ロボット・ドリームズのレビュー・感想・評価
全64件中、21~40件目を表示
家族で観れるいい映画です。
一週間前に観たこの映画が、まだ胸の奥でざわざわしています。温かくもあり物悲しくもあるこの作品に心打たれました。心に残る映画です。相手を想う気持ちが強くても、相手に負担が掛かるなら自分を遠ざけて相手の幸せを願う。どんなに時間が経ってもどんなに姿形が変わってもいつまでも慕い続ける。そんな純粋な愛に満ちた物語。
劇中歌のEarth, Wind & FireのSeptemberがいい味を出しています。ドックやロボットの気持ちを歌っているようで、一切声は無いのですが、気持ちが伝わってきます。12月に9月の頃の愛と夢と想い出を歌っているこの曲がよく合います。
まさに"Golden dreams were shiny days" きらめく日々は黄金色の夢だった。
ロボットは友だちになれるのか
世界貿易センタービル(WTC)のツインタワーが描かれている時代のNYマンハッタンで様々な動物たちが擬人化されて描かれている世界観の中で、友だちのいない犬が友だちが欲しくて組み立て式ロボットをテレビショッピングを見て注文。
組み立てて友情を育む日々とトラブルから離れ離れになってしまう。
ロボットの見た夢、犬が見たロボットへの夢、それぞれの歩みとすれ違いが描かれている作品。
絵のタッチは優しく、太めの輪郭で描かれていて可愛らしいが物語は結構残酷なシーンなどもあり重くてシュール。
だからこそ動物やロボットに置き換えられたキャラクターで描かれている意味があるのだろうけど。
マニュアル通りの行政、襲いかかる理不尽、日常と季節の移り変わり、積もっていく雪に埋もれていく日々…
AIや汎用ロボットの普及が身近になっていく現代に「ロボットは友だちになれるのか?」を問いかけるような作品だと思いました。
日本的にはドラえもんやコロ助が理不尽によって壊されていく展開と言えば、感じる所があるのではないでしょうか。
監督はスペインの方という事で、NYへ留学で渡った経歴のようで当時のマンハッタンの雑多な雰囲気や地下鉄やスラム街の荒廃した感じがよく描かれていると思います。
作中で度々流れるEarth wind &fireの 『September』(パ〜リラ♫)は1978年、監督が15歳の時の音楽でアメリカンミュージックの原風景だったのかも。
WTCは1973年開業なので、作中の時間軸は監督がNYへ留学していた1990年代〜2001年の直前辺りか。
また1998年にSOPHIAの『黒いブーツ〜oh my friend〜』のミュージックビデオも手がけられた方という事で情緒や感受性が高い方には刺さる作品だと思いました。
他の方のレビューにもありましたが、言葉にして表現するには複雑な感情を揺さぶる作品ではないでしょうか。
純度100%の「会いたい」
生きていればいつか会える。という言葉はあるが、この映画は本当に2度と会えない人、もの、風景に対しての「会いたい」なのだと思った。
2度と目の当たりに出来ないツインタワーがそびえたつ姿が象徴するように、死んでしまった大切な人、お父さんと手を繋いでくれたあの日の幼い娘…。
全て会いたくてももう2度と会えない。触れられない。語れない。
でも会いたいという気持ちは消せない、消えない。思い出すと苦しくなる、この感情。
このただ、あなたに会いたい。という気持ちを凝縮した映画だと思った。
dogが薄情という意見もあるが、dogはdogなりにロボットを愛していた。
ただ、あまりにもピュアで賢く無かったことがロボットを救えなかったんだと思った。
何回も繰り返されるロボットがdogの家に帰る夢。死んだ人の意識ってああいう感じなのかと思った。
