あんのことのレビュー・感想・評価
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「過酷な環境はある」
今年115本目。
新宿武蔵野館で。
場所は知っていましたがここで見るの初めて嬉しい。初めてのスクリーンはワクワクします。
佐藤二朗さん、河合優実さんの映画。
こう言う過酷な環境で生きている人はいると思います。自分が恵まれている、だから全てに感謝して生きるのが大切だと感じます。
もっと早く
あんちゃんを救ってくれる人が現れたのに・・・
色んな要因で悲しい事件につながってしまう。
(ネタバレになるので書けない)
最後に感じるやるせなさ。
母親が本当にクズ。元凶。
小学校も卒業できてない。義務教育の間に手を差し伸べてくれる大人がいなかった事が悔しい。もっと早く救い出してくれてたら、売春もシャブもやらずに済んだかもしれない。
自分自身、あんちゃんのような人達を自己責任だって見てしまっていないだろうか?手を差し伸べるのは難しい。せめて、冷たい視線を投げかけず、自己責任だと突き放さず、寄り添える人間でいたいと思った。
良い人と悪い人なんて、簡単に区別はできない。誰もが二面性をもってる。
※稲垣吾郎がブルーハーツ歌うの聴けます。
苦しくなる映画 胸の中 心の中にじわじわと嫌ぁ~な汁が溢れます 親...
日本が生んだ悲劇
一つ一つのシーンが時間をかけて作られてるから、観る人によっては少し展開が遅くて苛立つかも
悲しいほどの実話で、重苦しい雰囲気
観ていて胸が苦しくなる
柳楽優弥の「誰も知らない」と同じように日本の貧しい母子家庭の縮図というか社会現象が生んだ悲劇です
「誰も知らない」は誰も助けてくれないながら子供たちだけで生きようとするんだけど、今回は凄くいい人が力を貸してくれて更生の道を歩もうとしていたら、一番頼りになるいい人も実は犯罪に手を染めていて逮捕され、いきなり頼る人が居なくなって不安なところに母親が現れて、最悪の悲劇へと向かってしまう
これは、保身と小手先だけの政治によって、物価上昇を上回る賃上げが実現されない結果、根深く蝕まれていった日本で、起こるべくして起こったこと
次世代に何が残せるのか、この日本をどう変えることができるのか、そんな事を考えさせられました
積み重ねること
せっかく生きる希望を見つけたのに。
どん底から幸せを掴もうとした。初めて生きようとした。ラスト、一番に思い返されるのはそんなあんの健気な笑顔と全力で奮闘する姿。佐藤二朗の最後の長台詞に心がボロボロになりながら、救いようの無さすぎるこの世界に、悔しさと怒りが湧き出てくる。
あのパンデミックから一層どうかしてしまったこの日本という国に、入江監督自身が当時、そして今なお疑問を抱き、憤りを感じているのが見て取れる。こんな"強い"映画を撮れる監督だとは、知らなかった。渾身の一作。ここから何かが少しでも変われば。心に残り続ける傑作だった。
なぜ、薬をやってしまうのか。
それと、なぜ人は絶望してしまうのか。
薬と絶望。イコールで結ばれるように思えるこの2つは、実は相反するものであり、薬物乱用者は絶望から少し救いあげてくれるもの、自分の唯一の居所として、手を染めてしまっているため、違法ドラッグの使用が絶望に繋がることは限りなく少ない。繋がるとしたら、それはやめることをやめたとき。ゼロがマイナスになったとき、人は絶望を覚え、崩れ、壊れてしまう。社会で苦しむ人々を真正面から捉えた、刑事・多々羅の言葉。彼の行動は何が正しく、間違っていたのか。多々羅もまた、彼らにとって薬物のような存在だったのだろうか。
薬物やDVによって苦しめられ、社会的地位を失い、路頭に迷う少女・あん。社会保障制度、住宅手当の不備によって、更に除け者にされていく。この国は決して、救済の手を差し伸べてはくれない。義務教育を受けないことは、その人自身が教育を放棄したこと。それは、本当に正しいのだろうか?日本国民の3大義務の1つ、教育の義務は教育を"受ける"義務でありながら、"受けさせる"義務でもある。義務教育の年頃だと、受けさせて貰えない状況・環境であれば、自ずと学習はできないこととなる。だから、教育の放棄とは、保護者によっても左右される。国は、このことを真剣に受け止めていない。
