一月の声に歓びを刻めのレビュー・感想・評価
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人の傷に向き合う静かな激しさ
心に棲みついた傷をカルーセル麻紀、哀川翔、前田敦子の3人が3章で演ずる心の救済をテーマにしたような作品。
1章は娘を性犯罪に奪われた父が暮らす洞爺湖が舞台。そこを元旦に訪ねたもう1人の娘夫婦の一家が父の作ったお節を食べるシーンがある。問題を抱えた娘夫婦と亡くした娘への思いに執着したままの父で食卓を囲む渇いたリアルさは、食を印象的に演出する三島監督の真骨頂に感じた。
2章の八丈島の哀川翔と娘の食事のシーンも印象的で、だからこそ、監督自身の幼少期の性被害をもとにした衝撃的な3章で傷を抱えた前田敦子演じるれいこがなにひとつ食べない演出に深みを覚えた。
性被害を受けた被害者であるはずのれいこが、まるで自分が罪を犯したもののような心を前田敦子が見事に表現していた。彼女に詳しくなかったので、今後も注目したい俳優のひとりとなった。
静かで見る人によってはテンポが遅いと感じるかもしれないが、それは三者三様、心の傷の静かな激しさの発露にとても相応しいと感じた。
一人よがりでよくわからなかった。カルーセル麻紀は良かったけど、お芝...
一人よがりでよくわからなかった。カルーセル麻紀は良かったけど、お芝居がうまいとは思わなかった。3つの話もつながってないし。
3倍速で見た方が良いくらい1つの動作に時間かけすぎ 監督の指示なの...
3倍速で見た方が良いくらい1つの動作に時間かけすぎ 監督の指示なのだろうけど俳優さんたちの演技がとにかくスローで遅い 現実こんなに遅くないので違和感たっぷりでした 出演俳優さんたちは名のある方々ばかりなのに 自主制作映画のようでした
そこは冷コー注文しようよ
島に纏わる3つの舞台で、心に傷を抱えて生きる主人公達をみせるオムニバス。 第一章 洞爺湖中島 正月、洞爺湖の近くに独りで暮らす父親「マコ」のもとに娘夫婦と孫娘がやって来て、過去の出来事を思い返すストーリーで、カルーセル麻紀の演技は文句無しだけれど、設定や展開というか見せ方がちょっと白々しくて勿体なかった。 第二章 東京八丈島 5年ぶりに帰ってきた結婚していない筈の娘がどうやら妊娠しているようだとなり、ヤキモキするオヤジの話しで、設定とか展開とかはコメディなのにコミカルさが足りない感じで、もっと振り切って欲しかった。 第三章 大阪堂島 5年前に別れた彼氏の葬儀にやって来た女性が、声をかけてきたレンタル彼氏と時間を過ごしトラウマを振り返るストーリーをモノクロでみせていくけれど、翌日の展開がなかなか衝撃的だし、落としどころはまあ悪くはなかったかな。 最終章 物語が交錯するってあらすじ紹介にはあったけれど全然交錯してないし、ただの直後ですね…。
隅々まで人物描写が素晴らしい作品
人と、罪を描いた作品。
3章からなる映画ですが、全ての章で物語の描き方が異なっている意欲作。
マキの心の声を、あえて幻想の中から紡ぎ出すように描かれた洞爺湖編。
打って変わって非常に映画的な展開が満ちている八丈島編。
そしてドキュメンタリーかと思うような息苦しさの中燃えるような慟哭を映し出した堂島編。
全てが欠けていて、そしてお互いに補完し合う作品。
そして全編通してそうですが、この映画は主演のお三方はもちろんのこと、脇を固める役者さんたちも素晴らしかった!
取り扱っている内容、またその描き方から賛否はあるかと思います。
特に、映画をどう楽しむかによってその賛否は大きく分かれると思います。
私は映画に出てくる人物たちの背景とかを勝手に想像できるかどうか、というのを映画を見るかなりのポイントにおいているので、そういう方はお好みかも?
