「かえるくんが救ったのは東京だけではありません」めくらやなぎと眠る女 グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
かえるくんが救ったのは東京だけではありません
今週公開の映画一覧をみていたら「あれ?このタイトル村上春樹さんだ」と初めてこのアニメの存在を知りました。幸い、原作はすべて短編だったので、元となる6編のうち、「UFOが釧路に降りる」「かえるくん、東京を救う」「めくらやなぎと、眠る女」「かいつぶり」の4編は鑑賞直後に再読できました。
各作品をうまく繋げたな、というストーリー展開(「かいつぶり」についてはどの部分が映画作品に組み込まれていたのかわかりませんでした)。セリフはかなり原作に忠実で、そのぶん、やや継ぎはぎな印象もあり、「どこをどう翻案して、どういうテーマを表現したかったのか」というものはそれほど明確に描かれているようには見えません。逆の見方をすれば、監督もあの短編のこの部分はそのまま鑑賞者に伝えたい、そして、おのおのの感性で受け取って欲しい、そう考えたように見えます。
テーマはたくさんあるけれど、どれもが繋がっている。そのうち思い出せる部分を自分の覚え書きとしてふたつほど。
・映画「アパッチ砦」に関連しての会話から
「誰の目にも見えることは、それほど重要なことじゃないっていう意味なのかな」
「誰かに同情されるたびに思い出すんだよ。『インディアンを見かけたというのは、つまりインディアンはそこにはいないということです』ってさ」
・妻が出ていくという(小村にとって)大きな喪失の原因は、もしかしたら自分がなんの役にも立たない空気のかたまりのような存在だったからかもしれないと、小村自身も深く傷ついたが(シマオさんを絞め殺そうとするほどの暴力的な感情をいだくほど)、シマオさんはこう言う「でも、まだ始まったばかりなのよ」
地震だけでなく、理不尽な自然災害や戦争・事件・事故すべてを含めての大きな喪失や恢復、再生については、軽々に語れることではありませんが、『かえるくん、東京を救う』だけはぜひ皆様に読んでいただきたい作品です。
何の力もない自分という者の(日常の)在り方について深く考えることができます。