あんのことのレビュー・感想・評価
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ドキュメンタリーと錯覚するような、時代を映す悲しい名作
どのような映画を「良い映画」と評価するのかというのは、難しい。
爽快な気分になる映画、泣ける映画、考えさせられる映画、生活に影響を与えるような映画…。
『あんのこと』は、楽しい映画ではない。
時には目を背けたくなるような、観たくない現実を見せられるような映画である。それでも、観なくてはいけない、観るべき映画なのだろうと思う。
河合優実という女優によって、思春期の少女の怖さや儚さ、強さや弱さ、それらがコロコロと揺れ動く様が、リアルに伝わってくる。
ふと、ドキュメンタリーかと錯覚すらする。
この物語自体、実話が元になっており、プロデューサーである國實氏が「彼女の人生を残さないと」と感じて企画がスタートしたとのこと。それを受けた入江監督が「杏の人生を生き返す」というスタンスで、できる限り順撮りで撮影しだそうです。
そのような姿勢が、私たちに、ドキュメンタリーかと錯覚させるようなリアリティを感じさせるのだろうと思います。
本当に、モデルとなった女性の、短い人生の中での辛さや苦しみ、嬉しさや希望、そんなものを丁寧に描いている作品になっていると思います。
そして、それを成し遂げた、入江監督と河合優実の功績が大きい。
また、コロナで何が起こったのか、それを後世に残すという意味においても、この映画は貴重な作品になっていると思います。
「彼女はきっと、あなたのそばにいた」
このフレーズが、心に刺さります。
映画館を出て、すれ違う人、一人ひとりが「ひょっとすると、この子が“杏”かもしれない」と思い、立ち尽くす。
社会のセーフティネットとは
辛い結末であることは承知の上で、コロナ禍においてこの日本で実際に起きていた事実から目を背けてはいけない、そんな思いで覚悟して映画館に足を運びました。予想はしていましたが、あまりに過酷な現実はずっしりと重く、観終わったあともしばらく動けませんでした。
あんの更生をサポートする周囲の人の思い、シェルターなど確かに存在していたはずのセーフティネットが、コロナ禍でいとも簡単に切れていくさま、救いようのない毒親の存在など、この社会が抱える闇を前に自分の無力さを痛感しました。
せめて、あんのいのちの一瞬の煌めきを心に刻みたいと思います。
いつまでも見ていたい杏ちゃん
久しぶりに二度見しました。杏ちゃん役の女優さん凄い。(いい意味で)特別な美形ではないのですが、一度見たらもう目を離せない。最初の死んだ目状態のとき。最初に給料もらって刑事・記者と3人でカウンターでお祝いするときの少し打ち解けた感じ。夜間学校のパック牛乳を嬉しそうに手に取って眺めてるところ、、、本当にかわいくて感動させられました。
でも杏ちゃんが死んだら老人ホームのおじいちゃん泣いて悲しむのにね。自分が死んだら泣いてくれる人が一人でも居そうなら、もうちょっと頑張ってみよか、と生きていこうと思いました。
学はないけど愛はある
学はないけど愛はある。
そんなふうに思ったあんのこと。
「あんのこと」
自分を庇ってくれた祖母を介護できたらと介護の仕事を希望し、施設の老人にもとても優しく接していたり、いきなり押しつけられるように預けられた見知らぬ人の子供も自分の子のように面倒を見たり。
とてもツラい環境で育ってきて、学もないし、常識やモラルも欠けているかも知れないけど、他人に与えられるくらいの愛はもってたのが杏という人物なのかなと。
一体どこからその優しさはやってくるのだろうか…
でもきっとその優しさや人懐っこさは環境によっては危ういものでもあるんだろうなと。
「警察の多々羅」
粗雑な感じはするけど、熱い良い人かと思いきや…うーん。
杏と同様に信頼をおいてしまっていたので、とても複雑な気持ちにさせてくる人物だった。
「幸か不幸か」
押しつけられるように見知らぬ人に預けられた子供はやとくん。
普通であればこんな迷惑な事はないが、コロナで仕事も学校も休みになってしまい、夢中になれるものがなくなってしまった状況のあんにはそれがまたひとつの夢中になれることであり、心の拠り所みたいなものになっていたのはある意味では良かったのかもしれない。
「はやとくんの母」
よくわからないというかどういうつもりだったの?というのがはやとの母。
1週間くらいで戻ってくるからってのは嘘でしょ?
