至福のレストラン 三つ星トロワグロのレビュー・感想・評価
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超一流のレストランはこうして価値を維持していく
94歳の今も好奇心でいっぱいのフレデリック・ワイズマンが、同じく今年で創業94年、ミシュランの三つ星を獲得してから55年になるフランス、ロワール県にあるレストラン、トロワグロにカメラを持ち込む。
上映時間は今回も240分と長尺だが、それには理由がある。オーナーシェフと各部門の担当者が綿密に打ち合わせる新シーズンの献立の中身、躍動的な仕込み、ミリ単位で位置を決めていくテーブルセッティング、価格高騰に苦しむソムリエたちのワイン選び、客の好みを確認する予約担当の気配り、等々。レストランであればどこでもやっているような準備作業が、見たこともないような高いレベルで行われている。目指すのは変わらぬ超一流なのだ。いつも情報量がいっぱい詰まったワイズマン作品は、料理と相性が良かったのだとつくづく思う。次々と登場する人物の名前と肩書きを字幕で一切紹介せず、画面を見ていればそれが誰だか分かる仕組みになっているところも、映画的かつ合理的だ。
そして、トロワグロと日本料理の繋がりが明らかになるところで感動しない日本人はいないだろう。これは、別に食通でなくても、一流とは何か?サービスとは何か?がよく分かる食にまつわるドキュメント。忙しない日常をいっとき忘れて、案内されたテーブルについてみてはいかがだろう。
人は、物作りの現場を見ることがこんなにも好きだってこと。
先週、東京の とあるレストランの、楽しみにしていた予約をキャンセルした。
苦労して半年前に取った予約だった。
連れの友人の体調不良が理由で、どうにも仕方がなかったのだが、直前のキャンセルでもあり全額の弁償となった。
料理人は職人だ。
僕は職人への最大限のリスペクトをもって、その聖域であるダイニングに招き入れられる許しを得たいと願う立場。
電話口で平謝りに謝り、厨房へのお詫びも言付けて、結局とんでもない金額が弁済で飛んでしまったけれど、これで再度のチャレンジへの門戸は残してもらえるならば、安いものだと思っている。
かつてはソムリエやギャルソンを夢見た僕なら、なおさらのこと。
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パリの南。山ふところの三つ星レストラン「トロワグロ」。
手仕事を映すドキュメンタリーはとても面白い。
こんなに長尺の映画になっても、なぜだろう、ワクワク感が止まらず、ずっと退屈せずに観ていられるものだ。
「この手のドキュメンタリーは、なぜ飽きないのか」、
これをわかり易く分析してくれた人がいる。
つまり、
観光地に行くとお土産屋さんがたくさんあって、ガラスケースの中にその土地伝来の素朴な「こけし」などが並んでいるのだが、
冷やかしに店に入ってきた客たちは大抵はそこは素通りだ。「こけし」を買うために財布の紐を緩めたりはしない。意中の品は、家族や職場へのお土産のお菓子とか、せいぜいキーホルダーくらいのものだろう。中学生なら店頭の木刀だ。
でも店の奥では一箇所、人だかりがする場所がある。それは回転旋盤機と よく手入れをされたノミで、職人が角材から「こけし」を削り出し、その横ではもう一人が墨や紅の細筆で目鼻立ちを描いていく=この「実演工房」の一角だ。
人は、物が作られていく様子を見る事がこんなにも好きなのだ。
旅先で、その職人さんの技術に感嘆し、手元をじっと見つめ、惚れ込んで買い求めたこけしは、もう先ほどのショーケースのこけしとは違う物だ。
職人の息と、見学するこちら側の息使いが重なって(息を止めて) 、そこに生まれる「モノ作り現場」の面白さ。一期一会の出会いが、あの実演販売には起こっているからかも知れない。
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インドからやってくる旅行客を案内するツアーコンダクターの悩みは
「味がない!」と彼らが騒ぐことらしいね。
カツオ出汁と、土鍋をくぐらせた ほのかな利尻昆布は、スパイスの国からの来客には、確かに難しいのかも知れない。
結局、ツアコンは日本でもインド料理店を慌てて探す羽目になるのだと聞いた。
昨今
「移民にフランス料理をさせるサクセスストーリー」は大流行なのだが、僕はあれはないなと思っている。
だから申し訳ないが、まったくあのたぐいには興味が湧かない。
厨房での下働きならともかく、食材、ソース、温度に 香辛料に ドレッセに、サービス。
料理は血だし、文化なのだし、その味覚の伝統は生まれた時からその風土に馴染み、その場所に育っていなければ「フランス料理」も「和食」」も、実現するはずはないと思うから。
彼らが独立すれば、味付けは早晩エスニックに戻ってゆくだろうし、多国籍理がそこには完成するだろう。
僕はカリフォルニア・ロールは要らない。
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トロワグロの現在のシェフ=ミシェルと、同じく料理人になった二人の息子。そして妻と娘。
一家で営むトロワグロは、オーベルジュだったのですね!
