あんのことのレビュー・感想・評価
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せっかく立ち直りかけたのに
救いようのない家庭に生まれ育ち、小学校もまともに通っていかった主人公。折角立ち直りかけていたのに、恩人の刑事が自分の性欲におぼれて逮捕されるわ、コロナで自宅待機になるわで閉塞状態になっていたところ、ひょんなことから幼い男の子を押し付けられ、芽生えた母性でなんとか自分を維持していたのに、毒親につかまった上に子供を児相に持っていかれるわで、そりゃ絶望するわな。いつから、日本はこんな弱者に冷たい社会になってしまったのかな。
当たり前の子ども時代がなくなるということ
子どもが育った家で大事にされて大人になるのは当たり前のことなのに。
子ども時代から子どもでいられなかったなら、どんな大人になれというのか。
大人が子どもを守るは常識だけど、それが理解できない残念な人達もいる。
環境にも運にも恵まれなかった中で、一番難しい努力は自ら変化を望むことだと思う。
毒母にあらゆる成長を阻まれながらも、優しさを失わずに健気に生きてた彼女にどこまで苦難を押し付けるのか、目を背けたくなるような酷い現実だった。
子どもをモノ扱いする親は親ではない。
そしてその環境から助け出してくれた人の別の面を知ると、優しさの全てがグルーミングの一環だったかもと不安にもなる。
こんな環境にいたら大人が信じられなくなるに決まってるし、その子が大きくなったらどんな大人になるのかも想像に難くない。
数日前に『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』を観た所だったので、見ず知らずの子どもの未来を守ろうとする人がいる一方、自分の子すら大事に出来ない人もいることにとても胸が痛む。
皆んなが自分の子を精一杯大事にできたら世の中は違ってくるだろうに。
あんはきっとまだ他にもいるのだろう。
せめて助けを求める声をあげることだけでも出来るといいのに。
「実話を映画にすることの意義」から逃げている作品
いわゆる実話系露悪的胸糞ムービーなのだが見終わった後、率直な感想として「何のためにこの映画を撮ったのか?」が残った。
同じようなジャンルでやまゆり園の障害者殺傷事件を扱った「月」があるがあれには障害者を取り巻く現状はこのままで良いのか? という痛切かつ実直な、批判されることも覚悟の上で放ったメッセージがあった。(事実監督は批判も受けることになった)
実際の事件を題材にする時、そこには絶対メッセージ性が無いといけないと思う。でないとそれは単なるセンセーショナルさを狙った搾取になってしまうから。
「あんのこと」はあんの身に悲劇に次ぐ悲劇が起こる。その様はとても哀れで主人公に感情移入してしまう。しかしながら見終わってもその可哀想だという感情しか残らない。
多々羅しかり桐野しかり終始正義と悪は表裏一体である的な描き方で誰も聖者にも悪者にもせず、 あんからすべてを奪ったあの過剰すぎたコロナの狂騒すら悪とは断罪できず、中立に中立を重ねたような描写の中でどこまで実在の存在なのかも分からないあんの母親に「毒親」 という分かりやすい流行りのキャラ付けをして悪役の全てを背負わせる。 最後まであんを殺したのは誰かなのか、何が悪いのかをきちんと描かない。ゆえに何もメッセージ が残らない。
しかしこういう実話系露悪的胸糞ムービーには他ジャンルには無い力がある。それは「誰もが目を背けるこんな酷い現実に敢えて目を向ける私はなんて立派な人間だろうか」と観客が気持ちよくなれる"力"だ。見終わった後放心してしまった。ずっとあんのことを考えています。もしかしたらあんを殺したのは私達の無関心なのかも知れない。なんて自意識に塗れた感想を書くにはうってつけの映画であると思うし、うっかりそれ自体がメッセージであると勘違いさせられてしまうほどの力がある映画とも思う。
でもそれは何も描いてないのと同じだ。これが実在の事件から生まれた映画だというならもっと誠実な向き合い方があったと感じる。
もう少し具体的に内容に言及するなら多々羅があまりに後半のドミノ式悲劇を生み出すための装置でありすぎた点も気になった。これを含め後半は観客の可哀相という感情を生み出すためのご都合主義が多かったように思う。逆に良かった点はブルーインパルスの 使い方だ。ただそこでもう一歩踏み込んだ描写が出来なかったのはとても残念だった。入江監督は「月」 の石井監督のようにたとえリスクを負ってでも"誰が悪いのかを描く事"は出来なかった。逃げてしまったのだ。
単なる一作品として見れば主演の演技は素晴らしく、よく出来た中立性を担保した悲劇エンタメドラマだ。ただそこに「これは実話です」とテロップを入れるのであればそうそう評価はできない。それくらいその言葉は重いということを理解しておいてほしい。
もう。。。やだ。。。人間
ここまで観るものを追い込みますか?