以下かなり長くなりますが、私の登場人物たちへの感想です。
ご興味ある方はぜひご一読下さい。
まず洞爺湖編は
宇野祥平さん演じるみさこの夫は女の人は大事にしなきゃと口では言うくせに無意識で蔑視しているおじさんの真骨頂みたいな役でもう清々しいほどむかつきました笑
あの飄々さは宇野さんならではですねぇ。
浮気相手は誰だろう?職場の若い子?きっとみさこにバレてんだろうな、とか考えてました笑
さらちゃんのあの空気を読んで立ち回りながらも自分の要求が置いておかれると母を刺してくる感じはまさに、娘。笑
あぁ、母にこういうことした覚えあんなぁ、、私もされんのかぁ、、ってなりました笑
片岡礼子さんのみさこは、、切なかった。
彼女もまた、家族を失った1人なのに、一番それを共感したい人とできない、埋められない痛みが色んな箇所から溢れてて、これ以上マキを憎みたくない、愛していたいのにっていうみさこの悲しみが本当に辛かった。。
きっとずっと満たされない思いを誰に対しても抱えながら、諦めてるフリして、でも諦めきれないみさこがいじらしくすら思えた。
そしてマキ。
なんて不器用な人なんでしょう…
あんなに愛情深い人なのにみさこのことだって愛してるのに、れいこへの贖罪のためだけに生きることを決めた彼女もまた責められない、と思ってしまいました。
時が止まっているわけではなく、時間と共に地べたを這いつくばるように生きてきた彼女の生き様がずっと見えて、抱きしめたくなりました。
最後の叫びのシーンはほんとにすごかった!
雪原を歩いてる時から、世界もマキの洋服も真っ白なのに、発光してるような、でもブラックホールのように吸い込まれそうな不思議な感覚でマキを見てました。
年齢をどう重ねていくか、子供とどう向き合って生きていくか、同じ親としてのことを考えてしまいました。
八丈島編は
いい意味でここが一番映画的だったように感じました!
カット割の影響だからなのか?
前後二編は長回しも多いからドキュメンタリーかと錯覚する瞬間が多々あり、すごく、息が苦しくなったり、目を伏せてしまいたくなったりしたのですが、間にこの八丈島編があったのはとても映画全体を見て私的にデカかったです。
原田龍二さんのへなちょこ感も最高でした。笑
先輩の家に入り浸って太鼓を叩く、パパ。笑
もうそれだけで家庭内のパワーバランスが見えてくる笑笑
でも、子供に名前をつけさせてもらえたところで、出てきてもない原田さんの奥さんの愛情すら感じました。笑
あの事故現場のリフレインは辛かったなぁ。。。
心に強く残ってる場所とかってああやってリフレインするよなぁと思いました。
それなのにあそこで生き続けてるまことが、どれだけのことをしまい込んで生きてるんだろうと思ってしまいました。
そして、2人の食事中、背後に映りこむまことの奥さんの笑顔と、あの大型商業施設でよく描かれてる家族の似顔絵がまたやばかった。。
埃を被っているわけでもなく、そこに今も存在している写真と絵。
頭の中で亡き奥様が子育てしてる姿が勝手に浮かんじゃって、違うところで号泣。
海役の松本妃代さん、すごい素敵な女優さんっ!!
めっちゃファンなった!!
あの自暴自棄ともとらる女の子から妻になって母になる決意をした女の顔にやられました!
皆罪人だ!って私も鉄パイプ肩に背負って父親に言いたかった!笑
そして堂島編は、
まずれいこのお母さん。
もうだめ母っぷりが最高でしたね笑笑
もうあんな彼氏娘に紹介しちゃだめだし、あいつなんだったられいこも食おうとするぞ?って思ったし、なんだったら牽制すらしてたし、もうとよた真帆さん最高でした。
ああいう役を軽く、ふわっと、しかもちょっと可愛らしくできちゃう女性、すげぇなぁと思っちゃう。
そして前田敦子さん。
もう映画の中では前田敦子さんではなく、紛れもないれいこでした。
れいこの長い人生の中のあのたった一日を垣間見させてもらえた、そんな感覚がずっとあります。
憮然としている時、心を閉じている時、怒りに満ちている時、モノクロなのに手に取るように伝わってくるれいこの感情。
素晴らしかった。
そして、れいこがあの日出会ったのがトトで本当に良かったと思いました。
無責任で軽々しくて、でも、きちんと対峙をしてくるそんな男の子だから、れいこも無作法に思いっきり全ての憤りをぶつけられたのだと思う。
あの軽薄さと切実さを紙一重で演じた坂東龍太さんも素晴らしかった。
あの重さでれいことして対峙してきた前田敦子さんとあんなふうに踊れる人はそういない。
ここまで読んでくださってありがとうございます!!
