り巻く問題に話が戻ってしまうのだが、今の状況でここまでさらりと、白湯のように達観した映画を作ってしまうあたりに、アレンという作家の哲学性を感じずにはいられないのです。
スペイン北部の街サン・セバスチャン。 毎年開催される映画祭に妻スー...
スペイン北部の街サン・セバスチャン。
毎年開催される映画祭に妻スー(ジーナ・ガーション)とともにやって来たモート・リフキン(ウォーレス・ショーン)。
かつて大学で古典映画の講義を行ったこともあったが、いまでは書けない小説を書くふりをするのがせいぜいの老いたインテリ。
妻スーは映画のプロモーターで、今回は新進監督フィリップ(ルイ・ガレル)の新作広報が目的だ。
なので、スーとフィリップは絶えず一緒にいるが、モートはそれを怪しいとにらんでいる。
そんな心労が過ぎて、町医者にかかることにしたが、その医者は美人の女医(エレナ・アナヤ扮演)。
モートは彼女に夢中になるが、彼女には非道な夫がいて・・・
という、まぁ毎度毎度のウディ・アレン映画。
見どころはモートの妄想で、フェリーニ、ベルイマンなどウディ・アレンお好みのヨーロッパ古典映画の名場面のオマージュ。
面白くなりそうなんだけど、なかなか面白くならないのは、演技陣が弱体のせいで、常連のウォーレス・ショーンがウディ・アレン本人を彷彿させる役を演じているが、あまり魅力がない。
このひと、脇に回ると良いが、主役だと荷が重いね。
女優陣も小粒で、精彩を欠いた感じ。
で思ったのは、やっぱりウディ・アレン映画って役者でもっているところが大きかったのね、ということ。
映画の基礎教養が問われる作品
スペインのサン・セバスチャン国際映画祭にやってきた売れない小説家のモートと映画広報の妻スー。妻は新進気鋭の監督フィリップにお熱で、夫は気が気ではない……
ウッディ・アレン監督お得意の、軽妙なタッチながらシニカルな人物描写が今回も楽しい。
主人公のモートは大学で映画学の講義をしている設定。そんな彼がサン・セバスチャンで見た白日夢は、クラッシック映画の名場面をオマージュしたような夢。
正直自分はフェリーニと「市民ケーン」とゴダールしか分からなかったけど、ウッディ・アレンの名作へのリスペクトはよく伝わってきた。
老いたウディ・アレンはただの老人になってしまったのか?
ウディ・アレンに以前のような輝きはない。老いて、ひたすら過去を振り返っているように見える。この映画には、これと言って新たなことは出てこないが、例のスキャンダルに関する弁明もしている。
主人公のモート(ウォーレス・ショーン)は監督本人を反映し80歳前後、彼の名前 (mort) は、この映画の主題だろう。以前は大学で映画のことを教えていたが、今は誰も書けなかった文学作品に挑んでいる設定。妻のスー(ジーナ・カーション)(60歳くらいか)の名前は、彼の妻の名(スーン=イ)の反映か。スーはフランス人の売れっ子の映画監督フィリップの広報担当者としてサン・セバスチャン映画祭に出かけ、モートはそれに同行する。スーは予想されたように、フィリップとの仲を深めてゆく。モートがフィリップの映画を気にいるわけもない。二人の仲を目の当たりにする度に、モートはモノクロの夢を見る。彼がこよなく愛し、大事にしているヨーロッパ映画の一場面を出発点として。まず、フェリーニ、フランスのヌーヴェルヴァーグ。モートは、トリュフォーの「突然炎のごとく」や、クロード・ルルーシュの「男と女」の一場面の中に入り込んで行く。「ミッドナイト・イン・パリ」みたいに。それでも、彼の心の傷は癒えず、胸の痛みを覚えるようになり、紹介されて現地の内科医を受診する。ジョーと聞いていたのに、実際はジョアンナという美貌の医師(40歳代か)。監督のこよなく愛しているマンハッタンやパリにも縁があって話が弾み、心臓に問題はなかったが(逆流性食道炎とか)、ことあるごとにクリニックを訪れるようになる。誘われて出かけたドライブの時のサンセバスチャンの情景が美しかった。
夢には、イングマール・ベルイマンの「仮面 ペルソナ」が出てきて、スーとジョアンナがスウェーデン語で会話する。モートが一度は気に入った女性が彼の実の弟と結婚し、自分のことを揶揄するのを立ち聞きする白昼夢あり。彼は自分が他の人から浮いていることは知っているわけだ。彼が好きな日本映画、稲垣浩の「忠臣蔵」や黒澤明の「影武者」もスノブか。ルイス・ブニュエルの「皆殺しの天使」の一場面から取られた、意気投合したモートとジョアンナが部屋の外に出ようとするのに、出られなくなってしまうところが象徴的。それにしても、圧巻はベルイマンの「第七の封印」からの場面に、あの怪優が死神として出てくるところだろう。おそらく一番重要なセリフは、死神の宣う
Human life is ultimately meaningless, but doesn’t need to be empty.