河合優美、佐藤二朗、稲垣吾郎。言葉にならないほど凄かった。入江監督の思い描く通りになったと、勝手ではあるがそう確信した。そのくらい、体当たりで、力強く、恐ろしいとも感じてしまう演技力だった。
「さがす」のようなエンタメ性はなく、実際にあったものを基にしている作品であるため、ひたすら重くて、重くて、辛い。何も救われない。ただ、作られたことには大いに意味があると思う。こんな映画が作られてしまったことは非常に悲しく、受け止めるのには時間がかかりそうだが、今を生きる人々、全員が見るべき作品だ。
タイトルは『あんのこと』。でも、あんは1人を指しているわけではない。直視したくない現実だが、この映画の考え方、向き合い方に心揺さぶられ、見た後はかなり落ち込んでしまうものの、強く、深く、考えさせられた。
あんという人間を見るべき
フィクションでありながら、事実に基づくとして始まるこの物語は、シャブ中の少女が成長し、社会復帰しようとする。
・
過酷な家庭環境のシーンや、ドラッグからなかなか抜けられないシーンは河合優実の演技の素晴らしさが際立つ。見ているだけでこちらも泣けてくる。
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そんな彼女が、警察に捕まるんだけれど更生しようと一生懸命に生きる姿もまた素晴らしく心に刺さる。
河合優実の演技はぶっ飛んでてもすごいんだけどこういう闇深い役がめちゃくちゃ合うな、、凄い。マジで。
その生き様にまた涙する。心が抉られる。
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そんな彼女のストーリーと、警察、記者のストーリーが交差するので情報量が多いんだけれど、河合優実の演技に完全に感情移入してしまっているのですんなり入ってくる。そしてここでまた泣けてくる。
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ラストにかけてイベントの畳み込みがあり、最高に重いので、マジで気が滅入る作品なんだけど、これは見るべき映画です。
彼女の演技もそうだし、事実としての出来事もそうだし。
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実際の記事がネットで見れるようですが、見ない方が映画に入り込めるでしょう。
誰かにとっての光と影
せつない
性加害の問題など、昨今いろいろ悲しい話が表に出てきているので、こういう境遇の方もいるだろうな、と納得してしまう。
ただただ悲しく,切ない。淡々と描かれていて、とてもよかった。
多々羅のしたことは、ジャニー喜多川氏と似てるかな、と途中思った。ジャニー氏は、多分全ての子に手を出していたと思うけど。
個人的には,本来なら,子供の保護は政府がするべきことなんだと思う。コロナのせいで"仕方ない"ではなく、本来は政治がこういう子供を救うべきと思うけど、そういうシステムがないもんなぁ。。。
「記事にした自分が悪い」なんて、桐野が思うことじゃないのに。
稲垣吾郎さんのコメント
「人は生まれながらに誰かと繋がり生きていく権利を持っている。」
にとても共感。権利なんだよね。うん、うん。
わたしは飛び降りる直前のシーンで、
「あ、人って一人じゃないんだ。そして、一人では生きていけない、ってことを認識しないと。」
と、ふと思った。私はずっと自立しないと、と一人で頑張ってしまっていたんだけど。杏も、誰かれ構わず、頼れる人を探せるくらいだと良かったんだけど。
頼っちゃいけない、と思わされているところから、世の中狂ってきているのかも。
