オールド・フォックス 11歳の選択のレビュー・感想・評価
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少年の観察と気づきと成長を通じて、変わりゆくもの、変わらないものを描く
台北郊外の仄かな灯りの下、市井の人々のささやかな息遣いを丁寧に汲み取った上質なドラマである。1989年の不動産価格の高騰が人々の暮らしや価値観に影響を与える様子を描きつつ、そんな日々の中で出会う11歳の少年と、狐のような抜け目のなさで人々から恐れられる地主、オールド・フォクスとの交流を紡ぐ。側から見ると、まるで祖父と孫。しかし実質的には人生の師弟、もしくはフォックスの存在はさながらメフィストフェレスとさえ言えるのかも。作品の構造として面白いのは、物語を1989年に限定した「一点」で描くのではなく、フォックスが育った時代、少年の優しい父親が経た時代、それから少年自身の時代という、価値観や意識が異なる3つの生き様を交錯させているところ。世代間の差異が自ずと台湾の現代史、精神史を浮かび上がらせる。やや地味に思える側面もあるものの、忘れがたい味わいが沁み出し、我々を深く穏やかに包み込む秀作である。
「1秒先の彼女」の“彼”が善き父に。天才子役が演じる11歳の息子の“変心”が物語を牽引する
シャオ・ヤーチュアン監督は、1998年の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作「フラワーズ・オブ・シャンハイ」で助監督を務め、2000年の長編デビュー作「Mirror Image」からこの第4作までホウ・シャオシェン製作のもと撮り続けてきたことから、侯孝賢の愛弟子であり継承者と言えそうだ。1989年の台北郊外を舞台にした本作でも、ノスタルジーと社会派視点が侯孝賢作品を彷彿とさせる。ちなみにシャオ監督の2作目はグイ・ルンメイ主演の「台北カフェ・ストーリー」で、お気に入りの台湾映画の一本。
台湾では1988年に戒厳令が解除され、投資の自由化が一気に進んだことで拝金主義が急激に広がるなど、日本とは歴史的背景が異なるもののタイミングとしては共時的にバブル経済の様相を呈していた。そんな中、劇中のテレビニュースから流れる台湾史上最大の集団型経済犯罪「鴻源事件」が起きたという(概要をより詳しく知りたいなら、「鴻源案」で検索し中国語版Wikipediaの項を翻訳して読んでみよう)。
亡き妻の夢だった理髪店をいつか持つため、レストランのウエイターと内職で地道に働き11歳の息子リャオジエと質素に暮らす父タイライ。当初は素直でおとなしい性格のリャオジエだったが、老獪な地主のシャと出会い距離が近づくことで、次第に心のあり方が変化していく。
タイライ役は「1秒先の彼女」でいつも1秒動作が遅いバス運転手を演じていたリウ・グァンティン。今回も誠実で穏和なキャラクターがうまくはまっている。息子リャオジエ役のバイ・ルンインは、父とはまるで正反対の生き方で成り上がったシャに感化され、目つきと表情が変わっていく過程や、大人たちの間で揺れ動く心模様を見事に体現。リャオジエの変化が物語を牽引する原動力といっても過言ではない。ちなみにシャ役のアキオ・チェンも、山崎努を少し若返らせてビートたけしっぽさをちょっと足した感じで味のある俳優だ。
困ったときや苦しいときに助け合う、片親の子は地域や職場で見守るといった昔ながらの美徳が、自分の成功や幸福のためなら他人を利用したり見捨てたりしてもかまわないといった利己主義に押されていく流れは、当時の台湾のみならず、日本や他の国々でも近現代のどこかの時代で経験してきたはず。そうした社会の縮図としてごく少数のキャラクターを配置し表現した脚本が巧い。失われゆく美徳へのノスタルジックな眼差しもまた、台湾ニューシネマの継承者と目される要因だろう。
映像の切り取り、脚本、人物構成など素敵だった。オールドフォックスの...
映像の切り取り、脚本、人物構成など素敵だった。オールドフォックスの哀しみをはねのける少年が良かった。物語は複層的。オールドフォックスが成功したのは、少年との約束を果たしながら、父親の気持ちを読んでいて、譲らせたことか。ラストシーンも寓話的。自伝的モチーフなのだろうか。父親に頭にきている少年の気持ちが伝わる。
1945年まで、台湾では日本語が公用語だった!