ってくらいに徹底的に描いてくれます。
本作は観るものに逃げ道を用意してません。
だからしっかり受け止める覚悟で鑑賞
してほしいです。
ベースの事実があるとのことですから
このような方たちがいるのでしょう。
僕は同じ経験をしていませんし、近しい
人々にも見当たりません。
けど、世の中のどこにでもあるであろう
「〇〇のこと」
多くの実例の中のひとつ・・・とでも言いたい
様な題名。
けど、まさに当り前のようにあるのでしょうね。
だからこそつらいし、何ができるわけでも
ない自分が切ないし、
「どうしてそうなっちゃうの?」
という非建設的な問いを空虚に投げかけて
終わってしまう。
けど、知らないより知っておくべき。
だって、やっぱり何かできる大人で
ありたいし、子供のための大人で
あり続けたいと思うのです。
寄り添える人がいる限り
きっと人はまっすぐになっていける
と思うのです。
以前からファンの河合さん。
素晴らしい演技でした。もうね、
こんなに感情かき乱されたのは
彼女の演技で見せられた人間の
光と闇のせいです。
辛いですが、おすすめです。
諸行無常
薬漬けになって自身を消耗品のように扱っていた彼女が更生していくように、更生の道を懸命に進んでいた彼女が、また薬に手を出したように、変わらないモノってこの世にはないんだなと思えた。
この事件を俺は詳しくは知らないけれど、彼女になんらかの面識がある訳ではないけども、今、とても情けなくて、悔しくて、腹立たしくて涙がこぼれそうである。
あんな親が現実にいるんだろうか?あんな境遇の子供が現実にいるんだろうか?
12歳で親に促され体を売り、程なくして薬を覚え、以降は生活の為に身体を売り続けてる。最終学歴は小卒なんだそうだ。
…俺に見えてないだけで、関わってないだけでいるのだろう。耳を疑うようなNEWSは毎日のように聞こえてくる。
ただ…この国には彼女のような境遇の人間を救済する場所があって人もいるのだと驚いた。
刑事は再三語りかける「お前次第だ」
彼女が手を伸ばせば、その手を掴んでくれる人達がいるんだ。
薬物更生のセミナーを個人的に開いている刑事
経歴を不問にして雇用する介護施設の社長
DVに苦む人達にマンションを無料で提供する人達
誰にでも教育を提供してくれる学校
全く接点がない人生だったけど、フィクションじゃない事を祈りたい。
変化していく彼女を見るのは喜びだった。
働いて報酬を得て質素な暮らしをしているであろう事が、彼女の衣服にもメークにも現れてる。
ようやく生活が安定しだし更生への道筋が見えてきた時期にコロナが始まる。
働いていた介護施設から暇をだされる。感染拡大を危惧する国からのお達しらしい。
馴染みの中華屋が休業を余儀なくされる。
刑事のスキャンダルを週刊誌がスッパ抜く。
隣人から子供を強引に託される。
不運が彼女を襲い連鎖していく。
子供を託された時、瞬時に厄介事になったと思った。コロナ禍で自分1人でも大変なのに、見ず知らずの子供の面倒までみる事になるのか、と。
虐待の連鎖が始まるのかと怯えてた。
でも彼女は母になった。
隼人君は彼女の支えになったみたいだった。
おそらくならば、友達も恋人も無条件の愛を注いでくれる親もいなかった彼女には、隼人は初めて「孤独」を解消してくれる存在だったのだろうと思う。
生きる理由を見つけた彼女は母親と再会する。
「バァちゃんがコロナになって大変なの。一度でいいから帰ってきて。お願い。」と泣きつかれる。
帰宅した彼女は隼人を人質にとられたような形になり体を売ってこいと脅される。
「稼いでこいよ!私らを殺す気か!」
…ひでえ親がいたもんだと腑が煮え繰り返る。
僅かな金を握りしめ朝帰りした家に隼人はいない。
「泣き喚いてうるさいから児相に電話したら、連れてかれた。」
彼女の何かが崩れた。
この親は彼女からどれほどの物を奪えば気が済むのだろうか?何一つ与えはしない。
