あんのことのレビュー・感想・評価
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救えなかったのか?
見る前から暗い映画だと知っていたが、以前に見た映画 関心領域 人間の境界に比べれば、救いがあると思われた。彼女には一緒にカラオケする仲間? ラーメンを食べる仲間がいたから
彼女を救えなかったのか? どこかで 救いあげる事はできなかったのか? 小学校で担任は気がつなかったのか?
やっと 自立できる道を歩もうとしたところに、コロナ禍が始まり、彼女は孤立する。追い討ちをかけるように、隣人から子供を預かり、その事を誰にも相談できず、なんとか子育てをしようとする。健気で純粋で、知恵のまわる大人であれば、児童相談所に電話するだろうが…
最後は絶望し そりゃ~ 絶望するだろう。
私だったら何ができるのか? まず、そういう人たちに気づかない。自分のことでいっぱい いっぱい。
誰か悪いというのは簡単だ。そういう人たちを救うシステムが必要だと思うが どうやって?
困った時、誰にも相談できない、声をあげることすら知らない。助けと言えない。せめて、彼女の声を聞くことが社会をと願う。
心に穴が空いた感じ
一言で言うと救いがない。
分かりやすく上げて落とす流れ。
結局、杏は凄く良い子で周りがダメな大人ばっかだった。
バッドエンドだが不思議と悪い映画とは思えないほど観やすかった。
傑作でした‥気になっている人は是非
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
あえてマイナス面から‥
個人的には最後の留置所面接の説明セリフは全く要らないとは思われました。
あんなにセリフで説明されなくても、その前のシーンで全部十分見ていれば分かりますし、監督は、自分のモンタージュの積み重ねの演出と役者の表情の演技を、観客の鑑賞力を、信じて欲しいと思われました。
多々羅保(佐藤二朗さん)と桐野達樹(稲垣吾郎さん)は、善悪の曖昧な立ち位置が(こちらにも否定と肯定を錯綜させる)魅力であったのに、なぜ最後に善の方向に人物に引き戻して、その善悪の曖昧な立ち位置の魅力を破壊する表現をするのか、本当に疑問しかありませんでした。
最後の留置所の説明セリフは全く要らない要らない、と、個人的には心の中で叫んでいました。
キノフィルムの作品では少なくない作品で私的見られる印象で、日本映画の少なくない部分で見られる印象ですが、あの自分たちを善人の側に置こうとする欲望のみっともなさはどうにかならないかと常日頃思われています。
日本映画界(の一部)に根強く居座っている、自分たちを善人の側に置こうとする欲望のみっともなさは、本来は矛盾に満ちた人間を描く映画にとって、個人的には害悪以外になく、本当に滅んで欲しい利己的な欲望だと思われています。
そして個人的には、入江悠 監督には『AI崩壊』などで、善悪の描写が分かれ過ぎる印象を持っていてどうしても不信感はぬぐえていないのですが、今作でも最後の最後に顔を出してしまった、もったいない以外にないとの感想を持ちました。
また、最後のシーンも、重要なエピソードを短い2場面でパンパンと見せて終わった方が良かったと思われます。
仮に、最後の留置所のシーンがなく(あっても多々羅保の表情のみ)、ラストが短い2場面で終わっていれば、個人的には久しぶりの、文句無しの5点満点の素晴らしく見事な映画作品だったと思われました。
主人公・香川杏を演じた河合優実さんの素晴らしさは言うまでもありませんが、2020年の当時の空気感を描いた、描かれなければならない描写も含めて、現時点では2024年の邦画でトップの作品に感じました。
ここに書いたマイナス面を差し引いても、それをはるかに凌駕する、図抜けた傑作だと思われています。
この映画が今後、広く評価されることを個人的にも強く願っています。
良質ですが好みではない作品
駄目な親、駄目な刑事、駄目な記者と駄目ばかりなところに、せめてもの救いだった介護施設も学校もコロナの影響で行けなくなり、最後の生きる希望であった子供も取り上げられ、本当に救いのない作品。
残された日記には子供の嫌いな食べ物などが書かれており、それを見た時にはもう少し希望のある終わらせ方は出来なかったのかと思わされました。
役者の演技や映像など映画としての質は高いと思いますし、実際にこういうことは身近なところで起きていて他人事だとは言えないとは思いますが、本作のように問題提起だけして終わりの映画は好みではありません。
追記〉
役者の演技はいいと書きましたが稲垣吾郎は除きます。一人だけ浮いて見えました。
せっかく立ち直りかけたのに
救いようのない家庭に生まれ育ち、小学校もまともに通っていかった主人公。折角立ち直りかけていたのに、恩人の刑事が自分の性欲におぼれて逮捕されるわ、コロナで自宅待機になるわで閉塞状態になっていたところ、ひょんなことから幼い男の子を押し付けられ、芽生えた母性でなんとか自分を維持していたのに、毒親につかまった上に子供を児相に持っていかれるわで、そりゃ絶望するわな。いつから、日本はこんな弱者に冷たい社会になってしまったのかな。
諸行無常
薬漬けになって自身を消耗品のように扱っていた彼女が更生していくように、更生の道を懸命に進んでいた彼女が、また薬に手を出したように、変わらないモノってこの世にはないんだなと思えた。
この事件を俺は詳しくは知らないけれど、彼女になんらかの面識がある訳ではないけども、今、とても情けなくて、悔しくて、腹立たしくて涙がこぼれそうである。
あんな親が現実にいるんだろうか?あんな境遇の子供が現実にいるんだろうか?
