「結末に近づいても、あんの幸せを祈らずにいられない思い」あんのこと chikuhouさんの映画レビュー(感想・評価)
結末に近づいても、あんの幸せを祈らずにいられない思い
実話に基づいていること、そしてその中身や過程が辛く重いものである「儚い希望の日々」、それを知らなくては、そして共有しなくては、という思いを持って劇場に行きました 教育とか体験とか、そういったあたりまえに備わっているであろう物が身についていなければ、大人になってもどんなにひどい親から離れられないのであろうか
彼女が介護施設で自分を必要としてくれる人をみつけ、夜間中学や薬物依存の当事者の会で
様々な境遇の人と出会い、そして預かった子どもを自分が守らなくてはという思い、自分の存在が認められ、他の人の力になることを知ったことで、母親の虐待から解放される日々が目前にあった のにまた元に戻ってしまうことをスクリーンを観て予感をしていた
他人を警戒していた彼女が「焼肉を食べたい」と素直に言っていたあの笑顔が、彼女が輝いていたほんの一瞬だったのだろう 自死を選び、万引きをしないで自分で買ったノートを焼こうとして火をつけた後のためらい まっすぐな思いがそういう結果を生んだのですね 児相の役割とか、相談をするとか、助けを求めるとか、そういったあたりまえの「常識」だって、教育を奪われた彼女には届くことがなかった カラオケで歌う、焼肉を食べる、子どもに食事を作る、覚えた文字いっぱいのノート、つかみかけていた幸せをつかんで欲しかった
母親役の河井青葉さんは綺麗で溌溂とした役をみてきただけに、この役に彼女を起用したこと、憎い役ですが納得でした 山中アラタさん存在感ありました
(6月27日 テアトル梅田にて鑑賞)
蛇足ですが、私が本作を観た「テアトル梅田」は、3月まで同じテアトル系の「シネリーブル梅田」という名前でした 「シネリーブル」という館名は日活所有の劇場でした
東宝・東映・松竹が自前のシネコンを持っている中、同じ長い歴史を持ちながらも倒産の危機・再三の路線変更をしてきた日活が持っていたのが「シネリーブル」と「オスカー」という劇場で、リーブルの実際の運営はテアトルに委ねていたそうですが、「シネリーブル」と付いた劇場が消えるのはまた一つ日活の歴史が消え寂しく思いました 博多そして今回の梅田が消え、「シネリーブル」は池袋と神戸の2つになりました