ロボット・ドリームズのレビュー・感想・評価
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つくづくうまいなあと思った
AIとかロボットとかの話題が飛び交う日々の中で暮らしているので、
そういうことに対する何らかの警鐘なのかな?と想像しつつ観てみた。
いや、これは人の心の旅を描いた映画で、
ご時世的に人々の注目、関心を集めやすいロボットを登場させているにすぎないのだなと、
個人的には解釈した。
批判しているのではなく、わかりやすさ、伝えやすさという意味ですごく上手いなと思った。
自分の楽しさに夢中になって相手を振り回せば相手を傷つける。
相手と自分は同じではなくあれもこれも違うということ。
未熟でどうにもならないことから離れて過ごし時が流れて色々変わる。
かつて相手を傷つけた記憶はその人の後の行動に影響するんだな。
色々あるけれど、あの時の未熟だけれど果てしなく純粋なトキメキや情熱ってかけがえのない思い出だね。
その思い出は掘り起こすと傷つけてしまう人は以前よりも増えてしまうから、現実に向き合って生きていくんだよね。
とか、そんなことを感じた。
主人公の人間でなく犬として描いたのも上手いと思う。
直接的じゃないので生々しさや嫌味がない。
じわーっときいてくるように人間の心の旅を描いているんだな、描き方が上手だなと思った。
目頭が熱くなるという表現があるが、この映画はそうではなく、
心のどこかからじわりと涙が出る。
ハンカチやティッシュは必要ないけど、席を立ち上がって映画館を出るまでに数分の時間が必要。そんな映画だった。
予想していた内容とかなり違ったけれど、それがかえって私には良かった。
単なる絵空事の象徴物語ではない
新年早々、米半導体の巨人エヌビディアがロボットなどを開発する企業にAI基盤技術を無償提供し、ヒトと同じよう自ら動くロボットの実現を目指すと報道されました。(以下若干ネタバレあり)
AIを搭載したロボットがヒトと同じように自ら動くことはあっても、自ら感情をもつようになるかどうかは、なお複雑な問題を孕んでいるようですが、仮に感情を持たなくても、AIが倫理的に設計され、ヒトの感情を尊重し、良い関係を築けるようになる可能性はあるのだそうです。ラストシーンは賛否あると思いますが、倫理的に設計されているAIであれば多分ああなるのではと思いました。
そう考えると、単なる絵空事の象徴物語以上の、大変革期の現代を踏まえた深いメッセージが込められているようにも思います。
無駄な音やセリフをそぎ落とし、線や動き、ストーリーを単純化していること。二人の友情が、二人の関係性を脅かす大小様々な逆境と対置して描かれていること。これらにより、友情や感謝の感情の素晴らしさをわかりやすく伝えているように思いました。(設定は違いますが、チャップリンの名作無声映画「キッド」に少し通じるものがあるように思います。)
砂浜で動けなくなったロボットと鳥親子たちとの交流のシーンが一番好きです。
終始自分には合わないとは思われながら‥
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
評判が良かったので今更観ました‥
しかし結論から言うと、自分には終始合わない映画でした‥(スミマセン‥)
冒頭の、孤独な主人公の犬が、近くの恋人の関係を見て羨ましそうな表情を浮かべた時から、個人的には嫌な予感はしたのですが、友人ロボットが届いてすぐさま意気投合した時には、これは参ったなと思われました。
なぜなら、本来の友人関係は、自身とは違う感覚には距離を取りながらその存在を認め合いつつ、一方で互いの共通点で共感や信頼を持ち合う、複雑な関係性だと思われるからです。
逆に言えば、これまでの主人公の犬は、まず互いの違いを距離を取りつつその存在を認め合うという【人間関係の煩わしさ】から離れているからこそ、そこから互いの信頼関係を築いて行く友人関係を作れなかったと思われるのです。
ただ私個人は、そんな人間関係の煩わしさから離れている主人公の犬のような現在の人達に、一方では肯定的です。