1人の部屋で彼女は、また薬に手を出す。
更生の過程を記した日記を燃やす。何もかも無駄だったと吐き捨てるかのようだった。
そんな彼女が1枚だけちぎり取ったページは隼人のアレルギーの項目を記したページだった。
そして彼女は自死を選ぶ。
…やるせない。本当にやるせない。
自死を選んだ彼女を意思が弱いと責められるのだろうか?思うに、薬物に冒される人生は死よりも恐ろしいものなのだと思えてしまう。
隼人がいた人生を経験した彼女には、そう思えたのだろうと思う。
ふとしたキッカケで人生には躓く。
極めて不安定な一方通行の迷路を歩いてんだなと思う。世の中に救いようのないクズはいるが、彼女のような境遇の人に出会う事があるならば、先入観に振り回されるのではなく、ちゃんと見ようと思う。
余談ではあるが、
稲垣氏が演じた記者が「僕が記事を書かなければ彼女は死ななかったんですかね?」と泣き崩れる。
何を今更と呆れるし、そんな事を後悔するような記者は現実にはいないと思われる。
そんな正常な倫理観を持ってたら記者なんて務まらないんじゃないだろうか?
なので、今更善人ぶりたいのか?と呆れる。
情報提供者に身元がバレないようにするって言いながら、取材対象者には提供されたLINEの画面を見せる。もはや匿名ではなくなってるし、提供者にどんな危害が及ぶかわからない状態だ。
提供者にどんな危害が起ころうと責任をとる気なんて更々無いよね。
「問題提起をしただけです。後の事には責任を負いかねます。」そういう立ち位置だもんな。
昨今のマスコミの在り方には疑念しかないわ…。
良い事も悪い事も人が運んでくる。
人と深く関わらなければ、悪い事も起きにくい代わりに良い事も起こりづらい。
僕らはそういいう葛藤を日々抱えながら生きてるんだと思う。
俳優陣は皆様熱演だった。
主演の河合さんには本年度の俺的アカデミー最優秀賞新人賞を授与したい。
佐藤二郎氏と母親役の河井青葉さんには助演賞を。
偶然なのかもしれないけど、実母に話しかけられた隼人君が「いやいや」と首を振るカットがある。その仕草に杏の残り香を嗅いだ気にもなり、廊下でシルエットになる2人の後ろ姿に、選択されなかった杏と隼人の未来が被ったようで切なかった。
異常事態×異常事態
最近は珍品が多めだった入江悠監督。久々の"らしい"映画の登場に歓喜でございました。いや、歓喜する類の映画ではないのであまりはしゃぐのもアレなのだが、ハード過ぎる内容のわりに胃もたれしない作りに「さすがだな」なんて思ったものでついつい勢いで書き殴ってしまいました。
そもそもの"異常"な状態に追い討ちの様な"コロナ禍"。私自身、転職の時期であり「台風で頓挫→コロナ禍突入」のダブルコンボだったので心身共に苦しかったのを今でも手触りのある位には覚えておりまして。だもんで後半の展開はホントに苦しかった。それでも"光"はあったのだろうけれども目の前すら見えなくなる感覚。凄く良くわかります。是非とも一度体感して頂きたい皆のそばにある世界。敏感であり丁寧でありたいと強く思いました。
救いがない
多々羅が無理。いきなりヨガ、ところかまわず唾を吐く、あんのためとはいえ恫喝怖すぎ…
あんが薬を打ってしまって助けを呼んだとき、体に触れたことに「グルーミング!!!」との危機感が湧いた。
で、結局自助グループを私物化して女性参加者をレイプしてたってことよね。
女に手を出したというレベルではない、恫喝・恐喝的な音声にむりむりむりむりむr・・・・ってなる。実はいい人的評価は下せない。
あんの母親、河合青葉って分からんかった。エンドロールで名前出てきて、えっ?ってなった。
今までの河合青葉のイメージとつながらなくて、びっくりした。よいお仕事をされたのだね。
とはいえ、この母親を行政がさあ、娘から引き離せなかったのがさ、ダメなんじゃん?
