水平線のレビュー・感想・評価
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MiniTheaterで本作品を鑑賞しました。
映画「水平線」を鑑賞する為、シネマ・チュプキ・タバタに行きました。こちらは、MOVIE WALKERの記事 南沙良、ミニシアターを巡るの中で取り上げられ障がいの有無にかかわらず、誰でも映画を鑑賞できるユニバーサルシアターとして知られています。映写室程度の規模だから出来るのかも知れませんが視覚や聴覚の不自由の方、車椅子の方、幼児をお連れの方が過ごしやすい様に配慮が為された設計が施されていて自分が訪れた時は介助犬を伴っている方を見かけました。国内でこの形態を執っている映画館は当館だけです。邦画の字幕は珍しいですが慣れると苦に感じません。むしろ途中から追いかけていました。鑑賞後、 とくに何かをするわけではありませんが暫く留まっていました。共に過ごす事で気付きを得るかも知れません。障がいの原因は、本人ではなく社会環境にあるという考えに接すると自分の思慮の無さを痛切に感じます。 本編は再生が主題かも知れませんがいろいろと考えさせられるものでした。大人向け?の映画ですね。割り切れない事があるのが人生なのでしょう。ピエール瀧さんの哀愁のある感じが涙を誘います。
福島の港町、散骨業の男性とその娘、ご近所の人々の模様。 散骨業を営...
福島の港町、散骨業の男性とその娘、ご近所の人々の模様。
散骨業を営みつつ、奥様は震災後行方不明のままで。
周囲の漁師さんには、海の風評を危惧されたり、
東京のジャーナリストが町に入り込んで、被災者を代弁するとか言い出したり (←あえて横柄さが見えるように演じている様子)
人々の模様が、さらに厄介に。
ときおり映る街並みが、以前はもっと海沿いだったような記憶もあって。
震災後、街や線路ごと、すこし内陸に移設されたことを思い出したり。
風化させたくない想い、
さっさとと風化させたい思い、
各人がそれぞれに思っていること、痛切に伝わってきました。
おいら自身は被災していないですし、代弁もできませんが。
親族や友人は、結構な目に遭ったと、聞いていて
彼らはどんな思いだろうかと、想いたくなります。
風化させない、とはどういうことか。
小林且弥監督とピエール瀧がこの映画を語ったインタビューを少し前に読んだことがあって。楽しみにしていたんだけどわが町ではなかなか上映されずやっと観ることができた。
インタビューのなかでどちらかが「被災者の声を直接聞かなきゃと張り切って福島のロケ地に行ったんだけどごく普通の日常が流れていた」って話していてそれは当たり前のことなんだけどこの映画の本質はそのへんにあるのではと思った。
映画の最初の方、父と娘の生活が淡々と描かれる。この父娘は人は良いのだけど不器用で互いにコミュニケーションを取るのがあまり上手くない。それだけに震災で行方不明になっている妻であり母である人の存在の大きさが、2人の悲しみの深さもチラチラとみえてくる。(余談ながら、真吾がスナックで大酒飲んで深更帰宅し台所で娘の作ったおかず、恐らくは魚の煮付け、をチョイチョイつまむところ、新人監督ながら日本の映画監督はこういうところやはり上手いですね)
ところが、彼らの静かな生活というか、穏やかな歩みは、無差別殺人の死刑犯の散骨を真吾が引き受けたことにより一変する。これがこの映画の脚本の最大の瑕疵であって、ジャーナリストと称する江田という男の主張は無茶苦茶である。死刑犯に人並みの葬式を出すことには被害者家族は抵抗を示すかもしれないが物理的な遺骨処理にあれほど口を出すとは思えず、まして福島沖への散骨が震災被害者への冒涜であるとの主張は明らかに詭弁であって、ちょっとありえない話になってしまっている。
ただ江田が最後に述べた「震災の風化を避けるために被災者を代弁して主張している」という発言の意味は重い。被災者たちの悲しみや苦しみは10年や20年では薄まらない。表面上は普通に暮らし、新たな歩み、前進をしているようにみえても映画の真吾と奈生のように心の底にマグマのように思いは秘められているのである。風化するのはジャーナリズムの質や量、しいては当事者以外の人間の関心の高さのほうである。さらに風化させないといいながら被災者はこうあるべきであるという決めつけ、勝手なイメージを被災者に押し付けていないか。(そしてイメージと違う場合は風化が始まったと嘆いてみせる)
いろいろ考えさせられる作品であった。ピエール瀧、さすがの好演である。あの細やかな感情が分厚く肉を被っているような感じ、彼にしか出せないところがありますね。
職務遂行!
震災によって様々な環境に置かれた人々。
出会いと別れを心の奥底から問いかける様な雰囲気で包まれました。
人間の尊厳を妻への思い、更には依頼された訳ありの散骨を戸惑いながら罷り通した勇気に共感を持てました。
円井わんは好演だがセリフ噛み気味
ある親族の葬儀後お骨を拾っていると、白くて如何にも無機質的な「ただのカルシウム」に接する事で故人がこの世から去ってしまった事を深く実感した。お骨は、亡き者を偲ぶ手掛かりであると同時に残された者が死を受容する象徴でもあるのだと思った。
死の受容は、当然だがそれがかけがえの無い人であればある程苦しい。生前いかに邪悪であったとしても、その遺族の受容に優先順位をつけていいのか?恐ろしく重い問いかけだろう。
難解
途中から観たこともあり、特に娘役と他の女性との区別がつき難く、理解が難しかった。散骨の実行に反対する理由もよくわからなかったが、死者に原因があるとすれば、散骨業者を責めるのではなく、依頼客に依頼を撤回させるのが筋ではないかと感じた。そういう意味でも、あの記者のやり方には疑問を感じた。あまり説明がなく、観客に考える余地を残した作品だという感じは受けたが、難解で眠気を催すところもある。
正解はない
舞台挨拶があるというのでミーハー気分で鑑賞
散骨業、貧困、震災、風評、田舎での暮らし、家族という様々な背景に
ジャーナリズムによる偏った正義がプラスされストーリーが展開していく
地元で生活している人の生活を外部の人間がとやかく言う権利はない
答えなない難しい話ですね
実物の奈生ちゃんはとてもきれいでした
撮り返してやれば良いのに
震災で行方不明になった妻を持つ福島で散骨業を営む男の話。
亡くなった兄の骨を巻いて欲しいと依頼する男が現れて、散骨を引き受けたものの埋葬許可証を忘れてきたことから遺骨を預かっている最中、ジャーナリストと名乗る男が現れて巻き起こっていくストーリー。
遺族を連れてきて騒ぎ立てるジャーナリストとその動画に踊らされる世間と…被害者を苦しませているのは誰でしょう?マスゴミに食い扶持を与えているのは誰でしょう?騒ぎ立てて風評を作っているのは誰でしょう?
娘がの愚痴も全てブーメランで、ちゃんとわかっていて一緒にいてくれる友人は素晴らしいですね。
ちょっと揺れ動いて流されそうにはなるけれど、とても良い展開の胸クソ作品だった。
娘のその後はもう一声欲しかった。
人それぞれに、想いを馳せる矛先がある
完成披露上映会で鑑賞。
エンドロールが終わった後、思わず、うーんと唸りそうだった。主人公の井口真吾だけでなく、スクリーンに登場した人達それぞれの想わんとすることが判るだけに、何が正しいのか、誰が悪いのか判らなくなってしまった。
結論まで辿り着けないから「水平線」ってタイトルなのかな。
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