もともと国共内戦の産物として成立した戒厳令が1987年に解除された後、バブル下にあった89年の台北を背景にした映画。
豪華な中華レストランの給仕頭として地道に働く父のタイライとガス代を倹約してまで慎ましく暮らしている11歳のリャオジエは、いつか店舗付きの家を買って、亡き母の願いだった理髪店を開くことを夢見ていた。リャオジエは、ひょんなことから、自分の家の地主であるシャと出会うが、彼は、富の象徴としてのロールスロイスやポルシェを乗りまわす。リャオジエは思春期に差し掛かる微妙な年齢でもあり、誠実一本やりのタイライではなく、老獪なキツネ(Old Fox:原題)とよばれるシャの言葉を受け入れるようになってゆく。リャオジエは、不幸があって安くなった物件を、シャと直接交渉して手に入れようとする。さて、タイライはどうするか。
最初、ホウ・シャオシェンの影響かカット・バックが多く、二人の美しい女性が交互に出てきて人間関係が掴みづらいこともあって退屈だった。少し我慢して見ていたら、漸くわかった。脚本を中心になって書いたと思われるシャオ・ヤーチュアン監督は、始め一人の女性を想定していたが、二人に切り分けたようだ。その一人は、シャの元で働き、いつも赤い服を着て「綺麗なお姉さん」と呼ばれて家賃の集金に来るリン。親子が風邪をひいたときには看病してくれた。きっと、タイメイに淡い恋心を抱いているのだろう。もう一人は、門脇麦が扮している、いつも黒い服を着ているヤン。彼女は、タイメイの初恋の相手で、レストランに来ては、料理をたくさんオーダーし、気前よく支払ってくれる。リンとヤンの二人は、一度だけ、シャの家で隣り合って座るが、二人とも顔の同じところに傷を負っていた。
シャに助けてもらって、いじめっ子に対して優位になったリャオジエは、レストランで立ち聞きしたことを、シャに告げ口する。それで窮地に立たされたのがリン。彼女がシャのことを思って情報を漏らした相手が、ヤンの夫というのが、二人の真のつながり。この二人は、大事な役柄なのに、直接、触れ合うところが少ないと、物語の構造が弱くなる。
それにしても、シャは一番肝心なところで、日本語が出る。演出だろうけれど、台湾は45年まで日本の統治下だったが、苦しい試練があったに違いない。台湾には、2018年まで、2から3年の男子皆兵があった。大変、賢そうに見えたリャオジエの将来は、どうなったろう?思春期の後の軍隊経験は、彼をきっと大きく成長させたのだと思う。
「あの時代の台湾を映す」
今年150本目。
どこの国の映画か知らないで見たので作中で台湾かなと、台湾、日本の合作でした。
たまに日本語のセリフが。
門脇麦さんが中国語を流暢にこう言う凄い才能を目の当たりにすると自分も頑張らなきゃと。撮影前に2か月間中国語を特訓したそうです。
株、不動産など1989年の台湾を映す、そこにリャオジエの変化、シャ社長が絡んで、見ていて喜びを感じる作品。好きな映画でした。
地味ながら、人間の生き方について考えさせられる、いい映画でした
誠実な父親、タイライの元で育った11歳のリャオジエが、家主のシェとの交流を通して、子どもながらに人生の方向性を模索します。
その揺れ動く心情が繊細に描かれていました。
地主のシェは富という点では確かに成功者であったかもしれません。
しかし、金で勝ち負けを決めるという価値観で、はたして幸福だったのかどうか。
本当の立派な経営者というものは、お金が第一という考え方ではありませんよね。
シェの考えに触れたリャオジエが、感化されそうになったのは、父親に美容室を持ってもらいたいという強い望みがあったからです。
考えてみると、そこには、亡くなった母への思いや、父をいたわる気持ちなど、子どもなりの親への愛情があったのではないでしょうか。
タイライから受け継いだ優しさが発端となっているので、最後はシェと決別することができたのでしょう。
決して金銭的に豊かではない父子の生活ですが、あたたかく愛情に満ちた生活が微笑ましく素敵でした。
器用なタイライは仕事のかたわら、リャオジエのスーツやクリスマスツリーを手作りします。いいお父さん…。