私は、死者と残されたものの物語にも感じてしまった。
私も今あなたに会いたい。と涙が出そうです。
ロボの夢
80年代、あのゲームやったな〜って思い出した。
ただピコピコとピンポンみたいなやつ。あれ2人用なのよね。
あれを1人でプレイして冷食をチン。それをぼんやり眺めながら食べる。ブラウン管に映る1人きりの自分。慌ててチャンネルをつける。
たったあのシーンだけでドッグのぼっち寂しい生活がマジマジと痛感する。辛いよね〜窓の外には仲睦まじいカップル。わかる〜。
縋る想いの友達ロボ購入。お金で友情を買っていくスタイル。
ニコニコ可愛いロボ。ドッグ大喜び。
ロボは見るもの全ての楽しみを真似して歩く。
手を振られれば振り、手を繋ぎ、食べ物を飲み込む。
決してドッグの嫌な事はしない。主人の命令は聞くものだ。それがロボット。
Septemberを軽やかに踊る2人。名曲に名シーンを被せてくるとかすごい所業だ。
そんな彼らの別れはまさに夏の終わりであろう9月。
周りの子共やドッグの喜ぶ顔を見て遊ぶロボは海で動けなくなる。
あそこ、私なら絶対置いていかない。
ずっとしがみついて離れないし、なんなら警備員や他の人の手を借りて絶対連れて帰る。
逮捕されてもまた帰る。
でも、ドッグはきっと困って悩んでいたと思う。だからロボは目で帰っていいよと伝える。主人の為。
迎えに行けるのは6月。
その間、ドッグは新たな友達を作る為に奔放し、ロボはドッグの元へ帰る夢を見る。何度も。
その時の彼はいつもSeptemberを口ずさんでいる。
きっとドッグの喜びが詰まっている曲。
そんなロボの献身的な想いを他所にことごとく友達作りに失敗するドッグ。いい気味だと思った。
早くロボの元へ帰り、彼の存在の大きさを知れよ!って。
ドッグの寂しさもわかるけど優しいロボ側への肩入れが半端ない私。
しかし、ロボはスクラップ場へ。
もちろん嫌などと言えるわけもなし。
またぼっちになったドッグが掘り返したのはロボの片足のみ。
顔だけになったロボをなぜラスカルが連れ帰り修理したのか分からない。
同じく友達が欲しかったのか、興味なのか…
そんなこんなでラジカセロボになり、ラスカルと楽しい日々が始まる。その時ロボが奏でる曲はhappyへと変わる。
新しい日々の始まり。
BBQの最中、ソースを取りにふと窓の外を見やるとドッグの姿。新たなロボと手を繋ぎとても楽しそう。
何度も夢見たドッグの姿を見て駆け寄り手を繋ぐ想いを堪えて、彼は思い出のSeptemberを流す。
覚えてるかい?
君のことを想っているよ
ドッグの耳には届かないが、遠く離れた2人のリズムはピッタリと合った。
そこへやってくるラスカル。
ロボは音楽を一瞬変えるが、再びSeptemberへ。
新たな主人と共にビートを合わせるロボ。
新たなロボットと共に歩くドッグ。
彼はロボット。主人の命令は絶対。
ロボットだから、新しいロボットといて幸せそうなドッグの邪魔は出来ないと思ったのかな?
だけど、あの時そうしなかったのはロボットとしてではなく、感情を持った彼の意思だと思う。
ちなみに、涙腺崩壊ポイントはスクラップ場でラスカルがロボを手にニコッとしたシーン。
そこからなんかずっと泣き通しで同じ列に座ってた男性に申し訳ない事をした…
序盤に車内で子供に叩かれながら困り顔のロボットとすれ違ったロボの顔を思い出した。
全てのロボットは人間のエゴで生み出され使われる。
ロボット三原則に縛られる。
サイレント?なのに全く違和感を感じなかったのは幼少期に夕方に放送してた「トムとジェリー」を楽しんで観ていたからかな。
帰りにめちゃくちゃSeptember聴いた。
チャップリンには叶わないさ!
