めくらやなぎと眠る女のレビュー・感想・評価
全62件中、21~40件目を表示
境界の向こう側の世界との出会い Encounters with the world beyond the boundary
短編小説を繋ぎ合わせているオムニバス映画で、わかりやすい物語があるわけではありません。しかし、現実との境界があいまいないな日常が描かれている点が一貫しています。
境界の向こう側の世界との”出会い”には共通点があります。
それは平凡な日常に突如現れる点です。自分が望んだわけでもわけでも、意図したわけでもないのに。また、その非日常が、彼らの人生に少なからず影響を与え続ける点です。
出会いの場では時間が止まっています。
多くの現代人は未来を生きており、時間が止まることはありません。一方、映画の中で選ばれたのは、未来に希望や夢を持てない人々です。その代わり彼らは、現在を生きる特権を持っているように思えます。彼らの表情には、癖という以上のある種の絶望が刻まれています。そんな彼らにこそ向こう側の世界が開かれる。
この映画は、よく村上ワールドが表現されていると思います。
また、夢の続きのように出来事を並べることで、境界やその向こう側を描いていて、監督のオリジナリティも感じられます。
何よりも触発されました。良い映画です。
This is an omnibus film that connects short stories, so there isn’t a straightforward narrative. However, it consistently depicts a daily life where the boundary with reality is ambiguous.
There is a commonality in the “encounters” with the world beyond the boundary.
They suddenly appear in ordinary daily life. It is neither desired nor intended by the individuals. Moreover, these extraordinary events continue to have a significant impact on their lives.
In the place of encounter, time stands still.
Many modern people live in the future, and time never stops. On the other hand, the people chosen in the film are those who cannot hold hope or dreams for the future. Instead, they seem to have the privilege of living in the present. Their expressions are etched with a certain kind of despair beyond mere habit. It is to these people that the world beyond opens up.
I think this film well expresses the “Murakami world.”
By arranging events like a continuation of a dream, it depicts the boundary and the world beyond, and you can feel the director’s originality.
Above all, I was inspired. I think it’s a good film.
村上春樹とアニメーションは親和性があるかも
村上春樹の小説は映像化が難しい。
現実から飛躍した描写が多く、読み手はそのイメージを脳内でビジュアル化し物語を読み手が解釈する部分が多いからだ。
一方映像作品は監督が作品を解釈したビジュアルが提示されるわけであるから、小説の読み手の自由さが限定されてしまう。
ある意味村上作品の魅力が半減してしまうといってもいいのかもしれない。
だから、村上作品を原作にしつつ独自の解釈で映像化した作品の方が成功するのではと個人的には思っている。
イ・チャンドン監督の「バーニング」はその意味で成功した映画なのではないか。
濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」は独自性を入れながらも原作に忠実な部分もあり、中途半端に感じてしまう映画であった。
今作はアニメーションであり、生身の人間が演じていないのでリアルに限定されずイメージの飛躍が行われている。
監督の解釈したイメージではあるものの観るものによっても解釈が可能なので、村上作品には親和性があると感じた。
ただ、どうしても観ることは客観であるため退屈に感じるところは否めない。
6編の異なる短編を2011年の東日本大震災を背景に人間が抗えない不安や過去の記憶を軸に一本の線で繋げているところは見事。
「かえるくん」が唐突な村上春樹的物語のアイコンとして機能していてうまくバランスが取れた。
原作と映画の関係性として成功している映画だ。
面白いところもあるが退屈
【”喪失感とそれでも生きる意味。そしてアンナ・カレーニナ。”かえるくん、みみず、ねじまき鳥も出て来る不思議でシュールなテイスト満載作。斬新な絵柄や比喩に富んだファンタジーな世界感もナカナカな作品】
■ご存じの通り、村上春樹氏の小説には”羊男”を筆頭に、奇妙なキャラクターが屡々登場する。
初期の作品から通底しているのは、倦怠感漂う独特の文章であり、(初期作品では、良く”やれやれ”というフレーズが使われていた。)どこかスノッブな感じでありながら、全体的には希望を漂わせる文章が、〇学生だった私には、魅力的であった。
フライヤーを読むと、今作は氏の小説の掌編幾つかを入れ込んだ作品だそうである。
尚、私は”ハルキスト”ではない事は、ここに敢えて記す。(大体、”ハルキスト”って何て名前だよ!全くもう!)
