めくらやなぎと眠る女のレビュー・感想・評価
全57件中、41~57件目を表示
何といっても「かえるくん」が強烈。独特の雰囲気が魅力。震災がキーワード。
村上春樹原作、フランス・ルクセンブルク・カナダ・オランダ合作のアニメーション。
日本にはないような独特の絵柄とテンポが魅力的。
「ライブ・アニメーション」と名づけられた実写撮影をアニメ化するという手法で撮られた。
期せずして、先日公開の「化け猫あんずちゃん」も、「ロトスコープ」と言う似た手法で作られていました。
本作の原作は一切未読ですが、何か面白かった。
とくに、かえるくんが謎。
突然現れた巨大なかえるくん。
かえるくんの表現は実写では描写が難しい。
アニメならではの表現で可能になった。
原語では「flog」と言っていて、「Mr.flog」と言うと必ず「flog」と言えと怒るのが可笑しい。
親しみがあるのに、「あの最期」が悪夢で恐ろしい。
追伸:
最初、原語版(英語)を観たのですが、あとからパンフレットを読んで、改めて日本語版を観たくなり、鑑賞しました!
結果、やっぱり、母国語の方が刺さる!
原語版の方は何か届かないような、ふわっとしたような感じで過ぎていったのですが、日本語版で日本人の演技で聞くとしっかりと観れた気がします。
アニメだったことと、あの絵柄だったことが大きいと思います。
特に、やっぱりカエル君のインパクトが強い。
古谷寛治のニュアンスが絶妙。
対する片桐の塚本晋也もリアルな名演。
柄本明のオーナーのキャラクターも素晴らしかった。
日本の小説の英訳を読んだ監督がフランス映画として製作。
日本人役をカナダ人で演じさせ、その実写映像をアニメで日本人として描き、
英語版、フランス語版でアテレコされた後、日本語吹き替え版が作られたという。
さらに日本語吹き替え版の録音には、日本語版演出者(日本人)だけでなく、オリジナル版の監督も同席したという複雑な過程を知るとさらに面白い。(英語とフランス語のカエル君は監督自ら声をあてた!)
☆0.5追加しました。
Merveille
原作は未読で、オムニバス映画の構造だったのかーと上映始まってから知ったくらいには情報を入れてなかったです笑
字幕版の方での鑑賞。
結構面白かったです。
3.11の数日後の日本で暮らしている人々の少しだけはみ出した不思議な日常を描いている作品で、原作の雰囲気そのまま落とし込んでいるんだろうなーというのが未読の身でも伝わってくる作りになっていました。
会社では雑用をたくさん任されている片桐さんが家に帰るとスタンバってるかえるくんと一緒に東京に再び起こる地震を2人で止めようとするやり取りがめっちゃ面白くて、かえるくんのリアクションにビクビク怯えながらもしっかりと話を聞いて検討したりと、2人だけの空間での会話劇は長いこと見れそうなくらい不思議な空間でした。
みみずくんというワードが出てきた瞬間「すずめの戸締まり」と同じテーマだ!と何故だかわかりませんが嬉しくなりました。
すずめはテーマ的に恐怖の対象として扱っていましたが、今作では姿形こそはイメージだけなので、恐怖はかえるくんの語り口のみというのも切り口が違うので、その多様性込みでこのエピソードは楽しかったです。
小村周りのエピソードは女性関係のものが多く、当人は別にそこまで意識しているわけでは無いのに色々と寄ってきたりしたりと、小村大変そうだなーというのが上映中ずっと頭の中にありました。
小村の奥さんのキョウコの無気力な感じからの家出だったりと、勝手な人だなーとムッとしながら観ていたんですが、過去のエピソードとか語られてもこの人相当の変人だなと最初から最後まで思っていました。
そこから同僚の人の荷物を妹に届けてくれと言われて届きたら、妹とその友人が何故かいて…といったエピソードに繋がって、そこからの展開はあらあらまぁまぁなものになっていき、それ以上の感想は出てきませんでしたが、ラストのフワッとした感じといい独自の色全開なのでハマる人はとことんハマるんだろうなと思いました。
アニメーションは日本原作なのにフランス製作なのもあって独特なタッチの絵で作られており、男性キャラとかえるくんのデザインは良い味を出していたんですが、女性キャラが好みの分かれるもの…というかこれを好む人っているのか?ってレベルのデザインで、声優陣の声質とキャラが全く合ってない歪さには胸がモゾモゾしました。