でも大変だったけど児相から子供は取り戻して今は子供と一緒にいられて幸せみたいなスタンスがよくわからない…
こっちの気持ちは完全にあんに寄ってしまっているのでこの母の存在はなかなか苛立たしい。
そしてはやとくんは成長した時あんのこと少しは覚えているかな…?覚えてたら良いな…
「実家、あんの母」
とにかく悪い。嫌な印象しかない。
大抵嫌な人にも人の心があるような描写があったりするもんかなと思うけど、出てくるどの場面を取っても本当にタチが悪い。
そして切ろうとしても切れないこの繋がり。実家に戻るたびになんだか杏の積み重ねが崩されるようで、しんどかった。
「実際の出来事を元に…」
この元ってのがわかっていないけど、どのあたりが本当にあったことなんだろ?
どこが本当でもツラい話ではあるんだけど、
なかなか厳しい道であっても、働く場所であったり、学ぶ場や住む場所など、結構助けになってくれる場所なんかはあるんだなぁと思った本作(役所ではなかなかうまくいってなかったけど)
ただうまく良い人や機会に巡り会えればって話でもあるのかな…
大きく外れてしまったような人生でもやり直せるチャンスや支援なんかはある。
でもそれでも真っ当と言えるところに戻ってくるのは本人の意志だけじゃなく、それまでに出来てしまった繋がりの影響など、とても難しい事なのだろうなと…
落ちていくのはあっという間な感じ。
そしてあんのような環境で育つとそもそも、
どういうコミュニティは危ないとかの判断基準とかもズレてしまっていそうな気もする。
抜け出そうとしてても、気がつけばまた落ちていってしまう人もいる気がする。
まぁ人は弱いからなぁ…
真っ当って何よ?って気もするけど。
すぐに席を立てなかった
近所の映画館で上映していなくて、しかも内容的にどうやら心身共に元気な時、という私なりのハードルをクリアして、やっと鑑賞する事ができました。
そんな心構えをしていたのにもかかわらず、想像以上にやるせなくて館内が明るくなってもちょっと放心状態でした。
義務教育さえ受けずに親からの虐待、そして生活費のために売春までさせられる主人公のあん。そんな彼女に救いの手を差し伸べる刑事と記者との友情、立ち直ろうとした矢先のコロナ禍。
普通に生きてても人間関係が希薄になった時期ですが、彼女の支えみたいなもの全てが希薄になっていきます。とにかく切ない。
毒親に支配されてる子たちへ
貴方の親は病気だから離れて良いんだよ
貴方の人生は貴方のものだよ
辛い内容だとは薄々知ってはいたが…
やっぱり観てて辛い映画だった
前半に刑事が咥え煙草をポイ捨てする場面でこの映画は昭和か?ってムカムカしてたら、麻薬中毒更生施設で無償の善人行為?
いやいや今どきポイ捨てする奴にそんな無償の善人なんかいないか、二重人格って思って観てたらやっぱね(笑)
まあそこはともかく、最近昔の友達がシャブ中だったって聞いたこともあってあんに感情移入しすぎて辛すぎた
なりゆきでも必死に子供育て守るあんに微かな光が見えたのもつかの間、辛い結末
二度と観たくない映画だけど、見て良かった映画だった
追記
ラストは賛否両論あると思うが、観た直後は救いようのないラストだな〜って辛かったが、時間がたつにつれ辛いと言うより喪失感が押し寄せてきた
それはあんがこの先どうやって生きていくのか見届けたかった気持ちから
ある意味それは製作者の意図にすっかりハマったって言うことかも(笑)
救いのない厳しい作品だった
2020年6月の新聞記事に着想を得て撮ったという入江悠監督作。
売春や麻薬の常習犯だったあん。
母親によるDVと売春の強要がきついなぁ。
刑事やジャーナリストの助けを借りて更生の道を歩むもままならない。
飛ぶ鳥を落としてしまった河合優実さん、そして佐藤二朗さんの名演は必見。
しかし観終わって困惑した。何のために、誰に向けて撮ったのか分からんくなった。この悲劇を記録するだけでも意味があるのだろうが。
自分的には清濁合わせ飲む二朗さんに救って欲しかったなぁ。て、最近ホント日和ってる。
何ができるのか考える
ニュースなどで見聞きしているせいか、毒親も国家権力の乱用も、あるよなと思いました。
コロナ禍で居場所を失った人が、数多くいたことも…
そこにある日常、自分は何ができるのか考えるために多くの人に見てもらいたい映画です。
実話にも注目があるといいと思う。
