「感謝はしても尊敬はしないという距離感を持つことで、家族の呪いは少しだけ和らぐ」あんのこと Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
感謝はしても尊敬はしないという距離感を持つことで、家族の呪いは少しだけ和らぐ
2024.6.13 アップリンク京都
2024年の日本映画(113分、PG12)
2020年6月1日に朝日新聞に掲載されたある女性の顛末をモチーフにつくられた社会派ヒューマンドラマ
監督&脚本は入江悠
物語の舞台は、都心のどこか
14歳のときから母・春海(河井青葉)に強要されて売春を繰り返してきた杏(河合優実)は、ある日、客の男(山口航太)がシャブを打ったあとにぶっ倒れてしまう事件に遭遇してしまう
逃げ出すこともできずに警察の厄介になるものの、そこで担当になった刑事・多田羅(佐藤二朗)はおかしな男で、突然取調室でヨガを始めてしまった
多田羅は「サルページ赤羽」という名前の「覚せい剤から立ち直るためのセラピー」を個人的に運営し、そこで「覚せい剤から立ち直ろうとする人々」の復帰を支援していた
杏はそのセラピーに足を運び始め、多田羅の紹介で介護職に就くことになった
だが、初任給はかなりピンハネされていて、わずかな収入も母親に奪われてしまった
そのことが原因で杏は再び覚せい剤に手を出してしまい、多田羅は母親から分離させなければ難しいと考えた
杏は多田羅との約束を守って家出をして、シェルターに住むようになる
今度は多田羅の友人のジャーナリスト桐野(稲垣吾郎)の紹介で「若草園」という施設で勤めるようになり、さらに日本語学校にも通うようになる
徐々に笑顔を取り戻しつつあったある日、多田羅がセラピー参加者・雅(護あきな)への猥褻行為が発覚して逮捕されてしまう
さらに、コロナ禍の直撃に遭ってしまい、施設は非正規雇用の一時休職、日本語学校も休学となってしまう
そんな折、シェルターの隣人・三隅(早見あかり)から強引に子ども(稲野慈恩)を押し付けられてしまうのである
映画は、子育て以外は実話ベースになっていて、母親に売春を強要されたことや、親身になってくれた刑事が実はセクハラ常習者だったというところは事実になっている
それでも、事件の発覚の時系列(自殺後に逮捕)などが映画向けに改変されていて、あくまでも「モチーフ」として、完全再現を目指してはいない
本当に救いようのない映画になっていて、希望に見える部分はフィクションになっているので、現実はもっと悲惨であるように思える
孤独と孤立の違いが描かれていて、孤立状態が長く続くほど、孤独というものが強調されていくように見えてくる
杏を死に至らしめたのは、ざっくり言えば「それでも母を刺せない弱さ」であり、幼少期の思い出が「祖母を神格化させている部分」もあるように思う
俯瞰してみれば、杏のこの状況を作り出しているのは祖母(広岡由里子)であり、毒親の連鎖が続いていたように思える
母は杏を「ママ」と呼ぶのだが、それは目の前にいるはずの母は母ではないという意味になるし、母親らしきことをしてこなかったことに対する当てつけのように思える
そうして、繋がってしまった親子の絆というものが呪いになって、杏を縛り付けていたのである
いずれにせよ、コロナ禍を忘れないという思いと、あの渦中で杏のようにひっそりと死んでいった隣人がいるというのは衝撃的であるように思う
このような世の中で生きていけるのは、自分のことだけ考えて、心配するふりをしている三隅のような人間であり、さらっと「お墓参りできないのですね」と自尊心を傷つけない程度に距離を置くところが恐ろしくもある
映画の主題は多田羅が語る最後のセリフであり、「現実逃避すら拒まざるを得ない絶望」というものが、このような顛末を引き寄せてしまうのかな、と感じた