キョウコが20歳ですと言ったシーンで「ほんまに!?」と声が出そうになりましたし、座席からちょっとズレ落ちそうにもなりました。
それくらいインパクトのある顔なので、一度見たら忘れられないのは確かだと思います。
これを機に原作にも触れて見ようと思いましたし、村上春樹さん作品もそういえば読んだ覚えがなかったので、これは良いきっかけになるなとご縁も共にありがたやありがたや。
鑑賞日 7/28
鑑賞時間 20:50〜22:45
座席 B-12
かえるくん、東京を救う
ピエール・フォルデス「めくらやなぎと眠る女」村上春樹 の短編6本を一本の長編に再構成した作品で、短編「かえるくん東京を救う」の片桐とカエルくんのラインと短編「めくらやなぎと眠る女」の“僕”と“彼女”が他の短編のキャラも兼ねるラインが同時進行する構成でした。
構成も巧妙でとても面白かったけど、セレクトされた短編の中でタイトルにもなっている「めくらやなぎと眠る女」が他の寓意度が高い作品と比べて異質で絵ともあまりハマってなかったなと。タイトルは「かえるくん、東京を救う」でも良かったんじゃないかなーと少し思ったりしました。むしゃむしゃ。
あと、僕と友達が彼女のお見舞いに行く時にバイクに乗りながら歌ったのはなぜ「ベラチャオ」だったんだろう。
器と中味と
突然妻に出ていかれた小村の話と、その同僚で融資を焦げ付かされそうな片桐に巻き起こる不思議な話。
原作は知らず、もとは6つの話しということで章立てたつくりではあるけれど、繋がって1つの話しという作り。あ、2つの話しか?w
2011年の東日本大震災から5日間、妻が震災のニュースを見続けて何も反応を示さないという小村の話しに、担当した7億の融資が焦げ付きそうで憂鬱な片桐が帰宅すると、自宅に人間と同じ大きさで人間の言葉を喋るカエルくんがいたという話しを行き来しながらみせていく。
小村の話しは映画としてはまあありがちでそれ程面白味のない転がり方だけど、キョウコの良いところが全然みえないから同情心をあおられる感じかな。
そして片桐の話しはなんとも不思議なファンタジーで、興味は惹かれるしユニークだけど良くわからずw
あわせてみると、終わり良ければなお伽話の様なヒューマンドラマの様な感じでなかなか面白かった。
絵がシンプルな分、アニメなのに文字として入ってくる
正直、絵は苦手ではあったが、村上春樹の雰囲気はどんなものかと鑑賞。(原作未読)
最初は独特な雰囲気と吹き替え陣の声とで集中するも、だんだんと取り残されてくる。
絵も特に変わらず、(カエル以外に)感情移入もしづらいデザインのため、逆に話だけが入ってきて、それを理解しようとがんばるが、最後の方でなんとなく理解できるかな、というライン。
ドライブ・マイ・カーもそうだが、女性の理解の仕方で解釈の鍵になりそう。
数ある抽象的な文章がアニメーションで表現されるが、そのままの表現なため、少しとっつきづらい。
小説読んでみたくはなる作品ではあった。
シュールさとおかしみに浸かる
村上春樹ワールドを特色あるキャラクターのアニメと劇伴でひとつなぎにして描いた作品。
普段村上の小説は読まないが長年気になってはいたので、普段とは違う映画館でしかやっていない本作のような映画に触れるのも悪くないと思い鑑賞。
絵柄は個人的には好みとまではいかないが、シュールさやおかしみが適度に配された物語の世界観をよく現していて、大変見入ってしまった。
舞台は日本だが作品は英語セリフがベースで、字幕版を観た。いちいち日本あるあるの言葉遣いが表現されていて面白かった。
日本語吹き替えもあるようなので、機会をみて改めてそちらも観てみたい。
フランス風の色使い
全編通してくすんだ同系色の画面で、見ていて和むというか、ずっと見ていたいような心地よさがあります。ジャポニスムの影響を受けたフランスの絵画やコミックの色使いだと感じました。ロトスコープ独特のリアルな動きも個人的に大好きなので、映像を見ているだけで楽しめました。
話の筋は6つの短編をまとめた内容になっているそうで、たしかにバラバラの話を無理やり1本の映画にした感じはありました。村上春樹らしい捉えどころのない話で、率直に言って心を動かされるようなところはないのですが、この映像とはよく合っていたと思います。