一方でシェは孤独であり、どこか冷え冷えとした生活。信頼されていないために部下の裏切りにも直面します。
シャは貧しい者は負け犬であるという価値観から、どこかで生き方の信念を誤ってしまったのかもしれません。
「強い者につけば強くなれる、弱い者につけば弱くなる」という考え方のシェには、お金は集まってきても、人は集まってこないですね。
正しく導いてくれる親の存在はありがたく、大切なのだと感じました。
今作では門脇麦さんが孤独でミステリアスな有閑マダムを演じておられました。
地味な内容に華を添えていて、出演シーンは少ないものの、とても印象的でした。
さて、タイライたちがその後、美容室を手に入れたれたのかどうかはわかりません。
しかし、リャオジエは誠実な父親から育てられて、道を誤ることなく、他者貢献できる仕事についたようです。
おそらく、タイライが一生懸命に働いて、大学を卒業させてくれたのでしょう。
11歳での選択が、大人になった現在の彼を形作っていると感じられる素敵なラストでした。
狡猾なキツネになりかけたリャオジエ、まっすぐに育って本当に良かったです。
他者のためを考えて生きるのが、結果的に自分のためになるということ、シェにもわかってもらいたかったですね。
一旦身体に染み付いた勝ち負けの価値観からは、なかなか逃れられないものなのかもしれません。
見ごたえのある映画でした。
タイトルで大損してる
80年代の台湾の空気感が滲み出ていた。貧しさとバブル成金、古い倫理観と拝金主義が隣り合わせ。役者がみんないい。
たた、このタイトルはひどい。これでは何が描かれた映画かわからないし、英字にそえられた日本語のサブタイトルもセンスなさすぎ。
樸素
予告からはだいぶヘビーな作品なのかなと思って意気込んで観ましたが、そこまで鬱屈とした作品ではなく、貧困に悩む父と周りの人物、そして息子がどういう選択を取るのかという作品で、テンポはまったりでしたし、地味な作品でしたが、当時の台湾の経済事情をストーリーにうまく落とし込んでいたなとは思いました。
ただ話は色んな方向に飛んでいくので、本筋の主人公の経済事情は描かれつつも、周りの人たちの関係性だったり、腹黒狐さんのエピソードだったりと、脇道に逸れまくっていたせいもあって、本筋があやふやになっていたなという印象です。
突然の暴力シーン(ガラスに頭をバチコーンしたり、灰皿で頭ボカーンだったり)の意図がイマイチ分からず、その後の展開も主人公パッパに泣きついたり、キレたりしたりして、果たしてこのシーンの流血はいるのか?と思ってしまうところが強烈なノイズでした。
主人公の子供が必死に家を売ってくれと腹黒狐さんに訴えかけるシーンは最初は良かったんですが、後半になっても同じような事を言っていて、それだけ父親を助けたいというのもあるし、不平等だと怒っているのは分かるんですが、しつこい!となってしまって、鋭い目つきも相まって可愛げがなくのめり込めませんでした。
BIGLOVEな門脇麦さんが出演しているというのが今作を観るきっかけだったのですが、最初の登場シーンは凛としていて綺麗な女優さんだなーと思っていたら麦さんで作品に溶け込んでいて見惚れていました。
現地の言葉もとても流暢に喋られていましたし、日本での演技とはまた違うものが観れて1度で2度お得な麦さんでした。
リウ・グァンティンさんは「1秒先の彼女」の彼役で、その時は活発な青年のイメージでしたが、今作では物腰柔らかい若パパになっていて驚きました。
今後の台湾映画でどんな役で立ち回っていくのかが気になるところです。
最初から最後までしっかり観ましたが、いかんせん地味さは拭えずじまいで、映画としての魅力は足りないかなーと思いました。
鑑賞日 6/26
鑑賞時間 20:45〜22:45
座席 A-7
はじめて生き方を学ぶ
パンフレットをチラッと見たら
父親役の俳優同級生じゃないかーい🤣
しかも誕生日1ヶ月違い😱
11歳の息子に辛い思いを…
と考えながらみてしまった💦
自分が同じ年頃同じ立場なら
言えたのだろうか?