長男セザールと父は本店でオーソドックスなメニューに挑み続け、次男ルネは隣村の別の店でシェフを務めながら意表を突いた新作を試す。🇺🇦
キッチンの光景はもとより、献立作成のための「川魚の種類」と「アーモンドペースト」にこんなにもこだわった 冒頭からのディスカッション。
食材を仕入れる朝市や、牧場や、チーズ工房や、ブドウ畑、そしてワイン醸造所での「シェフと提携先のオーナーたちとの丹念なやり取り」=人間関係が、ここまでかと驚くほどに、じっくりとフイルムに記録されます。
◆BGMは一切なし。
そしてダイニングを回ってのオーナーとお客たちとの語らいの深さ・・
客席に通される前に「お客とスタッフが顔見知りになる大切な意味のために」大人も、そして親に連れてこられた子どもたちも、料理人の顔と厨房の様子を見せてもらえる。
客ごとの好みや、アレルギーや、ペスカタリアンの有無を一晩に50客、変更に次ぐ変更まで、すべてを頭に入れている有能なホールスタッフ。
ギャルソンたちは「グレーのニットベスト」がとても可愛らしい。
セルヴーズ=女性スタッフは、細みの黒いドレスで真っ赤なチューリップの花瓶の前を通る。
ハラスメントをいさめ、穏やかな言葉使いで (「ルール」を守ろうではなく)、「仲間を守ろう」と勧めるあの社員ミーティングも良かった。参考になった。
厨房シーンも、有りがちな怒声とかつり上がった目が何処にもなく、もちろん視聴率を稼ぐためのドラマ仕立ての「皿を落とすシーン」とか、「客とのトラブル」等のヤラセの脚色も無い。
プロたちを写すのにヤラセは要らない。
◆料理よりも、人が写っている
・【仔羊の脳みそ】:Tête de veau (テット・ド・ヴォ)の下処理を失敗した若者に対して、厨房が殺人的な時間であるにも関わらず!彼を伴って厨房の一隅にゆっくりと座り、二人一緒にラ・ルース料理辞典とエスコフィエ を、“もう一度学ぶために” じっくり読み合わせするシェフの姿・・
・【腎臓のソテ】に合わせるパッションフルーツ・チリソースを試作した料理人に対しては、最大限のねぎらいと「とても美味しい」との褒め言葉。完食。
これぞ親子三代で、56年にも渡って三つ星を獲得している、その実力。その余裕なのでしょう。
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◆ナレーションさえ無い
今回の鑑賞、
映写は 途中の5分間のインターバルを挟んでの長丁場でした。
見終わったあとの充足感の理由はこうでした
つまり、三つ星のあのレストランを訪れるという事は、有機体=ミシェル・トロワグロ氏の店と、あの人となり に会いに行くという事だったのですよ。
料理よりも、人そのものが写っていたのです。
説明がいらなかった。
いろいろと、納得しかありませんでした。
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長い映画なので
東座の社長さんは上映まえに館内を回り、
・この映画では臭いを出したくないから飲食は我慢して欲しい旨を説明し、
・お客さんたちには「より座り心地の良い席」への移動を勧め、
・いつもの定位置に陣取る僕には「靴を脱いで足を乗せられるマット」を、ウインクして そっと出して下さったんです。
・ひざ掛けのサービスも有ります。
いつもはニコニコと丸椅子に座っていらっしゃる社長のお母さまも、別人かと思うほど機敏に接客 (=元料理人でいらっしゃる) なさっていました。
手作りチケットの裏面には、社長合木こずえさんオススメのオーベルジュ・レストランの名が3つ、書かれてありました。
「ポトフ 美食家と料理」の上映の時には、この映画館は、町内のビストロと組んで「ポトフコース」のコラボレーションもしてくれた。
映画館も、人だ。 と思いました。
エンタメとして観ても面白い
前に観たワイズマン作品は《ニューヨーク公共図書館》で、それも面白かったんだけど、そこまでじゃなかったんだよね。
今作は面白かった。
たぶんトロワグロの店主に注目したつくりになってるからだと思うんだよね。
《ニューヨーク公共図書館》は組織が何をやってるかって感じだったんだけど、今作はトロワグロが何を考えてるかみたいに観えるの。