なぜなら、自身の周囲からの根本の理解のされなさを認める事は、逆に自身と感覚の違う他者の存在を認める事と同義だと思われるからです。
(それこそが多様性への一歩だと思われるのです。)
ところが、この映画『ロボット・ドリームズ』は、主人公の犬が孤独であることを冒頭で否定的に描いているように感じられました。
また友人ロボットがすぐさま主人公・犬と同調し、本来の友人関係の構築のための入り口の煩わしさをすっ飛ばしています。
そして映画全般を通して、主人公の犬が友人ロボットを介して、同調同質的な世界を外に広げて行く(あるいは、その喪失を悲しむ)、世界観を表現しているように感じられたのです‥
(この映画の大きな特徴の1つに、言葉での会話を交わさない点があります。
しかし、会話の言語コミュニケーションは、互いの違いを相互理解するためのツールだとも言え、この映画が言葉での会話をすっ飛ばしている点も、同調同質的な世界を外に広げて行きたいという表現になっているとは、(良くも悪くも)僭越思われました。)
もちろん私個人も、自身と同質な世界が外にも広がって行くことを夢想しない訳ではないですし、その世界観を肯定したい少なくない人達がいることも理解します。
ただ一方で、私的の好みで言えば、他者との煩わしさを通過した対立や、距離感を取って自身の価値観とは違う存在を認め合う、他者との関係性が表現されている世界観の方が好みではあるので、今作は自分には僭越ながら終始合わないなとは思われました。
仮に、友人ロボットが、初めは主人公の犬とそりが合わず、しかし次第に煩わしさを乗り越えて関係性が修復されて友人関係になり、その後に映画と同じ離れ離れになるストーリー展開であれば、また個人的には違う印象だったとは思われます。
しかし、鑑賞後しばらくして、今作が多くの人に評価されているのは、自身の同質性が徹底的に追い詰められ破壊されている現在の現実があるからこそであり、友人関係の入り口の煩わしさをすっ飛ばした表現にしているのも、あまりに自身の同質性が破壊されている現在の現実が理由とも考えました。
また、個人的には友人関係なら違和感がありますが、(友人ロボットではなく)失われた家族(を取り戻す)ロボットだと考えれば、家族は初め同質性から始まると思われ、家族ロボットだと置き換えればその感覚は分かるぞ‥とも思われました。
個人的には今作は好みと合わない世界観でしたが、様々考えるきっかけになる深さある作品ではあったと、一方では僭越思われました。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
最後の切ないシーンが流れる中、年甲斐も無く涙が止まらずにスクリーンの画面が歪んで見える程心を動かされていたので、これは高得点を付けざるを得ないと思った次第なのです。
なので皆さん感動する事を期待してハンカチを用意して見て下さいね!っていう程単純な訳では無いのです。
最終的に心を動かされた理由についてその正体を自分なりに探っていたところ、ロボットの心はどこまでが単なるプログラミングによる反応で、それ以上の自分の意思を持つことが可能なのかと、登場人物(動物だけど)がどれだけロボットに心がある事を信じていられるかというのがテーマのような気がしたからなんです。
個人的な話をすると、身近に某犬型ロボットを購入し愛玩犬として可愛がっている人がいるのですが、オーナーの行動を見るとまるでその犬型ロボットに人間並みの複雑な感情があって、自分が愛されていると信じているような風体なので、話は合わせたりするけれど正直共感は出来ていなかったのです。
とても嫌な言い方をすると、ペットを飼える住環境による理由もあるのでしょうが、実際の犬では無く犬型ロボットを選んだ時点で「いいとこどり」をしようとする意図を感じてしまい、命を持っているが故の「勝手きままさ」や「病気や死亡」を避けようとし、都合が良い時に電源をオンにして、従順さのプログラミングによる「心地良さ」を享受しようと思っている風に見えてしまうからなんです。
