サン・セバスチャンへ、ようこそのレビュー・感想・評価
全78件中、1~20件目を表示
白湯のような映画(いい意味で)
この映画の話をするのに、ウディ・アレンとディラン・ファローの問題についてはさておく(とはいえ自分なりに意見は持っているが)。といいつつ、告発のあとアメリカではほぼ干された状態でスペインで撮った映画、という裏事情は、当初の主演予定が降りてしまって急遽ウォレス・ショーンが登板したことからも伺えるわけで、ウォレス・ショーン主演作という地味さが興行的に足を引っ張っていることもわかる(ウォレス・ショーンは大好きな訳者ですけども)。
しかし内容といえば、実にウディ・アレンらしいいつもの「愚かなおっさんの惑いの話」なのだが、ちょっといつもとは勝手が違う。アレンは『カフェ・ソサエティ』でもなんともならない人生の悲哀みたいなものを前面に出していたが、こちらはもっとそこはかとない、どうじたばたしたところで人生は進んでいくしそのうち終わる、という達観した境地が基調にある。
よって、なにが起きようとも、主人公がバカげた失態を晒そうとも、大局的にはなんの影響もない。主人公夫婦は離婚もするし、それぞれのキャラクターの人生にはいろんな事情があることも匂わせているが、それもまた人生であり、とりたてて騒ぎ立てることでもないのだ。
と、結局アレンを取り巻く問題に話が戻ってしまうのだが、今の状況でここまでさらりと、白湯のように達観した映画を作ってしまうあたりに、アレンという作家の哲学性を感じずにはいられないのです。
まんまと嫌味な罠にはめられる
映画監督の広報担当の妻と共にスペインのサン・セバスチャン映画祭を訪れ、妻の浮気を疑い右往左往するというウディ・アレン得意分野のお話です。でもね・・
名作映画や哲学者の言葉を引用するのはウディ・アレンの得意技でそれがちょっと嫌味な所でもあるのですが、本作はちょっと遣り過ぎではと感じました。映画のパロディが10作近く次々と繰り出されるのですが、「市民ケーン」「皆殺しの天使」「第七の封印」は原作を知らなければ「これ、何の事?」と戸惑うでしょう。「分かる人は笑ってね」という造りは、若い人を映画館から遠ざける事になりはしないでしょうか。
でも、僕の様な半端な映画ファンに「僕は分かっているよ」とこんな風に話題にさせるのも彼の作戦なんだろうな。そして、スノッブな人間はまんまとその罠にはまってしまったという訳です。
一方で、幼い養女に対する性加害疑惑(関係書籍を読むと、その真相はまだ謎の模様)でアメリカ映画界では完全に干されたと聞いていたウディ・アレンの映画が米本国ではどう公開され、どう評されているのでしょう。
そりゃ乗り換えられるに決まってる
プライドだけやたらに高いハゲ老人と、若くて才能溢れるイケメン、映画にするまでもなくどっちを取るかは分かり切っている。ただ女医さんの姿は数年後の元妻を暗示してるのかな。
NYの寅さんが今度はスペインへ
クリストフ・ヴァルツ目当てで見ました。クリストフ演じる死神が立ち去る時のメッセージはとても親切で表面的で皮肉でよかった。思いがけず「勝手にしやがれ」の若くて美しいベルモンドに出会えたのはサプライズで嬉しかった!あとは最初から最後まで「ウッディ・アレン」映画、お腹いっぱい。
ゴダール以外では「市民ケーン」「男と女」「8 1/2」(他の映画はわからなかった)のモノクロ・変型版が楽しかったし、主人公がひたすら昔の日本映画(稲垣監督や黒澤監督)について語る場面で同席のみんながしらけていたのは笑えた。でもちょっと悲しかった。正しい日本語で日本映画の監督や俳優の名前を挙げるのがスノッブに響いたんだろうか。それとも、どこの映画?わかりましぇーん!が普通の欧米人の反応なんだろうか。いずれにしても映画監督はシネフィルであって欲しい。その点、ウッディ・アレンはいい監督。
鑑賞動機:あらすじ1割、時間が空いた9割
何ですかね、この気持ち。同類嫌悪でしょうか。いやこんなに知識ないですけど、蘊蓄垂れ出したら止まらないとか、とにかく何か一言言わずにはいられないとか。もう少し好感の持てる人物だったらまた違ってたろうに。
むむ
見るタイミングを間違えた。大事な電話がかかってくるかもしれない、でも88分ならなんとかなるか。そんな気持ちで見たら、あまり進展もないのですごく長く感じた。
そもそもクラシカル映画への造詣がないからオマージュが全然わからない。サンセバスチャンの風景を楽しみにしていたが海辺以外はそこまでピックアップされない。映画祭もほとんど出てこない。となると残るのはひたすらイライラさせられる登場人物ばかり。
