「「実話を映画にすることの意義」から逃げている作品」あんのこと 狐色さんの映画レビュー(感想・評価)
「実話を映画にすることの意義」から逃げている作品
いわゆる実話系露悪的胸糞ムービーなのだが見終わった後、率直な感想として「何のためにこの映画を撮ったのか?」が残った。
同じようなジャンルでやまゆり園の障害者殺傷事件を扱った「月」があるがあれには障害者を取り巻く現状はこのままで良いのか? という痛切かつ実直な、批判されることも覚悟の上で放ったメッセージがあった。(事実監督は批判も受けることになった)
実際の事件を題材にする時、そこには絶対メッセージ性が無いといけないと思う。でないとそれは単なるセンセーショナルさを狙った搾取になってしまうから。
「あんのこと」はあんの身に悲劇に次ぐ悲劇が起こる。その様はとても哀れで主人公に感情移入してしまう。しかしながら見終わってもその可哀想だという感情しか残らない。
多々羅しかり桐野しかり終始正義と悪は表裏一体である的な描き方で誰も聖者にも悪者にもせず、 あんからすべてを奪ったあの過剰すぎたコロナの狂騒すら悪とは断罪できず、中立に中立を重ねたような描写の中でどこまで実在の存在なのかも分からないあんの母親に「毒親」 という分かりやすい流行りのキャラ付けをして悪役の全てを背負わせる。 最後まであんを殺したのは誰かなのか、何が悪いのかをきちんと描かない。ゆえに何もメッセージ が残らない。
しかしこういう実話系露悪的胸糞ムービーには他ジャンルには無い力がある。それは「誰もが目を背けるこんな酷い現実に敢えて目を向ける私はなんて立派な人間だろうか」と観客が気持ちよくなれる"力"だ。見終わった後放心してしまった。ずっとあんのことを考えています。もしかしたらあんを殺したのは私達の無関心なのかも知れない。なんて自意識に塗れた感想を書くにはうってつけの映画であると思うし、うっかりそれ自体がメッセージであると勘違いさせられてしまうほどの力がある映画とも思う。
でもそれは何も描いてないのと同じだ。これが実在の事件から生まれた映画だというならもっと誠実な向き合い方があったと感じる。
もう少し具体的に内容に言及するなら多々羅があまりに後半のドミノ式悲劇を生み出すための装置でありすぎた点も気になった。これを含め後半は観客の可哀相という感情を生み出すためのご都合主義が多かったように思う。逆に良かった点はブルーインパルスの 使い方だ。ただそこでもう一歩踏み込んだ描写が出来なかったのはとても残念だった。入江監督は「月」 の石井監督のようにたとえリスクを負ってでも"誰が悪いのかを描く事"は出来なかった。逃げてしまったのだ。
単なる一作品として見れば主演の演技は素晴らしく、よく出来た中立性を担保した悲劇エンタメドラマだ。ただそこに「これは実話です」とテロップを入れるのであればそうそう評価はできない。それくらいその言葉は重いということを理解しておいてほしい。
こういう表現をすべきというコメントは映画を批評する姿勢とは思えません。
表現は自由であり受け取り側はどう感じるかということだけです。
メッセージとは受け手側のもんだいです。私はこの映画を見て素直に感動しました。あんの優しさ、人間の愚かさそしてこれらが日常にたくさん存在する理不尽である事。それを再認識するだけでも十分なメッセージ性はあると思います。
あらためていいますが表現は自由です。
受け手側の素養によって感じ方は変わるでしょう。
事象のすべてを温暖化に帰結するような浅はかな風潮と同じ意見、それを欲して納得するのと同じように思えます。