映画でもロボットを購入しようとしたきっかけは、人間関係(動物だけど)に不器用なドッグが無条件に自分を受け入れてくれる相手を望んだからで、しかも怪しげなテレビショッピング番組を頼る位だから、恐らく最初は「パートナー的な存在」よりは「パートナー的なおもちゃ」ぐらいの期待だったのかもしれません。
しかし予想を裏切りロボットは彼の心を虜にしていき、本来は人付き合い(動物だけど)で学んでいく様々な事を一緒に経験していく事で、その行動はプログラミングからだけではなく、ロボットからの愛情であると確信(錯覚)していくんですね。
ロボットがビーチで動けなくなった時のドッグの必死な行動は、もはや機械に対しての対応ではなく、対等な者に対しての救済処置であったのですが、ここで改めて他人や社会の視点が冷静に組み込まれていく事で、改めてロボットが単なる機械で社会の規則を破ってまで助ける存在ではない事が示されてしまうのです。
ドッグは寂しさを感じながらもロボットを一旦諦め、なんとか苦手な社会生活に馴染もうと姿に、「歪な自分だけの世界なんか捨てて、人並に真っ当に生きる方が当たり前だろ?」という同調圧力を強いる村社会を見せられるようで、少し寂しくなりました。
また放棄されたロボットに近付く人間達(動物だけど)は、やはりことごとく彼を物扱いしかせず、種族の違う鳥だけが心を通わせる事が出来たという皮肉を見せ、何度も彼の夢の中でドッグのアパートメントに戻る事を見せられたので、視聴者である自分もすっかりロボットには心がある事を確信(錯覚)してしまうのです。
そう、ここらへんで自分の中にも変化が起こっていたのですが、某犬型ロボットを飼っている人達が彼らからの愛情を疑わない限りは、そこには確実に愛情が存在するって事を実感し始めたのです。
他人から見たら歪であったり理解出来ないものであったとしても、それが他人の迷惑に繋がらない限りは否定してはいけないし、人間同士の信頼関係にしたって契約事項でしたためているから成り立っているって訳でも無いので、曖昧で証明もし辛い事ではあるのだけれど、信じている内は確実に存在しているってだけなのだと気付かされるのです。
ロボットが廃棄業者に引き取られた際はバッドエンドを想像してしまいましたが、ラスカルの登場でセカンドチャンスを得て、ドッグも新しい友達ロボットを以前の感覚よりも大切に扱い始め、世知辛いけど別の形の幸せを見つけられて良かったと思っていました。
でも運命の悪戯でロボットがドッグを発見した際に取った行動が、普通の人間が行う判断以上に人間らしかったので、それまでの心無い登場人物(動物だけど)の誰よりも愛情深い事が分かり、滂沱の涙に至ったのです。
余談にはなりますがこの映画の色彩設計はとても目に心地よく、ずっと眺めていなくなるほどでした。
それから唯一不思議だったのは、ビーチにいったら水着を穿いていたのに、普段は何も身に着けず生活しているドッグの羞恥心の在り処についてだったんですけどね。
最後に涙が流れました
ドッグとロボット。ドッグは寂しさからAIロボットを購入。でもロボットがいなくなると喪失感はありながら、次の友達作りへと行動する。しかし、その間もロボットはドッグを忘れることなく一途に思い続ける。ドッグを人間に置き換えると、やはり心のまま、自分中心で生きているのが人間で、友達ロボットのように全てに優しく完璧になることはできないと痛感した。出会いがあって、別れがあることで、成長するのが人間なのかもしれない。そう思いたい。
最後に、別のロボットと歩くドックを見かけて、隠れながら思い出の曲をかけるところに涙が出た。しかも、カセットテープのタイトルにも。
ロボットの側に選択肢はないのか
とても可愛らしい作品。良かったところと、気になったところと 一つずつ
・良かったとこ
ロボットという設定ではあるけれど、性を持ち込まなかったこと。仲良くなりたいな、仲良くなれるかな、とおずおず手を握ろうと指を伸ばすシーンがあるが、ロボットに性が与えられていたら少し違った見方に見えてしまったろう。仲良くなりたいなと思う心の奥にあるものは、性差を問わないのだ。
・気になったところ
ロボットが飼い主を嫌いになるっていう設定もあってしかるべきでは。ずっと仲良しでいられるって、そう平坦なことではないはずなんだけど。
GO GET ROBOT!!