特にストーリーとかなくても、一人の人間を淡々と描いていくと、なんかそこにドラマチックなものが生じるなと思ったよ。
4時間で長いし、価格も2,800円で高いけど、現代の教養としてワイズマンは観た方が良いと思ったな。
ワイズマンはやっぱり面白いけれど、
ターゲットとなる場所を定めたら、そこに働く人々・集まる人々・関わる人々・生じた出来事すべてを記録し尽くそうとするドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンの今回の舞台は、ミシュランの三ツ星を55年間守り続けるフランスの名レストラン・トロワグロです。そして、このレストランの裏も表も描き尽くすので4時間もの作品になってしまったというのはいつものワイズマン流。更に、大きな出来事が起きる訳でもないのに、「へぇ~」とか「ほぉ~」と言いながらついつい観てしまうのもやはりワイズマンでした。
お客さんそれぞれに向けたメニューを一つ一つ検討する真剣さや、新しい料理についてシェフがあれこれ議論する様や、素材それぞれの生産者にまで訪ねて吟味し、或いは自分達で生産する職人気質などは確かに興味深いのですが、僕は、
「へぇ~、フランス料理ではマトウダイがそんなに頻繁に用いられるのかぁ」
「カエル料理もお馴染みなんだなぁ」
「『活き締め』『紫蘇』などの言葉はそのまま『イキジメ』『シソ』の日本語のまま通じるのか」
「醤油や味噌も使ってるよぉ」
「肉は食べずに魚だけ食べる『ペスカタリアン』という人々が居るのかぁ」
「5千ユーロ(80万円)のワインなんてあるの?」
なんてことに事に感心し、アッと言う間の4時間でした。93歳になってもワイズマンはやっぱり面白いなぁ。
・・と締めたかったのですが、たった一つ気になる事。これまでのワイズマンの取り上げたテーマ、ボストン市庁舎でも、ニューヨーク公共図書館でも、ジャクソンハイツでも、英国ナショナルギャラリーでも、映画を観たら「一度行ってみたいな」という気になったものでした。しかし、今回は「トロアグロに行こう」とは思えませんでした。それは、このレストランが結局は「大金持ちの社交の場」に見えたからです。8万円近くするコース、シングルでも5万円近くするホテルには気後れして近づけそうにありません。ワイズマンにとってはいつも通り「興味ある場所にカメラを向けた」に過ぎないのかも知れませんが、今回はなぜこんな金ピカな所だったのでしょう。
タイトルなし
サイコーだったかな。ワイズマンはもともとファンだけど、フランス料理とフランスの記憶が蘇ってきて幸福だった。チーズのワゴンが出てくるときのあのコーフンを思い出した。しばらくダイエットしてるので、フランス料理から遠ざかっていたけど、山ほどチーズ食べたい、ワイン飲みたいと思った。盛り付けたお皿の回りを拭き取っているシーンが印象的だった。料理教室ではよくやってるけど、プロは盛り付けで失敗しないと思い込んでいた。そんなことはないのだ。活け締めの日本語のみならず、しそ、日本の話がたくさん出てきたのも印象的。味噌も使うのか。パリの三ツ星はランチだけだけど、全部行った。トロワグロはパリでなかったので行ってないかと。日本のお店も撤退してしまったから、フランスでまた行きたい。伝統と切れて、精神を受け継いで挑戦する、そして、料理が好きでたまらずオープンな彼は素敵だ。映画も好きに撮っていいとしたとする。フランス料理界といえば、とても fermé な感じがするから。とても貴重なフイルムだと思う。食い入るように、一皿一皿見た。
凝縮された人生。いかに生きるか、働く意味を教えられる。
ただ、「凄い三ツ星レストラン」だけでは、語れない奥深さがある。
無駄な会話のない厨房。
そこで働くすべての人から感じる「お客様のために」という、暗黙のメッセージ。
そして、シェフやホールの方々が、テーブルを回って語る言葉のチョイス。
この店に相応しい客であろうとする相互作用が感じられる。
こんなに食に真摯に向き合い、自分が受け継いだ歴史を変化させ、後世に残そうとする覚悟が潔い。
4時間、長いけど見る価値のある映画でした!