「お金があれば生きていける」と、思わされているところも一緒。
追記
今、TVドラマ見て思ったけど、ドラマの方がよっぽどかわいい。事実の方がだいぶ酷いことの方が多い。犯罪の内容も、人間性も。前に、警察内での横領などを題材にした映画の時も、「実際はもっとひどいから」と、教えてもらったことがあったなぁ。
あんのことをいつまでも考えてしまいます
信じられないような境遇で育った一人の少女。
でもそんな境遇の中でも懸命に生きようとした一人の女性の物語は、余りにも悲しい結末でした。
絶望の先にあるのはたった一つの道。
自分に負けたんじゃないよ。
負けたのは都合良く生きようとする大人の欲望と、やはり都合よくやり過ごそうとする社会の闇。
でも孤独の中から救いの手を差し出してくれるのもやはり人間であり社会であったりする。暖かい目を向けてくれる人だっている。
多々羅刑事だって杏を更生させたいと本気で思っていただろうし、介護施設だって学校だって杏に対して親身になってくれていた。
でも、表があれば裏がある。善と悪を使い分けた多々羅刑事も人間の真の姿であり、社会もまた、守るべきは自分たちであると見せつけ、弱者は常に弱者のままです。
それにしてもあの母親はどうにかならなかったのでしょうか。
誰か周りにいなかったのかなあ。今更言ってもどうにもなりませんが。
演じた河井青葉さんの狂気に満ちた演技は見事。見ていて寒々しく、いつどこに現れるかわからない恐怖を感じました。
そんな親の元で育ち、親の愛情などまるで知らない杏がハヤトを大事に預かっていたのが切ないですね。幼き自分を重ねていたのかな。
どこまでが実話でどこがフィクションかはわかりませんが、この作品の世界を作った三人のメインの演者が凄いですね。
河合優実の作り上げた杏と言う少女が見せる覚悟。
佐藤二朗が演じた多々羅と言う刑事が見せた人間の本性。
稲垣吾郎が演じる桐野が思惑を胸にしまって寄り添う絶妙さと後悔。
先述した河井青葉さんを含め心に深く残る圧巻の演技でした。
観終わって感じるのはどんよりした重苦しさだけですが、この作品に対しての思いがいつまでも頭をめぐります。
過酷な環境の中で育ちながらも、小さな希望の光の元で笑顔で過ごす時もあったでしょう。絶望と希望の間で生きた香川杏と言う若き女性が確かにいたことを忘れまいぞと思います。
いつもでも心に深く残る、いい映画を見ました
あんさんは居た
感謝はしても尊敬はしないという距離感を持つことで、家族の呪いは少しだけ和らぐ
2024.6.13 アップリンク京都
2024年の日本映画(113分、PG12)
2020年6月1日に朝日新聞に掲載されたある女性の顛末をモチーフにつくられた社会派ヒューマンドラマ
監督&脚本は入江悠
物語の舞台は、都心のどこか
14歳のときから母・春海(河井青葉)に強要されて売春を繰り返してきた杏(河合優実)は、ある日、客の男(山口航太)がシャブを打ったあとにぶっ倒れてしまう事件に遭遇してしまう
逃げ出すこともできずに警察の厄介になるものの、そこで担当になった刑事・多田羅(佐藤二朗)はおかしな男で、突然取調室でヨガを始めてしまった
多田羅は「サルページ赤羽」という名前の「覚せい剤から立ち直るためのセラピー」を個人的に運営し、そこで「覚せい剤から立ち直ろうとする人々」の復帰を支援していた
杏はそのセラピーに足を運び始め、多田羅の紹介で介護職に就くことになった
だが、初任給はかなりピンハネされていて、わずかな収入も母親に奪われてしまった
そのことが原因で杏は再び覚せい剤に手を出してしまい、多田羅は母親から分離させなければ難しいと考えた
杏は多田羅との約束を守って家出をして、シェルターに住むようになる
今度は多田羅の友人のジャーナリスト桐野(稲垣吾郎)の紹介で「若草園」という施設で勤めるようになり、さらに日本語学校にも通うようになる
徐々に笑顔を取り戻しつつあったある日、多田羅がセラピー参加者・雅(護あきな)への猥褻行為が発覚して逮捕されてしまう