なんなん、母親が娘に売春を強制してたっていうのは、刑法で裁けないの?
母親にママと呼ばれる娘の悲劇もさることながら、娘が孫をママと呼んで、虐待しまくってるのを許している、あんにとって”好きな”おばあちゃんは、全然あんの味方じゃない。
いつから足が悪いのかわからんけど、足が悪くなる前にできたことあったんちゃうん?
娘が孫をママと呼ぶ状況は、あなた(祖母)由来の何かでは?
そこをなかったことにしている描き方に疑問を感じた。
河合青葉演じる母親は、あの状態で生まれたわけじゃない。
つか、広岡百合子だったらしいね、祖母。これも全く気付かずでした。
あと、母親から逃げてるって知ってるのに給与明細を自宅に送って、母親を施設に来させた施設の職員の対応も、いやおめーの手抜かりやろ、もっとしっかり謝れよ、なにを上から辞めんでええとかゆうねんと思った。
あとは、子どもをあんに押しつけてふらふら蒸発した早見あかり演じる母親ね…
これはもう何も言う気力がなくなる。
母親からの虐待・売春強要、祖母からの見て見ぬふり、強要された売春で覚えた覚醒剤、
助けてくれた多々羅が逮捕され、助けてくれる人もいなくなり、コロナになって仕事も失い、
学校で出来たつながりもか細くなり、そこに押しつけられた子どもを必死に面倒を見ることで得た健やかなものを、母親によってふたたび奪われ、やめられていた覚醒剤を使ってしまって、
そのショックで自死を選んだ、という話ですわね。
救いがないように描いているのだろうけれども、なんだろうこの釈然としない気持ち。
救いがなく、怒りを覚えるというのが、悪いこととも思わないんだけど、みてよかったと思えないのわたし。
役者の皆さんは、よいお仕事をされたのだと思うのですよ。河合優実も稲垣吾郎(情熱の薔薇唄ってたね)も佐藤二郎(こんなガチのゲスじゃなくて鎌倉殿の比企さんくらいのかわいげが見たかった…)も。
で、悲惨な出来事で露と消えた一人の女の子への鎮魂歌として、描かれたのだろうとの意図もわかるんだけど。いい映画だったとは言いたくない、と思うのです。
不幸を繋げただけの映画
あんの不幸をこれでもかとツナゲタだけの作品。結局母親が全ての元凶であり、そこをクリアにできない話。しかし、ここで母親を出すために工夫をしているが出会いが不自然。
あんの流されて生きる生き方も感情移入できないし、多田羅のキャラクターや事件は必要なのか?取ってつけたような話にうんざりする。いっそ教祖の話にしてそこから抜け出せない弱者の話にしたほうが絶対に面白い。
演出も悲しいシーンを連続させれば感動を呼ぶと狙ったているが逆に飽きてします。
早見あかりのは母親が最後に救いの言葉で終わるがこれも取ってつけたセリフで全くおもしろくない。
海外映画祭を目的にしたらしい本作だが、まぁ無理だと思う、早々公開したと理由がわかるので
河合優実の実在感
冒頭のテロップに続き、眼の下に濃いクマを作った河合優実のアップを見ただけで、この作品の作り手たちの気迫のようなものが伝わってくる。
河合優実は、表情だけでなく、話し方、字の書き方など、仕草の一つ一つで、確かにこの少女がこの社会に存在した、という説得力を与えている。かつての女子高生イメージから、憑依型女優に進化して、本当に凄い。
佐藤二朗は、彼ならではの独特の味わい。稲垣吾郎は、本作では印象が薄いが、このところ個性派監督作品への出演が続いている。圧巻なのは、河井青葉。例えるなら、彼女も出ていた「愛しのアイリーン」での木野花のような衝撃。
この種の作品では逆に珍しいが、薬物依存症の回復支援や、夜間中学、DV被害者用シェルターなどの社会システムがちゃんと描かれているが、これは実話に即しているからだろうか。
しかし、そうした繋がりを断ち切るコロナ禍。苦境に立ったミニシアター支援のために自主映画を製作したことのある入江悠監督の、「コロナ忘れてなるものぞ」という強い思いも感じさせられた。