12歳で親に促され体を売り、程なくして薬を覚え、以降は生活の為に身体を売り続けてる。最終学歴は小卒なんだそうだ。
…俺に見えてないだけで、関わってないだけでいるのだろう。耳を疑うようなNEWSは毎日のように聞こえてくる。
ただ…この国には彼女のような境遇の人間を救済する場所があって人もいるのだと驚いた。
刑事は再三語りかける「お前次第だ」
彼女が手を伸ばせば、その手を掴んでくれる人達がいるんだ。
薬物更生のセミナーを個人的に開いている刑事
経歴を不問にして雇用する介護施設の社長
DVに苦む人達にマンションを無料で提供する人達
誰にでも教育を提供してくれる学校
全く接点がない人生だったけど、フィクションじゃない事を祈りたい。
変化していく彼女を見るのは喜びだった。
働いて報酬を得て質素な暮らしをしているであろう事が、彼女の衣服にもメークにも現れてる。
ようやく生活が安定しだし更生への道筋が見えてきた時期にコロナが始まる。
働いていた介護施設から暇をだされる。感染拡大を危惧する国からのお達しらしい。
馴染みの中華屋が休業を余儀なくされる。
刑事のスキャンダルを週刊誌がスッパ抜く。
隣人から子供を強引に託される。
不運が彼女を襲い連鎖していく。
子供を託された時、瞬時に厄介事になったと思った。コロナ禍で自分1人でも大変なのに、見ず知らずの子供の面倒までみる事になるのか、と。
虐待の連鎖が始まるのかと怯えてた。
でも彼女は母になった。
隼人君は彼女の支えになったみたいだった。
おそらくならば、友達も恋人も無条件の愛を注いでくれる親もいなかった彼女には、隼人は初めて「孤独」を解消してくれる存在だったのだろうと思う。
生きる理由を見つけた彼女は母親と再会する。
「バァちゃんがコロナになって大変なの。一度でいいから帰ってきて。お願い。」と泣きつかれる。
帰宅した彼女は隼人を人質にとられたような形になり体を売ってこいと脅される。
「稼いでこいよ!私らを殺す気か!」
…ひでえ親がいたもんだと腑が煮え繰り返る。
僅かな金を握りしめ朝帰りした家に隼人はいない。
「泣き喚いてうるさいから児相に電話したら、連れてかれた。」
彼女の何かが崩れた。
この親は彼女からどれほどの物を奪えば気が済むのだろうか?何一つ与えはしない。
1人の部屋で彼女は、また薬に手を出す。
更生の過程を記した日記を燃やす。何もかも無駄だったと吐き捨てるかのようだった。
そんな彼女が1枚だけちぎり取ったページは隼人のアレルギーの項目を記したページだった。
そして彼女は自死を選ぶ。
…やるせない。本当にやるせない。
自死を選んだ彼女を意思が弱いと責められるのだろうか?思うに、薬物に冒される人生は死よりも恐ろしいものなのだと思えてしまう。
隼人がいた人生を経験した彼女には、そう思えたのだろうと思う。
ふとしたキッカケで人生には躓く。
極めて不安定な一方通行の迷路を歩いてんだなと思う。世の中に救いようのないクズはいるが、彼女のような境遇の人に出会う事があるならば、先入観に振り回されるのではなく、ちゃんと見ようと思う。
余談ではあるが、
稲垣氏が演じた記者が「僕が記事を書かなければ彼女は死ななかったんですかね?」と泣き崩れる。
何を今更と呆れるし、そんな事を後悔するような記者は現実にはいないと思われる。
そんな正常な倫理観を持ってたら記者なんて務まらないんじゃないだろうか?