鑑賞してもう1週間近く経ちますが、いまだにふっとこぼれ落ちてくるように、最後のれいこの歌声が耳に響きます。
あれは自分の人生を初めて生きようと思えたれいこの歓びの賛歌だったのかもしれない。
金子修介監督のコメントに同意します
後から考えたら、予告編も観てなかった。前田敦子と三島有紀子監督の名前とポスター画像程度の基礎知識。他の出演者も把握してなかった。 で、洞爺湖と堂島の話はなんとなくリンクしてるけど、そうすると八丈島のは???と疑問。仕方ないので、オフィシャルサイトで初めて予告編見て、「児玉美月さんによる Introduction」というのを拝読。「傷ついてしまった者を救えなかった者、傷つけてしまった者、傷つけられてしまった者……。」とあるけど、じゃあ八丈島の少年院上がりが??? どうも腑に落ちない。 有名人からのコメントを斜め読みしていくと、その中の金子修介監督のコメント。まさに仰る通りという感じで、納得できます。転載はダメだと思うので、ここまで読んでくれた人はぜひ、読んで欲しいです。 映像的には割と好きな映画なので、星3つにします。シナリオ的には、、、
解釈はそれぞれだと思うけど、重すぎて、生々しいのが難点
2024.2.15 アップリンク京都
2024年の日本映画(118分、G)
3つの場所を舞台にして、女性の性的被害の悩みを綴ったオムニバス映画
監督&脚本は三島有紀子
物語は、北海道・洞爺湖、東京・八丈島、大阪・堂島を舞台にして、3部+@のオムニバス形式になっている
洞爺湖パートでは、次女・れいこを亡くした父マキ(カルーセル麻紀)の元に、娘の美砂子(片岡礼子)、その夫・正夫(宇野祥平)、孫のさら(長田詩音)が帰省する場面が描かれていく
マキの作るおせち料理がメインで、重苦しい会話が続いていく流れになっていた
八丈島パートでは、酪農家の誠(哀川翔)と友人の龍(原田龍二)の会話に、誠の娘・海(松本妃代)が加わっていく様子が描かれていく
海は妊娠していたが、その相手から「婚姻届と離婚届が同時に送られてきて困惑している」という相談が始まっていく
堂島パートでは、元カレの葬式で母・真歩(とよた真帆)と再会したれいこ(前田敦子)が描かれ、その後にレンタル彼氏のバイトをしているトト(坂東龍汰)にナンパされる様子が描かれていく
流れでベッドインする二人だったが、れいこはトトに「自分が6歳の時に性被害にあったこと」を告白し、その現場に連れて行って、その時の状況を生々しく語っていく
それぞれにれいこが登場し、洞爺湖のれいこは娘が同じような性被害に遭って亡くなっていて、自身も性自認に悩みがあったことが仄めかされる
八丈島パートでは、性被害こそないものの、結婚に至るかわからない性交があったことが仄めかされていて、そんな男と結婚すべきか、せずに出産すべきかを悩んでいる女性が描かれている
れいこは登場しないが、もしかしたら誠の亡き妻の名前なのかもしれない
映画がなぜ3話形式のオムニバスになっているのかはわからないが、洞爺湖と堂島は「もしもの世界」として繋がっているように思える
八丈島パートだけが毛色が違う感じになっていて、この解釈が結構難しいものになっていた
本作は、監督の実体験をベースに作られていて、それぞれのパートはこれまでの人生の転機になった出来事であると推測される
その意味が観客に伝わっているかは置いておいて、この構造には意味がある
パンフレットの「はじまり」の項では、幼い頃の性被害を普通に語れるようになったと綴られていて、それが映画作りのきっかけになっていた
どうして普通に話せるようになったのか
それが本作の中に隠されている、という構図になっていたのだろう
実際のところは本人以外に知る由はないのだが、映画を観た印象だと「洞爺湖は事件が表面化した際の畏れ」「八丈島は事件が表面化した際の望み」「堂島は実際に経験したこと」だったように思えた