11歳のリャオジェは大人でも判断が
難しい事案に対し冷静にジャッジして
成功者であり大家のシャから
学ぶことはしっかり学び成功している
お父さんのようにはなりたくない
反面教師のようなリャオジェは
11歳ながらにして失敗を知り又同時に
経験を沢山積みそして社会人に
なったリャオジェはシャと同じ立場に
11歳の彼が決めた選択肢は非常に賢明だった
相当頭が賢いんだろうね
ウェルメイド
他人のことは構わず自分の利益を追求するのか、昔ながらの人々との繋がりや協調を重んじるのか、というある意味グローバルで現代的な問いを、息子シャオシェンの成長を通して描く。その仕掛けが秀逸。撮影も良くて、画面からも本作のウェルメイドな感じが伝わってくる。
ただし、息子があれほど家の購入に執着する理由とか、出来もしないのに亡き妻の夢である散髪屋にこだわる理由もちょっと腹落ちしないまま…
門脇麦だったり不動産屋の「キレイなお姉さん」だったりの描写も物足りず、ちょっとフラストするところもないではない。
が、ラストも含め、最終的な「彼の選択」にはニンマリしながら「そうだよね〜」と思う。そういう意味でやはりウェルメイド。良い映画でした。
貧乏は辛い
本映画の宣伝から想像した内容とは違ったが、貧乏生活は辛く悲しい印象を与えたかったようで雨のシーンも多い。
子供の頃は金の価値もわからないし、
食うに困らなければそこまで不幸ではないと思うが。
親の夢を応援し、貧乏をバネに自分の人生が上昇するのであれば辛い幼少期も良い薬か。
全体的に暗く悲しい映画なので、観ていて暗い気持ちになるのでご注意を。
既に金持ちの人が貧乏生活の気持ちを味わうには丁度良いかも。
父子の愛情にじんわり
台湾の市井の中に入り込んだような
リアリティがありました。
また、
母を亡くした父子家庭の
つつましいけどあったかい雰囲気も
じんわり沁みてきます。
オールドフォックスの金持ちおじさんも
喜怒哀楽が渋くてダンディで
魅力がありました。
門脇麦さんがすっと光が差すように
シーンに入ってきて、驚きと、
華を添えてましたね。
久しぶりにミニシアター系アジア映画を
楽しみました。
高評価レビューが多いので、鑑賞してみた。
正直者が馬鹿をみる世界はあってはならないと思う。だが、この映画の悪役を引き受けている地主は、本当に悪人だろうか。法を犯すとか犯罪に手を染めろと言ってはいない。むしろ、人間通であることが成功の条件と教えているように私には思えた。他人を思いやることで、成功した財界人は果たしているのだろうか。
居て欲しいと私は願っているが、幻だろう。現実はもっと厳しい。まぁ、映画は庶民の夢を描く役割も担っているので、良しとしよう。
アサヤンの宮路社長とダブるオールドフォックス
1秒先の彼女の彼氏役だった リウ・グァンティン。ちょっと栁俊太郎に似てる。
この映画でますます好きになった。
1990年代のバブル期の台湾の父子家庭。レストランの接客係をしながら、服飾の内職もし、小さい息子と仲良く暮らしていた。
息子はレストランの空き個室で宿題をレジのお姉さんに見てもらったり、厨房のおばさんにおやつをもらったり。ノスタルジックな古き良き時代の香りが漂う。アパートの部屋にはレコードプレーヤーのステレオにサックス。家賃集めに巡回してくる美人さんはいかにも地元の不動産屋社長のイロなんだけど。お父さんにちょっと気がある。社長が所有しているビンテージカーに映える美人さん。
お風呂から出る直前にすっぱだがで廊下側の給湯器まで走って火を消してガス代を節約。老狐のおじいさんはレストランではなく、店子の老夫婦の小さい店でいつもスーツをビシッと着て一人でラーメンを食べている。あの時代、財を為す人はおしなべてケチ。不動産屋の老狐に対抗する新興勢力で、レストランにしばしばくる地廻りの男たちのナイショ話を仕切りの裏で盗み聞きし、老狐にゴミ集積所の土地開発の情報を流すかわりに、なくなった母親の夢であった散髪店を出すための物件を格安で融通してもらおうとする。そこへ急激な不動産高騰。ゆくゆくは店を畳んで、郊外に家を買って暮らそうとしていたラーメン屋のおじいさんも夢を絶たれて、突然首を吊ってしまう。事故物件だから安く売ってくれとせがむが、義理人情に厚い老狐は老夫婦の息子に店の権利を譲る。二十年後、少年はカリスマ建築家になっていた。
これは誰か実在の台湾の建築家の話?