なので、今更善人ぶりたいのか?と呆れる。
情報提供者に身元がバレないようにするって言いながら、取材対象者には提供されたLINEの画面を見せる。もはや匿名ではなくなってるし、提供者にどんな危害が及ぶかわからない状態だ。
提供者にどんな危害が起ころうと責任をとる気なんて更々無いよね。
「問題提起をしただけです。後の事には責任を負いかねます。」そういう立ち位置だもんな。
昨今のマスコミの在り方には疑念しかないわ…。
良い事も悪い事も人が運んでくる。
人と深く関わらなければ、悪い事も起きにくい代わりに良い事も起こりづらい。
僕らはそういいう葛藤を日々抱えながら生きてるんだと思う。
俳優陣は皆様熱演だった。
主演の河合さんには本年度の俺的アカデミー最優秀賞新人賞を授与したい。
佐藤二郎氏と母親役の河井青葉さんには助演賞を。
偶然なのかもしれないけど、実母に話しかけられた隼人君が「いやいや」と首を振るカットがある。その仕草に杏の残り香を嗅いだ気にもなり、廊下でシルエットになる2人の後ろ姿に、選択されなかった杏と隼人の未来が被ったようで切なかった。
救いがない
多々羅が無理。いきなりヨガ、ところかまわず唾を吐く、あんのためとはいえ恫喝怖すぎ…
あんが薬を打ってしまって助けを呼んだとき、体に触れたことに「グルーミング!!!」との危機感が湧いた。
で、結局自助グループを私物化して女性参加者をレイプしてたってことよね。
女に手を出したというレベルではない、恫喝・恐喝的な音声にむりむりむりむりむr・・・・ってなる。実はいい人的評価は下せない。
あんの母親、河合青葉って分からんかった。エンドロールで名前出てきて、えっ?ってなった。
今までの河合青葉のイメージとつながらなくて、びっくりした。よいお仕事をされたのだね。
とはいえ、この母親を行政がさあ、娘から引き離せなかったのがさ、ダメなんじゃん?
なんなん、母親が娘に売春を強制してたっていうのは、刑法で裁けないの?
母親にママと呼ばれる娘の悲劇もさることながら、娘が孫をママと呼んで、虐待しまくってるのを許している、あんにとって”好きな”おばあちゃんは、全然あんの味方じゃない。
いつから足が悪いのかわからんけど、足が悪くなる前にできたことあったんちゃうん?
娘が孫をママと呼ぶ状況は、あなた(祖母)由来の何かでは?
そこをなかったことにしている描き方に疑問を感じた。
河合青葉演じる母親は、あの状態で生まれたわけじゃない。
つか、広岡百合子だったらしいね、祖母。これも全く気付かずでした。
あと、母親から逃げてるって知ってるのに給与明細を自宅に送って、母親を施設に来させた施設の職員の対応も、いやおめーの手抜かりやろ、もっとしっかり謝れよ、なにを上から辞めんでええとかゆうねんと思った。
あとは、子どもをあんに押しつけてふらふら蒸発した早見あかり演じる母親ね…
これはもう何も言う気力がなくなる。
母親からの虐待・売春強要、祖母からの見て見ぬふり、強要された売春で覚えた覚醒剤、
助けてくれた多々羅が逮捕され、助けてくれる人もいなくなり、コロナになって仕事も失い、
学校で出来たつながりもか細くなり、そこに押しつけられた子どもを必死に面倒を見ることで得た健やかなものを、母親によってふたたび奪われ、やめられていた覚醒剤を使ってしまって、
そのショックで自死を選んだ、という話ですわね。
救いがないように描いているのだろうけれども、なんだろうこの釈然としない気持ち。
救いがなく、怒りを覚えるというのが、悪いこととも思わないんだけど、みてよかったと思えないのわたし。
役者の皆さんは、よいお仕事をされたのだと思うのですよ。河合優実も稲垣吾郎(情熱の薔薇唄ってたね)も佐藤二郎(こんなガチのゲスじゃなくて鎌倉殿の比企さんくらいのかわいげが見たかった…)も。
で、悲惨な出来事で露と消えた一人の女の子への鎮魂歌として、描かれたのだろうとの意図もわかるんだけど。いい映画だったとは言いたくない、と思うのです。
私を変えたこと
2024-6-16 午後のイオンシネマ 観客21人
妻は観ない事を選んだ。 観終わって、この作品のどこまでが真実なのかが気になった。 妻には、「観なくて良かったと思うよ。」と伝えた。
未見の人はここまで。
帰宅し夕飯を食べる。 大河を観、日曜ドラマを観る。 寝たが夜中に目が覚め寝付けない。 普段書かない感想を書き留めた。 それ以外に何もできなかった。 この映画を観た事、考えた事を忘れぬために。
作中の転換点はいくつもある。 社会的にはあの感染症によって職場・学校・更生サークルとの繋がりが無くなった時。 だがそれよりも彼女にとって重要と考えられるのは、ぼったくられた上の初任給で迷った末に買ったヨガマットを母にクシャクシャにされ給料まで取られた後、雨の夜、橋の下でうずくまって絶望していた彼女を刑事が救護してくれた時。 また、家から脱出してシェルターマンションに住み始めた時。 更生サークルで自分の事を話せるようになった時。 連れ戻しに職場に来た母親を施設長が追い返した後、いたたまれず出ていこうとする彼女を施設長が「いて下さい。」と言ってくれた時。 毎日日記に〇を付ける時。