吹替版を鑑賞、期待外れでした。
6本の短編を繫ぎ合わせてアニメ化したらしいが、台詞回しが独特過ぎて耳障りな印象。作画が日本物と違い雑、フランス人が日本のアニメを好きな理由も頷ける、そもそも一瞥して、そのキャラクターの年齢がわからない、20歳の顔じゃないし、どうみても若そうに見えない。日本の銀行はあんなに厳しく解雇を促したりしないし、第一日本の道路は右側通行ではない。現実を抽象化し過ぎではないか、小説ならまだしも映画としてはいかがなものかと思う。本作を咀嚼してブラボーと呼べるほど、私自身の脳は動いておりません。私も虫に脳を刺激されたら少しは村上ワールドを理解できるのかもしれませんが笑。片桐さんの話と小村さんの話に相関関係がなく、ストーリーが分裂している気がします。
かえるくんが救ったのは東京だけではありません
今週公開の映画一覧をみていたら「あれ?このタイトル村上春樹さんだ」と初めてこのアニメの存在を知りました。幸い、原作はすべて短編だったので、元となる6編のうち、「UFOが釧路に降りる」「かえるくん、東京を救う」「めくらやなぎと、眠る女」「かいつぶり」の4編は鑑賞直後に再読できました。
各作品をうまく繋げたな、というストーリー展開(「かいつぶり」についてはどの部分が映画作品に組み込まれていたのかわかりませんでした)。セリフはかなり原作に忠実で、そのぶん、やや継ぎはぎな印象もあり、「どこをどう翻案して、どういうテーマを表現したかったのか」というものはそれほど明確に描かれているようには見えません。逆の見方をすれば、監督もあの短編のこの部分はそのまま鑑賞者に伝えたい、そして、おのおのの感性で受け取って欲しい、そう考えたように見えます。
テーマはたくさんあるけれど、どれもが繋がっている。そのうち思い出せる部分を自分の覚え書きとしてふたつほど。
・映画「アパッチ砦」に関連しての会話から
「誰の目にも見えることは、それほど重要なことじゃないっていう意味なのかな」
「誰かに同情されるたびに思い出すんだよ。『インディアンを見かけたというのは、つまりインディアンはそこにはいないということです』ってさ」
・妻が出ていくという(小村にとって)大きな喪失の原因は、もしかしたら自分がなんの役にも立たない空気のかたまりのような存在だったからかもしれないと、小村自身も深く傷ついたが(シマオさんを絞め殺そうとするほどの暴力的な感情をいだくほど)、シマオさんはこう言う「でも、まだ始まったばかりなのよ」
地震だけでなく、理不尽な自然災害や戦争・事件・事故すべてを含めての大きな喪失や恢復、再生については、軽々に語れることではありませんが、『かえるくん、東京を救う』だけはぜひ皆様に読んでいただきたい作品です。
何の力もない自分という者の(日常の)在り方について深く考えることができます。
なぜか引き込まれるお話
村上春樹の短編を繋ぎ合わせたストーリーだと思いますが、僕は村上春樹の創った世界が好きなので、気がつけば引き込まれていました。
"かえるくん″みたいな(何かのメタファーだね)「こと」「もの」ってあるかもしれない。誰にも知られずにひっそりと、でも途方もなく大きなことを陰で成し遂げてくれている″力"がどこかに存在するということ。
ときに幻想的で、ときに哲学的で、ときに馬鹿馬鹿しくて、そんな不思議な村上ワールドを懐かしく(昔読んだ小説だから)、そして視覚的にも十分に楽しむことができました。
吹き替え版で鑑賞
古舘寛治さんのカエルくんの声がとても合っていた
あの話し方は狐につままれたような気分になる
六つの短編を混ぜ合わせたそうですが
覚えているのは、めくらやなぎだけだけど、
村上春樹の世界というよりフォルデス監督そのもののような気がする
ねじまき鳥の鳴き声が脳内で聴こえていた鳴き声と同じだった
人間の動きがリアルだなと思ったらライブアニメーションって手法なんですね
事実は小説よりも希也
とはよく言うが、事実の入替や取替を行うことで、
面白い小説ができてしまう。
と言う実例を見るかのような作品だった。
カエルくんとミミズのファイトを展開したら
所謂エンタメアニメになるところを
アナカレーナにまとめた演出はかなりの好感◎⛰️
良い映画を観れたと思う🎵
ごめん。ちょっと私には受け入れられない。村上春樹ファンの皆さんはどうですか?