彼女が受けた性被害を当時に親が知り得たのかとか、そう言ったことはわからないものの、もしかしたら自殺していたかもしれないとか、親身になってくれる親は頼もしいとか、時間が経ったことで変わったことがある、というような過程を寓話的に組み込んでいるように思える
洞爺湖パートの父の仕草がじっくりと描かれているのは、幼い頃の父(あるいは母)の印象だと思うし、八丈島のどこか牧歌的なところは、こうあって欲しかったという願いにも見える
ラストの堂島パートの性被害描写が生々しいのは、それが体験談であり、それを語れる事になったきっかけを描いているからだと思う
実際にナンパされて流れで致したのかはわからないが、行為が先にあって、その後に語れるようになった順序というものは体験談なのではないだろうか
いずれにせよ、この内容が面白いかと言われれば、重たすぎて意味がわからないのでキツい映画だと言わざるを得ない
この構成になっている理由がすんなりと入ってこないのも難点で、商業映画として成功するとは思えない
それでも、これを作ることで、世界中のどこかにいる同志の心が軽くなるという意味合いはあると思うので無駄ではないのだろう
これ以上のことを書く立場にはないのだが、いち観客として、この居心地の悪さを作らないことは異性としての役割なのかな、と感じた
れいこの話
『れいこ』が共通して出てくるので、時系列を遡ってるのかと思ったが、そうではなく。
(特に1章と3章の事件が似すぎてて紛らわしい)
だとすると、並べて描いた意図が汲みきれませんでした。
“島”、“船”、“喪失”、“事件”など同一のモチーフが採用されているのはいい。
しかし、“一人芝居”は必要だろうか。
特に第1章は、まだ全容が把握できてない上に一番長く、演出も特殊で、一体何が始まったのかと思った。
宇野祥平が不倫してたり、原田龍二に子供が生まれてたりなど、余計な情報も多い。
松本妃代が鉄パイプ担いで「人はみんな罪びとだ」って、唐突に不自然な台詞が入るのも気になった。
元々の目当てだったのもあるが、前田敦子が出る第3章だけは良かった。(むしろこれだけでいい)
前述の一人芝居も控えめだし、トトのスケッチもちゃんと活かされてたし。
何より、キンギョソウを毟りながら6歳に戻ったように泣く前田敦子に胸が締め付けられた。
これが無ければ星2.0だったと思います。
思ったより分かりやすかった反面、深みも感じず。
HPの記述からすると、ラストはカルーセル麻紀の言葉が前田敦子に届き、笑顔になったような演出だろうか。
だとすればサスガに夢見がちが過ぎるとは思うが…
マキの性転換は、娘を自死に追いやった性加害者と同じ“男”でいるのに耐えられなかったからだろうか。
(一人芝居での男性器を切り落とすような動き、「切ってから病院が嫌い」の台詞から)
モノクロの第3章以外もモノクロに感じるほど、彩度を抑えた色彩は効果的で好みでした。
きっつい・・
記憶再現芝居、三連発。ラブホ序盤も大概だった。良かったのは珍しいキャストと室内含めたロケーション、前田敦子のベッドでの噴き出しそうな表情位。 作り手にとっては遺しておきたい私小説みたいな作品なんですかね? たとえ誰にも共感されなくても。
タイトルも内容も意味不明、三島監督やけっぱち