ある薬物中毒者の更生体験ムービーかと思ったら
2024年劇場鑑賞145本目。
結構自分の知らないお仕事の体験ムービーというジャンルが好きで、これも仕事ではないけど薬物中毒の人がどういうプロセスを経て更生していくのを追体験する映画なのかな、と観ていたのですが、佐藤二朗演じる刑事のせいでややこしくなってくるんですよね。事実を元に作られた映画ということでどこまでが事実か調べたのですが、順序が逆になっている部分はあるものの、基本的に全部本当にあったことのようです。さすがに真面目にやっている人がフィクションでああいうことをやったとされたらそりゃ名誉毀損ものですものね。
佐藤二朗はコメディでツッコミをやるのが一番輝くのは間違いありませんが、モラルに欠けている人情派という難しい役をうまく演じていたと思います。人のために熱く動きながらタバコのポイ捨てはする、そこらにツバをはきまくるなど、これが後の伏線になっていたのかもしれませんが。
私を変えたこと
2024-6-16 午後のイオンシネマ 観客21人
妻は観ない事を選んだ。 観終わって、この作品のどこまでが真実なのかが気になった。 妻には、「観なくて良かったと思うよ。」と伝えた。
未見の人はここまで。
帰宅し夕飯を食べる。 大河を観、日曜ドラマを観る。 寝たが夜中に目が覚め寝付けない。 普段書かない感想を書き留めた。 それ以外に何もできなかった。 この映画を観た事、考えた事を忘れぬために。
作中の転換点はいくつもある。 社会的にはあの感染症によって職場・学校・更生サークルとの繋がりが無くなった時。 だがそれよりも彼女にとって重要と考えられるのは、ぼったくられた上の初任給で迷った末に買ったヨガマットを母にクシャクシャにされ給料まで取られた後、雨の夜、橋の下でうずくまって絶望していた彼女を刑事が救護してくれた時。 また、家から脱出してシェルターマンションに住み始めた時。 更生サークルで自分の事を話せるようになった時。 連れ戻しに職場に来た母親を施設長が追い返した後、いたたまれず出ていこうとする彼女を施設長が「いて下さい。」と言ってくれた時。 毎日日記に〇を付ける時。
そして更生サークルを利用した刑事の性加害記事を、協力者と思っていた記者に見せられた時。 幼児を見知らぬ女に押し付けられた時。 自分さえも大切に思えなかったのに、子供第一になっていく日々。 幼児を母に人質にとられ売春をすることになった時。 帰った朝、母の電話で幼児が児相に連れていかれたと知った時。 母を刺そうとしてできなかった時。 シェルターの部屋で絶望し、また覚せい剤を打ってしまい、〇を付けられなくなった日記を燃やそうとした時。 ようやく知ることのできた大きな未来達が、全て、永遠に、失われてしまったと思った時。
誰かに、何処かに助けを求めれば救われたかもしれない。 しかしそんな事を彼女は知らなかったのではないか。 貧しく食べるためにスーパーで万引きを繰り返し、ばれて学校にいられなくなったのが小学4年。 児相にも良い印象がないのではないか。 人や社会は彼女を救うことなく無視するか利用しようとする。
祖母は殆ど歩けず、母は娘をままと呼ぶ。 アル中なのは間違いないが知的障害もあるかもしれない。 家庭が崩壊しているのに今まで生活保護を受けていなかったのは、申請すらできなかったからかもしれない。 福祉課の対応を見れば相当の知識と交渉力が必要なのはみてとれる。 親を叩けば胸がすく、という話ではない。
刑事の行動にも思うところはある。 善意を施す者はより慎重に己の身を顧みなくてはならぬ。 だが彼の行為の全てが悪行の為とは到底思えない。 彼女を保護した時の彼の行動は欲望とは対極のものだった。 我々はどうか。 己の身を顧みなくて良いのか。 見て見ぬふり、他方を向いて耳を塞ぐ事は悪行と言えぬと断言できるだろうか。 刑事の様に直接手を伸ばすことはとても難しい。 しかし苦しみ悶える人を救う法律を作るために、知恵を出し声を上げる事はできるのではないか。 もしそれを阻もうとする者がいるとするなら、それこそが悪行と呼ぶべきものではないのか。
