ロボット・ドリームズのレビュー・感想・評価
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絵画鑑賞のような気分が必要か
あんまりしっくりこず長いと感じてしまった。
最後のストーリーも8-90年代メロドラマ風に見えた。
体が疲れている時に見るべきではないかも。
まあまあだった
昨年のベストテンにランクインしている人が多くとても気になっており、上京の際にまだ上映していて見ることができた。無声のアニメ映画で、主人公はわんちゃんだ。お友達ロボットと友情を育むがバッテリー切れで海に放置して離れ離れになる。柵が設けられて海水浴場に入れなくなるのだけど、海から行けば入れるし、そもそもまた金属のロボットを海に連れて行くなど絶対にさびるからNGだし、もっと大事に扱えよ、そんなことが引っかかって素直に楽しめない。大事に扱ってないし、回収にも真剣じゃない。
しかし『セプテンバー』はとてもいい。
シンプルであたたかい
音楽を本当に好きな人が作っているのだなという印象でした。
そもそも、嫌いな人がいるのか?という名曲Septemberがテーマ曲なので、もうそれだけでじんわりなのですが、犬がソリで木に突っ込むときのドラムとシンバルとか、効果音の使い方も巧みです。主人公は冴えない犬ですが、ベッド上のポスターとか、部屋に散らばるレコードとか、音楽はそこそこ好きらしいということが垣間見れるのも面白い。
キャラクターの描画は単純だし、サイレントだから言葉はかわされないのに、感情表現の演出が上手。かといって複雑なものではなく、嬉しい、楽しい、悲しい、淋しい、シンプルなのです。にこっと笑う、それだけで、心がこんなにあたたまるとは。
犬とかロボットとか鳥とかアヒルとか、性別とか種類とか面倒なことは全部気にせず、偶然出会って、あたたかい交流が生まれる世界。現代社会ではいろんなところで分断、分断と言われているけれど、ほんとはみんなが仲良くするってそんなに難しいことではないのかも?
ラストは元通りになって大団円、ではありませんが、それぞれの新しい道を行きつつ、お互いの胸に、そしてわたしの胸にも、2人の楽しかった日々はいつまでも残るのだろうと思います。ああいい映画だった。
設定の細部が気になってしまった
「3回見て3回泣いた」という知り合いのオススメで見てきた。
無声映画として、キャラクターの表情で動かしかたや70年代〜80年代のニューヨークを描いた世界観などは楽しめた。ただ一方でストーリーの展開や細かい内容に違和感を覚えながら見てしまった。
一番の疑問点はロボットの燃料切れの表現である。
どこかで燃料切れになって動かなくなるなというのは予測していたので、ずっとメーター部分をチェックしていたのだが、海にいくまでにメーターが徐々に減っているという描写ではなくていきなり動くなってしまった。そもそも結局燃料切れなのか機械の不調なのかもちょっとわからない。燃料切れだとしたらエンプティー直前で1年近く動いていたことが謎だった。
あと足を折っていった集団も行動原理が不明すぎた。あの足の指だけでよかったのであればあんな重いものをわざわざもっていかなくてもいいのではと思った。
そしてあのロボットが重くて運べないという描写も結構マチマチ。ドッグが少しも動かせないぐらい重いわりに、廃品回収の人が運べていたりしている。あとそもそも警察の人が動かしてやれよとも思った。
ドッグの生活環境もわからない。働いているわけでもないし学生というわけでもなさそう。そもそもなんで孤独なのかの描写もない。他のキャラが結構働いているシーンがあるのに、ただ1人で家にいる。スキーにいったり買い物したりする財力がある理由もわからず親と死別したとかの描写もない。そのあたりのバックボーンがないからイマイチ感情移入ができない。
伏線っぽいものもいくつもあった。たとえば最初の公演で踊っているときにわざわざビデオを撮影しだしているシーンとか、鳥のパートもあとでロボットを助けてくれるために長尺をとったのかと思ったらそういうわけでもなさそう。
そもそもあんな優秀なロボットならほかの人もたくさんもっててよかったと思ったりした。あのロボットがなにかしらの理由で突然変異したのかとおもったら、後半にでてきたロボットもわりと同じぐらいのスペックをもっているのではと思う。
そういった細かいシーンや設定が気になってしまい楽しめなくなってしまった。
真っ当な無常感に切なくなる
スペインのパブロ・ベルヘル監督が初めて手がけた長編アニメーションとのこと。擬人化された動物とロボットが織りなす友情、あるいは愛情の物語。
1980年代のニューヨークはマンハッタン、孤独に生きるドッグが通販のロボットを作り友情を深めていった。お互い大切な存在になった。
突然の別れ。
再会はままならず。
お互いに新たなパートナーができ、、、
真っ当な無常感に切なくなる。
十分切なくなった。
何故か「パスト ライブズ 再会」を思い出したりして、、、
ファンタジー映画だけど...