さらに、コロナ禍の直撃に遭ってしまい、施設は非正規雇用の一時休職、日本語学校も休学となってしまう
そんな折、シェルターの隣人・三隅(早見あかり)から強引に子ども(稲野慈恩)を押し付けられてしまうのである
映画は、子育て以外は実話ベースになっていて、母親に売春を強要されたことや、親身になってくれた刑事が実はセクハラ常習者だったというところは事実になっている
それでも、事件の発覚の時系列(自殺後に逮捕)などが映画向けに改変されていて、あくまでも「モチーフ」として、完全再現を目指してはいない
本当に救いようのない映画になっていて、希望に見える部分はフィクションになっているので、現実はもっと悲惨であるように思える
孤独と孤立の違いが描かれていて、孤立状態が長く続くほど、孤独というものが強調されていくように見えてくる
杏を死に至らしめたのは、ざっくり言えば「それでも母を刺せない弱さ」であり、幼少期の思い出が「祖母を神格化させている部分」もあるように思う
俯瞰してみれば、杏のこの状況を作り出しているのは祖母(広岡由里子)であり、毒親の連鎖が続いていたように思える
母は杏を「ママ」と呼ぶのだが、それは目の前にいるはずの母は母ではないという意味になるし、母親らしきことをしてこなかったことに対する当てつけのように思える
そうして、繋がってしまった親子の絆というものが呪いになって、杏を縛り付けていたのである
いずれにせよ、コロナ禍を忘れないという思いと、あの渦中で杏のようにひっそりと死んでいった隣人がいるというのは衝撃的であるように思う
このような世の中で生きていけるのは、自分のことだけ考えて、心配するふりをしている三隅のような人間であり、さらっと「お墓参りできないのですね」と自尊心を傷つけない程度に距離を置くところが恐ろしくもある
映画の主題は多田羅が語る最後のセリフであり、「現実逃避すら拒まざるを得ない絶望」というものが、このような顛末を引き寄せてしまうのかな、と感じた
重いけど惹き込まれる
鑑賞後、深い余韻が残る作品でした。
前半の希望の糸を手繰り寄せながら前を向いて生きようと上り坂を登り始める展開と、後半の下り坂を転げ落ちるような絶望に次ぐ絶望のコントラストが印象的な構成でした。
主人公のあんが今そこにいそうな息遣いで演じられていて、劇場内は満員で没頭できないかもと言う不安をよそにあっという間に作品の中に引き込まれました。あんの母親も怪演で性根から毒親という感じがして非常に説得力がありました。
少し残念だったのは、あんを取り囲む何人かの人物たちや演出の描写が雑というかアンビバレントだったこと。
稲垣吾郎は佇まいがSMAP稲垣吾郎すぎて、もう少し見た目やカラオケの歌をさらに下手に歌うようにするなどベテラン週刊誌記者に寄せたら入り込めたのにと思いました。
また、子供を勝手に預けたシングルマザーが最後はさらっと改心したのは脚本上話をまとめに行きたかったのでご都合的に入れられた気がしてしまい、そこに至る背景が説明不足な感じがしてしまいました。
さらに、あんが必死に子育てをする描写は良かったのですが、部屋に真新しそうなおもちゃがたくさん置いてあるのがあんの経済力からして違和感でした(あのおもちゃ達が1つ数千円以上するのになと思って見てしまいました)。
あんのクマの濃い風貌や安物のデイパック、心の機微の見せ方などあん自身には非常に丁寧に演出が施されていたように感じたので上記が余計ににちょっと残念に感じましたが、あんにフォーカスするそぎ落とした結果なのかもしれません。
終始カメラワークは少し1歩引いて、あんの日常を覗き見てるような感じで撮影されており、過剰な演出もなく、とても良かったです。それ故に、ブルーインパルスが舞う空や最後の手帳のメモがはらりと落ちていく演出的なシーンが引き立っていたように感じます。
コロナ禍のニュース映像やブルーインパルスの飛ぶ空は自身の記憶も呼び起こしてくれるものであり、たった数年前の出来事でも随分忘れて生きてしまっていることを再認識させてくれました。