モートさん、図々しすぎ。女医さんよくドライブ付き合ったな。そして仮にも妻のクライアントに失礼すぎ。
妻、夫の前でいちゃつきすぎ、仕事の話ばかりしすぎ。
冴えないおじいちゃんも才覚次第で美女との楽しいひとときを過ごせるという妄想の具現化映画なのはわかるけど全く感情移入できなかった。。
というか二箇所ほど字幕間違いがあったけどあれはなんだったんだ。一つはそもそも漢字間違いか誤植?だったような。もう一つは病院で、僕が映画教えてたこと言ったっけ?の返事が you did? なのに「聞いたわ」になってたこと。真逆やんけ。
天下のウッディアレンだからこそ見に行ったのに、なんか蔑ろにされてるのかしらとさえ思った。。
ひとまず古典映画ファンなこと、は条件の模様。
勘違いじいさんの恋愛と失恋物語
ウォーレス・ショーン演じる主人公が見ていてツラい。
自身の知性をひけらかすための会話のワード選びなど、
正直、めんどくさい人だなと思ったし、全く感情移入も共感もできなかった。
小説家を目指して執筆するものの、絶対完成しないと自身の夢の中で揶揄されるところが、
自身も暗に認めているからだろうと思う。
そして映画の先生が向いているとも。
奥さんとうまくいっておらず、映画祭中も主人公はまるでそこにいないかの如く扱われ、
そこは悲哀を感じるものの、自業自得とも思えたし、
そこから、反発するように女医に恋していく姿は、哀れでもあり、致し方なくも思えた。
ラスト近くの死神が主人公に言うセリフが
私が通っている病院(内科)でいつも医者が言っていることと同じなので、ちょっとツボった。
優しいやん、死神。と思った(笑)
それにしても、サン・セバスチャンへ、ようこそ・・・というタイトルにもかかわらず
映画祭の雰囲気を味あうことがほとんどできずに消化不良だった。
とはいえ、最後まで意識を失わずに観ることができたのは、
ウッディ・アレン監督作品だったからかもしれない。
アレンさん、サン・セバスチャンでさようなら
チビ・デブ・ハゲの三拍子そろった小説家の主人公と、お色気ムンムンの熟女奥さんの夫婦って、そもそも設定が無理筋で、若くてハンサムでマルチタレントな新進気鋭映画監督が登場すりゃそりゃ奥さんねんごろにもなりましょう。たまたま遭遇した美人女医さんに熱をあげるシーンも痛いだけで笑えん。 W.アレンの自身の投影とはいえこのストーリーでは映画に入り込めない。アレンもさすがに老いたか。名カメラマン、ヴィットリオ・ストラーロが撮影監督だが撮影に特筆すべきところはなかったような。
あと名作映画のオマージュになってる妄想シーンだが、トリュフォーなのゴダールだのベルイマンだの作品群に決して明るくないのでどうも楽しめなかった。(わかったのは市民ケーンぐらい。まあこれは私の映画基礎教養の無さが悪いんだが)まあ、元ネタ知っていても総合評価はかわらないとは思う。 日本映画を例にだしてキモオタがられるシーンは笑った。
スペイン北部の街サン・セバスチャン。 毎年開催される映画祭に妻スー...
スペイン北部の街サン・セバスチャン。
毎年開催される映画祭に妻スー(ジーナ・ガーション)とともにやって来たモート・リフキン(ウォーレス・ショーン)。
かつて大学で古典映画の講義を行ったこともあったが、いまでは書けない小説を書くふりをするのがせいぜいの老いたインテリ。
妻スーは映画のプロモーターで、今回は新進監督フィリップ(ルイ・ガレル)の新作広報が目的だ。
なので、スーとフィリップは絶えず一緒にいるが、モートはそれを怪しいとにらんでいる。
そんな心労が過ぎて、町医者にかかることにしたが、その医者は美人の女医(エレナ・アナヤ扮演)。
モートは彼女に夢中になるが、彼女には非道な夫がいて・・・
という、まぁ毎度毎度のウディ・アレン映画。
見どころはモートの妄想で、フェリーニ、ベルイマンなどウディ・アレンお好みのヨーロッパ古典映画の名場面のオマージュ。
面白くなりそうなんだけど、なかなか面白くならないのは、演技陣が弱体のせいで、常連のウォーレス・ショーンがウディ・アレン本人を彷彿させる役を演じているが、あまり魅力がない。
このひと、脇に回ると良いが、主役だと荷が重いね。
女優陣も小粒で、精彩を欠いた感じ。
で思ったのは、やっぱりウディ・アレン映画って役者でもっているところが大きかったのね、ということ。
この映画、好きだけど