3話のオムニバスだが、その順番からして何らかの意図があるでしょうが、まるで見えない。何やら強引に共通項をはめ込むような愚は避けたい。だから短編映画を3本観たと認識する。 白眉は北海道・洞爺湖畔での家族の有り様の第1話でしょう。母は亡くなり、妹も幼くして事故で命を落とした。残された父親は突然性転換し女になってもう随分と経つ。お正月だから久しぶりに実家に帰った姉一家のエピソード。相当に突飛な設定ですが、その内実のごくフツーな描写が圧巻なのである。 雪深い老婆の一人住まいに正月だからと娘一家がやって来る。いそいそと弾む気持ちでおせち料理を作る姿は、指先に塗った深紅のマニュキュアを除けばごくフツーの親の心情風景です。やがて娘の口から「お父さん」と呼ばれ、彼女がトランスジェンダーだと分かる仕掛け。この役をあのカルーセル麻紀が演ずるのが凄い。よくぞ彼女を引っ張り出し、極寒の雪の中を歩かせたもので、監督の強い意志が伝わってくる。 性同一性障害とは近頃言わなくなったけれど、心の性と体の性の不一致が不幸にして生まれながらに生じてしまう、多分一定の割合で起きてしまう事実である。いわゆるLGBТQの「Т」に該当する。カルーセル麻紀ご本人がそうであるように、成長とともに性の不一致が顕在化し、心の性に変えられる法整備以前から彼女は実践し、当時は大きなニュースになったものです。まさに変態でも見るかのような好奇にさらさらながら耐え、派手なパフォーマンスでしっぺ返しを食らわせる鋼のタフさでここまで来た。まさに本作に完璧と言うべきキャスティングです。ただ、本作の父親は多分、世間体に従い不一致を封印し結婚に踏み切り、子まで授かったものの、やはりで転換に踏み切った。単なる女装家とは全然異なり、今は完全に女性なのです。 それを娘一家がどう受け止めるか、その微妙な狭間で彼女自身の慟哭と心象風景が描かれる。帰り際に娘がサラリと言う「帰省も今年で最後にするわ」と。年老いた「父親」山荘のようなところでひとりぼっちでいいのか? 何も彼女は悪い事をしたわけでなく、瑕疵すらもないのに。明確にしなければならないのは、好きで心と体の性が別々にしたわけではサラサラなく、あくまでも先天的だと言う点。心ならず十字架を背負わされた苦悩の深さは底知れぬ。そこまで三島有紀子は理解しているのか少し不安になってくるが。 第2話の八丈島での父と娘の再会は、ああそうですかで終わってしまう、退屈なパートでした。 そして我儘ぶっきら棒な前田敦子の第3話大阪・堂島編は何故かモノクロで、しかも都会のど真ん中で展開される。この前田敦子は私のお気に入り女優で天性の女優感を内包する稀有な存在です。監督もその辺り百も承知のようで、かなり前田の自由にやらせているように見える。後半につれ不機嫌な理由が少しずつ明らかにされるが、それまでの傲慢な振る舞いが実に嫌らしい。そうやって観客を苛つかせる範疇としての芝居をこの女はごく自然に難なくやってしまう。 どうやら幼少期に変質者に性的被害にあった過去が傲慢な振る舞いの理由のようで、心の傷の深さは計り知れない。と、男である私は想像するだけで、女性の立場のコアなところは判らずじまいでしょう。流石に三島監督は判っているようで、金魚草を引きちぎる描写の激しさを以って納得するしかない、私は。ただ、男だから女だからの仕分け以上にジャニーズ問題によって明らかにされた通り、性差は本来なく、性的虐待そのものが問題だと言う事。それは弱きものが強者による虐待と同義であれば、ここでの主人公は弱きものとしてではなく、金で男を買った強きものを試みたわけで、しかし目論見通りには行かなかったのですね。 聞くところによると第3話は監督ご自身の実体験に基づくと、であれば本作を以って何かを変えられたのでしょうか? そんな余白の部分を観客は鑑賞後に思いめぐらせて頂ければ映画芸術としての存在価値はあったわけで。 第1話での夫役の宇野祥平の漠とした雰囲気、そこでのポジションを十分に分かっての空気感が素晴らしい。娘役の片岡礼子は近頃頻繁の登場で、ややこしい環境を自然体で乗り切りたいけれど・・って寂寥が上手い。また第3話でのガサツな母親役のとよた真帆の不干渉ぶりも画になってますね。
物語が分かれていたけど3ストーリーともまとまりがなかったかな…ハッ...