オールドフォックス 老狐に浅草橋ヤング洋品店(アサヤン)にでていた現金入りのアタッシュケースを何度も強奪された城南電機の宮路社長をダブらせていた。年代もぴったり一致する。
宮路社長は勝ち組だったが、後ろ姿は負け組だったような。
少年はどっちも好きだったんだよなーきっと。
ほんわかした台湾映画好き。
門脇麦ちゃんは台湾映画のほうが合う気がする。
もし過去のある時点で生き方を変えることが出来るなら、貴方はどうしますか?人生の成功者とはどのような人を指すのですか?と、この作品に問いかけられている気がします。
最近観た台湾映画(「青春18×2」)が良い感じだったのと
この作品の紹介を読んでストーリーが好みの感じだったの
もあって鑑賞してきました。(あ 正確には日本との合作)
主な登場人物。
リャオジエ。11才の少年。父と二人暮らし。
リャオタイライ。リャオジエの父。理髪師の妻と死別。
シャ。リオジエ親子が暮らす家の家主。
この他に何人も登場するのですが(それはそうです)
後になって振り返ると、リャオジエ親子やシャと関係が
ある人という事は分かるのですが、発生するイベントとの
絡みがいま一つ不明瞭だった気が。…なので割愛 @_@ ワー
◆
リャオジエ少年の夢は、自分たちの理髪店を開くこと。
今は亡き母の働く姿を今でも覚えているリャオジエ。
リャオジエの父は、中華料理の店で働いている。
とりあえずの生活に困ってはいない。…だが
理髪店を開業するためにはお金が足りない。
だから、色々と節約して暮らしている。
風呂やシャワーを使い終わったらガスをすぐ止める
それを毎日欠かさず実行している。
リャオジエの学校の運動議も父の手作りだ。(すごい)
そういった他との違いから、リャオジエは学校の
同級生から目をつけられ、嫌がらせを度々受けている。
ある雨の日。
雨宿りで駆け込んだ屋台に、高級車が横付けする。
中から声がかかる。初老の男が乗っていた。
” 送っていこう 乗りなさい ”
悩んだ末、車に乗るリャオジエ。
” 言われるまま乗るとは。誘拐されるかもしれないのに ”
こう言った男がシャだった。リャオジエ父子が暮らす家も
含めて不動産を数多く抱える男だ。
リャオジエとシャ。
この出会いからリャオジエの人生が変わり始める。
シャも何故かリャオジエの人生に関わってくる。
良い人を親に持つと、人生は終わる。
悪い人になれれば、勝ち組に入れる。
不動産価格が高騰し、理髪店を出す夢が遠のくリュオジエ。
出店できる家を何とか見つけたいとシャに近づくのだが…。
とまあ、90年代の台湾を舞台に
少年と初老の男との交流を描いたヒューマンドラマでした。
特に、「現在の自分」と同じような境遇の「過去の自分」を
見つけてしまったときに、その人はどうするのだろう。
鑑賞後も、その一点が気になり続けています。
それも含めて色々と考えさせる作品です。
私は観て良かった。
★★
◇以下、シャの胸中を考察してみました
この世の中には、二通りの人間がいる。
「良い人」そして「悪い人」だ。
良い人では成功者にはなれない。
「良い人」の母を見て育った「シャ少年」は
こう自分に言い聞かせる。
” 他人の事など知ったことか ”
” 他人の事などクソ食らえだ ”
そうして、シャは人生の成功者となる。
だが、その結果得たものは…
息子からの徹底的な嫌悪。
大学進学費用の援助も拒絶された。
” 俺は成功者だ ”
” 俺は勝ち組だ ”
” そうだろう? ”
そう自分に問いかけても、答えは返って来ない。
◆
母を亡くした日、病院のエレベーターに乗り合わせ
たのが、シャと生まれたばかりの少年だった。
幸せそうな妻の喜ぶ声を夫が嗜める。身内を亡くした
者が乗っている事を察したからだ。
” あのような良い人の下では、あの赤子は既に負け組
だろう。母の命日に生まれた赤子の事は気にはなる。
が、今後何らかの接点が生まれる事も無いだろう ”
そのとおりに、何も接点の無いまま月日は過ぎる。
◆
今 11才のリャオジエ。
昔 11才だったシャ。
11才だった頃の自分とリャオジエを重ねるシャ。
良い人の親の元ではダメになるとシャは案じる。