昔、チャップリンの映画のリバイバルをやっていた頃に何本も観に行ったことを思い出した。
しかし、新しい無声映画はつまらない。昔ほどの鮮烈な想いはなかった。チャップリンじゃないから?だろうな。もちろん「September」の曲は良かった。
1980年代、ニューヨークの風景、ツインタワー、当時のアメリカに何も思い入れの無い私にとってはつまらない話が繰り広げられ、最後は嫌な方のエンディングで終了。悲しくて泣かされた。
夢見るロボットは最初の御主人様を幸せに出来ませんでした。次に寂しさを埋めるロボットを身代わりとして買ったけれど、最初のロボットの素晴らしさを思う心は埋まらないまま大したことのない身代わりロボットと生きていくことになりました。ロボットもラジカセボディに改造されたりして復活させてくれた新しい主人に恩義を感じ、昔の御主人様の下へは帰りませんでした。なんて切なすぎる、悲しい結末は嫌いでした。
人それぞれ想いはあるだろうから感じ方は皆違うでしょうけど、私はニューヨークに思いはないし、別々に生きていくエンディングに共感はしません。
私は主人公が新しいロボットに「やっぱり最初のロボットが忘れられないから御免」と謝り、ロボットは復活させてくれた新しい主人に「最初の主人の為に戻らせて」と懇願して説き伏せて、主人公とロボットが感動の再会をして末永生きていくエンディングが観たかったので評価は低いです。
目も表情も仕草も、口以上に物を言う
実写かアニメかという相違はあったものの、先月観た「ゴンドラ」同様、セリフのない作品でした。いずれもセリフがなくとも登場人物の気持ちがこちらに伝わってくるもので、「目だけでなく、表情や仕草は、口ほど、いや口以上に物を言う」と感じたところでした。
さて本作ですが、題名の通り”夢”がキーになっているお話でした。擬人化された動物が住むニューヨークで、一人孤独な生活を送る主人公・DOG。彼は寂しさを払しょくするために、”友達ロボット”を購入。友達関係にも恋人関係にも親子関係にも通じるDOGとロボットは、良好な関係で幸せな日々を送っていたものの、海水浴に行ってロボットが故障して動けなくなってしまい、結果離れ離れになってしまう。その後互いを思うDOGとロボットは、互いの”夢”を見る。その”夢”と、かなり悲しい現実が交互に出て来る展開がテンポ良く、どんどん物語に引き込まれて行きました。
海水浴場に取り残されたロボットは、最終的にアライグマのRASCAL(名前が絶妙!)に拾われて修理されて復活、RASCALとの新生活を始めたロボット。そしてロボットと再会出来ないと悟ったDOGは、これまた新しいロボットを入手。互いに幸せな生活を送るものの、最後の最後でニアミス。ここでまたまた”夢”の中で、思い出のアース・ウィンド・アンド・ファイアーのSeptemberの曲に乗りながらダンシング!現実では再会を果たせなかった2人でしたが、”夢”の中での再会であったればこそ、余韻たなびくほろ苦くもハートウォーミングなお話になっていて、非常に印象深い作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.4とします。
ストーリーが惜しいと感じた
評価が高い作品でしたので、鑑賞前からハードルを上げてしまったせいか、個人的にはそこまで良いストーリーには感じられませんでした。
冷めてしまったポイントははっきりしていて、ロボットと別れることになる場面で「犬、お前もっと頑張れなかったか?」という風に思ってしまい、それ以降の犬のことを薄情者に思えてしまったことです。
どうしてこんな風に感じ取ってしまったのか自分なりに考えたのですが、ロボットが放置されている場所が「頑張れば何とか救助できそうな場所」という中途半端な距離感なので、頑張ることをやめて諦めてしまった犬に対してガッカリしてしまったのだと思います。ロボットのことを本当に大切に思っていたのなら、せめて定期的に様子を見に行くシーンは入れてほしかったです。(割とすんなりロボット2号を購入してるところも「お前、マジか」とは思いました。)
作品の舞台が「80年代のNY」という妙にリアリティのある設定のせいで、「自分の家から911すればいいのに・・・」「お巡りさんに相談すればいいのに・・・」「ウサギたちみたいに海から助けに行けばいいのに・・・」というようなリアルな解決策が思い浮かんでしまうのも良くないのかもしれません。
いっそのこと別れのきっかけを「ロボットが海難事故で行方不明になって全く別の場所の浜辺に打ち上げられてしまった」とかにして、犬とロボットを完全に引き離してくれた方が、諦める犬に対しても共感はできるし、その後の犬の印象も変わったと思います。
原作の舞台は特に示されていなかったところを、「80年代のNY」に思い切って変更したのだから、舞台設定が具体的になったことによって中途半端になってしまった「放置されたロボットと犬との距離感」をもう少し調整してほしかったです。
アニメーションと音楽はとても良かっただけに、ストーリーの部分で惜しいと感じてしまいました。
スティーブン・キング
何度も映り込むツインタワーが印象的だった。
スティーブン・キングのオマージュが沢山あった。
ラストは「ラ・ラ・ランド」のようだった。
周囲は号泣していたが、自分はドッグのあざとさが気に食わず、泣けなかった。
ロボがどんなに君を想っていたか
背景の動物たちもみんな生き生きしていて、画面いっぱい楽しい!