そういった意味で、観客とあんのライフストーリーの接点をうまく作っていた作品だと言うふうに感じました。
総じて見て良かったと思える作品であり、普段無意識に対岸の岸の出来事と捉えてしまっている社会問題をグッと近くに引き寄せてくれるような力強い映画でした
コロナってこんなところにも……
あたしにとっての噛めば噛むほど味の出る「スルメ俳優」佐藤二朗さんも出ていらっしゃることですし、重苦しそうな映画ではあるけれど、河合優実ちゃん観たさに劇場に足を運んでみた。
いや〜重かった。そして苦しかった。
日本の映画ってホラーぢゃないけど『ある種ホラーにも感じられるよね』っていう日常的なヒューマンホラー映画作るの本当に上手いよね💦💦💦
実話をもとに、ってことだったけど特定の『誰か』を指してるわけではなく、こんな目にあった人がいるんだよってことになるのかな。
コロナ禍を振り返ると確かに自分の生活は大きく変化した。それまで考えたこともなかったテレワークが出来るようになったり、飲食店が不定期開店だから自炊するようになったり、人と会うことを極力避けるような行動パターンになったり。でも作中に出てくるような職場において密集度合いを考慮した人減らしにあって収入源が絶たれたり、夜間通っている学校の休業連絡を受けしばらく通えなくなったり、と比べたらさほど大きくもない変化だったのかな。
杏ちゃん、やっと頼れる人が見つかったのにね…
自分とは関係のないところで力が働きそのせいで自分にはどーしよーもないけど多大な影響が出る、そんな理不尽なことって人生の色んな場面で起きるけど、杏ちゃんの場合はただただ不憫で。少しでも希望を感じられたらよかったんだけど、そう上手くも行かなくて。
でもそんな杏ちゃんをしっかりと演じ切った河合優実ちゃんの実力はしっかりと感じました!LINEの縦読みドラマ『上下関係』で初めて観てから3年。良き女優さんになりました💖
この事実、どう向き合えばいい?
彼女を助けたいとか、可哀想と思うのは、確実に私の驕りですね。それでも私、彼女のこと、忘れたくない。
世界の歪みって、いちばん弱い場所に、集中するんですね。誰よりも、誰かを傷つけたくない、誰よりも、誰かを護ってあげたい。その思いが強くなる程、世界は残酷になるようです。
事実に基づくお話だそうですが、すると、彼女の母親も、実在するわけですね。母さん、今頃何してるんですかね。この映画に気づいたら、私は、あんな親じゃないって、訴えそう。その時は、堂々と実名を公表したうえで、世に出てきてほしいものです。私の知る権利と、悪意が止まりません。
私が知ろうとしないだけで、このクニには、数えきれない杏がいる。私はその中の、たったひとりの杏に出会っただけなのかも知れない。今、私にできる事、自分でも分からない。ただ、今日、出会った杏のことだけでも、ずっと忘れたくない。
今の私にできる事って、それぐらいだけだから…。
私の好きな歌、杏ちゃんに届くかな。
あのささやかな人生を
良くは言わぬ人もあるだろう
あのささやかな人生を
無駄となじる人もいるだろう
でも 僕は誉める
君の知らぬ 君について
いくつでも
あのささやかな人生は
もしかしたら 僕に似ている
あのささやかな人生は
もしかしたら 君だったのか
通りすぎる街の中で そんな人を 見かけないか
瞬きひとつの あいだの一生
僕たちは みんな一瞬の星
瞬きもせずに
息をすることさえ 惜しむかのように 求めあう
中島みゆき 「瞬きもせず」
( ´Д`)y━・~~評価高いですが、、、、
連鎖
実話を元にした映画です。
いつも明るくニコニコしていて恥ずかしがり屋で、周囲から少し引いて、もじもじしているような女の子だったそうです。
伝えたいと思った。
でもそれは、様々な決めつけや偏見に苦しんだであろうご本人を、更に苦しめるかもしれない。
葛藤の中、最大の共感で寄り添いながら作られたこの作品からは、精一杯生きた主人公の人生が、とても愛おしく伝わってきました。