人生には結局のところ意味はないが、だからといって空っぽである必要もない(拙訳)。おそらく幾つかのベクトルが勝手に働いて、力を打ち消しあってしまうのだろう。意味がないとは言え、逆に何をしてもよいわけだ。とすれば、ウディ・アレンは、これからも映画を作り続けるしかない。実際、彼の次の映画はもうできているようだ。Coup de chance とか。
ウディ・アレンは、確かに自身老いているが、老いて心が病んだ者に、生き方を教えてくれているのだ。次の映画も是非、観てみたい。
がらんどう
恥ずかしながらウッディ・アレン監督作品は初鑑賞です(レイニーは近くでやってる劇場が無かったので)。
コメディ寄りの不倫ものなんだと思うんですが、どうにも笑える場面は少なく、それでいて主人公のハゲチャビンの妄想と現実を行ったり来たりする作品だったので、なんだかスッキリできずじまいの作品でした。
奥さんの不倫を疑って奥さんの映画の仕事に帯同してきたハゲチャビンの街中での模様を淡々と描く作品なんですが、結局主人公も不倫まがいの事をしようとして、やんわり断られたりするシーンが多いですし、その癖強がったりイキがったり、相手につけ込んだりしたりと、人としての魅力に欠けるなぁと思いました。
奥さんも大概で、早い段階で不倫してるだろというのが分かるのに、それをひた隠しにしようとするもんですから観ていて気持ちのよいものでは無かったです。
申し訳ないことにキャストの方々をほとんど知らず、それでいて華のない人たちだったので、キャスト頼りにもなっていなかったのでビジュアル面で楽しむこともできませんでした。シャツインハゲチャビンの妄想なんて誰が好き好むねんと上映中ずっと思っていました。
かろうじて知っていたクリストフ・ヴァルツは良かったと思います。
過去の名作のオマージュを主人公の妄想と交えながら映像として流していくんですが、申し訳ないことに元ネタがぼんやりとしか分からなかったので、そのシーンをポンポン入れられても何のことやらと思うところが多かったです。
あと他の作品の名前をバンバン出していくのが、巨匠の作る作品としてはなんか縋りついている感じがしてちょっと冷めたり、もういいよって感情がどんどん出ていってしまいました。
離婚が成立した後にライターの方に色々喋って、最後に質問返ししたのに何も返答無くエンドロールに突入したところが一番面白かったです。そりゃ聞き返されてもなとニヤニヤ。
ある程度結婚から時間が経つと、互いへの愛が冷めていくというのは周りを見ていてもあるんだろうなと思うところがありますが、それを映画でやったとして面白くなるのかという答えが出たと思います。面白くはならなかったです。
街並みだったり、オシャレな音楽だったり、監督の手腕ではないところが良かったなと思いました。これまでの作品もこんな感じの作品なら現時点の自分とは合わない気がしてならなかったです。
改めて華のある俳優がいるということの大切さが分かった気がします。
鑑賞日 1/23
鑑賞時間 13:50〜15:30
座席 B-3
観る人を選ぶ
昔の映画へのオマージュがわかると
かなり面白いのだと思う。
知識のない自分には残念ながら全く響かず
内輪受けにしか見えず笑えず。
加山雄三の名前が出てきたような?