すごくよかったんだけど、最後に相手に気付くのはロボットじゃなくてドッグであって欲しかった。ロボットがいいやつすぎる。ドッグ頑張ってたけど、お前が始めた物語だろ!とどうしても思ってしまう。
浜辺に取り残された間、ロボがどれだけドッグのことを思っていたか、ドッグが知らないままなのが悔しい。反面、離ればなれの間にドッグがロボを切実に思う様子はあまり感じられなかった。海開きの日を書き付けた冷蔵庫のメモは日が経つにつれて少し埋もれてしまうし。まあ、砂浜に取り残されて何もできないロボと、なんとか日々を暮らしていかないといけないドッグでは、濃度に差が出るのは無理からぬことなのだが。わーそうかそうじゃん、リアルだなあ。だからやっぱり最後に相手に気付くのはドッグでなくてロボなのは必然なのかもしれない。でもそれならばやっぱり、せめて、ロボがどんなにドッグを好きだったか、ドッグにわかって欲しかったな…。
繰り返し出てくるツインタワーにアメリカ人の悲しみだけを見出すのはもうできないなと思ったりもした。
1985〜1986年のマンハッタンだから、バナナフィッシュもちょっとかぶってるよね。ニューヨークの街の雰囲気がわかって楽しかった。
安易すぎるのでは
アニメーション自体は悪くなかったが、ストーリーが生理的に受け付けなかった。
リアルに友人を作ることができず、友達ロボットを購入してお金で解決。壊れて無くしたら簡単に買い換えてしまう安易さ。レンチンするだけで食べられるマカロニチーズと同じくらい手軽で軽薄だ。
水にこそ浸からせないが再び海水浴に連れて行ってしまうあたりも反省の色なし。一連の経験を通じて主人公は特に成長していないように思える。アゲアゲな音楽で彩られている分、都会の孤独な生活がかえって不気味に浮き上がってくるように感じられた。
この犬はマカロニチーズを自分で手作りしてみるところから始めるべきだろう。プロセスを経験することを学ばないとたぶん同じことの繰り返しになってしまうと思う。
タイトルの意味
ほぼ前情報ないまま観に行った。なるほどタイトルのドリームは、ロボットがずっと彼を信じて待っていた間の夢だったのか。
切ない。
何がって、ロボットは疑うことも自分を憐れむこともなく、ただその今を案外楽しく何かを見ようとしてるのがまた切ない。
スクラップ屋にはそれを文字通り砕かれてしまう。
結局再会しない道を選んだわけだが、この終わりは大人じゃないと納得いかないものかもしれないなと。
だっていくら寂しいからって裏切りじゃん!と子供ならなりそうです。
どうにも仕方ない、そうなってしまうタイミングというのも世の中にはあるものだよな…。
ところで製作陣はスティーブン・キング好きなんだろうな。
シャイニングの双子お化けや読んでる本はペットセメタリー、足を切られたりとオマージュが。
孤独と喪失
孤独には色々な顔があるんだなぁと思った。
ポジティブもネガティブも。
しかし監督は鑑賞者を同じ孤独に招き入れるのが
上手。引き込まれた。
喪失をずっと抱えても幸せになっても良いだよ
と投げかけてくる。
ドッグとロボットはお互いに想いあってるのが素敵。少し寂しさもあるけど………。
観ている側に考えさせられる余白を残している。
別れも決して悪くないだとも。
寝る前にふんわりとふと思い出す。鼻歌も口笛も。キャラクターも可愛い素敵な作品でした。
テクノロジーの過渡期
動物が擬人化された世界、大都会ニューヨークで孤独な犬とロボットが出会う切ないストーリー。
アニメだけど最近のディズニーみたいな押し付けがましい窮屈な世界観ではなく原作があるからか、漫画的。
主人公の犬くん?にもっと上手くやれば…と、ちょいイラッとしてしまうが、自分も上手くいかない時はホントにどうしようもないので近親憎悪かも。
ロボが一途なだけにラストのアース・ウィンド・アンド・ファイアーの歌に新しい出会いには爽やかな気持ちに!