悪い人になれと人生の指南を と想い声をかける。
だがまて と。心の奥深くから声がする。
” 良い人は、本当にダメなものなのか ”
” 悪い人を目指す以外に道はないのか ”
このお話の真の主人公は、リャオジェでは無いのかも。
そしてこのお話が語りかけてくるのは、
「人間の持つ、欲や業、そして真の幸福とは何なのか」
そんな、深遠な問いかけなのかもしれません。
思わず人生を哲学しそうになる作品でした。
こういう作品、キライではありません。
◇あれこれ
■門脇麦さん
似ている台湾の女優さんだなぁ と思ってたらご本人。・_・;
台湾の言葉が流暢なのもあって、気付きませんでした。
楊夫人役。マダムヤンです♡ (昭和の高級ラーメン)
◇最後に
最後の場面をどう解釈すれば良いのか悩んでいます。
建築家になったと思われるリャオジェ(…と思われる男)
クライアントの依頼に応えつつ、プラスアルファで提案。
これを現代と考えれば、30年後の台湾なのでしょう。
リャオジエは41才。 (バカボンのパパと一緒 ・_・♡)
会議を終えたリャオジエに誰かが声をかけるのです。
” この OLD FOX め ”
シャが呼ばれていた称号は、” 多分リャオジエ ” に向けられて
いました。仮にリャオジエなのだとして、彼はどんな30年を
過ごしてきたのか。それを察する情報がありません。
悪い人。良い人。もしくは両方バランス良く併せ持つ人。
リャオジエはどんな大人になったのか。明確な答えでは無さそ
うです。
解釈は、鑑賞した者に任せます ということなのでしょうか。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
期待したエンディングで嬉しい!
私はお金を稼ぐことに興味津々であることから、この映画はとても興味深く拝見させていただきました。
予告では金持ち=心が乏しい。
心が豊か=貧乏。
という構図であったが、心が豊かな金持ちいるでしょ。
と思っていた。
つまりは。正しいお金の稼ぎ方は【感謝の対価】である。
投資で稼ぐ、人を不幸にして稼いでも幸せになれない。
という話。
お金という題材でありながら台湾映画独特な素朴さですんなりと映画の世界観に入ることができとても面白かった。
残念なのは最後が短かったこと。
もう少しどんな大人になったか知りたかった。
金持ち父さん貧乏父さん?
綺麗なお姉さんと寂しげなお金持ちの奥様、最初はリッチマンが良かった?んだろうけど、衣食足りて礼節を知るじゃないけど、結局は優しい善良なイケメンに惹かれていくのね。門脇麦の顔に傷を作る流れのシーン、悲哀が漂っていてゾクっとしたわ。麦ちゃんの悲しげな表情、めっちゃ綺麗。男の子成長の話しだけど‥11歳であんなに家にこだわる?とか思った。両親の夢だったからなんだろうね。古狐は良いわー、好きだな❣️。昔流行った貧乏父さん、金持ち父さん思い出したわ。
台湾バブル 要はバランス
日本も経験したバブルの台湾バージョン 土地の価格はうなぎ登りで平民には家を買うことも… 不動産を持つものは… バブルとは、富める者は富 恩恵にを受けられ無いものは貧乏なままであるが、ある意味不平等をリセットする好機であるとも言える 正にオールドフォックスはバブルを謳歌した勝ち組(ゴミ収集業)であり、子供の父は負け組であったのだろう しかしKYではなく、周りをしっかり考える(見ることができる)人間らしい人生だったと思う 建築家になった息子はオールドフォックスの化身にも見えた…
思いのほか…
なんとなく観に行ったが
思いのほか良かった。
ストーリーの盛り上がりという意味では
そんなに抑揚はなく
淡々と進んでいく感じではあるが、
さまざまな価値観に触れ、
社会の不公平に触れ、
もどかしい想いを抱きながら
少しずつ、確実に11歳の少年の心が
変化して行ってる様子が伝わってくる。
言葉で多くを語らず
映像で表現されているところが
映画らしくて良い。
それにしても、やたらと雨のシーンが多い映画で
それもまた、全体の雰囲気を創り出しているかもしれない。
個人的にはラストシーンが好きです。