わたしの力では、世界を変えることはできないし、今生きて苦しんでいる、たくさんの杏を救うこともできない。
でも、目の前のほんとに小さなことを積み重ねることはしていきたいと思う。
誰にだって起こりえる瞬間の、あとほんの少しの勇気になることだってあるかもしれないから。
今目の前にいる誰かが、もしかしたら彼女ではないかと想像して、たとえ小さ過ぎることでも、できることをしていけたらと思いました。
一つだけ気になったのは、難しい問題だろうと思いますが、お母さんにも寄り添う必要があるのではと感じました。
生きるのは難しく、一人では乗り越えられないこともたくさんあるから、少しでも負の連鎖を正の連鎖に変えていけるように、支え合って生きていければいいなと、夢みたいに思いました。
無垢
すごい作品を観てしまった
上映中、ほとんど泣いていた。
あんが、日記を買ったり(盗まなくて良かった…)ぎこちなくはにかんだり、一歩引いてた所から少しずつ周りに馴染むようにがんばったり、そんな一挙一動に心を酷く揺さぶられ、とにかく涙が止まらない。
もう、彼女を愛さずにはいられない。
それくらい純真で、周りの優しさを素直に聞き入れスポンジの様に綺麗なものを吸い込んでいく。
奪われた少女時代を取り戻すように勉強し、働き、日記に丸をつけ、自然に笑えるようになっていく。
どんぐりころころなんて、他愛のない言葉も全て拾い上げる。
あんなに実の親から虐げられていても、腐るところなく明るく染まっていく。
アパートでカーテンを開けた瞬間、光があんを射し込み「すご…」そっと呟く。
しかし、悪いものも諦めたように吸い込んでいくのだ。
周りの大人達の勝手な優しさや裏切り、搾取、世界情勢、それらのピースが全てハマってしまった時、あんは真っ黒になってしまう。
最後に放たれた「恩人」の言葉。
一瞬、報われたと思ったがそうではないのだ。
あんの生涯はそんな陳腐な言葉で片付けていいものではないのだ。
青い空にはインパルスが。
そして、あんを「ママ」と呼び依存する寄生虫毒母は上映中脳内で50回くらい刺しておいた。
崩れるのは一瞬
序盤の「お前がクスリやってんだろ」という佐藤二朗の取調べで、意外とコミカルなのかと。
まぁ、そんなワケないですよね…
劣悪な家庭環境の中、多々羅のサポートによって徐々に抜け出す術を知る杏。
河合優実の表情変化が素晴らしく、初めて笑顔を見せた時にはまだ数十分しか杏を知らないのに涙腺が緩んだ。
介護施設の所長もいい人だったし、サルベージで身の上を語った杏の肩を抱く多々羅が暖かくて…
だからこそ、多々羅が根っからの悪人とは思えない。
もちろんやったことは最低だが、すべてが下心からの演技ではないと感じるのは、自分の願望だろうか。
杏のことを時折「ママ」と呼ぶ母など、基本的に登場人物の深層までは明かされない。
このあたりは解釈の分かれるところだと思う。
桐野から、予告にある「正義感と友情に揺れる」様子が見られなかったのは残念。
多々羅が逮捕された後のフォローくらいしろよ。
早見あかりの役どころも、それまで交流があったかも分からず、最後のアレは逆に軽薄に映る。
ただ、彼らに悪意はないし、自分がそうならない自信もない。
個人的には、原さんや子供と接する杏が好きだった。
お年寄りだけなら祖母と重ねたのかと思うが、子供への接し方も愛に溢れていた。
あの生い立ちであれなのだから、本当に優しいコだったんだと思う。
また『サマーフィルムにのって』や『愛なのに』のような河合優実が見たいが、次回作もヤバそうだな。
蜘蛛の糸を這い上がれ無かったあん
こう言う作品、今迄数限りなく観てきましたが、どの作品も、最後は何かしかの救いが有りましたが、この作品、私には全く有りませんでした。初めてです。敢えて言えば、主人公の母親が、泣いてる子を追い出すのに、役所を使ったのが、主人公には救いを感じたかも知れませんね。佐藤二朗さん、初めてです、この佐藤二朗さんを観たのは。圧巻でした。
全530件中、401~420件目を表示