そして更生サークルを利用した刑事の性加害記事を、協力者と思っていた記者に見せられた時。 幼児を見知らぬ女に押し付けられた時。 自分さえも大切に思えなかったのに、子供第一になっていく日々。 幼児を母に人質にとられ売春をすることになった時。 帰った朝、母の電話で幼児が児相に連れていかれたと知った時。 母を刺そうとしてできなかった時。 シェルターの部屋で絶望し、また覚せい剤を打ってしまい、〇を付けられなくなった日記を燃やそうとした時。 ようやく知ることのできた大きな未来達が、全て、永遠に、失われてしまったと思った時。
誰かに、何処かに助けを求めれば救われたかもしれない。 しかしそんな事を彼女は知らなかったのではないか。 貧しく食べるためにスーパーで万引きを繰り返し、ばれて学校にいられなくなったのが小学4年。 児相にも良い印象がないのではないか。 人や社会は彼女を救うことなく無視するか利用しようとする。
祖母は殆ど歩けず、母は娘をままと呼ぶ。 アル中なのは間違いないが知的障害もあるかもしれない。 家庭が崩壊しているのに今まで生活保護を受けていなかったのは、申請すらできなかったからかもしれない。 福祉課の対応を見れば相当の知識と交渉力が必要なのはみてとれる。 親を叩けば胸がすく、という話ではない。
刑事の行動にも思うところはある。 善意を施す者はより慎重に己の身を顧みなくてはならぬ。 だが彼の行為の全てが悪行の為とは到底思えない。 彼女を保護した時の彼の行動は欲望とは対極のものだった。 我々はどうか。 己の身を顧みなくて良いのか。 見て見ぬふり、他方を向いて耳を塞ぐ事は悪行と言えぬと断言できるだろうか。 刑事の様に直接手を伸ばすことはとても難しい。 しかし苦しみ悶える人を救う法律を作るために、知恵を出し声を上げる事はできるのではないか。 もしそれを阻もうとする者がいるとするなら、それこそが悪行と呼ぶべきものではないのか。
日本では彼女が最底辺ではないかもしれない。 世界には更なる惨禍があふれているのだろう。 それらを知らないことにすれば我々には安息が続くのかもしれない。 観客の少なさがそれを物語る。 それでも少しずつでも我々は前に、希望に向かって進みたい。 それが人間だと信じたい。
最後に、日本世界に共感を得るには難しい映画かもしれないが、先ずは制作・配給してくれた関係者に感謝したい。 また違和感のない演技をしてくれたキャスト、それをそのまま伝えてくれたスタッフに感謝したい。 そしてこの映画を観た人たちに期待し、自分へは戒めとしたい。
翌朝妻には、「やはり観たほうが良い。 いや観るべきだ。」 と伝えた。
2024-6-29 イオンシネマ 観客33人
2週間ぶりに観る。 1日1上映だからか観客は前回より多い。 今回は妻も同席である。 私自身は八割位の確率で再見することになるとは思っていたが、妻が同席を決めたのは前日だった。
私は映画を観る時、いつも時間を気にしてしまう。 この話が後どれ位で、どのような結末を迎えるのか気になってしまうのだ。 だが今回はもう進行が分かっているので、スクリーンに映し出される内容を見聞きすることに集中できる。 自分の思い違いや新たな発見があり、より深くこの作品の中に入り込めた気がした。
ドキュメンタリー様な間も多いが、シナリオの組み立てや演出演技、小物にも緻密な気配りが感じられ気が抜けない。 見落としがもったいない。
冒頭、夜の街を虚ろに歩く何も無い杏。
取り調べ室で多々羅刑事がいきなりヨガを始めると、杏が横上目で苦笑している様な顔をする。 ヤバくてばかばかしいものを見るその顔、この辺りから雰囲気が明るくなる。
介護施設では、杏に「水飲みますか?」と聞かれて頷いた老婆が、コップが置かれた直後に払い落とす。 拭き掃除する杏が薄く笑っているように見えた。 顔色が良くなり髪も短くなった。 自信の無さげな動きと痩せた体からミドルティーンに見える。
橋の下で刑事に保護された過呼吸気味の彼女は、確かに救われた。
カラオケで「どんぐりころころ位歌えるだろ?!」 と言われても歌えない杏。 後に押し付けられた子供に聞かせるのはこの歌だ。
初め母親には知的障害があるのかとも思ったが、強かだった。 子供のうちから娘をママと呼び保護意識を強制させ、言うことを聞かなくなったを思えばテメェ呼ばわりして殴る。
母親に売春を強要され、冒頭と同じ夜明けの街を歩いて帰る杏。 積み重ねたものは一晩で崩れて元に戻る。
子供を失った部屋で過呼吸になった彼女を救うものは誰もいなかった。
焼け焦げた日記から丁寧に破り取られ、彼女が最後まで手にしていたもの。
彼女が全てを失うときに、ブルーインパルスが飛んでいく。 東京五輪が始まる。
杏が亡くなった後に、関係者が語るシーンなどは不要とする意見もあろうが、これらは亡くなった人を悼む供養の祈りだと思う。 失われた命に対しては祈る事くらいしかできないのだ。 祈りの要不要は論議そのものが不要だ。 だがまだある命に対してはやるべき事がある。 先ずは忘れぬ事、そして考え続ける事。
忘れぬ為に2度目を観たわけだが、同時に私はもう一度会いたかったのだ。 スタッフ・キャストが彼女の人生を復元し、観客は観る度毎に蘇った杏を感じる事ができるのだ。
薬物依存からの脱却は極めて困難だという。 多々羅が最後に繰り返す叫びがそれを表している。 幾つもの困難な積み重ねをしてきた杏に祈りを捧げたい。
妻は、子供を預けた母親が許せないと言った。
こんな最後になるとは
知り合いにすすめられて鑑賞!