全くセリフやナレーションもないのにはびっくり!
ストーリーは深く考えずに見てください
単館系の海外長編アニメが話題になっているという前情報だけで見に行きました。
(予告編などの前情報など一切仕入れずセプテンバーがテーマ曲として使われてることも知らず)
海外映画なのに字幕とか吹替えとかの区別がないな?と思っていたら無声映画と気付いたのは始まって10分くらいしてからで、その後も、あ、これNY(それも40年くらい前の)が舞台なんだとか見ながら理解していく過程は楽しかったですし、作画のセンスや見せ方も非常に良かったです。
犬とロボットが手を繋いでいるキービジュアルくらいはさすがに知っていたので、
この二人の友情(あるいは愛情)物語なんだろうなぁと思って見てたら、
出会ってから親愛度MAXになるまでのスピード感がすごいですね。
結果的には別離のシーンを描くことが主題であるから、人と人(?)が仲良くなる過程に理屈なんていらないよ!という割り切りなんだろうなとは思いました。
この辺は日本的なセンスでは無いところなので海外作品の面白さとも言えるかもしれません。
犬とロボットというのもあくまで寓話的なものであって特に仕組みや社会背景を気にするようなものでもありません。単純に大都会で一人で暮らす寂しい人が(手段はともかく)親しい友人(家族)を作った。ということが理解できればそれでよい作りです。頭空っぽで見ましょう。
さて、ここまではきっと前情報だけでも得られる内容だと思いますが、
ここから先に踏み込みます。まだ見てない人は見てからにしてください。
犬さんがやむなくロボットと別れた後ですね。
正直この辺の描写は社会経験が長い人ほど引っかかるというか受け入れ難い流れが続きます。
遊びにでかけたビーチで故障してやむなくロボットを(一旦)置いて帰った後ビーチは閉鎖されてしまい救出不可能に、不法侵入などを試みたものの逮捕、正規の手続きを申請するも却下。
やむなく来シーズンまで救出を諦める。(来シーズンに助けることを決意する)
ここまでは良いとして、寂しさの穴埋めに公園で出会った女性と遊んだり、スキーツアーで友達作りに励んだり、段々と日々の生活の中でロボットの比重が下がり埋没していきます。
この辺はまぁ確かに人ってどんなに固い決意をしても期間が空くと生活の中でだんだん薄れていってしまうものだよねという人間臭さとして理解はできます。
でも少なくともマンハッタンで自活できるくらいの生活基盤があるなら
もう少しやれることあったんじゃないの?とも思ってしまいます。
もう少し粘って方法を模索できたんじゃないか?とか、ビーチに入れないまでも定期的に様子見に来るくらいできるよね?とか。
この後普通に海側からビーチに侵入(避難)する人たちや鉄くず集めをする人がいるのでなおさら。
犬さんの中でロボットがどれだけ大事だったのかがわからなくなってくる。
そして決定的に理解し難いのが、結局行方不明になってしまったロボットは諦めて代わりのロボットを買ってしまうところ。
んーそこは諦めるにしても思い出を胸に人との交流頑張ろうとかそっちの方向に舵を切るべきなのではないか????