シンプルに再会して踊ってハッピーエンドを想像してたので、終盤の展開はなかなか意外だった。
よく見るとポスターの2人の影で示唆されてたのね。
出会いから仲を深めるまではかなりテンポよく、2人が『SEPTEMBER』を踊るシーンが楽しい。
予告で見た別離も序盤で訪れ、「もう!?」となる。
ただ、そこからの中盤は少し冗長で、特に夢オチは重ねすぎて意外性もなくなり徐々に冷めてしまった。
ロボットの脚を切断したウサギは、去り際に後ろめたそうに振り返ってたのに何もなし。
とはいえ、こちらサイドは心温まる交流や状況打破の予感やらで印象はいい。
対するドッグ君サイドは、諦めが早すぎてモヤモヤ…
黙って引っ越したとはいえ、手紙をくれたダックに会いに行こうともしない姿勢がドッグの本質か。
ソリスキー行ったりハロウィンやったりデートしたり、淋しげな描写もあるが釣り合いが悪かった。
そもそも管理会社に拒否された理由が分からないし。
映像としては細部まで動いており手が込んでいる反面、情報量が多すぎるところも。
スクラップ屋でハエが感電するのとか、必要ないし。
演出やらカメラアングルやらも、効果的というより色々やりたかったんだなという印象が強い。
“かけがえのない関係”を想定していたので結末は飲み込みづらかったが、後味は悪くない。
別れがあってもまた出会いがある、離れていても繋がれる、というような前向きな結末に感じた。
別角度から見ると、絶対に離れたくない相手は何がなんでも手放すな、とも取れる。
ロボットが身を引いた形だが、いつかは再会してほしい。
ドッグ君のボーリングシャツが『CAT』だったのは何?
クライマックスのパートナーへの想い、優しさが心に染みますね
記念すべき2025年の1本目は、周囲の誰もが大絶賛の『ロボット・ドリームズ』をヒューマントラストシネマ渋谷さんにて鑑賞。
(ネタバレあり)
『ロボット・ドリームズ』(2023)
第96回アカデミー賞長編アニメーション映画賞ノミネート(受賞作は宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』)はじめ海外の名だたる映画祭で高く評価された作品。
事前の予備知識ゼロ、犬とロボットのポップなポスタービジュアルから子ども向けのカートゥーンアニメと高を括っていましたが然に非ず、人間の誰も抱く、孤独、友情、恋愛、別れ、他者への想い、労わりを擬人化された動物やロボットを通じて優しく丁寧に描いた大人向けの絵本のようなハートフルな傑作でしたね。
ナレーションやセリフは一切ありませんが、キャラクターたちの表情や仕草だけで心の機微が伝わり、背景も80年代のまさにポップなニューヨークの街並みやカルチャーシーンを精巧に再現、作中に何度もかかるアース・ウィンド・アンド・ファイアーの「セプテンバー」(September)が効果的に使われていましたね。
作品設定上は孤独な犬が友達用のロボットを購入、ロボットとの出会いと別れを描いた友情ドラマが「正解」かもしれませんが、ロボットの性別を曖昧にしているため、男女やLGBTQのラブストーリーと解釈しても全く違和感はありませんね。
互いに不運が重なり意図せず別れ別れになった二人が、別々の道を歩みながら互いに幸せをつかみ、数年後偶然再会をする機会が訪れる…普遍的なストーリーですが、二人の過ごした時間を丁寧に描いているため、クライマックスのパートナーへの想い、優しさが心に染みますね。そして流れる「セプテンバー」の「Do you remember/覚えているかい?」の歌詞。
本作が実写で映画化されたら、もっと過剰なほど激情な演出になるはずですが、カートゥーンアニメを採用することで、切なく温かな作品に仕上がったのでしょうね。
正月早々涙腺崩壊でした…。
人間の身勝手さに気付かされる
飼い主を選べないロボットが、人間(犬、アライグマ等擬人化された動物たち)から虐待を受けつづける話だと思いました。
アライグマは救ったように見えてるけど、マシな飼い主なだけであって、自分の好きなように改造してるし、支配者である点では、犬や鉄くず屋のワニとそう変わりはないと感じます。
途中バスからチラリと見えるマイカーの家族は実際にロボットを虐待しています。
また、足の指をボートの穴を塞ぐのに使われれる等わかりやすい暴力が描かれる一方で、
ロボットを愛してると言いながら、実は自分の淋しさを他者に依存して解決しようとする未熟なパーソナリティの犬が主人公で、