◆感想
・今作は、全く知らなかった仏蘭西のアニメーション作家だというピエール・フォルデス氏が監督・脚本を務めているが、絵柄はバンド・デシネではない。
人生に疲れた感じのサラリーマンの小村や片瀬の表情から想起したのは、つげ義春氏の漫画である。
・そこに、かえるくんが登場し、東京を大地震から救うために片瀬に協力を仰いだり、氏の諸作品で描かれている”喪失感とそれでも生きる意味”のようなテーマも絡めて物語は進んで行くのである。
私は、吹き替え版で鑑賞したが、かえるくんの声を担当した古館寛治さんのとぼけたような声が絶妙にマッチしている。
・小村も精彩の無い表情で描かれている。
彼の元から出て行った妻キョウコの手紙には”貴方との生活は、空気と一緒に暮らしているみたいでした。”などと、「UFOが釧路に降りる」でも使われた台詞が綴られていたようだしね。
・”アンナ・カレーニナ”が時折語られているのも、当然キョウコのことを暗喩しているのであろうし、スノッブ感が漂っている所も、ナカナカである。
<だが、今作がナカナカ面白いのは、そんな人生に疲れた感じのサラリーマンの小村や片瀬が、徐々に生きる意味を見出していく姿がキチンと描かれている所ではないかな。
特に、会社で上司からパワハラのような扱いを受けていた冴えない中年サラリーマン片瀬(本当にこんなに冴えないサラリーマンがいるのか!と言う位、冴えない。)がかえるくんのお陰で昇進して、パワハラ上司が退職勧告者リストに入っていたり、小村も新しい人生を歩き出そうとするようだしね。
不思議なテイストのアニメーション映画であるが、斬新な絵柄や村上春樹氏の掌編を巧く盛り込んだりしている所も、ナカナカな作品でしたよ。>
願い事が思いつかないのは、既に願ったから
インディアンを見つけられたってことは、本当は奴らはそこにいない
最近こんな禅問答のようなセリフがやけに好みに合ってきた。
"どれだけ遠くに行こうとも、自分からは逃げられない"
"目に見えるものだけが現実とは限らない"
"君が君を選ぶ。上手くいくかどうかは、すべて君次第さ"
いくつもの言葉が胸に刺さるのは、僕が歳をとったせいなのだろうか。
物語は、カエルくんがでてきてはじまっていく。ん?カエルくんって?となるだろうが、カエルくんはカエルくんだ。「すずめの戸締り」のダイジンに似たようなものと思ってもいい(違うけど)。そう言ってしまうのは、彼がこのあと起こり得る大災害を防ぐ鍵を握るから。それがどう進展するかは、ここでは当然語らないけど。もしかしたら、カエルくんは、カタギリのイマジナリーフレンドなのか?とも思う。現実逃避したいカタギリが自らの心に作り出した生き物。でもそうじゃなさそうだけど。まあいい、目に見えるものだけが現実とは限らないのだし。その逆だってあり得るのだし。なにより、すべては自分次第なのだし。
今回、なんてスカした小説なんだと、あれだけ敬遠していた村上春樹にも興味も湧いた。「ノルウェーの森」は、まだ実家のどこかにあるだろうか。
タイトルなし(ネタバレ)
2011年、東日本大震災から5日経った頃。
信託銀行に勤める小村(声:磯村勇斗)の妻・キョウコ(声:玄理)は、発災後テレビのニュースを見続けて一睡もせず、置手紙を残して失踪した。
仕事ぶりが冴えない小村は組織長から退職を勧められるが、失踪した妻の捜索のために休暇をとる。
何もやる気がしない小村を見てか、同僚は彼に届け物を頼む。
北海道で暮らす妹へ中身不明の小箱を届けてほしい、と。
一方、小村の同僚・片桐(声:塚本晋也)が多額の融資が焦げ付きそうになっていた。
ひとり暮らしの部屋へ帰宅すると、人間大のかえる(声:古舘寛治)が待っていた。
かえるくんと名乗り、東京に迫る巨大地震を回避するため、地下のミミズと戦う自分を応援してほしい、と奇妙な依頼をしてくる・・・
といった物語で、まぁ、わかりやすい物語があるわけはない。
捉えどころのない物語は、最近みた『墓泥棒と失われた女神』も同じだけれど、好みからいえば、本作の方が好み。