昨年末から気になってたアニメ映画。日本では何年か前にTV放送されていた「オッドタクシー」を思い起こさせるような動物の世界。全編にアースウインド&ファイアーの「セプテンバー」が流れるため、舞台は70~80年代のニューヨークで主人公はちょっとお人好しそうでおバカな犬(Dog)。
孤独の生活が嫌になった犬は、ロボットを購入するところから物語が始まります。
犬はロボットをパートナーとしてセントラルパークで踊ったり、ボートの乗ったりパートナーのいる生活を思う存分楽しみます。夏に海へ連れて行き、海の中で一緒に泳ぎ、砂浜で日向ぼっこをしているうちに案の定、ロボットが故障して動けなくなり、重すぎて犬一人では家に運べないため、修理するために一旦はうちに帰るものの、引き返したビーチは来年の夏まで閉鎖されてロボットはビーチに置き去りになり...
主人公の犬はおバカだけど人の好さそうな性格なのに、何故、周りの人たちは彼に厳しいのだろう。
ロボットを助けようと必死になる犬と冷たい世間。来年の海開きまで待つことにした犬と彼を待ち続けているビーチで動けないロボットはいろいろな妄想をする。(タイトル回収ですね)
終盤は思ってもみなかった展開でラストはあのシドニーポラックの名作「追憶」を思い出させ、頭の中ではユーミンの「Good luck and Good bye」が流れてました。
セリフは全くなく、たまに言葉ではない声があるが、キャラクターの主に目と口だけなんだけれど、喜怒哀楽や意地悪な顔が見事に表現されてました。
ロボットと犬の妄想が現実とごっちゃになることと、もう少し短くまとめてほしかった点がマイナスですかね。
※今回の件、映画の内容より、自分の後ろに座っている未就学と思われる子供が終始うるさかった点がたまらなく腹が立ちました。
小声とはいえ映画全編で後ろからこそこそ話されることと、席を立って動き回っているためなのか席を蹴られているような感覚。保護者と思われる女性は全く注意せず、ファンタジーアニメ映画だからと言って5分もまともに座っていられないガキを保護者は劇場に連れてくるなと強く言いたい!(シンゴジラ以来のストレスでした)
つくづくうまいなあと思った
AIとかロボットとかの話題が飛び交う日々の中で暮らしているので、
そういうことに対する何らかの警鐘なのかな?と想像しつつ観てみた。
いや、これは人の心の旅を描いた映画で、
ご時世的に人々の注目、関心を集めやすいロボットを登場させているにすぎないのだなと、
個人的には解釈した。
批判しているのではなく、わかりやすさ、伝えやすさという意味ですごく上手いなと思った。
自分の楽しさに夢中になって相手を振り回せば相手を傷つける。
相手と自分は同じではなくあれもこれも違うということ。
未熟でどうにもならないことから離れて過ごし時が流れて色々変わる。
かつて相手を傷つけた記憶はその人の後の行動に影響するんだな。
色々あるけれど、あの時の未熟だけれど果てしなく純粋なトキメキや情熱ってかけがえのない思い出だね。
その思い出は掘り起こすと傷つけてしまう人は以前よりも増えてしまうから、現実に向き合って生きていくんだよね。
とか、そんなことを感じた。
主人公の人間でなく犬として描いたのも上手いと思う。
直接的じゃないので生々しさや嫌味がない。
じわーっときいてくるように人間の心の旅を描いているんだな、描き方が上手だなと思った。
目頭が熱くなるという表現があるが、この映画はそうではなく、
心のどこかからじわりと涙が出る。
ハンカチやティッシュは必要ないけど、席を立ち上がって映画館を出るまでに数分の時間が必要。そんな映画だった。
予想していた内容とかなり違ったけれど、それがかえって私には良かった。
単なる絵空事の象徴物語ではない
新年早々、米半導体の巨人エヌビディアがロボットなどを開発する企業にAI基盤技術を無償提供し、ヒトと同じよう自ら動くロボットの実現を目指すと報道されました。(以下若干ネタバレあり)