日本では彼女が最底辺ではないかもしれない。 世界には更なる惨禍があふれているのだろう。 それらを知らないことにすれば我々には安息が続くのかもしれない。 観客の少なさがそれを物語る。 それでも少しずつでも我々は前に、希望に向かって進みたい。 それが人間だと信じたい。
最後に、日本世界に共感を得るには難しい映画かもしれないが、先ずは制作・配給してくれた関係者に感謝したい。 また違和感のない演技をしてくれたキャスト、それをそのまま伝えてくれたスタッフに感謝したい。 そしてこの映画を観た人たちに期待し、自分へは戒めとしたい。
翌朝妻には、「やはり観たほうが良い。 いや観るべきだ。」 と伝えた。
2024-6-29 イオンシネマ 観客33人
2週間ぶりに観る。 1日1上映だからか観客は前回より多い。 今回は妻も同席である。 私自身は八割位の確率で再見することになるとは思っていたが、妻が同席を決めたのは前日だった。
私は映画を観る時、いつも時間を気にしてしまう。 この話が後どれ位で、どのような結末を迎えるのか気になってしまうのだ。 だが今回はもう進行が分かっているので、スクリーンに映し出される内容を見聞きすることに集中できる。 自分の思い違いや新たな発見があり、より深くこの作品の中に入り込めた気がした。
ドキュメンタリー様な間も多いが、シナリオの組み立てや演出演技、小物にも緻密な気配りが感じられ気が抜けない。 見落としがもったいない。
冒頭、夜の街を虚ろに歩く何も無い杏。
取り調べ室で多々羅刑事がいきなりヨガを始めると、杏が横上目で苦笑している様な顔をする。 ヤバくてばかばかしいものを見るその顔、この辺りから雰囲気が明るくなる。
介護施設では、杏に「水飲みますか?」と聞かれて頷いた老婆が、コップが置かれた直後に払い落とす。 拭き掃除する杏が薄く笑っているように見えた。 顔色が良くなり髪も短くなった。 自信の無さげな動きと痩せた体からミドルティーンに見える。
橋の下で刑事に保護された過呼吸気味の彼女は、確かに救われた。
カラオケで「どんぐりころころ位歌えるだろ?!」 と言われても歌えない杏。 後に押し付けられた子供に聞かせるのはこの歌だ。
初め母親には知的障害があるのかとも思ったが、強かだった。 子供のうちから娘をママと呼び保護意識を強制させ、言うことを聞かなくなったを思えばテメェ呼ばわりして殴る。
母親に売春を強要され、冒頭と同じ夜明けの街を歩いて帰る杏。 積み重ねたものは一晩で崩れて元に戻る。
子供を失った部屋で過呼吸になった彼女を救うものは誰もいなかった。
焼け焦げた日記から丁寧に破り取られ、彼女が最後まで手にしていたもの。
彼女が全てを失うときに、ブルーインパルスが飛んでいく。 東京五輪が始まる。
杏が亡くなった後に、関係者が語るシーンなどは不要とする意見もあろうが、これらは亡くなった人を悼む供養の祈りだと思う。 失われた命に対しては祈る事くらいしかできないのだ。 祈りの要不要は論議そのものが不要だ。 だがまだある命に対してはやるべき事がある。 先ずは忘れぬ事、そして考え続ける事。
忘れぬ為に2度目を観たわけだが、同時に私はもう一度会いたかったのだ。 スタッフ・キャストが彼女の人生を復元し、観客は観る度毎に蘇った杏を感じる事ができるのだ。
薬物依存からの脱却は極めて困難だという。 多々羅が最後に繰り返す叫びがそれを表している。 幾つもの困難な積み重ねをしてきた杏に祈りを捧げたい。
妻は、子供を預けた母親が許せないと言った。
こんな最後になるとは
知り合いにすすめられて鑑賞!