実話と違うところは、おばあちゃんが万引き常習者だったこと。ひいおばあちゃんがいて、その人が主人公に唯一親切だったこと。コロナ禍で、給付金の申請が難しかったこと。主人公の年齢より、実際はちょっと上だったこと。要するに苦しんでた時期が長かったということ。
映画、とっても大切なメッセージがこめられていました。映画がきっかけでこの話に課題を感じたら実話のことも知ってみるとどうだろう。もっと社会の課題が見えてくるのかも。
せつない
コロナ禍で、新聞に掲載された
1人の女性の結末の小さな記事。
どこまで脚本か解らないけど、
他人を犠牲にして欲求を満たす
主人公の母親。
他人を犠牲にして欲求を満たす
新聞記者。
他人を犠牲にして欲求を満たす
主人公に子供を押し付けた母親。
他人を犠牲にして欲求を満たす
主人公に薬を無理強いし男。
小学4年生で退学した主人公は
そこで生きるしかなかったけど、
やはり人間は希望を見出し、
立ち直り生きようとする。
しかし、他人を犠牲にして
欲求を満たす人間達、
特に主人公の母親から、
作ろうとした希望を打ち砕かれ
主人公の許容範囲を超えてしまう。
タイミング的にも
コロナパンデミックで
手を差し伸べてくれる
周りの大人達から孤立してしまう。
しかし、日本のシェルターの
秘密保持のザルさ加減。
母親は逮捕とかないのかな。
この映画をみた人達が
彼女の事を少しでも心に
思い浮かべる事があればなと
思います。
救いが、、なかった 救われたのかと思ったのに ダメか、、、 眼が、...
救いが、、なかった
救われたのかと思ったのに
ダメか、、、
眼が、どんどん変わってって
やっとまともに物を、人を、世界を?見るようになったかとおもってたのに
二郎ちゃん
アナタはなんだったのか、、
結末に近づいても、あんの幸せを祈らずにいられない思い
実話に基づいていること、そしてその中身や過程が辛く重いものである「儚い希望の日々」、それを知らなくては、そして共有しなくては、という思いを持って劇場に行きました 教育とか体験とか、そういったあたりまえに備わっているであろう物が身についていなければ、大人になってもどんなにひどい親から離れられないのであろうか
彼女が介護施設で自分を必要としてくれる人をみつけ、夜間中学や薬物依存の当事者の会で
様々な境遇の人と出会い、そして預かった子どもを自分が守らなくてはという思い、自分の存在が認められ、他の人の力になることを知ったことで、母親の虐待から解放される日々が目前にあった のにまた元に戻ってしまうことをスクリーンを観て予感をしていた
他人を警戒していた彼女が「焼肉を食べたい」と素直に言っていたあの笑顔が、彼女が輝いていたほんの一瞬だったのだろう 自死を選び、万引きをしないで自分で買ったノートを焼こうとして火をつけた後のためらい まっすぐな思いがそういう結果を生んだのですね 児相の役割とか、相談をするとか、助けを求めるとか、そういったあたりまえの「常識」だって、教育を奪われた彼女には届くことがなかった カラオケで歌う、焼肉を食べる、子どもに食事を作る、覚えた文字いっぱいのノート、つかみかけていた幸せをつかんで欲しかった
母親役の河井青葉さんは綺麗で溌溂とした役をみてきただけに、この役に彼女を起用したこと、憎い役ですが納得でした 山中アラタさん存在感ありました
(6月27日 テアトル梅田にて鑑賞)
蛇足ですが、私が本作を観た「テアトル梅田」は、3月まで同じテアトル系の「シネリーブル梅田」という名前でした 「シネリーブル」という館名は日活所有の劇場でした
東宝・東映・松竹が自前のシネコンを持っている中、同じ長い歴史を持ちながらも倒産の危機・再三の路線変更をしてきた日活が持っていたのが「シネリーブル」と「オスカー」という劇場で、リーブルの実際の運営はテアトルに委ねていたそうですが、「シネリーブル」と付いた劇場が消えるのはまた一つ日活の歴史が消え寂しく思いました 博多そして今回の梅田が消え、「シネリーブル」は池袋と神戸の2つになりました
生きづらさがひしひしと伝わる河合優実の演技
正直、内容が重そうだったんで迷ったんですが、河合優実の演技見たさに行きました。
河合優実はいいですねぇ。
自然でいて的確な演技。
主人公あんの生きづらさがひしひしと伝わってきます。
でも、そんな盛り上がりのある映画では無いので「ザ・ノンフィクション」好きにはたまらない感じ。
人は一人では生きていけない!?