AIを搭載したロボットがヒトと同じように自ら動くことはあっても、自ら感情をもつようになるかどうかは、なお複雑な問題を孕んでいるようですが、仮に感情を持たなくても、AIが倫理的に設計され、ヒトの感情を尊重し、良い関係を築けるようになる可能性はあるのだそうです。ラストシーンは賛否あると思いますが、倫理的に設計されているAIであれば多分ああなるのではと思いました。
そう考えると、単なる絵空事の象徴物語以上の、大変革期の現代を踏まえた深いメッセージが込められているようにも思います。
無駄な音やセリフをそぎ落とし、線や動き、ストーリーを単純化していること。二人の友情が、二人の関係性を脅かす大小様々な逆境と対置して描かれていること。これらにより、友情や感謝の感情の素晴らしさをわかりやすく伝えているように思いました。(設定は違いますが、チャップリンの名作無声映画「キッド」に少し通じるものがあるように思います。)
砂浜で動けなくなったロボットと鳥親子たちとの交流のシーンが一番好きです。
終始自分には合わないとは思われながら‥
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
評判が良かったので今更観ました‥
しかし結論から言うと、自分には終始合わない映画でした‥(スミマセン‥)
冒頭の、孤独な主人公の犬が、近くの恋人の関係を見て羨ましそうな表情を浮かべた時から、個人的には嫌な予感はしたのですが、友人ロボットが届いてすぐさま意気投合した時には、これは参ったなと思われました。
なぜなら、本来の友人関係は、自身とは違う感覚には距離を取りながらその存在を認め合いつつ、一方で互いの共通点で共感や信頼を持ち合う、複雑な関係性だと思われるからです。
逆に言えば、これまでの主人公の犬は、まず互いの違いを距離を取りつつその存在を認め合うという【人間関係の煩わしさ】から離れているからこそ、そこから互いの信頼関係を築いて行く友人関係を作れなかったと思われるのです。
ただ私個人は、そんな人間関係の煩わしさから離れている主人公の犬のような現在の人達に、一方では肯定的です。
なぜなら、自身の周囲からの根本の理解のされなさを認める事は、逆に自身と感覚の違う他者の存在を認める事と同義だと思われるからです。
(それこそが多様性への一歩だと思われるのです。)
ところが、この映画『ロボット・ドリームズ』は、主人公の犬が孤独であることを冒頭で否定的に描いているように感じられました。
また友人ロボットがすぐさま主人公・犬と同調し、本来の友人関係の構築のための入り口の煩わしさをすっ飛ばしています。
そして映画全般を通して、主人公の犬が友人ロボットを介して、同調同質的な世界を外に広げて行く(あるいは、その喪失を悲しむ)、世界観を表現しているように感じられたのです‥
(この映画の大きな特徴の1つに、言葉での会話を交わさない点があります。
しかし、会話の言語コミュニケーションは、互いの違いを相互理解するためのツールだとも言え、この映画が言葉での会話をすっ飛ばしている点も、同調同質的な世界を外に広げて行きたいという表現になっているとは、(良くも悪くも)僭越思われました。)
もちろん私個人も、自身と同質な世界が外にも広がって行くことを夢想しない訳ではないですし、その世界観を肯定したい少なくない人達がいることも理解します。
ただ一方で、私的の好みで言えば、他者との煩わしさを通過した対立や、距離感を取って自身の価値観とは違う存在を認め合う、他者との関係性が表現されている世界観の方が好みではあるので、今作は自分には僭越ながら終始合わないなとは思われました。
仮に、友人ロボットが、初めは主人公の犬とそりが合わず、しかし次第に煩わしさを乗り越えて関係性が修復されて友人関係になり、その後に映画と同じ離れ離れになるストーリー展開であれば、また個人的には違う印象だったとは思われます。
しかし、鑑賞後しばらくして、今作が多くの人に評価されているのは、自身の同質性が徹底的に追い詰められ破壊されている現在の現実があるからこそであり、友人関係の入り口の煩わしさをすっ飛ばした表現にしているのも、あまりに自身の同質性が破壊されている現在の現実が理由とも考えました。