「作って提供する人々」の日々は、明確な言葉のやり取りでできていた。
公式サイトの動画で料理人三國清三氏が言う。
「探求しつづけなければオリジナリティは出せない。それを50年続けられるか。三つ星を守るのはそれしかない。彼らはそれを飽きずに、毎日ちょこちょこちょこちょこやっているのです」
「料理人や、ソムリエや、サービスマンが、何のために仕事をしているのかがよくわかる」
その言葉通り、このドキュメンタリーはひたすら仕事場での彼ら彼女らとその言葉を撮り続ける。インタビューはほとんど(ひょっとすると、まったく)ない。微妙な表情の変化を追うアップもほとんど(あるいは、まったく)ない。見えたもの、言葉にされたことだけが、つながれている。
映画の中の言葉は、冒頭と最後のタイトル以外は、すべて仕事仲間に向けられたものか、レストランやオーベルジュのゲストに向けられたものか、どこかに書かれているものだ。それらの言葉は、意味がはっきりとしていて率直だ。
「私はそんなに辛くないと思います、気になりません」
「いや、この量をすべて食べると口の中に熱さが残る。それ以外は問題ない」
「料理は映画じゃない現実なんだ、と教わったのです」
「ラルースとエスコフィエ。知りたいことはこの2冊にぜんぶ書いてある」
「昨日、厨房で暴言があった。職場を監視するつもりはない。しかし、仲間は守らなければならない」
「まだ若いときに日本に行って日本料理を体験できたのは幸運だった。帰ってから何度もつくってみた」
何かを作り、提供する側にいる人であれば、思い当たる場面の連続ではないかと思う。
経営、シェフ、料理人、サービス、ソムリエ、チーズ担当、予約管理、生産者、常連客、団体客、一見客。登場人物は多いが、説明書き無しに彼らの役割が分かるようにつながれているのは見事。
それらの言葉が事務机の並んだオフィスではなく、フランスの美しい田園地帯の中のガラス張りのレストランの中で、色鮮やかな食材と美しく盛られた料理とワインとチーズの映像にオーバーラップするので、心地よいのは当たり前だ。
休憩を挟んでの4時間は長いけれど、眠くなる瞬間も寝落ちる時間もあるけれど、それもまた心地よく、「至福」であった。
社会性を一切排したピュアな作品
ジャンルは違えどタルコフスキーやアンゲロプロスと並び称したくなるドキュメンタリーの巨星フレデリック・ワイズマン‼︎
思えば、、、
2017年(日本では2019年公開)の「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」は、図書館の持つ機能の多様性と存在意義を知らしめるだけでなく、アメリカの近代史、人種問題、格差社会、教育問題など雑多な内容に触れ、アメリカ社会そのもの、その過去、現在、そして未来までを俯瞰しようとする破格の傑作だった。
2020年(日本では2021年公開)の「ボストン市庁舎」は、市役所や公共機関がもつ様々な機能を提示するとともに、高齢者、ホームレス、貧困、再開発、人種差別など、山積みの問題に奮闘する市長マーティ・ウォルシュと市役所職員をとらえた。ボストンの市政を描きながら、相容れない州政、国政、そして「反トランプ」までもがくっきり見えてくる凄まじい構造だった。
そう、こんなとんでもないスケール感がワイズマンだ。
しかし今作は、、、
社会性を一切排したピュアな作品だった。親子3代にわたりミシュランの三つ星を55年間維持しているというフレンチレストラン「トロワグロ」の秘密にミクロの視点で迫った。
メニューの考案、調理風景、食事風景をはじめ、食材を調達する市場、農園、牧場、チーズ工場などを淡々と撮った。
食材と向き合い黙々と調理する厨房の静寂に愕然とする。観る我々はトログロワの三つ星が必然であることを知る。
そう、ここには前2作にあった激しい感動とはまったく異なる静かな感動が在る。幸せな気分に浸って帰路についた。
にしてもワイズマン。今は亡き両親と同じ1930年生まれ、94歳のモンスター。次は何処へ?
