「世田谷区教育員会によるプロパガンダ?」小学校 それは小さな社会 すーちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
世田谷区教育員会によるプロパガンダ?
私は1980年代に世田谷区の公立小に通っていました。(この学校ではありません)
それは時代もあったのかもしれませんが、高圧的な教師と伝統を守ることに縛られた学校生活で、決して良い思い出ではありません。
そして、今は都内の別の場所で小学校高学年の子供を育てています。
その目線からのレビューであることを最初にお断りさせてください。
(以下、否定的なレビューになりますので、この映画で感動した方はお読みにならないことをおすすめします)
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子供の学校生活を見ていて、令和の小学校は私の時代よりだいぶ自由になったと思っていたのですが世田谷区においては未だに時代錯誤な管理教育をしていた!というのが一番の驚きです。
序盤にある、入学したばかりの1年生がランドセルを小さなロッカーに無理矢理押し込み、綺麗に並んだショットを見て嫌な予感。これは、すべての生徒を規格内におさめます、という痛烈な皮肉?
嫌な予感は当たり、生徒による下駄箱チェック、お互いに注意し合う様子、1年生の担任がクネクネ歩いてる男子生徒に向かって「普通に歩いて」(普通に、って今時NGでは?)と声かけするシーンなど、気持ち悪いほどの相互監視、教師が管理するシーンが続きます。
はいっ、と大きな声でまっすぐ手を上げてお返事する規格内の子供が礼賛される世界。
運動会の縄跳びがうまく跳べない生徒に、ペアの子が指摘するシーンを見て胸が痛くなりましたが、さらに胸糞悪いのが、合奏でシンバルがうまく叩けない生徒への教師による指導。
本人はふざけているわけではなく、真剣にやっているのに、あのように吊し上げるのはいかがなものと。詳しくは書きませんが、他の生徒を引き合いに出して叱責する言い方にイラッとしました。
縄跳びの子もシンバルの子も、練習をして苦手を克服し本番は大成功、良かったね、という流れなのですが、それは頑張れる「規格内」の子だから美談になったのであって、そうでない子ならどうなったのだろうと。
どうにも、先生がたの指導が規格内に生徒を納めることをやっきになっていて、しかも自発的に生徒が規格内に沿わせるように仕向けているように感じたのが一番の気持ち悪さです。
朝6時前に自主的に出勤して準備する6年生の教師「いつか報われるかなと思って」…って、働き方改革が浸透しつつある現代において、美談としてあのシーンを入れているなら大問題かと。
まあ、大なり小なり日本の公立小学校は似たような教育をしているとは思いますが、ここまで管理型なのは今時珍しいし、このやり方を礼賛するのはとても危険だと思います。
おそらく世田谷区の閑静な住宅街で、収入に余裕があり教育意識が高いご家庭が多いからあの教育が成り立つんですよね。
(入学前に家庭でお盆に載せた給食を運ぶ練習をしたり、母親が子供のオンライン授業を横ではりついて見守るシーンを見て)
私が今あの地域で子育てしたら子供は不登校になってるだろうし、私は学校にクレームを入れまくってモンペ扱い必至だな、との想像が頭をよぎりました…
ちなみに、劇場では時折感動のすすり泣きが。
自分がおかしいのかしら?と思って、みんなの学校、でこの小学校のレビューをみたら、自分と似たような理由で保護者の評価が低く、安心しました。
完全に蛇足になりますが、昔から世田谷区は教育委員会が強権的な保守的な土地柄で、教師は委員会に絶対服従、親への圧力も強いです。
監督は外国人目線(ハーフとのことですが)で純粋に日本の小学校の素晴らしさを伝えるためにこのドキュメンタリーを撮影したのかもしれませんが、もう少しリベラルな地域の小学校を選べなかったのかな?と思います。
世田谷区教育委員会のプロパガンダに利用されるのだとしたら、非常に残念です。