対等な関係性のダックとはうまく行かず第二のロボット購入に至り、
ロボットには危険な海に二度も連れて行く、
等の自己中心性の描写がかなりあり、
身勝手な人間の支配も、実は暴力と変わりない事に気付かされる構成となっています。
ただ最終的にロボットのいじらしさ、切なさとしてまとめられている所に
違和感というか無邪気な暴力性を感じてしまい、ちょっと怖かったです。
これはロボット(あらゆる物)に人格を見る日本人と、物として見る欧米とでの
お国柄の違いがあるのかな?と思います。
少なくとも感動の友情、なんて気楽な話と私にはとても思えず、複雑な気持ちで映画館を出ました。
Septemberは名曲
Septemberが流れて一緒に踊りたくなる。
名曲ですね。
物語としてはごくありふれた感じはしますが
孤独なドッグが友を得て、毎日が楽しくて仕方ない。
幸福感いっぱい。
ロボットと海水浴、大丈夫設定かと思いきや
大丈夫じゃなかった、錆ちゃった💦
助けたいのに助けられないもどかしさ。
もっとどうにか出来そうじゃない?とか思いつつ
それでも
色んな感情が詰め込まれていて、
ウルッとさせてくれました。
ラスカルがいい。ロボットが幸せになってよかた。
ラスカルがクール!
困った。今後「セプテンバー」を聴くたびに、切なくなってしまう...。
こんな単純な線で描かれたキャラクターに、こんなにも感情を揺さぶられるとは。
ロボットが「アイアン・ジャイアント」を思わせる造形で、「ヤバい、好みすぎる」と思ったら、案の定どっぷり好きになってしまった。いい歳してこの感情移入っぷりは恥ずかしい。
それだけに、ラスカルが男前で本当に良かった。彼のライフスタイルは、人生を謳歌するザ・ニューヨーカーって感じですごく好き。
ロボットが遠くからドッグとティンを見守るラストは切ないが、彼のために一生懸命BBQをしてくれているラスカルの包容力に救われる。
思い出は特別で、何にも変え難いけれど、今側に居てくれる人が素敵な人で、本当に良かった!と、ぼっちの私はしみじみ思うのです😂
ドッグ・ドリームズ
今年観た映画の中でもほんとに好きな1本なんですが、一方で主人公のドッグのパートナーとなるロボットが金で売買されていることに抵抗や疑問を覚える方も結構いらっしゃるようで、確かにそのあたりは捉え方によっては「これはどうなんだ」と思わされなくもない。
ただ、それ以外のところで自分が観ていてなんとなく引っかかったのは、これが「独り者」の存在がどこかで無視されていることだったんですよね。
冒頭では独りで寂しそうだったドッグは、ロボットとの出会い以降は常に誰かと一緒に生活することで孤独を克服していく。逆に言うと、「ぼっち」でいることは哀しい状態だという前提でお話が進んでいく。
自分以外の誰かとつながることの大切さ─それは切実なものだし、実際この作品が発している大切なメッセージではあるんだけれど、しかしもし、これをドッグが部屋に飾っていたオモチャの人形たちを「イマジナリー彼女(もしくは彼氏)」と見立てて彼自身が想像した物語として見たらどうだろう。
突然まったく別のせつなさに襲われるのではないか。
何かのきっかけで手放すことになったお気に入りの人形が別の誰かの手に渡り、今では大切にされている。新しいオモチャと楽しい時間を過ごしながら、かつて一緒に遊んだ「パートナー」とお別れする。
…「独り者」を排除するような話だったこの『ロボット・ドリームズ』が、実はロボットが見た夢…を想像しながら今日もオモチャの人形と一緒に過ごす男の「ドッグ・ドリームズ」だったのなら。
もちろん、これもまた街の片隅に生きる「独り者」の単なる想像に過ぎませんが。
この映画の登場人物たちや彼らの互いの関係性には、ちょうど「トイ・ストーリー」シリーズがそうであるようにさまざまな意味付けが可能だから、こういう解釈もまたありなのではないかと思います。
今夜はクリスマスイヴですが、カップルもお一人様も、誰もが温かい気持ちになれる(そしてしたたかに酔いたい気分にもなる)、そんな1本でした。
飼い主とペット
途中で眠りかけましたが最後は泣きそうになった
独特の関係性というか距離感というか、友人のような家族のような存在。主人とペットが一番しっくりくるかも
近未来でありそうだな〜
タイトル通りロボットの夢シーンがあったけどなんか眠くて、、現実に影響しない夢オチ的出来事はとても眠い