世界が違った...
食通でもなし、お金持ちでもなし、
だだ、食いしん坊 & 食関連の作品はとりあえず観たい、
という気持ちだけだと、
後半にかけて、なかなか気持ちが散漫になってしまいました。
厨房や料理を楽しめているうちは良かったのですが、
食材の製造方法や、素材の蘊蓄のターンは、専門用語多いし、
ちょっと素人には難しかったです…。
料理人の方や、食のお仕事のプロの方や、
高級レストランに行き慣れている方には面白いのでしょうね…。
しかし、後半の裕福なお客様たちと、10分ぐらい話し込む姿を観せられて、
めっちゃ、自分語りするやーん!ってツッコみつつ、
もし、そこに行けたとして、その状況だったら、
ものすごーく気を使って、うんうんって作り笑顔で頷いて、
でも心では、早く食べたいなーって思っている自分を想像してしまいました。
とりあえず、映画でしか知ることが出来なかったであろう世界を垣間見れて、
それはそれで、面白かったです。
いろんな意味で、お腹いっぱいでございます。
半世紀の三ツ星
半世紀に渡り三ツ星を維持していくのは
精神と肉体を苦難の道のりを歩いている感じ。
料理、サービス、ソムリエ、会話、対応力、経営力
仲間、生産者との繋がり、何れも欠けては
いけないし、働いている人間が一つの同じ方向に
向いてないと存続出来ない。
ただ、人は完璧ではないからそこはみんなでフォロー
したりバックアップしないと無理よね。
それだけのプレッシャーを毎年浴びるし。
移転して改装した2018年も三ツ星を獲とくして
さぞかし嬉しかったと思う。
新たな挑戦だし、世代交代も見据えて動いたの
だろう。ワイン醸造業との会話。新しい息子達の考えや能力を認めてやらせるべきは印象的だ。
サーモンのオゼイユソースから革新的に始まり
今も引き継がれるレストラン経営と家業の存続。
並みならぬ心情。
140時間の映像を6週間かけて編集。
そりゃ4時間のドキュメンタリーになるね。
親日家で感謝するし、前衛的でそこからインスパイア
するのもあると思うが味噌とか醤油とかは
使わなくても美味しく出来るのではと
思ってしまう。もし時間とお金をかけて食す際は
ある程度、正統派を味わいたいと思ってしまう。
人間の生き様を感じる映画でした。
じわじわと
2023年。フレデリック・ワイズマン監督。フランスの家族経営の三ツ星レストランの数日間。買い出し、打ち合わせ、詩作、実作と提供、客との対話、などレストランでの営為に加えて、ブドウ畑やチーズ工場などを訪れる従業員らの様子を丹念に描く4時間。
ワイズマン監督の映画は実際には始めてみたが、たまたま事前に濱口竜介「他なる映画と1」のなかでワイズマン監督に言及しているところを読んでいたので、思い当たるところが多々あって刺戟的な経験だった。濱口監督は、ドキュメンタリーなのに被写体を正面から撮れること(後ろを追いかけるのではなく)の意味や被写体との距離が近いことの意味を挙げていたが、確かに、演出したのではないかというほど、動かないカメラに対して人間が画面内に出入りし、ここしかないちょうどよい構図で手を動かし、会話をする。見続けていると、家族経営のレストランの「秘訣」とか「家族愛」とかいった「物語」ではなく、人間が動き働くこと自体、または人間が会話すること自体が活写されているという時間がじわじわと伝わってくる。カメラが動かないからこそなのだろう。このじわじわのためにある程度の時間が必要なのかもしれない。
トロワグロなんて聞いても、 『レストランの名前かな?』くらいだし、...