結局代替手段に逃げるなら初代ロボット君への思いって何だったのさ???と思ってしまいました。
もちろんこの犬さんがあまりにも薄情だとは思わないです。ただただ人間臭いだけだと思います。
失ったものにいつまでも執着しない、(しても幸せになれない)みたいなことは大事な心掛けだと思います。(とかく日本人はその気質が強いですし)
それぞれが幸せに向かって日々生きるという前向きなメッセージは理解できます。
メッセージが届きさえすればウジウジした部分を長々描かないという割り切りも前半感じた文化の違いかもしれません。
ただタイトルの通りロボットの夢を中心に身動きの取れないロボット側の犬への恋慕や憧憬がいっぱい描かれるので、その裏でなんだかんだ人生楽しんでる犬はなんなんだよと思わなくもないです。(笑)
そんなこんなで紆余曲折あって、ラスカルの新しい家庭に着いたロボットは
犬さんへの未練を残しつつもそれぞれの生活が既に出来上がってしまった以上、干渉しないという決意をします。ここの演出はすごく良かったです。(上に書いたそれまでの経緯から切り離して見たらですが)
気分上々のセプテンバーがこんなに切ない流れで奏でられるシーンはとても新鮮です。
総じてテンポや画作り、作品全体はとても良いと思います。
ただ人と人の出会いと別れの寓話として見ると、正直ロボットを買い替えてしまう流れが非常にノイズです。別の人も書いてましたが、ロボットは人というよりペットの暗喩の方が近いような気がします。
んーでもセプテンバーの歌詞が着想だとすると恋愛劇として見るべきなのか。。。でも恋愛劇として見たら犬は薄情すぎるよなぁ。。。みたいなモヤモヤのループに陥ります。
まぁその辺の受け取り方も人それぞれであっていいという作りなので深く考えない方がいいです。
ここまで書いた評価は穿った大人の視点で見た評価であって、人生悲喜こもごもをライトに伝えるものとしてはちょうどいいんじゃないかなと思います。
感性の強い若年層が見る分にはすごく良いと思います。
あるいは細かいことは気にせず頭空っぽで見ればいいやと割り切れる人なら十分楽しいです。ストーリーの深さではなく、あくまでもアニメーション表現に重きを置いた作品です。
幕切れとしてはビターエンドですが、やっぱりセプテンバーの曲調のおかげか人生前向きに生きようと思えるパワーがあります。
深読み
しようと思えばいくらでも出来る
ヒトは誰でも 自分の思いたいように解釈する
多分 この通りのストーリーなんだと思う
色んな意味や思いを汲み取ったヒトは 自分の中から ソレを見つけ出したんだと思う
孤独をロボットで埋めるトコロで躓いたので 乗れなかったのよねぇ
せっかく出来た友達も 遠くに行っちゃって 結局次のロボットって言うのもなぁ
友達ロボットは将棋名人の夢を見るか
将棋ソフトが手筋を読むがごとくロボットは問題解決の最適解を予測する="夢を見る"、がしかし期待通りにならないのは世の常。当初の夢が叶わぬまま時が経ちもう昔の自分でなくなったなら、昔の夢に固執せず叶わなかった夢は思い出に替えて、また新しい夢を見れる事が幸せの本質なのかも知れませんね。
タイトルなし(ネタバレ)
80年代(と思われる)ニューヨーク。
ひとりぼっちの犬ドッグは、ある夜、テレビで組み立て式ロボットのCMをみる。
「これは!」と感じたドッグは、早速購入。
組み立てて、どこへ出かけるのも一緒。
なにせ、自律式なもので。
公園でのスケートダンスなど楽しい。
で、夏の終わりの9月21日、コニーアイランドの浜辺に出かけたが、潮風・海水の影響でロボットは動けなくなってしまった。
仕方なくロボットを置き去りにして、翌日、修理道具や手引書をもって、ロボット救出に向かったが、浜辺は閉鎖されていた・・・
といったところからはじまる物語。