21歳の主人公・杏は、幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた
ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は、多々羅という変わった刑事と出会う
大人を信用したことのない杏だが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく
週刊誌記者の桐野は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた
ちょうどその頃、新型コロナウイルスが出現
杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまう
行く手を閉ざされ、孤立して苦しむ杏
そんなある朝、身を寄せていたシェルターの隣人から思いがけない頼みごとをされる──
というのがあらすじ!
みて数分で見入ってしまいました…
あまりにも理不尽なことが多い気がしました😔
そしてあの母親が全ての元凶!
親ガチャという言葉は好きじゃないけど失敗だったようにしか見えない
それにいろんな人の助けを借りながらせっかく前に進み始めたのにコロナが蔓延しさらに母親に足を引っ張られる
前に進もうとする人の足を引っ張る人が必ずいるんですよね…
観ててほんと胸糞悪かった!
演じてた河井さんすごい!
コロナ禍になっても必死になって前に進んでよくも悪くも子供を勝手に預けられたことで希望が持ててるように見えました
なのにここでまたあの母親ですよ…
せっかくお金を稼いだのに子供が児相に連れていかれそれでまた薬物に…
心がそこでポキってなっちゃったのかな
それで飛び降りて😔
杏ちゃんすごく優しくて人だったのに…
観た後はしばらく何も考えられなかった
リアルな現実の一つだし杏ちゃんのような人は他にもいるかもしれない
ほんといろいろ考えさせられる映画でした…
みなさんの演技はとてもすごかったです!
特に河合さんの演技がほんとにすごかった!!
上映が始まってすぐ見入ってしまいました…
ドラマでもすごかったのでこれから出演される作品はぜひ観ていきたい😊
素晴らしい映画をありがとうございました☺️
胸糞悪くなるだろうなっていうのは分かっていたけど
観終わった後にこうなるのは分かってはいたものの、何ともやるせなく、何とも切なく、何ともやり切れない、これだって言えない気持ちにさせられました😮💨
河合優実の自然体の演技はもちろん、安定の佐藤二朗の飄々とした演技もそうですが、此の作品の一番の功労者は本当に憎たらしいくらいの毒親の平岡百合子の演技だったと思います🤔
実は佐藤二朗もほんとうにクズだったのかどうかが、ちょっと曖昧なところだけがどうしても気になりました😓
誰かさんの真似ではありませんが、細かいところが気になってしまうのが僕の悪いクセ(笑)
河合優実の演技は見事だが?