トロワグロなんて聞いても、
『レストランの名前かな?』くらいだし、
ミシュラン三つ星って言われても、
『じゃ、最高は五つ星じゃなくて三つ星なんだ?』ってくらいの、
知識や興味しかない私が見ました
予告に惹かれたけど、あまりの長さに躊躇して、
でも、前編後編の長いやつをこの前一日で見たので(ちなみに【夜の外側】)
とりあえず行ってみました
そしたら、全く飽きずにずっと見られました
ある一族の歴史と今の暮らしの家族動画を、仕事を中心に見ている感じ
料理の説明を英語でしてるときの一所懸命さがちょっと可愛かった
その説明がちょっと長すぎて、
お料理の温度がベストタイミングじゃなくなっちゃいそうでちょっと心配したりしたけど、
こんなレストランなら何万円もしても全然おかしくないし、
とても気分良く美味しく過ごせそう
ちょっと調べてみたら、数年前までは都内でも関連するお店があったんですね
行ってみたかったな〜、残念
起承転結がきっちりある訳ではないけど、なんとなくまとまってるし、
不思議な魅力の映画でした
どうしてドキュメンタリーってずっと見ていられるんだろう。
4時間、に身構えて見始めたけど、フランスの知らない農村部への半日ツアーに同席させてもらった感覚で、飽きることなく過ごせた。
3代目ミッシェルを筆頭に、無意識のサービス精神いっぱいで、よく喋るけど決して人をイラつかせることはない料理人そしてサポーターとしての生産者たち。客もスタッフもおべんちゃらでなく自分の言葉で今頭に浮かぶことを口にしていることが伝わる。そして言語表現が100%ビジュアル化される瞬間の目撃者になれる調理シーン。苦手な食材はないけどお勘定が苦手、などとさらっと言ってのける百戦錬磨のリッチな美食家も何気にいいなあ。皆んなトロワグロでの「できごと(食・会話・景色)」を「一期一会」の共通体験と捉える意識を持って臨んでいる。うらやましいです。
残念ながら味覚・臭覚は満たされないながらも厨房見学までできる貴重なツアーであり、5代目?のベビーちゃんまで堂々と登場していた!群像劇が繰り広げられる舞台を見た満足度がありました。
とにかく食に疎い自分にとっては・・・
ワイズマンの作品の中でも、かなり動的で、カット割も激しかったと思います。ぱっと見でそう感じたので、かなり期待して臨んだのですが、食に疎い自分にとっては全てにおいて興味が持てなくて、この尺─、正直、相当つらかったです。
説明なっていうものは皆無だとは分かっちゃあいだけど、にしても、ロケーションから人間関係に至るまで、ほとんど捉えることができませんでした。だから尚更、つらかったです。
食についての説明やうんちくはめっちゃ語られて、食事に行ってあんなにしゃべられたら嫌だなぁ・・・全然何言ってんのか分からなかったし・・・と個人的には思ってしまったので、やっぱつらかったです。
脈絡なく並べたようにも見えた断片的な映像の連なりから、次第にくっきりと浮かび上がりのが自然に囲まれたフランスの大地の圧倒的な映像美に打たれたのです。
野山や海を上流とすれば、客が待つダイニングは下流。特別な一皿に結実するまでの壮人な食の大河ドラマです。
半世紀以上、ミシュラシ三つ星に輝く仏老舗「トロワグロ」。現在94歳のアカデミー賞の名誉賞も受賞しているドキュメンタリー界の巨匠フレデリック・ワイズマン監督が、仏料理界の最高峰であり、親子3代にわたりミシュラン三つ星を55年間持ちつづけるフレンチレストラン「トロワグロ」の秘密に迫ったドキュメンタリー。
因みにレストランの創業は1930年、94歳の映画作家とは同い年に当たる。
●概要
樹々と湖に囲まれたフランスの村ウーシュにあるレストラン、トロワグロ。建築家パトリック・ブシャンの手による、周囲の自然と解け合うモダンなレストランでは、オーナーシェフ3代目のミッシェルと4代目のセザール、そしてスタッフたちのあくなき食への追求が日々つづいています。
メニューが創造される瞬間、厨房での調理、食事風景をはじめ、市場や、オーガニックの農園、牧場、チーズ工場へ赴き、人と自然が共存するパーマーカルチャーに取り組む姿などを通して、創業以来94年間、家族で始めたレストランがなぜ変わることなく愛されつづけてきたのか、その秘密をカメラがとらえていきます。