また、個人的には友人関係なら違和感がありますが、(友人ロボットではなく)失われた家族(を取り戻す)ロボットだと考えれば、家族は初め同質性から始まると思われ、家族ロボットだと置き換えればその感覚は分かるぞ‥とも思われました。
個人的には今作は好みと合わない世界観でしたが、様々考えるきっかけになる深さある作品ではあったと、一方では僭越思われました。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
最後の切ないシーンが流れる中、年甲斐も無く涙が止まらずにスクリーンの画面が歪んで見える程心を動かされていたので、これは高得点を付けざるを得ないと思った次第なのです。
なので皆さん感動する事を期待してハンカチを用意して見て下さいね!っていう程単純な訳では無いのです。
最終的に心を動かされた理由についてその正体を自分なりに探っていたところ、ロボットの心はどこまでが単なるプログラミングによる反応で、それ以上の自分の意思を持つことが可能なのかと、登場人物(動物だけど)がどれだけロボットに心がある事を信じていられるかというのがテーマのような気がしたからなんです。
個人的な話をすると、身近に某犬型ロボットを購入し愛玩犬として可愛がっている人がいるのですが、オーナーの行動を見るとまるでその犬型ロボットに人間並みの複雑な感情があって、自分が愛されていると信じているような風体なので、話は合わせたりするけれど正直共感は出来ていなかったのです。
とても嫌な言い方をすると、ペットを飼える住環境による理由もあるのでしょうが、実際の犬では無く犬型ロボットを選んだ時点で「いいとこどり」をしようとする意図を感じてしまい、命を持っているが故の「勝手きままさ」や「病気や死亡」を避けようとし、都合が良い時に電源をオンにして、従順さのプログラミングによる「心地良さ」を享受しようと思っている風に見えてしまうからなんです。
映画でもロボットを購入しようとしたきっかけは、人間関係(動物だけど)に不器用なドッグが無条件に自分を受け入れてくれる相手を望んだからで、しかも怪しげなテレビショッピング番組を頼る位だから、恐らく最初は「パートナー的な存在」よりは「パートナー的なおもちゃ」ぐらいの期待だったのかもしれません。
しかし予想を裏切りロボットは彼の心を虜にしていき、本来は人付き合い(動物だけど)で学んでいく様々な事を一緒に経験していく事で、その行動はプログラミングからだけではなく、ロボットからの愛情であると確信(錯覚)していくんですね。
ロボットがビーチで動けなくなった時のドッグの必死な行動は、もはや機械に対しての対応ではなく、対等な者に対しての救済処置であったのですが、ここで改めて他人や社会の視点が冷静に組み込まれていく事で、改めてロボットが単なる機械で社会の規則を破ってまで助ける存在ではない事が示されてしまうのです。
ドッグは寂しさを感じながらもロボットを一旦諦め、なんとか苦手な社会生活に馴染もうと姿に、「歪な自分だけの世界なんか捨てて、人並に真っ当に生きる方が当たり前だろ?」という同調圧力を強いる村社会を見せられるようで、少し寂しくなりました。
また放棄されたロボットに近付く人間達(動物だけど)は、やはりことごとく彼を物扱いしかせず、種族の違う鳥だけが心を通わせる事が出来たという皮肉を見せ、何度も彼の夢の中でドッグのアパートメントに戻る事を見せられたので、視聴者である自分もすっかりロボットには心がある事を確信(錯覚)してしまうのです。
そう、ここらへんで自分の中にも変化が起こっていたのですが、某犬型ロボットを飼っている人達が彼らからの愛情を疑わない限りは、そこには確実に愛情が存在するって事を実感し始めたのです。