21歳の主人公・杏は、幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた
ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は、多々羅という変わった刑事と出会う
大人を信用したことのない杏だが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく
週刊誌記者の桐野は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた
ちょうどその頃、新型コロナウイルスが出現
杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまう
行く手を閉ざされ、孤立して苦しむ杏
そんなある朝、身を寄せていたシェルターの隣人から思いがけない頼みごとをされる──
というのがあらすじ!
みて数分で見入ってしまいました…
あまりにも理不尽なことが多い気がしました😔
そしてあの母親が全ての元凶!
親ガチャという言葉は好きじゃないけど失敗だったようにしか見えない
それにいろんな人の助けを借りながらせっかく前に進み始めたのにコロナが蔓延しさらに母親に足を引っ張られる
前に進もうとする人の足を引っ張る人が必ずいるんですよね…
観ててほんと胸糞悪かった!
演じてた河井さんすごい!
コロナ禍になっても必死になって前に進んでよくも悪くも子供を勝手に預けられたことで希望が持ててるように見えました
なのにここでまたあの母親ですよ…
せっかくお金を稼いだのに子供が児相に連れていかれそれでまた薬物に…
心がそこでポキってなっちゃったのかな
それで飛び降りて😔
杏ちゃんすごく優しくて人だったのに…
観た後はしばらく何も考えられなかった
リアルな現実の一つだし杏ちゃんのような人は他にもいるかもしれない
ほんといろいろ考えさせられる映画でした…
みなさんの演技はとてもすごかったです!
特に河合さんの演技がほんとにすごかった!!
上映が始まってすぐ見入ってしまいました…
ドラマでもすごかったのでこれから出演される作品はぜひ観ていきたい😊
素晴らしい映画をありがとうございました☺️
胸糞悪くなるだろうなっていうのは分かっていたけど
観終わった後にこうなるのは分かってはいたものの、何ともやるせなく、何とも切なく、何ともやり切れない、これだって言えない気持ちにさせられました😮💨
河合優実の自然体の演技はもちろん、安定の佐藤二朗の飄々とした演技もそうですが、此の作品の一番の功労者は本当に憎たらしいくらいの毒親の平岡百合子の演技だったと思います🤔
実は佐藤二朗もほんとうにクズだったのかどうかが、ちょっと曖昧なところだけがどうしても気になりました😓
誰かさんの真似ではありませんが、細かいところが気になってしまうのが僕の悪いクセ(笑)
星はいつも三つです
入江悠監督『あんのこと』
映画のド頭に「この映画は実話に基づいています」みたいな注意書きが現れる。
主人公河合優実のあんの境遇は事実として、刑事の佐藤二朗が更生サークルを利用してクソみたいな悪いことをしていたとか、稲垣吾郎の週刊誌記者がそれを暴いたとか、河合優実が赤ん坊を押しつけられて一生懸命育てたとか、それらが事実なのかどうかは知りませんが、なんのための注意書きだったのか。
なんだか、「筋や設定やキャラ造形に文句をいうな。実話なのだから」と最初に釘をさされたような気がして、ちょっとなんだかなぁ……でした。
注意書き、不必要だったのでは。
不必要といえば、主人公あんが自ら命を絶ってからの三つの場面、具体的にいうと「佐藤二朗と稲垣吾郎が対面して『週刊誌でスッ
パ抜かなかったらあんさんは死ななかったのだろうか』などという会話をする場面」、「佐藤二朗が『彼女は薬物をやめていたんだ』とか何度も絶叫するモノローグ」、そして「主人公に赤ん坊を押しつけて姿を消した母親が赤ん坊と再会し『赤ん坊を無事に育ててくれたあんさんのおかげです』という場面」。
これらは不必要というほかはない。
観客に「あんが生きていたことは無駄ではなかったのだ」というわずかな慰めを与えるかのような場面だが、観客に慰めはいらない。むしろ観客にどうしようもなく暗澹たる気持ちで映画館をあとにさせるべきだった。
あんの白いリュック、初めてもらった給料で買ったかわいい日記帳、ぎゅっと不格好にボールペンを握るあんの手、ジャガイモを皮もむかずに切っていく手つき、命を
絶つ寸前の透明になったとしか思えない河合優実の姿。
またこの映画ではノイズが非常に印象的。ゴミだらけの狭い部屋での母親の怒号、狭い町をひっきりなしに通る車や電車の騒音。あんの周囲の世界の凶暴さをノイズが端的に表現している。
そういったすぐれた断片を思い返すたびに「なんとかならんかったのか」という思いを新たにすることが『あんのこと』の映画体験。