●解説
仏国土のほぼ中央、ヘソの位置にあるウーシュ村。田園風景に溶け込むレストランと、取り巷く人々が本作の主人公です。これまでの作品と同じく、ナレーションなど説明的な演出は一切ありません。今どこで何が行われているのか。彼らの関係性は…。鑑賞者は、事前のリサーチもしないというワイズマンの視線と心の動きをなぞりながら、映像に目を凝らし、会話の内容に耳を澄ますことになります。
美味しそうな料理が目白押しで、お腹を空かして見ないほうがいいかもしれない本作ですが、いつもながらのスリリングなワイズマン作品であるがゆえに、美食家とは言い難い人でもすっかり夢中になれることでしょう。ワイズマンの映画はつねに個人ではなく組織=集団に焦点を当てます。
彼の作品は、医療福祉や司法から、格闘技まで、主に現代アメリカを構成する組織を映してきた。米社会はファーストフード文化。食を描くうえで、同じく農業大国、高り食料自給率でもガストロノミー(美食学)の国に行き着りたのは自然なことでしょう。
老舗の一日は組織化されています。特に規律を感じるのは厨房のシーン。多くの料理人がせわしなく行き交いますが、動きに迷いや無駄がないのです。そのさまは一糸乱れぬ演舞。山海の恵みを集めた食材や調理器具、カトラリーが奏でる多様な音や、ダイニングのざわめきが耳に心地よかったです。
家族経営による同レストランは、現在、4代目オーナーシェフのセザールが中心となり、父で3代目オーナーシェフ、ミッシェルが後ろ盾として支え、セザールの弟レオも別の店でシェフを務めています。
親から子へ、屋号とともに伝統を引き継ぐという点で、日本における「のれんを守る」感覚とも通じます。根底にあるのは進取の精神。妥協のない新メニューの開発から、出ず入らずのホールスタッフの接客術まで三つ星の「極意」を惜しみなく映すのです。
そんな「経営体」にして「工房」でもあるこの店では、客に提供するサービスやメニューを巡り入念な打ち合わせが繰り返され、多様な国籍を持つ料理人たちが動き回ります。 厨房は、さながら芸術作品の上演を準備する舞台裏のように創造的で慌ただしかったです。そんな日々のちょっとした「破調」もカメラは見逃しません。作為や予定調和とは無縁です。ドキュメンタリーならではの日常のドラマが、自慢のコースメニューを際だたせるスパイスとなっていました。
「料理は永遠に終わらない……」。上映時間にして4時間。この映画はいかにして終わるのか、いや終わらないでほしい、といった想いが交錯するなかで迎える終盤、海外からの客との会話でミッシェルがそう□にします。芸術は永遠に不滅だ、といった常套句ではありません。
「料理は完成するが、それを食べた客から感想が伝えられると、私の心もまた新たな何かに開かれる……」。だから料理は絶えず変化し、それが英語で「ムーブメント」と表現されるわけです。料理とその周辺に息づく世界を「変化=運動」として捉えること。それこそ、ワイズマンの映画ならではの試みであり達成なのだといえるのでしょう。
●感想
脈絡なく並べたようにも見えた断片的な映像の連なりから、次第にくっきりと浮かび上がります。黙々とメニュー開発の打ち合わせと調理、接客シーンがナレーション抜きに展開する前半は睡魔との闘いになりました。
けれども休憩を挟み、トロワグロに食材を提供する牧場や農地などの紹介が多くなったとき、自然に囲まれたフランスの大地の圧倒的な映像美に打たれたのです。
ミッシェルは、柔道家でもあり、何度も来日経験があります。そのため周りから日本かぶれと揶揄されたこともあったそうです。けれども彼は決して日本にかぶれているのでなく、単に日本食が好きなのだと反論していました。
そのため彼と息子達のシェフは、揃って日本の食材を普段から取り入れており、醤油はうま味をもたらす調味料として常用していたのです。またシソは日本独自のハープとしてミッシェルのお気に入りで、庭で栽培しているとか。さらに味噌など日本食の食材を常に活用したメニュー開発に取り組んでいます。
世界を代表するフレンチシェフが日本食愛好家であることは、なにやら誇らしさを感じました。
ずっと見ていたい風景がソコに!