他人から見たら歪であったり理解出来ないものであったとしても、それが他人の迷惑に繋がらない限りは否定してはいけないし、人間同士の信頼関係にしたって契約事項でしたためているから成り立っているって訳でも無いので、曖昧で証明もし辛い事ではあるのだけれど、信じている内は確実に存在しているってだけなのだと気付かされるのです。
ロボットが廃棄業者に引き取られた際はバッドエンドを想像してしまいましたが、ラスカルの登場でセカンドチャンスを得て、ドッグも新しい友達ロボットを以前の感覚よりも大切に扱い始め、世知辛いけど別の形の幸せを見つけられて良かったと思っていました。
でも運命の悪戯でロボットがドッグを発見した際に取った行動が、普通の人間が行う判断以上に人間らしかったので、それまでの心無い登場人物(動物だけど)の誰よりも愛情深い事が分かり、滂沱の涙に至ったのです。
余談にはなりますがこの映画の色彩設計はとても目に心地よく、ずっと眺めていなくなるほどでした。
それから唯一不思議だったのは、ビーチにいったら水着を穿いていたのに、普段は何も身に着けず生活しているドッグの羞恥心の在り処についてだったんですけどね。
最後に涙が流れました
ドッグとロボット。ドッグは寂しさからAIロボットを購入。でもロボットがいなくなると喪失感はありながら、次の友達作りへと行動する。しかし、その間もロボットはドッグを忘れることなく一途に思い続ける。ドッグを人間に置き換えると、やはり心のまま、自分中心で生きているのが人間で、友達ロボットのように全てに優しく完璧になることはできないと痛感した。出会いがあって、別れがあることで、成長するのが人間なのかもしれない。そう思いたい。
最後に、別のロボットと歩くドックを見かけて、隠れながら思い出の曲をかけるところに涙が出た。しかも、カセットテープのタイトルにも。
ロボットの側に選択肢はないのか
とても可愛らしい作品。良かったところと、気になったところと 一つずつ
・良かったとこ
ロボットという設定ではあるけれど、性を持ち込まなかったこと。仲良くなりたいな、仲良くなれるかな、とおずおず手を握ろうと指を伸ばすシーンがあるが、ロボットに性が与えられていたら少し違った見方に見えてしまったろう。仲良くなりたいなと思う心の奥にあるものは、性差を問わないのだ。
・気になったところ
ロボットが飼い主を嫌いになるっていう設定もあってしかるべきでは。ずっと仲良しでいられるって、そう平坦なことではないはずなんだけど。
GO GET ROBOT!!
シンプルに再会して踊ってハッピーエンドを想像してたので、終盤の展開はなかなか意外だった。
よく見るとポスターの2人の影で示唆されてたのね。
出会いから仲を深めるまではかなりテンポよく、2人が『SEPTEMBER』を踊るシーンが楽しい。
予告で見た別離も序盤で訪れ、「もう!?」となる。
ただ、そこからの中盤は少し冗長で、特に夢オチは重ねすぎて意外性もなくなり徐々に冷めてしまった。
ロボットの脚を切断したウサギは、去り際に後ろめたそうに振り返ってたのに何もなし。
とはいえ、こちらサイドは心温まる交流や状況打破の予感やらで印象はいい。
対するドッグ君サイドは、諦めが早すぎてモヤモヤ…
黙って引っ越したとはいえ、手紙をくれたダックに会いに行こうともしない姿勢がドッグの本質か。
ソリスキー行ったりハロウィンやったりデートしたり、淋しげな描写もあるが釣り合いが悪かった。
そもそも管理会社に拒否された理由が分からないし。
映像としては細部まで動いており手が込んでいる反面、情報量が多すぎるところも。
スクラップ屋でハエが感電するのとか、必要ないし。
演出やらカメラアングルやらも、効果的というより色々やりたかったんだなという印象が強い。
“かけがえのない関係”を想定していたので結末は飲み込みづらかったが、後味は悪くない。
別れがあってもまた出会いがある、離れていても繋がれる、というような前向きな結末に感じた。
別角度から見ると、絶対に離れたくない相手は何がなんでも手放すな、とも取れる。
ロボットが身を引いた形だが、いつかは再会してほしい。
ドッグ君のボーリングシャツが『CAT』だったのは何?
