「リアルなSDGsの時代を感じる」冬眠さえできれば redirさんの映画レビュー(感想・評価)
リアルなSDGsの時代を感じる
SDGs なんて。なんとかウォッシュなどとわざわざ言わなくても、欺瞞に満ちてクソ喰らえ、システム強者側からの金儲けマネタイズ手段と考えていているが、貧困の現実、伝統的な価値観から切り離されていく社会や共同体の変容、心温まる人間関係とてんこ盛りの、一切気取りも飾りもルッキズムのなにもない、素敵な映画であった。自分は全く生には執着ないが、熊という名前の黒くてもふもふな家族のような飼い犬が凍死し、なんとも恵まれないついてない境遇としかいいようがないウルジは泣くこともたすけをもとめることも弱音を吐くことも我慢してきたが隣人の老人と犬を葬りながら号泣してしまう。老人に、beg したくないbegger になりたくないと悔し涙するウルジに、老人はなぜ助けを求めなかったか、ストーブの燃料がないと言わなかったか、思い切り泣け、今は助けを求める時だと教えさとし、そこには同情ではなく共感と共振があり、今そのシーンを思い出しても涙が出る。
放牧地や山、村から雇用や教育の機会を求めて、か、食えなくて仕方なくか、とにかくコンクリートの団地やマンションが立ち並ぶウランバートルの街外れに粗末なゲルを置いて住んでいる家族たち。隣のゲルの老夫婦とは声を掛け合い昔ながらの共同体意識が残るが若いウルジは自分の貧困を恥じてそのことに関わるときには誰とも瞳を交わさない。
食べるものも燃料もなく学業を継続できるのか弟妹を貧困や飢餓病気から守れるのかと大事な愛犬を葬るとき、愛犬を葬るときに、老人が、
尻尾をきり頭の下に置いて葬ってやると次は人間に生まれ変われるとやさしく教えてくれる。
ウルジは新しい自分に生まれ変わり、子どもたちをこんな境遇に貶めたダメな母親にも愛情を口にすることができ投げやりになっていた物理の勉強も自分の人生も取り戻す。
段ボール、タイヤ、石炭、木の切れ端、燃えるものはなんでも燃やす。ゲルの家彼方此方から黒い煙が吐き出され大気は汚染されカーボンゼロどころではない。大気汚染に反対するガスマスクをつけたデモ帯、黙々と上がる煙、子どもを取り巻く貧困、見せつけられる格差。違法な森林伐採、優秀な教師は教え子を妊娠させて左遷されたというウワサ、、、世界が戦う是正すべき問題が全てコンパクトにウランバートルのハズレの街にぴたりとはめ込まれ、このような時代と思いながら、時折交錯する人と人の、人と飼い犬や家畜との思いやつながり。
東京フィルメックスでの上映。客席にはたくさんの在日モンゴル人の方がいて、賑やかに、彼らにだけわかる冗談、古い因習やチンケな新しい地名など、どっと笑いが漏れ、モンゴルの子どもたちの声がして、囁き声が聞こえ、静寂ではない映画館の客席がこんなに素敵になるなんで!という‼️驚きもあった。
感動した。くだらない金融教育とか企業がらみの貧困対策などを欺瞞的にやるより、学校や役所や会社でこの映画みんなで見て自分で金儲けではない、一人も取り残さないえSDGs をかんがたらよいのでは?
そんな堅苦しいこともありやなしや。とにかく楽しくて悲しくて暖かくて熱い作品だ。