物語は捉えどころがないが、通底する主題は明確で、エロスとタナトス、生と死。
本作では、タナトスの方が勝っており、死の雰囲気、生への不安が、いずれのエピソードにも充満している。
村上春樹の原作小説は未読だが、彼の作品は20数年前にかなり読んだ。
最も村上春樹らしいと感じたのは、中身不明の小箱を届けるエピソード。
小村は、そこで初対面の女性と肉体関係を持つのだが、ぼんやりとした生のなかで、性を介して、生を感じるというは、かつて読んだ彼の小説群によく登場していた。
また、失踪したキョウコが古い友人に語る二十歳のバースデイのエピソードも、彼の小説らしい雰囲気。
彼女が望んだ願い事の中身は観客に明かされることもなく、実際に叶ったかどうかも明かされない。
小箱の中身といい、キョウコの願い事といい、生の本質は明らかにされるべきではないもの、つまり、死衣をまとったものなのかもしれない。
かえるくんと片桐のエピソードも秀逸で、設定としては『すずめの戸締まり』と同趣向である(『すずめ~』の方が後だと思うが)。
ミミズとかえるくんの闘いは、片桐が昏倒している間に行われ、行われたかどうかも不明。
想像は現実を凌駕することもあり、想像が現実を超えることもある。
この映画では、多くのことが明示されない。
しかしながら、生も死も明示的ではないのだ。
付け加えれば、性さえも。
不確かなものには、実感が伴わない。
ときおり、ぬるりと顔を出してくる。
それを、捕まえようと試みるが、やはり、ぬるりと逃げてしまう。
そんなことを考えさせられ、感じさせる秀作でした。
猫だけが行き来できるパラレルワールド
不安と自信
いかにも、村上春樹な作品。鑑賞後に知ったけど、どうやら6つの短編から作られた映画らしく、それもあってか統一感のないごちゃっとした物語になっている。伝えたいメッセージが一致していればいいのだけど、こうも方向性・テイストの違う作品を並行して進められると、全体的なまとまりが悪く、なんとも言えない微妙な気持ちになってしまう。地震というテーマだけで一括りにされてるけど、正直なところ分けて見たかった。
とはいっても、小村の話は「ドライブ・マイ・カー」の家福悠介とほぼ同じ境遇であり、ひたすら喪失感に明け暮れる人物であるため、ハッキリ言って新鮮味も面白味にも欠けている。性に走っちゃうのもこの人の悪い癖。そもそも、フランス人から見た日本人があまりに不細工過ぎて、好きになれるキャラクターがかなり限られていた、というのも大きい。
村上春樹というと、社会を斜めから見下ろすようなちょっぴり偏った考えを持つ人であるため、個人的にはあまり好きな小説家ではなく、むしろかなり苦手。本作においても、男は弱くて情けなく女々しいし、逆に女は超が付くほど積極的で我が強い、といった男女に格差をもたらす描き方をしており、そのため小村とその周辺の話はどうもいい気持ちにはなれない。随所でいいところはあるけど、あまりにゆったりとしていて退屈に感じてしまった。
一方、片桐のエピソードはかなり面白く、苦手な村上春樹作品でありながら、このパートに関しては相当好きだった。ポスターでは本作の目玉のように大々的に写されているかえるくん。入プレだってかえるくん。前面に出してくるだけあって、非常に魅力的かつ楽しいキャラクターで、彼自信がストーリーテラーとして物語を展開していく、言わば「笑ゥせぇるすまん」的な単独作品が見てみたいなとまで思えた。
塚本晋也×古舘寛治の相性が見事で、2人の不思議な会話は思わず聞き入ってしまう。結局何がなんなんだ、何が言いたいんだと感じざるを得ないものの、まるで「君たちはどう生きるか」の眞人とアオサギのような独特な関係性には、なぜだかすごく引き込まれていった。かえるくんの登場シーンは本作でいちばんテンションが上がる🐸