事実を基にしているというがどの部分なのだろうか
いつもの映画館で
チラシとか予告編を見て楽しみにしていた
日曜日とあって客が結構入っていた
主役の河合優実は由宇子の天秤に出ていた実力者で
流石の演技だった
こういうストーリーを薄々期待してほぼその通りだったのだが
いまひとつ納得感がないのはどうしたことか
同じく事実をベースにしていて
新コロで追い込まれる女性を描いた作品
夜明けまでバス停で の方がオラは好きだ
事実を基にしているというがどの部分なのだろうか
監督がこのストーリーを通じてここまで主人公を痛めつけて
世に訴えたかったことは何なのか
・毒親
・児童売春
・役所の不作為
・警察官の不祥事
・マスコミの報道姿勢
・新コロ対応の迷走
・育児放棄
どうも掴みかねたし理解しがたい
メシバナ刑事は吸殻をポイ捨てしたりツバを吐いたり
はじめから違和感プンプンであぁなるほどと
あまりにも肩入れすると情が入る
自分はここまでしてあげているんだから
これくらいの見返りはあってもバチは当たらんだろうと
善悪の線引きがあいまいになってしまう バチは当たる
いかにも脇が甘い
清濁併せ飲むなんてことは今の世の中では不可能だ
心よく思わない人物からのリークとの示唆があったが
このあたりは事実なんだろう
弧狼の血に近いニュアンスを感じた
職場とかシェルターの場所が簡単に毒親にバレる
だらしない 残念ながらそれが事実なのかもしれないが
そこはちゃんとしている前提の方がよかったと思う
河井青葉が演じる毒親の行状とか
家の中の様子とか過剰すぎて飲み込めない
なんかストーリーが散漫になっているのは
そういったところにも原因があるような
主人公が最後にとる行動の理由 どうにも理解できない
残したメモを見て感謝する母親
墓参りなんて言ってるが全く共感できない
主人公が薬物回復プログラムで
やっと自分の言葉でしゃべるシーンだけは共感した
杏ちゃんを応援したくなった‼️
衝撃やったー😳ストーリーはなんとなくわかってはいたがここまでとは思わなかった💧。
まさかのラストも良い意味で期待を裏切ってくれたし、どこまでが事実なのか調べたくなりました😢。
母親の胸糞の悪い事👎(それほど演者さんは素晴らしかった)杏ちゃんが可哀想で可哀想で仕方なかった。
施設に乗り込んできた後、社長の「一緒に考えよう」は杏ちゃんに気持ちが入って一緒に泣いてしまいました😭嬉しい言葉でしたね。
多々羅さんは裏はあったけど杏ちゃんのためにやってくれた事に嘘はないと思うし、3人でラーメン食べるシーンは自然と笑みがでてました。
演者さんも主役はもちろんサブでも佐藤二郎さんと稲垣吾郎さんじゃないですか〜😆ダントツで安定‼️。
二郎さんはちょい強面の刑事さんお似合いでした。
吾郎ちゃんはスマートな記者さんパッチリはまり役でさすがでしたね、ちょい演技に昔と比べると違和感あった気もするが気のせいだろう(SMAPでは吾郎ちゃん推しなので(笑))。
と主役の河合優実さんね、シーン最初の頃から後半になるにつれて素直だしまっすぐだし優しいし健気だしめっちゃ応援したくなったほど役にはまってました☺️。
衝撃はあったがとても面白かったです…が、人と観に行くにはオススメはしないかな。
不幸をパッケージにしてエンタメにした作品
不幸をパッケージにしてエンタメにした作品。映画ってそもそもエンタメなのでそれでもいいのだけど、肝心なのは没入できるかできないかだと思う。この映画はいちいち気になるところが多くてダメだった。特に母親がオーバーアクト。ないでしょ。これ。悪徳介護事業者や怒鳴り込んでくる部外者の対応もないと思う。面識のない人んちのドアを叩いて子供を強引に預けて男に会いに行く親とか現実的にいるの?しかも育ててるし。教育を受けられなかったからどうしたらいいかわかんないっていうのはわかるんだけど、さすがにないと思う。
持ち上げて落とす
杏が死んだのは確かに自責の念だったかもしれない。そのきっかけはいつも母親、シャブをうちたくなってしまうのは母親が邪魔するから。結局育った環境(ベースの部分)にいつも引き戻されてしまう。悲しすぎる結末。コロナのせいではない、助けてもらって頑張って持ち上がったのに落ちてしまった。酷すぎる生い立ちなのにときより見せる杏の笑顔が印象的だった。刑事の犯した罪は杏が身売りした相手男性と大差ないのでは?自業自得なのにヨガ教室が閉鎖されそこに通う人の心配をするのはおかしい。刑事が失態を犯さなければ確かに杏はまだ生きていたのかも。でもそうならば映画化はされなかった気がする。河合優実は素晴らしい女優です。
せつない
性加害の問題など、昨今いろいろ悲しい話が表に出てきているので、こういう境遇の方もいるだろうな、と納得してしまう。
ただただ悲しく,切ない。淡々と描かれていて、とてもよかった。
多々羅のしたことは、ジャニー喜多川氏と似てるかな、と途中思った。ジャニー氏は、多分全ての子に手を出していたと思うけど。