クライマックスのパートナーへの想い、優しさが心に染みますね
記念すべき2025年の1本目は、周囲の誰もが大絶賛の『ロボット・ドリームズ』をヒューマントラストシネマ渋谷さんにて鑑賞。
(ネタバレあり)
『ロボット・ドリームズ』(2023)
第96回アカデミー賞長編アニメーション映画賞ノミネート(受賞作は宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』)はじめ海外の名だたる映画祭で高く評価された作品。
事前の予備知識ゼロ、犬とロボットのポップなポスタービジュアルから子ども向けのカートゥーンアニメと高を括っていましたが然に非ず、人間の誰も抱く、孤独、友情、恋愛、別れ、他者への想い、労わりを擬人化された動物やロボットを通じて優しく丁寧に描いた大人向けの絵本のようなハートフルな傑作でしたね。
ナレーションやセリフは一切ありませんが、キャラクターたちの表情や仕草だけで心の機微が伝わり、背景も80年代のまさにポップなニューヨークの街並みやカルチャーシーンを精巧に再現、作中に何度もかかるアース・ウィンド・アンド・ファイアーの「セプテンバー」(September)が効果的に使われていましたね。
作品設定上は孤独な犬が友達用のロボットを購入、ロボットとの出会いと別れを描いた友情ドラマが「正解」かもしれませんが、ロボットの性別を曖昧にしているため、男女やLGBTQのラブストーリーと解釈しても全く違和感はありませんね。
互いに不運が重なり意図せず別れ別れになった二人が、別々の道を歩みながら互いに幸せをつかみ、数年後偶然再会をする機会が訪れる…普遍的なストーリーですが、二人の過ごした時間を丁寧に描いているため、クライマックスのパートナーへの想い、優しさが心に染みますね。そして流れる「セプテンバー」の「Do you remember/覚えているかい?」の歌詞。
本作が実写で映画化されたら、もっと過剰なほど激情な演出になるはずですが、カートゥーンアニメを採用することで、切なく温かな作品に仕上がったのでしょうね。
正月早々涙腺崩壊でした…。
人間の身勝手さに気付かされる
飼い主を選べないロボットが、人間(犬、アライグマ等擬人化された動物たち)から虐待を受けつづける話だと思いました。
アライグマは救ったように見えてるけど、マシな飼い主なだけであって、自分の好きなように改造してるし、支配者である点では、犬や鉄くず屋のワニとそう変わりはないと感じます。
途中バスからチラリと見えるマイカーの家族は実際にロボットを虐待しています。
また、足の指をボートの穴を塞ぐのに使われれる等わかりやすい暴力が描かれる一方で、
ロボットを愛してると言いながら、実は自分の淋しさを他者に依存して解決しようとする未熟なパーソナリティの犬が主人公で、
対等な関係性のダックとはうまく行かず第二のロボット購入に至り、
ロボットには危険な海に二度も連れて行く、
等の自己中心性の描写がかなりあり、
身勝手な人間の支配も、実は暴力と変わりない事に気付かされる構成となっています。
ただ最終的にロボットのいじらしさ、切なさとしてまとめられている所に
違和感というか無邪気な暴力性を感じてしまい、ちょっと怖かったです。
これはロボット(あらゆる物)に人格を見る日本人と、物として見る欧米とでの
お国柄の違いがあるのかな?と思います。
少なくとも感動の友情、なんて気楽な話と私にはとても思えず、複雑な気持ちで映画館を出ました。
Septemberは名曲
Septemberが流れて一緒に踊りたくなる。
名曲ですね。
物語としてはごくありふれた感じはしますが
孤独なドッグが友を得て、毎日が楽しくて仕方ない。
幸福感いっぱい。
ロボットと海水浴、大丈夫設定かと思いきや
大丈夫じゃなかった、錆ちゃった💦
助けたいのに助けられないもどかしさ。
もっとどうにか出来そうじゃない?とか思いつつ
それでも
色んな感情が詰め込まれていて、
ウルッとさせてくれました。
ラスカルがいい。ロボットが幸せになってよかた。
ラスカルがクール!