ロボットと動物の飼い主(?)の関係性ていうオリジナリティがすごくて、二人の関係性もこの映画ならではの独特な感じなのでそこが良かった
修羅場シーンがなんかシュールで笑いかけた
恋人と別れた後に悶々としてやがて思い出を美化していくタイプの人の脳内のような感じ…(disりではない)
最後のシーンは共感できるような、できないような…
ロボットの夢とは
完全にやられて最後に泣きました。しばらくSeptember聴くだけで泣いてしまうと思います。
この映画は私のような孤独な人にめっちゃ刺さるんじゃないかな。Dogの気持ち痛いほどわかるもん。
リアルな友達はその人しかいないから替えがきかないはずなんだけどRobotはそうじゃない。ワガママも文句も言わない。ケンカをすることもない。自分から離れていくこともない。お手軽な友達。
DogはRobotのことを大切に思ってることは間違いないんだけど、どうしても「替えがきくんじゃないか」ということが観ている私の頭をよぎる。
RobotはやっぱりRobotだからDogと過ごすことに疑問はなくて、大切な人で、白昼夢のような夢を見るんだけど、途中からの展開は切なすぎる。
「どうなの?どうなの?」と思いながら「やっぱりか!でも、そんなのって…」と感情が忙しかったですが、最後の終わり方は嫌いじゃなかったし、その先を想像できるから個人的には好きでした。
演出と音楽は最高に素晴らしい。セリフがないのでほとんどの感情を目の演出と音楽で表現してるけど、本当に素晴らしかった。最後の最後にSeptemberの意味が分かりました。
80年代のニューヨークの再現度もクオリティが高くて細かいところまで観たくなります。スクリーンはずっと美しいです。
サントラ買います💿
評判につられたけど
私には全く刺さらず。退屈で眠くなってしまった。自分が孤独を感じたことがないからかもしれない。あとはついアラ探しをしてしまうからかもしれない。海側から行けるじゃん。こっそり入って行けるんじゃん。こっそり入って行った人は運べるんかい。街で見かけた時結局声かけないんかい。いや、結局人間関係(映画は犬とロボットだけど)ってそんなもんだろ。と思ってしまった。音楽は好き。
離れ離れでも忘れない
アニメーションにここまで感動し、心を動かされることがあるだろうか。
とあるアニメーターの人と話をしたことがあるのだが、風を受けた物体の動き、影の落ち方や光の当たり方、関節の自然な動きなど、世の中の物理的な常識をいかにリアルに描くかが非常に難しくアニメーションの面白さでもあると語っていた。
この映画は基本的にデフォルメされたキャラクターでありながら、上記のような物理的法則に基づいた動きが細部まで表現されており、セリフやナレーションがなくとも感情が読み取りやすく、観客が感情移入する一因となっているだろうと考えられる。
また、投稿する動物が人間の擬人化であるということも、表情のその細かな描写によって明らかに表現されていると思った。
キャラクター自体のデフォルメ具合に対し、風景や街並みは意外と細かく描かれており、ポストカードやポスターがあったら買い占めたいくらいデザインやタイポグラフィがいちいちおしゃれでかわいらしい。
全部の場面が一枚絵として素敵だなと思った。
序盤ロボットを購入し、組み立てていろんなところに遊びに行くシーンでは、この幸せな場面は長くは続かないのだろうなと落差に怯えながら、でも幸せそうすぎる2人になぜか涙が出そうになる。
そしてロボットがビーチに置き去りになってからの2人の決断。(というよりロボットの決断)
鳥の親子との交流は素直に心温まる。
Dogとロボットに起きた一連の出来事は普通の人生にしてみればよくあることなのだが、どうしても最後また再開して手を繋いで歩いていってほしい!と思うも私の願いは叶わず、儚くも現実的なラストに涙が出てしまった。
そうなんだよね、人生ってそういうものだよね、、とノスタルジックな気持ちで映画館を出ることになってしまった。
寂しさとの向き合い方
音楽と映像が素晴らしいので
映画館で鑑賞できてよかった〜
ポスターの情報だけで観たので、最終的には別れがくることは想像しつつ
大半はポップなストーリーをイメージしていたけど、
思ってたより序盤でお別れがきてかなり驚いた。
ビーチ閉鎖で来年まで強制物理的離ればなれ!!え!そっち?!