個人的には,本来なら,子供の保護は政府がするべきことなんだと思う。コロナのせいで"仕方ない"ではなく、本来は政治がこういう子供を救うべきと思うけど、そういうシステムがないもんなぁ。。。
「記事にした自分が悪い」なんて、桐野が思うことじゃないのに。
稲垣吾郎さんのコメント
「人は生まれながらに誰かと繋がり生きていく権利を持っている。」
にとても共感。権利なんだよね。うん、うん。
わたしは飛び降りる直前のシーンで、
「あ、人って一人じゃないんだ。そして、一人では生きていけない、ってことを認識しないと。」
と、ふと思った。私はずっと自立しないと、と一人で頑張ってしまっていたんだけど。杏も、誰かれ構わず、頼れる人を探せるくらいだと良かったんだけど。
頼っちゃいけない、と思わされているところから、世の中狂ってきているのかも。
「お金があれば生きていける」と、思わされているところも一緒。
追記
今、TVドラマ見て思ったけど、ドラマの方がよっぽどかわいい。事実の方がだいぶ酷いことの方が多い。犯罪の内容も、人間性も。前に、警察内での横領などを題材にした映画の時も、「実際はもっとひどいから」と、教えてもらったことがあったなぁ。
感謝はしても尊敬はしないという距離感を持つことで、家族の呪いは少しだけ和らぐ
2024.6.13 アップリンク京都
2024年の日本映画(113分、PG12)
2020年6月1日に朝日新聞に掲載されたある女性の顛末をモチーフにつくられた社会派ヒューマンドラマ
監督&脚本は入江悠
物語の舞台は、都心のどこか
14歳のときから母・春海(河井青葉)に強要されて売春を繰り返してきた杏(河合優実)は、ある日、客の男(山口航太)がシャブを打ったあとにぶっ倒れてしまう事件に遭遇してしまう
逃げ出すこともできずに警察の厄介になるものの、そこで担当になった刑事・多田羅(佐藤二朗)はおかしな男で、突然取調室でヨガを始めてしまった
多田羅は「サルページ赤羽」という名前の「覚せい剤から立ち直るためのセラピー」を個人的に運営し、そこで「覚せい剤から立ち直ろうとする人々」の復帰を支援していた
杏はそのセラピーに足を運び始め、多田羅の紹介で介護職に就くことになった
だが、初任給はかなりピンハネされていて、わずかな収入も母親に奪われてしまった
そのことが原因で杏は再び覚せい剤に手を出してしまい、多田羅は母親から分離させなければ難しいと考えた
杏は多田羅との約束を守って家出をして、シェルターに住むようになる
今度は多田羅の友人のジャーナリスト桐野(稲垣吾郎)の紹介で「若草園」という施設で勤めるようになり、さらに日本語学校にも通うようになる
徐々に笑顔を取り戻しつつあったある日、多田羅がセラピー参加者・雅(護あきな)への猥褻行為が発覚して逮捕されてしまう
さらに、コロナ禍の直撃に遭ってしまい、施設は非正規雇用の一時休職、日本語学校も休学となってしまう
そんな折、シェルターの隣人・三隅(早見あかり)から強引に子ども(稲野慈恩)を押し付けられてしまうのである
映画は、子育て以外は実話ベースになっていて、母親に売春を強要されたことや、親身になってくれた刑事が実はセクハラ常習者だったというところは事実になっている
それでも、事件の発覚の時系列(自殺後に逮捕)などが映画向けに改変されていて、あくまでも「モチーフ」として、完全再現を目指してはいない
本当に救いようのない映画になっていて、希望に見える部分はフィクションになっているので、現実はもっと悲惨であるように思える
孤独と孤立の違いが描かれていて、孤立状態が長く続くほど、孤独というものが強調されていくように見えてくる
杏を死に至らしめたのは、ざっくり言えば「それでも母を刺せない弱さ」であり、幼少期の思い出が「祖母を神格化させている部分」もあるように思う
俯瞰してみれば、杏のこの状況を作り出しているのは祖母(広岡由里子)であり、毒親の連鎖が続いていたように思える
母は杏を「ママ」と呼ぶのだが、それは目の前にいるはずの母は母ではないという意味になるし、母親らしきことをしてこなかったことに対する当てつけのように思える
そうして、繋がってしまった親子の絆というものが呪いになって、杏を縛り付けていたのである
いずれにせよ、コロナ禍を忘れないという思いと、あの渦中で杏のようにひっそりと死んでいった隣人がいるというのは衝撃的であるように思う
このような世の中で生きていけるのは、自分のことだけ考えて、心配するふりをしている三隅のような人間であり、さらっと「お墓参りできないのですね」と自尊心を傷つけない程度に距離を置くところが恐ろしくもある
映画の主題は多田羅が語る最後のセリフであり、「現実逃避すら拒まざるを得ない絶望」というものが、このような顛末を引き寄せてしまうのかな、と感じた
重いけど惹き込まれる
鑑賞後、深い余韻が残る作品でした。