その後、どうにかして浜辺に忍び込もうとするも、困難続出で断念。
来夏の浜辺開きまで待たなければならなくなってしまったドッグ・・・
と展開するので、まぁ、最終的にはドッグとロボットは再会して友情を深めるよね、と予測・期待して観るよね。
なんだけれど、そうは問屋が卸さないあたりが、ヨーロッパの映画。
置き去りのロボットは、いくつかの夢を見る。
アンドロイドは電気羊の夢を見る、ではないが、組み立てロボットは友だちドッグの夢を見る。
元気に動けるようになって、ドッグのアパートまで出かけるが、ドッグと再会できない・・・とかのあまり喜ばしくないバリエーション。
ただし、『お図の魔法使』もどきや、バズビー・バークレイのレビュウ風だったりと、一見楽しげなのだが。
一方、来夏まで待つと決めたドッグは、それでも寂しさを埋めることが出来ず、新しい友だちを求めて、スキーやカイトなどに挑戦。
何人かと知り合うが、いい人ばかりではない。
いい人もいたが、彼女は彼女なりの人生を歩んで、ドッグから去ってしまう。
と、楽し気なアニメーション表現とは裏腹にビターな物語。
このビターさ、もう老境にさしかかる年代になったのでよくわかるけど、世知辛いつらい毎日で苦闘している若い人たちには、もしかしたら耐えられないかも。
ラストは現実世界に足を踏みしめた結末。
形としての友情は途切れてしまったが、気持ちとしての友情は永遠に続いている・・・
台詞を排してのアニメーション表現で魅せる出色の映画。
大切にしたい掌中の一編でした。
なお、観終わったら、しばらくはEW&Fの「セプテンバー」を鼻歌で歌いたくなること必至。
Septemberがこんなに切ないとは。
孤独なdogとロボットの物語。出会って、離れて、また新たに出会って、時には永遠に離れて、、過去の色々な出会いや別れを想起させられて、胸が苦しくなってしまった。。でも、それだけじゃなく、優しい気持ちにもなれるし、どこか遠くにいる人のことも大切に思いたくなる映画でした。
アニメーションとしても、キャラクターも魅力的だし、音楽も、ニューヨークの景色も喧騒も描かれていて、とても素敵でした!街中の擬人化された動物たちは、それぞれに細かい動きをしていて、巻き戻してよく確認してみたくなりました。
印象的だったのは、足をなくして、動けないロボットが、(そんな絶望的な状況なのに)、空から舞い降りる雪や、小鳥の成長を眺めて、優しい笑顔を見せて、楽しそうにしている場面。
ニューヨーク歳時記
レビューのタイトルにDo you remember?って書こうとしたけど、既に同じことを考えてた人が複数いたのでやめた。でも、歌詞も含めて、この映画のメインテーマにふさわしい。映画見た後、気がつくとSeptemberを鼻歌で歌ってる。
子供の落書きのような完成度の低いデザインのロボットで、目と口の動きだけしかないのにものすごく表情が豊か。セリフが一切ないのに感情や状況がここまで伝わってくるのは演出の妙。DOGくんの小さな尻尾の細やかな動き。効果音もとても臨場感があった。
ニューヨークの四季がポップな絵柄で丁寧に描写されていて、そこが次の海開きまでの(体感的に)長ーい月日を感じさせている。80年代のニューヨークはよく知らないけれど、現代のように情報化されていないぶん、アナログ感たっぷりのロボットが歩いていたとしても逆に違和感がない。WTCビルが遠くでキラキラしている。ハロウィンは子供たちだけで家々を回っていたし、降雪量も今よりずいぶん多い。
一方、これは野暮なことだけど、DOGくんの職業がなんなのか気になった。働いているようには見えない割にはロボットを通販で買えちゃうぐらいにはお金に困っていなさそう。棚にMac Plus(初代Macかもしれないけど、これも当時はたいへん高価だった)が置いてあったし、何かデザイン系のお仕事なのだろうか。そして、金属探知機のおじさんは監視の厳しいビーチにどうやって入り込めたのだろうか。