困った。今後「セプテンバー」を聴くたびに、切なくなってしまう...。
こんな単純な線で描かれたキャラクターに、こんなにも感情を揺さぶられるとは。
ロボットが「アイアン・ジャイアント」を思わせる造形で、「ヤバい、好みすぎる」と思ったら、案の定どっぷり好きになってしまった。いい歳してこの感情移入っぷりは恥ずかしい。
それだけに、ラスカルが男前で本当に良かった。彼のライフスタイルは、人生を謳歌するザ・ニューヨーカーって感じですごく好き。
ロボットが遠くからドッグとティンを見守るラストは切ないが、彼のために一生懸命BBQをしてくれているラスカルの包容力に救われる。
思い出は特別で、何にも変え難いけれど、今側に居てくれる人が素敵な人で、本当に良かった!と、ぼっちの私はしみじみ思うのです😂
ドッグ・ドリームズ
今年観た映画の中でもほんとに好きな1本なんですが、一方で主人公のドッグのパートナーとなるロボットが金で売買されていることに抵抗や疑問を覚える方も結構いらっしゃるようで、確かにそのあたりは捉え方によっては「これはどうなんだ」と思わされなくもない。
ただ、それ以外のところで自分が観ていてなんとなく引っかかったのは、これが「独り者」の存在がどこかで無視されていることだったんですよね。
冒頭では独りで寂しそうだったドッグは、ロボットとの出会い以降は常に誰かと一緒に生活することで孤独を克服していく。逆に言うと、「ぼっち」でいることは哀しい状態だという前提でお話が進んでいく。
自分以外の誰かとつながることの大切さ─それは切実なものだし、実際この作品が発している大切なメッセージではあるんだけれど、しかしもし、これをドッグが部屋に飾っていたオモチャの人形たちを「イマジナリー彼女(もしくは彼氏)」と見立てて彼自身が想像した物語として見たらどうだろう。
突然まったく別のせつなさに襲われるのではないか。
何かのきっかけで手放すことになったお気に入りの人形が別の誰かの手に渡り、今では大切にされている。新しいオモチャと楽しい時間を過ごしながら、かつて一緒に遊んだ「パートナー」とお別れする。
…「独り者」を排除するような話だったこの『ロボット・ドリームズ』が、実はロボットが見た夢…を想像しながら今日もオモチャの人形と一緒に過ごす男の「ドッグ・ドリームズ」だったのなら。
もちろん、これもまた街の片隅に生きる「独り者」の単なる想像に過ぎませんが。
この映画の登場人物たちや彼らの互いの関係性には、ちょうど「トイ・ストーリー」シリーズがそうであるようにさまざまな意味付けが可能だから、こういう解釈もまたありなのではないかと思います。
今夜はクリスマスイヴですが、カップルもお一人様も、誰もが温かい気持ちになれる(そしてしたたかに酔いたい気分にもなる)、そんな1本でした。
飼い主とペット
途中で眠りかけましたが最後は泣きそうになった
独特の関係性というか距離感というか、友人のような家族のような存在。主人とペットが一番しっくりくるかも
近未来でありそうだな〜
タイトル通りロボットの夢シーンがあったけどなんか眠くて、、現実に影響しない夢オチ的出来事はとても眠い
ロボットと動物の飼い主(?)の関係性ていうオリジナリティがすごくて、二人の関係性もこの映画ならではの独特な感じなのでそこが良かった
修羅場シーンがなんかシュールで笑いかけた
恋人と別れた後に悶々としてやがて思い出を美化していくタイプの人の脳内のような感じ…(disりではない)
最後のシーンは共感できるような、できないような…
ロボットの夢とは
完全にやられて最後に泣きました。しばらくSeptember聴くだけで泣いてしまうと思います。
この映画は私のような孤独な人にめっちゃ刺さるんじゃないかな。Dogの気持ち痛いほどわかるもん。
リアルな友達はその人しかいないから替えがきかないはずなんだけどRobotはそうじゃない。ワガママも文句も言わない。ケンカをすることもない。自分から離れていくこともない。お手軽な友達。
DogはRobotのことを大切に思ってることは間違いないんだけど、どうしても「替えがきくんじゃないか」ということが観ている私の頭をよぎる。
RobotはやっぱりRobotだからDogと過ごすことに疑問はなくて、大切な人で、白昼夢のような夢を見るんだけど、途中からの展開は切なすぎる。
「どうなの?どうなの?」と思いながら「やっぱりか!でも、そんなのって…」と感情が忙しかったですが、最後の終わり方は嫌いじゃなかったし、その先を想像できるから個人的には好きでした。
演出と音楽は最高に素晴らしい。セリフがないのでほとんどの感情を目の演出と音楽で表現してるけど、本当に素晴らしかった。最後の最後にSeptemberの意味が分かりました。
80年代のニューヨークの再現度もクオリティが高くて細かいところまで観たくなります。スクリーンはずっと美しいです。
サントラ買います💿
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