「受け付けないところがある」小学校 それは小さな社会 Scottさんの映画レビュー(感想・評価)
受け付けないところがある
観始めてしばらくは「感情の表出がないな」と思うの。
児童がなにかやらかしても怒る(おこる)でも怒る(いかる)でもなく淡々と『それはいけないことだよ』とやるのね。
「こう育てられたら、就職して怒鳴られたら『パワハラだ!』って言うな」と思ったな。
観続けてると怒るシーンもあって、それは、まあ、良かったな。
観ていて一番思ったのは「教育って気持ち悪い」だったの。
何が気持ち悪いかというとね、先生たちが「自分たちは指導・育成ができる」と思い込んでるところなんだよね。
算数や音楽の技能の指導・育成はできると思うよ。そうじゃなくて「人間として生きていくために必要なこと」みたいなものの指導ができると思ってるの。
これはね、できないと思う。先生たちが上からいくんじゃなくて、悩みながらドーンとぶつかっていったらね、児童も「色んな人がいるなあ」という感じで何かを学ぶ気がすんのね。
でも「人生において大切なことはこれである」みたいな感じで教えるのはね、難しいよね。釈迦牟尼とか連れてこいよ。
林間学校なのか修学旅行なのかで、脱いだ靴を揃えさせるのを、真剣に考えてるのね。「どうやったら自発的に靴を揃えてくれるのか」みたいな。
こういうことを真剣にやってる人はいるね、大人でも。
そして僕は別に靴が散らかっていても気にしない派。そこに人生における大切なことがあるとは思ってないから。
音楽会のところでシンバルの子を激詰めするけど、あれはなんか意味あるのかな。
その前にオーディションで選ぶのも意味があるのか分かんないけど。
「ここを乗り越えて大きくなった」って感じにしたいんだと思うけど、越えなくても良いハードルをわざと作って越えさせてもさあ。中高で部活を真剣にやったら、そういうハードルにぶつかるしね。
そして、先生たちは泣く。なんか一年が終わって感極まって泣くんだよね。それが「美しい」みたいになってんだけど。まあ、泣きたいなら泣けばいいけど、それほどのことはやってない気がしたな。
僕は小学校高学年のときに先生の言うことを真剣に聞かない子供だったんだけど、この映画を観て理由が分かった。「人生とは」みたいに答えがないものに対して、先生たちは「これが正解だ」ってやってんだよ。釈迦牟尼が言うなら聞くよ、悟り開いてるし。でも先生だよ、教員試験に受かっただけだよね。「正解は分からん。これを押し付けるのは間違ってるかもしれん。でも、自分が教えられるのはこれしかないんだ」ってやってきたらね、こっちも真剣勝負で話を聞いたかもね。
と、いろいろ言ってみたけど「教育は自身のコピーを作る活動」という説もあるから、これしょうがないんだよね。
かつてみたいに未熟な教師が怒って叩いても「まあ、手がかかりますしね」で許される時代ではなくなったから、先生たち大変だなと思いました。