ビジネスとは、感情を理解しつつ、衝突を回避する知性が求められるもの
2024.6.18 字幕 アップリンク京都
2023年の台湾&日本合作の映画(112分、G)
11歳の少年が父と富豪の思考の狭間で苦悩する様子を描いた青春映画
監督はシャオ・ヤーチュエン
脚本はシャオ・ヤーチュエン&チャン・イーウェン
物語の舞台は台湾の台北のとある町
そこで暮らす11歳の少年リャオジエ(バイ・ルンイン、成人期:ジェームズ・ウェン)は、亡き母(ユ・チアハン)の夢を叶えようとお金を貯めている父タイライ(リウ・グァンティン、若年期:チェン・ヴァンゲン)を尊敬していた
タイライは高級レストランのウェイターをしていて、一帯は大地主のシャ(アキオ・チェン、幼少期:カンイン)のものだった
タイライの住居も彼の所有物で、彼の秘書リン(ユージニー・リウ)が家賃の回収に訪れていたが、彼女はリャオジエを息子のように可愛がっていた
店には、高校時代の元恋人ジュンメイ(門脇麦、若年期:ミナ・タット)が訪れるが、彼女は大量に注文して食べず、その残り物をタイライはリャオジエに与えていた
ある大雨の夜、雨宿りをしていたリャオジエはシャに家まで送ってもらうことになった
リャオジエは「父さんに家を売ってよ」と言うものの、台湾は不動バブルの真っ只中で、彼らに手出しできるようなものではなかった
シャは、成功者になるための哲学をリャオジエに教え、父とシャとの違いを例えに出す
その思考が影響したのか、リャオジエは次第に父の前で「知ったことか!」と口癖のように言い始めるのである
映画は、金持ちの老人と貧乏な父親の思考の違いを描いていて、成功者になるためには「他人の気持ちを考えてはダメだ」という金言が登場する
とは言え、その真意は考えるのがダメではなく、ビジネスとは完全に切り離すべきだという意味になる
ラストでは、成人になって英名スティーヴとなったリャオジエが登場するが、彼は「クライアントの感情を理解し、それを損なわない関係」を築こうとしていた
だが、本音としてはビジネスライクが優先で、衝突をしないように建前をうまく使い分けている
近くに小学校があるというビジネス関係以外のところにも配慮し、双方がWin-Winになるように見せかける狡猾さを持ち合わせていた
映画の後半にて、1階の麺屋を経営しているリイ(カン・ティファン)が株で失敗して自殺をして、事故物件となったことで価値が暴落したというシーンが描かれている
そこで遺族は「市場の価格で買う」というものの、シャは先約であるリャオジエ(正確にはタイライ)に事故物件の値段で売ると決めていた
だが、タイライは遺族に譲ってくださいと引いてしまい、それがリャオジエとの確執を産むことになる
一番悪どい方法は「自分で店をすると行って事故物件として購入して、店を開けずに遺族に正規の値段で転売すること」だと思うが、ここまでするとシャとの関係が悪化するのでよろしくない
購入して賃貸として貸すというのもありだが、店を開ける条件が付随すると思うので、それも難しいかもしれない
だが、それらの思惑を踏まえて、2階を店舗にするなどの方法などを考え、さらに1階部分を遺族に貸し出すという条件も伝えた上で、事故物件と正規の値段の間で購入するというのもできる
そこで事故物件よりも高くなる費用を遺族から家賃として回収し、返済に充てるという事業計画を立てることができれば、店を出すための資金も確保できるのではないだろうか
いずれにせよ、本作はビジネス思考とは何かを描いている映画であり、このケースでこの情報があるのなら、どう活かせば良いかを考える「脳」を作る助けになると思う
リャオジエはシャと父から大切なものを学び、それを活かして経営者になっているが、彼が人の気持ちを踏み躙って成り上がったようには思えない
考えれば考えるほど、いろんな解決策が出てくるものなので、人の感情を理解しつつ反発を生まない方法を考え、さらに自分の利益も追求できる方法を考えられれば、ビジネスはうまくいくのではないだろうか
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