杏の過酷な人生を演じきった、河合優美さんに称賛を送りたい。👏
主人公の杏は、何に救われていたのか?何を求めていたのか?
何を信じていたのか?
を問われた作品だと感じました。
コロナをきっかけに全てが遠のくこととなり、最後まで自ら選んだ人生だったんだろうとは思うしかない!
すべて作り話であって欲しいと心から願う
あんの人生が、残酷すぎて泣くしかできず涙と嗚咽で見てられなかった。
親ガチャとか毒親ということで片付けられない彼女の壮絶な人生たるや、ほんとに生きづらい社会なんだと痛感した。同時に仕組みを作ることで救われる人がいる。必ず構築するべきでそのために動くと誓う。
入江監督の最高傑作。進化しているな!
ケアするものとされるもの
主人公のみならず、特に主要な登場人物に共通していたこと。ケアすることで自身がケアされていくこと。でもそれは非情な現実がいつも壊しにかかる。ケアされた記憶の無い者や他者の無邪気な興味によって。そしてそのしわ寄せはいつも弱者に及ぶ。この負のスパイラルから抜け出す方法を私たちはいまだに見出すことができていない。こんなにテクノロジーが発達した世の中にも関わらず。コロナ禍がベースとなった本作だからこそそのことの強烈な虚しさが残る。
子役の人権が気になった
作品の出来自体は悪くはないと思うけれど、先日観たミッシングは、同じように救いのない結末ながらまだ登場人物が前を向こうとするだけ鑑賞後の気持ちがスッキリする。
本作は(ノンフィクションだから仕方ないが)、絶望の中から立ちあがろうとする主人公が結局悲劇的な結末を迎えると言う、ダンサーインザダーク的ムナクソエンドなので、気分が鬱っぽいときは見ないほうが良い。
しかも「あんのこと」と言う「ある人物の一生についての物語」を匂わせるタイトルと「なんとなく悲劇っぽい予告」で、ある程度結末の予想がついてしまうため、配給会社は広告戦略をもう少し考えてほしい。
作品そのものについては諸感あれど、昨今よくある悲劇のうちのひとつに過ぎないのかなと思うに留まった。残念ながら現代日本社会は、映画の創作が追いつかないほど過酷な事件が毎日のように起こっていて、我々も感覚が麻痺してしまっており多少の悲劇では心が動かなくなってしまっている。
そんな中で非常に気になったのが子役(幼児)のこと。
まずこの子が泣いてるのは当然演技ではなく、この子に取って何かしら不快なことが起こっていたからで、それは撮影のために置かれた環境のせいではないのか、この子は不本意な状況に置かれて泣いているのではないかと言う危惧が拭えない。
ある程度の年齢なら役と言う認識もあるだろうが、この年齢ではどうなんだろう。
本作制作にあたり、幼児がゴミ屋敷汚部屋に連れて来られ、周りで大人達が怒鳴り合っている状況を作り出すのは必然だったかもしれないが、この子供に取ってはどうだったか。ママから引き離され、ただただ怖かったのではないか。(実際どんな状況で撮影が行われたかはわからないが)
加えて親が了承していれば問題ないのかも知れないが、オムツを変えるシーンで子供の身体の一部がハッキリ映るような映像は、幼児の人権を無視してはいないのか、ここらへんが他人事ながら非常に気になった。恐らくこれが女児ならこのシーンはなかったはず(と信じたい)だが、男児なら写しても良いのか。
世の中幼児に欲情する異常性を持った人物も実在し、被害もニュースになっている。
この子供に撮影の記憶はないだろうが、映像は半永久的に残る。撮影する際、そこを隠すように配慮もできたのではないかと思うのは、過剰反応なのだろうか。
ドラマ不適切で「インリマスィーコーリネーラ」が過剰に口出しするシーンがあったが、まだ何もわからない幼児に対しても少しコーリネーロする必要があるのではないかと愚考した次第。
→神木くん少年時代の妖怪ナンチャラと言う作品は酷かった。ご本人がどう思っているかはわからないけど、あれは児ポに引っかかるのではと思った。
※面倒くさい方に絡まれたのでコメント非表示にします。
彼女の表情に惹かれ観に行く
子は親の所有物ではない
しかし子は親の呪縛の元に生きる
断ち切れないことが腹立たしくてならない
刑事は奔放だから援助することができるのか
彼女を守り支えたい気持ちも孤立が関係を絶ってしまう
惨憺たる気持ち
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