あと、ハロウィンのシャイニングの双子が個人的にはツボだった。
登場人物が全員動物だけど、最後の最後にOdd Taxiみたいなどんでん返しがあったらどうしようと思った。そうじゃなくてよかった。
大画面じゃなくてもいいから、もう一度見たい。ブルーレイが出たら絶対買う。
(追記)米国のamazonからblurayを取り寄せて再鑑賞しました。セリフがないので、日本版じゃなくても十分。
この犬とロボットに幸あれ。
現時点で2回見ています。
1回目見たときは、そんなにいいとも思いませんでした。
というのも、前夜の寝不足がたたって眠気に勝てず、ビーチの場面のはじめあたりからお別れに至るまでのくだりを、丸々見てなかったんですよね。
気がついたらロボットがビーチに寝てて雪が降ってて。
そこからは一応最後までちゃんと見たんですが、そんなに感情が動くこともなく、最後の展開も、これはなかなか現実的だけどもこれじゃダメなんじゃね?と思えて、ほんとに大事な相手なら状況をぶっ壊してでも、少なくとも気持ちは伝えるべきで、それを避けてこんな穏当な着地をする話がこんなにも評価高いのはいかがなものか、なんて思ってました。
もう一回見直すかどうかも、微妙だなーと思いました。
主人公の犬が、あんまりいいやつに思えなかったんですよね。
こいつの話もう一回見るのはかったるいな、と思って。
ただ自分の意見とは違うけど各所で絶賛されてるし、途中肝心なとこ見逃したままなのもモヤモヤするなと思って、もう一回見て確かめようと思って2回目を見ました。
もう一度見て評価が変わるとは全然思ってなかったですね。
そしたら、ものの見事に変わってしまいました(笑)。
あの犬の、ビーチでロボット助けようとするあれこれが、その後の展開知ってるだけに切なくて切なくて。
もうそっからは、後から後から涙が出てくるんで困りました(笑)。
そこから先は1回目に見たので、当然もう知ってる流れをなぞってくわけですが、断然胸に刺さってくるんですよ。
ですからね、皆さん、人のある側面だけ見てイマイチいけすかないやつだと思っても、その人が自分の知らないとこで取った行動を知ったらまるきり見方変わってしまうこともあるんだから、人のことを簡単に全部わかった気になっちゃダメだってことですね(笑)。
2回目見たときの後半、犬はやっぱり煮え切らないというか、窓にロボットの顔描いたりして寂しんぼやってるくらいならまたビーチ行けよと思ったし、新しい出会いを求めて中途半端に終わるのも前回と同じように格好悪いなーと思ったんですけど、、なんかそれが全部自分に見えてくるんですよね(笑)。
そうなるともうその煮え切らなさが人ごとでなく、それがまた、よく見ると細部まで実によく描けてるもんだから、堪え難いほどに切なくて。
あの再開したビーチに走っていくときの期待、ビーチを見渡して見つからないときの不安、ロボットの寝てた場所を見つけたときの嬉しさ、砂を掘り返すときの祈るような気持ち、そして、ああもうここにはいないんだとわかったときの絶望。
全部が、本当に、本当に、本当にわかりました。
そして最後、今度はロボットが(涙)。
犬を見つけて、どんなに会いたかったか。
でも会うことができないということを、どんな思いで悟ったか。
どんなに相手のことを、大事に思っていたか。
それがもう、完全に自分のこととして、胸に染みて染みて。
泣いて泣いて、泣きました。
誰かのことを本当に大事思う気持ちを、こんなにも自分も持っていたんだということを、思いもよらず掘り起こされて、苦しいほどに切なかったけれど、でもそれを知れて良かったです。
それを教えてくれた映画でした。
全64件中、21~40件目を表示