ロボットドリームズだからロボットが相棒と生活する中で自分の理想や夢を見つけてそれに向かって‥的なお話かなと思ったらなるほどそういうこと‥
ファンシーでファンタジーな雰囲気かと思いきや、かなりリアル寄りな対人関係描写。
ちょうど自分の近況で、
昔の友人と久々に会えて嬉しい反面、
自分の見えないところで別の人生を生きているからこそ、昔のままのその人ではないのがなんとなく寂しいな〜‥という極小な孤独をじんわり抱えていたところだったので、
もちろん完全に同じではないけど、ドッグの要所要所の孤独に心がかなり引っかかった。
ラストの終わり方も個人的にはかなりよかったです。過去を愛して前向いて今の自分を楽しく生きよう〜
踊りたくなりました。
愛玩的主従関係の先にあるのは、移行対象の変更いうのが物悲しくもある
2024.12.12 アップリンク京都
2023年のスペイン&フランスのアニメーション映画(102分、G)
原作はサラ・バロンの同名グラフィックノベル
孤独に悩むドッグと友だちロボットの交流を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はパブロ・ベルハル
物語の舞台は、1980年代のニューヨーク州マンハッタン
一人暮らしをしているドッグは、日々を孤独に悩み、向かいのビルのカップルや家族連れを羨ましく眺めていた
ある日のこと、「Amica2000」という友だちロボットのCMに心を奪われたロボットは、即座にそれを購入することになった
ロボットを組み立てたドッグは、彼と一緒に街を繰り出し、これまでにできなかったことをし始める
そして、コニーアイランドのビーチに赴き、海に入って大いにはしゃぐことになった
遊び疲れた二人が砂浜でうたた寝していると、いつの間にか日は暮れて、誰もいなくなっていた
帰ろうとする二人だったが、なぜかロボットは手足を動かせず、重すぎてドッグの手にも負えなくなってしまう
助けを呼ぼうにも誰もおらず、ドッグは翌日修理道具を持って、ロボットを助けにこようと考えるのである
映画は、海開きが終わって砂浜に入れなくなったドッグを描き、無断で侵入して逮捕される場面などを描いていく
救出を断念せざるを得なくなり、翌年に救出にいくことを決めるのだが、ロボットを失った喪失感が彼を思わぬ方向へと導いていく
スノーマンと一緒にボウリングに行ったり、ダックと仲良くなったりするものの、なかなかうまくはいかない
一方その頃、動けないロボットは小鳥と一緒に飛んだり、コスモスと踊ったりする夢を見ながら、常にドッグとの楽しい日々を模索しようと考えるのである
物語はそこまで難しくなく、孤独を癒したいドッグがロボットとの喪失を乗り越えて、新しいパートナーを得るという流れになっていた
それは、翌年の海開きにてロボットが忽然と姿を消したからであり、ドッグはもうロボットとは会えないと思い込んでいた
そして、新しい友だちロボット・ティンを手に入れることで、ロボットの代用を試みるという流れになっていく
だが、ロボットはウサギ三人組に足を奪われたり、スクラップ工場で粉々にされたりする中で、最終的にはラスカルというアライグマに拾ってもらうことになった
ラスカルはロボットの頭と手足をラジカセに繋いで復活させる
動けるようになったロボットは、偶然ドッグの姿を見かけることになったのだが、感動的な二人の再会を妄想で終わらせてしまう
そして、新たなパートナーと共に、未来を生きていくことを選ぶのである
映画に登場するロボットはある種のメタファーなようなもので、映画のタイトルが示す通り、離れ離れになって動けなくなったロボットがどんな夢を見ているか、というのが主題になっていると言える