主人公のモートは蘊蓄語りの面倒くさそうなキャラで
夢と現実を行ったり来たりするので更に分かり辛い。
女医さんはフレンドリーで人間らしいけど
全体的に登場人物の誰にも感情移入できず。
フィリップも胡散臭くしか見えない。
体力使った一日の最後に室温のちょうどよい映画館で観ていたら四分の分の一くらい寝てしまったようだ。上映時間は短めなのに。
風景は良かった。
やりたかったのは、古典的な名作のパロディか?
何と言っても印象に残るのは、主人公の夢や妄想として描かれる9本の古典的な名作映画へのオマージュである。
ただし、これらは、パロディとしては楽しめるものの、ストーリー上、どうしても必要だったのかと言えば、必ずしもそうとは思えない。
むしろ、ウッディ・アレンが本当にやりたかったのは、こちらのオマージュの方で、ストーリー自体は、そのための「前振り」に過ぎなかったのではないかとさえ思えてしまう。
というのも、「妻の不倫を疑う男が、妻以外の女性に惹かれていく」という本筋のストーリーが、今一つ盛り上がらないのである。
とても恋愛には発展しそうもない老いらくの恋を見せられても、どうせ先が見えているし、かと言って、それぞれの浮気相手とデート中の夫と妻が、街中でばったり出くわすといったドタバタ劇がある訳でもない。
ただ、妻の不倫を疑わせる描写が、あまりにもあからさまだっただけに、「どうせ、妻は不倫をしておらず、夫婦は元の鞘に収まるのだろう」という予想が外れてしまったのは、やや意外だった。
それだったら、夫の方にも、女医と結ばれるという結末が用意されても良かったのではないかとも思ってしまう。
あるいは、主人公にとってのほろ苦いエンディングは、小難しいウンチクを並べてインテリぶっているスノビズムへの戒めなのかもしれない。
稲垣浩の「忠臣蔵」や黒澤明の「影武者」という作品選定の微妙さを見るにつけ、そう思えてしまうのである。
ニヤニヤしながら観る感じ
この作品を観て「これがウディ・アレンだよね」とか言ってしまうとスノッブな感じなんだろうなと思いながら観たの。自分の場合は、そこまでウディ・アレンを観てないしね。
奥さんとうまくいかなくなっていく感じが《ミッドナイト・イン・パリ》に似てるなと思ったの。
主人公のウォーレス・ショーンの感じがいいね。「このオジサンは別にもてないだろ」という気もするし、憎めないし可愛げあるから意外に人気あるかもっていう気もする。衣装は常にジーンズなんだよね。旅行鞄からジーンズしか出てこないし。
映画監督役のルイ・ガレルは本当に嘘くさい。こういう感じの監督がいっぱいいるんだろうな。
モノクロに変わったところは、名作映画のパクリというかオマージュというかなんだね。全然気付かなかった。《勝手にしやがれ》でヒントももらってたのに。最後にベルイマンでてきて、ようやく気付いたの。なんで気付かなかったかっていうと、オマージュされてる名作を観てないからなんだけど。
この作品面白いから、つい笑っちゃうんだけど、劇場で笑いながら「いまの自分はスノッブっぽい」と思いながら観たよ。そんな感じで観るのも楽しいから、またウディ・アレンを観に行こ。
おいてきぼりな妄想トキメキおやじ。
売れない作家モートと売れっ子映画監督の広報担当スー、夫婦の話。
妻のスーに同行した映画際、売れっ子監督フィリップとの仲の良さに嫉妬と浮気を疑ってしまった、変な夢を見ては魘されるモートのストーリー。
最初はモートがよう喋るオッサンだななんて思って観てたんだけど、途中からコメディたっちと気づき、世界観が分かってからは楽しめた。
心臓がちょっと痛いで行った病院の女医(ロハス)にトキメいては、次々と仮病を使って会いに行こうとするも妻とたまたま一緒に居た医者に阻止されたりと、その落ち的、シーンの終わりに使われてるBGMも含め、モートの察しの悪さとシツこさが面白かった。
妻のスー役ジーナ・ガーションさん調べたら61歳!!キレイでセクシー素敵!