試写会当選@アンスティチュ・フランセ🌟 フィガロワインクラブさんありがとう😊💕
以前観た人から聞いていた240分の長丁場作品。それだけでもキニナル存在なのに、トレイラーでも全然主張することなく“本当にお客さんに観てもらおうとして作ってるのかしら?”とすれ思えてしまう控えめな予告。(でも実際には劇場窓口にて前売券購入した人には映画に登場する創業270年<かめびし屋>のしょうゆが入ったマイしょうゆボトル25ml(濃口)をプレゼントするほどには広告宣伝する気はある模様www)
驚いたのは予告ではかろうじてあったナレーションが本編では一切無いということ。予告を観てない人にはナンノコッチャなのでは??(特に前半と後半とで長男のお店と次男のお店とで場面が切り替わるけど、予告観てないと絶対にわかるはずないwww)
“殿堂入りクラス”とも言える親子3代で55年間もの長きにわたり星を取り続けてるという快挙の真っ只中にある人気星付きレストラン『トロワグロ』の朝市での仕入れの様子から突然始まる。日々のルーティンである仕入れや仕込み、調理風景、味の追求、メニューの策定、なんていう調理場の裏側を余すとこなく見せてくれる。それだけでなく、取引先業者(仕入先の牧場主やチーズの熟成業者、ワイナリーとブレンダー、など)との密な連携の様子や、相手をその道のプロフェッショナルとして尊重しつつも、自分が疑問に思ったことはそのままにしない、わからないことはとことん聞くといった基本姿勢が徹底されているところに共感。そのすべての根底にあるのは『お客様に喜んでもらうため』。
そのお客様との短い中でも濃密な会話は忘れない。それがきっとミシェルシェフまでの三世代で培ってきたファミリーティップス。
考えてみたら当たり前、でも映画を通じて『三つ星レストランは味だけでない全部込みでの三ツ星なんだ』を改めて教えてもらいました✨職人気質を貫く姿勢と意固地や頑固にならずに常に勝ち続けるために変化することを恐れず積極的に変わっていく。そして息子世代の躍進を心から喜ぶ。そんな仕事との向き合い方は何も料理業界だけの事ではないな、と改めて感じます🍀(忙しい仕事の合間にも家族を厨房に招き入れ、まだ小さいお子さんの食事をシェフ自らが作り食べさせるという家族団らんの時間も大切にしていることもとっても素敵💜)
60歳+αのミシェルシェフから完全なる世代交代がなされたとき、星を取り続けることが出来るのか。きっと息子さんたち世代には得も言われぬプレッシャーはあると思うけど、『やるべきことを続けるだけ』といったスタンスで頑張ってほしい。
お酒を飲むのをやめてカレコレ4年半になるけど、ワインとお料理とがバッチリ合ったときのマリアージュの感動を思い出して久々にワインが飲みたくなりました🍷
いつか両親を連れて、こちらのオーベルジュにお世話になりたいな❤ ❤ ❤
(備忘)
●『活け締め』︰世界的な料理用語とは知らなかった(←トロワグロ家でだけ??)
●ミシェルシェフ、お客さんとの交流はいいけど、お料理でてきたら温かいうちに先に食べさせて〜www
●次男のレオさん、ワイルドイケメソ
伝説の名店の日常
トロワグロは半世紀にわたってミシュラン三つ星を維持した伝説の名店。いまはフランス地方都市のさらに郊外の小さな村に店をかまえ、地元の農家と協力して野菜・家畜をそだてるところから料理を作り上げています。フレデリック・ワイズマン93歳の最新作は、その料理店の人々が膨大な努力と工夫をつみあげて一枚の皿に至るまでの過程を描きます。
といっても、NHKの「ドキュメンタリー」番組のように、もっともらしい調理の秘密のようなものが明かされるわけではありません。チーフシェフ、同僚のシェフたち、接客スタッフ、経理担当者…の間で交わされる議論が延々と描かれるだけです。食材は何がいいか、付け合わせはどれにするか、このお客が来るならデザートはどうするか、火の入れ具合はどれくらいがよいか、魚を包丁で刻むときのコツはなにか、等々、等々。その点でこれは長大な(4時間!)の議論映画ですが、それがまったく飽きないのですね。
例によって、いったいどうやって撮ったのかと思うような自然な会話が店側でも、お客との間でも、交わされます。ワイズマン自身が映画祭でのQ&Aで説明したところによると、お客はほとんどが常連客で、撮影交渉はやりやすかったとのこと。またこの店では厨房が大きな一つの部屋なので、食材の加工から調理・盛りつけまでの過程を一連で追いかけやすかったのだそうです。
ワイズマンが若いころ撮った映画史に残る名作群にくらべると、事実とフィクションの関係をめぐる批評性の鋭さはいささか鈍ったかもしれません。しかし相変わらず見始めると止められなくなる、忘れがたい時間を保証してくれる不思議な作品です。
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