星5かと言われると付け難い。
タイヤがパンクしたとき、車の下に潜っていれば
最終日に来てくれたのかなあ。
才能がある男性であれば、パートナーはできやすいんでしょ?って勘違いしていたけど、
それはパートナーに失礼だったなと思い直しました。
性別は関係なく、小難しい固有名詞をダーっ話すと相手は疲れちゃうわね。
俺の魅了をわかってくれたか!って感じもなんか嫌ね。
っていう皮肉の映画なんで憎みきれない。
幻影を追い求めて。
2020年。ウッディ・アレン監督。妻の仕事でスペインのサン・セバスチャン映画祭にやってきた自身もかつて映画監督だった男は妻の浮気を疑っている。浮気相手は新進気鋭の若手映画監督で、かつてのヨーロッパ映画を愛する主人公はこの男の作品も気に入らない。仕事にも恋にも強すぎる憧れを抱き、返す刀で自分自身を含む現実に幻滅し続ける主人公。そのように人生に幻影を求め続ける主人公の姿をユーモアに描くウディ・アレンにしか作れない映画作品(たち)最新版。
主人公は憧れの映画作品を夢(や白日夢)として見るのだが、浮気疑惑を気に病むあまり、その作品は自身と妻の身の上に重なっている。監督はこうした場面を「勝手にしやがれ」や「突然炎のごとく」や「市民ケーン」のシーンをカット割りや画角も含めて再現する形で自分自身で撮り直している。そこに現代の人間たちが出演している。これがやりたかったんだろうな。憧れに近づこうとすることが律儀な模倣となる、しかし、照れと自虐でそのままは撮れないからパロディにしてしまうというウディ・アレン的精神構造が明け透けにみられる。この「明け透けさ」も監督独特のあり方だ。
青い空と光、静かな海、コンパクトな街並みに、赤い車や白ワインが映える。人生とは幻影を追い求めることであり、その純粋な形は映画(映画製作)である。それがウディ・アレン監督の変わらぬテーゼだ。
妻は、アホな映画監督にノボせてる。
お祭り気分の映画祭で展開される、歳下の美しい妻を持つ権威ある小説家の老人の焼きもち。
・・そういえば、ちょっとコミカルで茶目っ気あるストーリーを想像する。自分もそうだった。だけど、どうもその気になれない。老人は、しみったれで冴えない。そもそも過去にすがり、自分を磨こうともしてそうもない時点で魅力を感じない。妻は、言動が鼻持ちならずにいけ好かない。こっちはこっちでいい歳をしてフェロモン駄々洩れの時点で痛いオバサンのしか見えてこない。ああ、ぜんぜん、気分が乗ってこない。乗ってこないまま、寝た。こっちの方が気持ちよかった。
ウッディ・アレン健在
なんだかんだ言っても、二枚目嫌いよね(笑)
主人公は、冴えない男。
よく喋るし、持論展開系。
でも、パートナーはいい女。
これ、外せない感じね。
でも、街とかインテリアとかおしゃれとか、そのどれもがウッディ色。
言葉だけのニューヨークも、想像を掻き立てられる語り口。
たから、最後に持っていく絵もホックニーでもおかしくないし。
もう、最後まで見届けるしかないよね。ウッディ監督を。
ジューイッシュのいじり方も変わらず。
サンセバスチャンがホントに美しい街だとわかり、やっぱり行くべき!
って、確信した〜
齢61になるジーナ・ガーションがとっても素敵
爆笑問題、太田光さんが尊敬する映画界の至宝ウッディ・アレンと対談で話題になった映画。
彼の真骨頂、恋愛と人世を絡めた皮肉っぽい男女の恋物語。
峠を越えた男が釣り合いが取れない歳の離れた年下女性との老夫婦生活。才能あふれる新進気鋭の若い男に惹かれる妻への醜い嫉妬。
スペインの美しい光景が彩る物語、定年を迎える日本の既婚男性諸氏にはしみじみ感じるかも。
齢61になるジーナ・ガーションがとっても素敵だった。
映画中の名言を2つ『結婚は痛みを引き起こすの』『女に戻れた気がして情熱と欲望が沸いてくるの』
監督の映画愛が感じられる
前知識が全くなく観ても、ウディ・アレンの映画だとわかる。
ウディ・アレンの巨匠たちへの尊敬が感じられ、ふんだんにちりばめたオマージュが心地よい。
私のようにほとんどの元ネタの映画がわかっているものにとっては大変楽しめた映画であった。
独自の世界感にひたりました。
客観的にみたらおじいちゃん。
映画界のキラキラした人たちの中ではどうにも浮く外見だけど、でもまだいけるんちゃうか、という感じを斜めからみる感じがウッディアレンぽい。
弟のこととかぐじぐじとしてるとことか、男の駄目さとか未練たらたらさとかがしみてていい。
全78件中、1~20件目を表示