人に勧められるような映画では無いものの、全然嫌いではなく、なんならちょっとクセになるような趣深い映画ではあった。導入もいい。雰囲気もいい。アニメにしたことで良さが大いに引き出されている。ほぼほぼかえるくんに捧げる点数だけど、村上春樹作品が自分にハマるとは思っていなかったため、なんだか嬉しかった。にしても、〈めくらやなぎ〉とかいう造語、よく思いつくよなぁ。あと、地震の映画見たあとに地震はあまりにも怖い。ミミズくん怒らないで🪱
違和感が不安を掻き立てる
絵は好みじゃないけれど、世界観は自分のイメージと近かったです。
村上春樹の原作が短編集なので、オムニバス的なつくりかと想像していましたが、一本にまとまっていて感心しました。
このフランス人の監督さんは、本当に村上春樹が好きなんだろうなぁ…愛を感じました。
ただ、私には絵が少し微妙に思えました。
これは好みなのでどうしようもないのですが、実際、女性はなんだか皆ゴツゴツしているし、主人公である小村や片桐はお世辞にも魅力的とは言いがたいし、子どもに至っては大人か子どもか分からずちょっと気持ち悪い…。
だからといってアイドルマスターみたいな絵でも困るのですが、もうちょっとなんとかならないのかという気持ちはありました。
子どもに聞くと「それはわかっていてやってるんだよ」ということです。
そりゃそうですよね「頑張ったけどどうまく描けなかった!」なんてことはあり得ないわけで。
ただ、かえるくんだけは飛び抜けてクオリティが高かったので大満足でした。
100%イメージ通りなのはかえるくんだけ!と言えるくらい、細部までよかったし、キャラクターも喋り方も思い描いていた通り。
吹替版で見たのは正解でした。字幕版は監督自ら声をやっていたそうで、そちらも気にはなるけれど、原作も舞台も人物も日本なので日本語で見るのが自然な気がしました。
ひとつひとつのストーリーに一応の結末はあるものの、描かれている以上の意味が読み取りにくく、「これは何かのメタファーなんだろうか…???」と頭をひねるところも村上作品の読後感と近いものがありました。
主人公たちが皆フワフワしている中で、彼らに関わるかえるくんやレストランオーナーがはっきりとしたスタンスなのが小気味よかったです。アクセントが効いてるっていうのかな?
小村の「なんかわからないうちになりゆきで初対面の女の子といい感じになる」ところは村上春樹っぽくて気持ち悪いし(褒め)、片桐の「自分にはなにもない」という卑屈で自虐的な心情の吐露も村上春樹っぽくて気持ち悪かったです(褒め)。
登場人物が皆70年代あたりを生きている人のような、不思議な感覚も村上春樹らしい。
元の短編集が観念的なものですから、そのいくつかを再構築してひとつにまとめても、起承転結のあるテーマの明確な話になりづらいのは当然のこと。
ですので「だから結局なんなんだ!?」という気持ちがわいても無理はありません。
理解できなくても落ち込む必要なし、雰囲気を味わえば楽しんだことになると思います。
(興味深いという意味で)面白い作品ですし、村上春樹ファンならずとも挑戦してみてほしい映画です。
良作!村上ファンなら楽しめるかも
センス良い風にアレンジした夢のような作品
「短編小説6編」
ハルキスト
フランスっぽい村上春樹作品
アニメ化にあたって最大の功績は「かえるくん」だろう。可愛さと不...
空虚な人生は埋められない
2022年。ピエール・フォルデス監督。村上春樹のいくつかの短編をつなぎあわせてひとつのドラマにしたアニメ―ション。震災後に妻が家を出て行った男(村上春樹に見える)はその穴を埋めようと有給休暇を取得して実家に帰ったり旅をしたりする。一方、同じ職場のさえない男は帰宅すると巨大なカエルがいて、「東京を救う」ための戦ったくれと求められる。
見ていてつくづく思い知ったのは、村上春樹作品の本質的な要素。
①本当の物語は自分ではなく身近な誰かの身に起こる。
②その物語を自分のものにする機会が生まれるが失敗する。
③結局、人生の空虚さを抱え続ける。
このところ手をつけてない村上作品の本質を思い出させるくらいよくできているということだろう。アクションやスピードよりも省略や暗示、ほのめかしが特徴。
全62件中、21~40件目を表示