重い。言葉が出ない。観た後に感じた事である。
やっと観る事ができたあんのこと。
予想以上に重い作品だった。
言葉も出ないし、色々考えさせられた。
あん役の河合優実の演技が素晴らしかった。よく、難しい演技をこなした。
桐野役の稲垣吾郎、多々良役の佐藤二郎の演技も良かった。ラストは少しあんにとって希望があった気がした。
ただ、この作品はガチのノンフィクション。ちょっとフィクションの要素も入れて良かったのではと個人的に感じたし、新型コロナウイルスがポイントならもう少し強調しても良かった。
2024年上半期ベスト10には入れたい。ただ、物足りなさも残った。期待していただけに。
河合優実はこれからが楽しみな女優になりそう。
星はいつも三つです
入江悠監督『あんのこと』
映画のド頭に「この映画は実話に基づいています」みたいな注意書きが現れる。
主人公河合優実のあんの境遇は事実として、刑事の佐藤二朗が更生サークルを利用してクソみたいな悪いことをしていたとか、稲垣吾郎の週刊誌記者がそれを暴いたとか、河合優実が赤ん坊を押しつけられて一生懸命育てたとか、それらが事実なのかどうかは知りませんが、なんのための注意書きだったのか。
なんだか、「筋や設定やキャラ造形に文句をいうな。実話なのだから」と最初に釘をさされたような気がして、ちょっとなんだかなぁ……でした。
注意書き、不必要だったのでは。
不必要といえば、主人公あんが自ら命を絶ってからの三つの場面、具体的にいうと「佐藤二朗と稲垣吾郎が対面して『週刊誌でスッ
パ抜かなかったらあんさんは死ななかったのだろうか』などという会話をする場面」、「佐藤二朗が『彼女は薬物をやめていたんだ』とか何度も絶叫するモノローグ」、そして「主人公に赤ん坊を押しつけて姿を消した母親が赤ん坊と再会し『赤ん坊を無事に育ててくれたあんさんのおかげです』という場面」。
これらは不必要というほかはない。
観客に「あんが生きていたことは無駄ではなかったのだ」というわずかな慰めを与えるかのような場面だが、観客に慰めはいらない。むしろ観客にどうしようもなく暗澹たる気持ちで映画館をあとにさせるべきだった。
あんの白いリュック、初めてもらった給料で買ったかわいい日記帳、ぎゅっと不格好にボールペンを握るあんの手、ジャガイモを皮もむかずに切っていく手つき、命を
絶つ寸前の透明になったとしか思えない河合優実の姿。
またこの映画ではノイズが非常に印象的。ゴミだらけの狭い部屋での母親の怒号、狭い町をひっきりなしに通る車や電車の騒音。あんの周囲の世界の凶暴さをノイズが端的に表現している。
そういったすぐれた断片を思い返すたびに「なんとかならんかったのか」という思いを新たにすることが『あんのこと』の映画体験。
暗闇の先の絶望
事実を基にしているというがどの部分なのだろうか
いつもの映画館で
チラシとか予告編を見て楽しみにしていた
日曜日とあって客が結構入っていた
主役の河合優実は由宇子の天秤に出ていた実力者で
流石の演技だった
こういうストーリーを薄々期待してほぼその通りだったのだが
いまひとつ納得感がないのはどうしたことか
同じく事実をベースにしていて
新コロで追い込まれる女性を描いた作品
夜明けまでバス停で の方がオラは好きだ
事実を基にしているというがどの部分なのだろうか
監督がこのストーリーを通じてここまで主人公を痛めつけて
世に訴えたかったことは何なのか
・毒親
・児童売春
・役所の不作為
・警察官の不祥事
・マスコミの報道姿勢
・新コロ対応の迷走
・育児放棄
どうも掴みかねたし理解しがたい
メシバナ刑事は吸殻をポイ捨てしたりツバを吐いたり
はじめから違和感プンプンであぁなるほどと
あまりにも肩入れすると情が入る
自分はここまでしてあげているんだから
これくらいの見返りはあってもバチは当たらんだろうと
善悪の線引きがあいまいになってしまう バチは当たる
いかにも脇が甘い
清濁併せ飲むなんてことは今の世の中では不可能だ
心よく思わない人物からのリークとの示唆があったが
このあたりは事実なんだろう
弧狼の血に近いニュアンスを感じた
職場とかシェルターの場所が簡単に毒親にバレる
だらしない 残念ながらそれが事実なのかもしれないが
そこはちゃんとしている前提の方がよかったと思う
河井青葉が演じる毒親の行状とか
家の中の様子とか過剰すぎて飲み込めない
なんかストーリーが散漫になっているのは
そういったところにも原因があるような
主人公が最後にとる行動の理由 どうにも理解できない
残したメモを見て感謝する母親
墓参りなんて言ってるが全く共感できない
主人公が薬物回復プログラムで
やっと自分の言葉でしゃべるシーンだけは共感した
守られなかった人たちへ
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