村上春樹は上梓されれば速やかに読む程度にはまあまあファンだった。「だった」というのは「1Q84」を途中で読むのをやめて以来、長編作品はどうもパッとしないなと思っているから。でも短編集は「一人称単数」に至るまで依然として端正で瑞々しさを失っていない。村上さんは本質的には短編小説家なのだろう。
さてこの映画はフランス育ちのアメリカ人クリエーターが村上の短編6作品を題材にしたアニメ映画。村上へのリスペクトが感じられ秀作との声が高いようだが私はちょっと受け入れられなかった。
村上の短編は実にたくさんありその質感はそれぞれ違う。短編集毎によっても、執筆時期によっても、登場人物によっても(登場人物はかなり重なる)。
この映画では、登場人物でいうと小村、キョウコのラインと片桐、かえるくんの2つのラインが取り上げられている。作品でいうと「ねじまき鳥と火曜日の女たち」が前者のライン、「かえるくん、東京を救う」が後者のライン。それぞれ全く毛色の違う作品であり、前者が小村やキョウコ自身の欠落感や喪失感を扱っているのに対し、後者はグロテスクで邪悪な異界との対立がテーマである。本来、同時に、同じレベルで取り上げる題材ではない。さらに、アニメ作品としての技術や芸術性は優れているのかもしれないが、表情が乏しく平板な印象がある。そのため作品全般にメリハリがなく原作小説それぞれの持ち味や個性を活かせているとは思えない。思うに、この映画のクリエイターは英語なりフランス語なりの翻訳でこれらの短編を読んだのではないか。そしておそらく同じ翻訳小説というところから同質化して消化されているのではないか。
もう一つ付け加えると「めくらやなぎと、眠る女」を初めて読んだときに感じた気だるい喪失感と、一方で病院に向かうバスの中から見える海のキラキラした輝かしさ、アンビバレンツなんだけど繊細な感覚がこの映画では全く表現できていない。
村上春樹という人は、映画化許諾については厳しいが、完成した作品については映画は映画だからということでアレコレ論評しない人のようだ。でもこの作品については、やや歯にモノが挟まったようなコメントをしていた。そりゃあ、やっぱり不満だったのでしょうね。
アニメが合ってる。
原作未読。字幕鑑賞。
カエルくんが出てきたあたりで、村上春樹っぽさが感じられて、ワクワクした。
村上春樹の独特なファンタジー要素を映像化するにはアニメが合ってると思う。
様々な監督でアニメ化してほしい。
気になるところは、主要キャラの顔。
村上春樹に似すぎていて、虚構と現実が入り混じり、集中できないときがあった。
脳内で、現実の村上春樹が「チラッ、チラッ」と侵入してきた。
叶うのであれば、丁寧にヒゲを剃るシーンをアニメで観てみたい。
公開したら吹替版も観る!
原作既読。というか、このイベントのために海外向けに書かれたという短編集を大急ぎで読んだー。
面白かったー✨✨
原作では一つ一つが独立したお話だけど、ピエール・フォルデス監督が好みのストーリーをピックアップして、アニメ映画に作り上げる段階で6つのお話をmergeして一つのコンパウンドに作り替えたそぉな。そんな繋ぎ目が全く見えない良い感じに仕上がっていて納得の結果🍀
上映会の後は監督と原作者村上春樹氏の対談!イベントの主催目的からして内容で理解の及ばない箇所について文学的に説明がされるのかと思いきや、春樹氏のボヤキに徹した😂
(好きだった春樹語録)
●短編を映画化するのは好きです。僕の書いた話を映画にするには監督らしさが足し算されるから、面白いものが出来上がる。逆に長編小説は映画化すると引き算作業がメインになるから……(抵抗がある)
●早稲田大学文学部で映画について学びました。映画がつくりたくてね。でも小説家になって良かったー。小説家の方が楽なんですよ。
●自分の長編で映画化して欲しいなと思うのは『アンダーグラウンド』かな。(←読んでみよ)
(関係ないけど)
・片桐さん、どう見ても柴田理恵
全57件中、41~57件目を表示