「二人のれいこと島の娘と三島有紀子」一月の声に歓びを刻め 日吉一郎さんの映画レビュー(感想・評価)
二人のれいこと島の娘と三島有紀子
二人のれいこが登場する。二人とも幼き頃に性被害に遭っていることで共通している。その姿は自身が幼き頃に性被害体験をした三島有紀子監督の姿にも重なり合う。
最初のれいこは47年前に自ら命を絶っており、その姿は画面にこそ登場しないが、独り残され老いた父親マキ(カルーセル麻紀)による一人芝居により露わに叙述されていく。雪に閉ざされた洞爺湖畔の家で、年始に訪れた長女家族が去った後、孤独と悔恨の念とを炸裂するかの如く、れいこが自死に至るまでの経緯を一人芝居で述懐するマキの姿をロングショットで描いたこのシーンのインパクトは強烈である。
二人目のれいこ(前田敦子)は正に監督の分身である。監督自身が被害に遭った忌まわしい現場で、れいこが監督に成り代って被害の体験を吐露する姿がロングショットで映し出されていく。最初は正面かられいこを映していたカメラは、やがて歩みながら述懐するれいこの勢いに屈して追い抜かされ、なおも背後かられいこを追い続けていく。このワンショットがれいこの激情をスクリーン一杯に漲らせていく。
映画のラストで二人のれいこは再び登場する。最初のれいこは、再びマキにより雪積もる湖畔を想いの丈を叫びながら鬼気迫る様で進んでいく姿を介して、残された遺族の孤独感と罪悪感により浮き彫りされる。一方で、もう一人のれいこは、表情晴れやかに、吹っ切れたかのように前向きになった姿が、短いショットでさりげなく描かれている。
この2つのシーンが連続することで、死ぬまでをも覚悟した恥辱の想いの果てに、強く生き抜くことを決意した一人の女性の姿が描かれていることわかる。その強く前向きな思いは、二人のれいこのエピソードの合間に挿入された荒く波立つ海を背景に身重な体で島に帰省した娘が愛に賭けて飛び出していくエピソードによりさらに強調されている。
つまり、二人のれいこと島の娘は、三人とも三島有紀子監督自身だったのである。