前半の希望の糸を手繰り寄せながら前を向いて生きようと上り坂を登り始める展開と、後半の下り坂を転げ落ちるような絶望に次ぐ絶望のコントラストが印象的な構成でした。
主人公のあんが今そこにいそうな息遣いで演じられていて、劇場内は満員で没頭できないかもと言う不安をよそにあっという間に作品の中に引き込まれました。あんの母親も怪演で性根から毒親という感じがして非常に説得力がありました。
少し残念だったのは、あんを取り囲む何人かの人物たちや演出の描写が雑というかアンビバレントだったこと。
稲垣吾郎は佇まいがSMAP稲垣吾郎すぎて、もう少し見た目やカラオケの歌をさらに下手に歌うようにするなどベテラン週刊誌記者に寄せたら入り込めたのにと思いました。
また、子供を勝手に預けたシングルマザーが最後はさらっと改心したのは脚本上話をまとめに行きたかったのでご都合的に入れられた気がしてしまい、そこに至る背景が説明不足な感じがしてしまいました。
さらに、あんが必死に子育てをする描写は良かったのですが、部屋に真新しそうなおもちゃがたくさん置いてあるのがあんの経済力からして違和感でした(あのおもちゃ達が1つ数千円以上するのになと思って見てしまいました)。
あんのクマの濃い風貌や安物のデイパック、心の機微の見せ方などあん自身には非常に丁寧に演出が施されていたように感じたので上記が余計ににちょっと残念に感じましたが、あんにフォーカスするそぎ落とした結果なのかもしれません。
終始カメラワークは少し1歩引いて、あんの日常を覗き見てるような感じで撮影されており、過剰な演出もなく、とても良かったです。それ故に、ブルーインパルスが舞う空や最後の手帳のメモがはらりと落ちていく演出的なシーンが引き立っていたように感じます。
コロナ禍のニュース映像やブルーインパルスの飛ぶ空は自身の記憶も呼び起こしてくれるものであり、たった数年前の出来事でも随分忘れて生きてしまっていることを再認識させてくれました。
そういった意味で、観客とあんのライフストーリーの接点をうまく作っていた作品だと言うふうに感じました。
総じて見て良かったと思える作品であり、普段無意識に対岸の岸の出来事と捉えてしまっている社会問題をグッと近くに引き寄せてくれるような力強い映画でした
連鎖
実話を元にした映画です。
いつも明るくニコニコしていて恥ずかしがり屋で、周囲から少し引いて、もじもじしているような女の子だったそうです。
伝えたいと思った。
でもそれは、様々な決めつけや偏見に苦しんだであろうご本人を、更に苦しめるかもしれない。
葛藤の中、最大の共感で寄り添いながら作られたこの作品からは、精一杯生きた主人公の人生が、とても愛おしく伝わってきました。
わたしの力では、世界を変えることはできないし、今生きて苦しんでいる、たくさんの杏を救うこともできない。
でも、目の前のほんとに小さなことを積み重ねることはしていきたいと思う。
誰にだって起こりえる瞬間の、あとほんの少しの勇気になることだってあるかもしれないから。
今目の前にいる誰かが、もしかしたら彼女ではないかと想像して、たとえ小さ過ぎることでも、できることをしていけたらと思いました。
一つだけ気になったのは、難しい問題だろうと思いますが、お母さんにも寄り添う必要があるのではと感じました。
生きるのは難しく、一人では乗り越えられないこともたくさんあるから、少しでも負の連鎖を正の連鎖に変えていけるように、支え合って生きていければいいなと、夢みたいに思いました。
無垢
すごい作品を観てしまった
上映中、ほとんど泣いていた。
あんが、日記を買ったり(盗まなくて良かった…)ぎこちなくはにかんだり、一歩引いてた所から少しずつ周りに馴染むようにがんばったり、そんな一挙一動に心を酷く揺さぶられ、とにかく涙が止まらない。
もう、彼女を愛さずにはいられない。
それくらい純真で、周りの優しさを素直に聞き入れスポンジの様に綺麗なものを吸い込んでいく。
奪われた少女時代を取り戻すように勉強し、働き、日記に丸をつけ、自然に笑えるようになっていく。
どんぐりころころなんて、他愛のない言葉も全て拾い上げる。
あんなに実の親から虐げられていても、腐るところなく明るく染まっていく。
アパートでカーテンを開けた瞬間、光があんを射し込み「すご…」そっと呟く。
しかし、悪いものも諦めたように吸い込んでいくのだ。
周りの大人達の勝手な優しさや裏切り、搾取、世界情勢、それらのピースが全てハマってしまった時、あんは真っ黒になってしまう。
最後に放たれた「恩人」の言葉。
一瞬、報われたと思ったがそうではないのだ。
あんの生涯はそんな陳腐な言葉で片付けていいものではないのだ。
青い空にはインパルスが。
そして、あんを「ママ」と呼び依存する寄生虫毒母は上映中脳内で50回くらい刺しておいた。
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