物語が分かれていたけど3ストーリーともまとまりがなかったかな…ハッキリ言うとハズレだった。カルーセル麻紀凄かったけど…。何故1章と3章同じような題材にしたのかなと。頭がごちゃごちゃになりました。それでいて2章だけよく分からない。映像はこだわりを感じてどのシーンも綺麗でした。
脚本を見つめ続けるだけではね
第一章 :過去に何が起きたのはわかるが、おせち料理を長時間かけて紹介するが、映画的には丁寧に世界観を表現しているというよりは単に間延びしているだけ。洞爺湖の舞台も厳しい大自然という意味でもなさそう。 第二章:八丈島と太鼓の関連は説明していたが、この映画で太鼓なんて耳が痛くなるだけ。音が大きくてうるさいだけでなく不快。娘の妊娠と手紙を知って鉄パイプ。この章の主演者の過去作から連想してしまうので、エッ!だよな。 第三章:この場面のみモノクロ。主人公(前田敦子)は役名「れいこ」。第一章のマキの亡くなった娘と同じ。でも年代が違うので同一人物ではなさそう。映画だから役名設定は自由。これで映画の関係性や統一感を持たせようとしているのか? 幼少期に起きた悲しい花の強烈な色の記憶を強調するためにこの章をモノクロにし、その部分だけを鮮明なパートカラーにして、強いトラウマを表現するのかと思ったが全く違ったね。 最終章:今までの繋がりが無かった各章が結び付くのか? 残り時間5分では無理だった。一章のマキは嘆くだけ。三章のれいこはネックレスを投げ捨て過去との決別ができたとでも言いたいのだろうか? 章立てにするのなら、各章の同一のテーマを提示するのか、各章の事柄を最終章でまとめなければ一つの映画とは言えない。単なるオムニバス映画。 映画のホームページには、『"ある事件"と"れいこ"を探す心の旅』を書いてある。 しかし、"ある事件"はぼんやり分かるだけ。どうやって心を探す旅に出られるの? 映画の色々なあの場面その場面それぞれの場面が有る理由が、私には分からない。無駄な場面の連続。120分の映画の内、三章をもっと長くしても(100分位)良かったと思った。 前田敦子の演技は良かったと思うので、それだけで「大きな加点」をしました。
まとまりがなく、伝わらない。
第1、2、3章と最終章という、事実上短編映画みたいな構成だが、どの編も何を伝えたいかがわからず、何処にもこの作品の意図を感じる事ができなかった。 抽象的な話もあれば、自らの心の傷を具体的に話す章もあって、この辺の構成がややこしく、しかも第2章なんかはあまりにもテイストが違い過ぎて、意味がわからなかった。 色んな感情が描かれる章があるのはいいが、せめて作品全体としての方向性はまとめてほしい。 監督自らが苦しんだ事を映画化したという事だが、それならもっとわかりやすく多くの人に観られるような作品にしてほしかった。 三島監督、いつか傑作出すのでは、と期待しているけど、いまいち自分にはハマりません。
期待度○鑑賞後の満足度○ 謂れのない、でも拭い去れない罪の意識。成功作とは言い難いが、前田敦子が演技賞級の演技を見せる第三章が1番良く出来ている。
①映像で描く短編集というところか。題名も含め少し観念的過ぎるところが日本の小説や映画に共通している欠点かな。
②罪人の流刑の島だった八丈島を舞台にした第2章が、箸休めというか、1番明るい話だったのは皮肉。
③
星4はあっちゃんだからです
1話。47年前に失った娘。何年たってもその傷癒えないだろうけど、もう一人の娘にはあまり愛情もないようで?ギャップが不思議でした。
2話。オヤジさんが凶器を準備した意味がわからなかったです。娘を不幸にした男をやりに行くのかと思いましたが海に向かって許せない!と。凶器なんだったの?