傑作を書けば全てが変わると思っている愚か者に、かける言葉はあるだろうか
2024.1.20 字幕 MOVIX京都
2020年のスペイン&アメリカ&イタリア合作の映画(88分、G)
映画祭に参加した関係が終わっている夫婦の決断を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はウディ・アレン
原題は『Rifkin‘s Festival』で「リフキンの映画祭」という意味
物語はニューヨークのある精神科医の診察室にて、傑作を書きたい作家モート・リフトン(ウォーレンス・ショーン、幼少期:カメロン・ハンター)が精神科医(マイケル・カーヴェイ)に「映画祭の出来事」を話しているシーンが紡がれて始まる
かつて、映画について教鞭を執っていたモートは、今では歴史に残る傑作を書くことに集中しつつも、何も残せずに日々を過ごしていた
彼は、フランス人映画監督のフィリップ(ルイ・ガレル)のプレスエージェントとして働いているスー(ジーナ・ガーション)と結婚していたが、その関係は完全に冷え切っていた
モートは「乗る馬を間違えたと思っているに違いない」と自分を卑下しつつも、フィリップとの不倫関係を疑っていた
そして、それを確かめるために、来たくもない映画祭に参加することになっていたのである
映画祭にて、仕事に打ち込むスーだったが、彼女はそれを言い訳にして、夫との時間をほとんど作らない
二人きりの食事も「失礼だから」と言ってフィリップを招待してしまう
また、モートはサン・セバスチャンに来てから妙な夢を見るようになり、それはクラシカルな名作のワンシーンに自分が登場するものだった
そんな折、友人のトマス(エンリケ・アース)に出会ったモートは、胸の痛みを訴え、とうとう知り合いの医者を紹介されてしまうのである
物語は、紹介されたロハス医師(エレナ・アヤナ)を気に入ったモートが、なりふり構わずに会う時間を作ろうと躍起になっている様子が描かれていく
そして、そんなある日、彼女が抱えている問題に直面したモートは、彼女を励ますためにあらゆる方策を取ろうと考える
彼女には画家の夫パコ(セルジ・ロペス)がいたが、彼は自分勝手な男で、トマスから見ても「最悪な夫」だったのである
映画は、クラシカル映画をモートたちで再現する流れを汲んでいて、その全てがモートの妄想になっている
そこには彼の両親(リチャード・カインド&ナタリー・ポーザ)も登場し、青春期に恋をした相手(カルメン・サルタ)も登場する
そして、やがてその妄想にスーとフィリップが登場し、さらに弟(スティーヴ・グッテンベルク)とその妻ドリス(タミー・ブランチャード)まで現れてしまうのである
登場する映画に関してはパンフレットで詳しく説明されていて、1940年代〜60年代くらいの名作と呼ばれる作品が登場している
世代ではないので鑑賞歴はないが、これらの古典を観ておいた方が良いとは思う
それでも、オマージュなんだろうなあということはわかるので、あえて予習をする必要もないように思えた
いずれにせよ、映画は「夫婦の決断」を描いているものの、その答えは映画祭に来る前に決まっているようなものだった
スーは夫に気づかせるためにあえて距離を縮めて見せていて、モートはスー去りし後のことを考えている
最終的にモートは独り身でニューヨークに帰ることになり、そして精神科医に愚痴をこぼしているという構成になっていた
この構図を面白いと思えるかは映画キャリアによるとは思うものの、映画自体がかなりマニア向けに作られているので、ハードルは高めに設定されたものだったと言えるのではないだろうか
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