3話。花をちぎりまくるシーンが意味わかりませんでした。掘って何かが出てくるのかと思いましたが暴れただけ。自分の似顔絵が燃えたぐらいで治るかなー?
あっちゃんとカルーセル麻紀の亡くなった娘は別人ですよね?いろいろ違和感や疑問ありましたが、AKB時代から大好きなあっちゃんを見れたから星4にしました。内容だけなら星2かな。
万人受けはしなそうな映画っぽい映画
監督自身が脚本まで書いている、映画っぽい映画。 長回しと手持ちの場面が多い。 長回しはが多いとちょっと疲れますが、意味のある長回しという感じ。手持ちも見ていて疲れる。キャリアのある監督なので意味があるのでしょう。それでも手ぶれ補正機能が欲しい。 3つの、「船」と「島」が共通のストーリーで、ちょっと特殊なシチュエーションかもしれないが、切なくもある。 1つ目と3つ目は共通のテーマがあり、監督自身の過去の出来事に関連があるのであれば、なんとも切なく、リアリティがあるのかもしれません。 2つ目のストーリーだけ関連がないような気もするけど。 見終わったあとに、映画を見たな、、、と重いと、疲れたな、という、、なんとも微妙な感じ。 それでも、最後まで見入ってしまったののも事実。
どの場面も役者さんが渋くていいですね
1月の声に歓びを刻め 観てきました。 暗い映画と言うより重たい感じの映画でした。3本の短編映画を観たような気がしてそれぞれ 受けての取り方で違ってくるなぁと感じました。 カルーセルマキさんの映画は映画ってよりも舞台のような一人芝居を見ている感じになりました。昔は言い方はあっているかわかりませんが、ニューハーフと言えばカルーセルマキさん この世界の先駆者的存在の方で私は大好きです。どの俳優さんも素晴らしくいつも思うんですが人選はいつも的確で凄いなぁと思ってます。 前田あっちゃんは難しい役どころにもかかわらず、最後まで飽きさせず引き付けられて観れました。 監督の細部までこだわっている映像は好きです。
カルーセルさん、前田敦子さん、共演ではないけれど、この二人だからこその満足感
カルーセルさんのこれまでの印象からは想像のできない、思いを内に秘めた表情 第一部と最後と科白は少なくとも、永年の思いを観る者に感じさせるには十分な佇まいであった 前田さんは「さよなら歌舞伎町」の頃からは大きな飛躍で、最近は観ている方が辛く苦しくなるような役も安定してこなされている 本作においても、笑顔をほとんどみせなかったり、感情を抑えきれなかったり、前田さんだからこその場面が多かったと思う 映画全般については難しく、他の方も書かれているように3つの話がどう関連付けられるのか、観る者にその答えを考えさせるような、ちょっと消化不良な印象は残っている ただ3つそれぞれの話はとても重く、各々では見ごたえのあるものであった 事件にあった「本人」の思いはもちろんであるが、その「本人」の苦しさに十分向き合えなかった「家族の悔悟」(本作ならカルーセルさん、哀川さん)について、何十年経っても消えることない傷であること、三島監督のこれまでの作品で家族を描いてきた視点とも重なった 声にしなくても、言葉にしなくても伝わる思いと伝えられなかった思い それは時間が経っても消せるものではない 三島監督が幼少の時親に連れて行ってもらった名画座が、今は亡き大毎地下劇場(大阪市西梅田)であることを知って、70-80年代の「いい時代」を同じ関西人として振り返りました (2月11日 イオンシネマ和歌山にて鑑賞)
トトがかわいそう
全般的にキレイな映画。テーマが暗いなと引きがちだけど、誰もが、それだけはわすれてもしまいたい過去が一つや2つある。と同時に、大切な想い出がある。カルーセルさんにとってはキレイなお節の団欒。前田敦子さんには、そんな大切な想い出がないのかな? ラスト、少し元気になってたから、トトとの楽しそうなダンスが大切なクスッと笑える時間になればいいですね!
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