ロボットは小鳥を気遣い、花を気遣いながらも、ドッグのことも気遣っている
だが、ドッグの方は、ロボットと再会するまでの1年間の孤独にすら耐えられず、別の何かで埋め合わせをしようとする
もし、彼が毎日のようにロボットのもとを訪れていれば、彼との永遠の別れはなかったようにも思える
愛玩的な存在以上には考えていなかったことで、代用品という考えが生まれ、自分に都合の良い存在にたどり着いた、という感じに描かれていた
これを残酷と取るかは人次第だが、初動からドッグは何一つ変わっていないので、必然の帰結のようにも思えた
いずれにせよ、かなり残酷な話であり、共感性もありながら、どうして二人が別れなければならないのかとも考えてしまう
ドッグはできること全てをしたのかという疑問も湧くし、彼がロボットを思うのであれば、警備員が根負けするぐらい通い詰めても良かったと思う
彼の行動は他の誰かを動かすには至らず、自己完結的なところで終わっているのが難点で、もう少しの努力と思いがあれば変わっていたのかな、と感じた
私としてはハッピーエンドでした!
「ロボット・ドリームズ」
泣いたっていう感想がめっちゃ多くて、そんな切ない話しなん?!って思ってハンカチ握りしめて見てたんだけど、泣くところ何処にもなくてびっくりしたし、約2時間あるはずなのにあっという間に終わった!(笑)
面白かったってことなんやろけど、体感時間やばい。
あまりにも速すぎた。
根本にあるテーマが何かっていうと、人によって解釈違ってきそうだけど、「離れても、それまでの事がなくなるわけじゃない」って事かなと。
個人的な解釈だけど。
いやぁ、これ、ハッピーエンドじゃないの?!😂😂😂
みんなこれ、感動して号泣なの?!
いや、もちろん感動はしたんだけど、泣くとこは全然なかった(笑)
じわ〜って、なんか、良かったなぁってなりました!
ラストの🐶と🤖の関係性、めっちゃ良いと思うのだが。
お互いが今幸せなんだもん。
🐶もさ、別に🤖と嫌で離れたわけじゃないやん??
まぁ、確かにお前もっと頑張れと思わなくもなかったけど、👮に捕まって逮捕までされても助けようとはしたし、海開きの日に真っ先に飛んで行ったし。
結局別の🤖と過ごす事を選択したけど、🐶なりに前を向いた結果だと思うんだよね。
🤖だってさ、もうずーーーっと🐶を待ち続けたけど、🦝に戻してもらわなければこの未来さえなかったし、すごく大切にしてもらってるわけで。
ラスト辺りのカセットテープ見て考えるとこは、本当に良かったなぁ。
ここが1番ぐっときたかも。
駆け出して行きたい気持ちはあったと思うけど、自分の今の人生を考えた結果、そこに残るっていう。
🐰と🤖をスクラップ屋に運んで行った動物だけは、本当…あいつら…(殺)🔪
ゆるさん😡😡😡
そして、🦆??アヒル??
あの鳥の子は何だったのーーー?!?!😂
あっという間に引っ越して行きやがってー!!
1番の謎だった😂😂😂
「September」がさ、めっちゃ良い仕事してましたね!
歌詞が…こうもハマるなんて。
映画自体も象徴してるし、あのツインタワーの件も彷彿とさせるという、素晴らしいチョイス。
これは久しぶりに、後2回くらい映画館で見たい作品かも!
凄く良かったーーー!!!!!
台詞を拝して描かれる普遍的かつ希望に満ちた“優しいお別れ”
サラ・バロン原作の同名グラフィックノベルを、パブロ・ベルヘル監督により映画化した2Dアニメーション作品。
1980年代のアメリカ・ニューヨークを舞台に、孤独な日々を過ごしていた“ドッグ”が友達ロボの“ロボット”を注文し、友情を育んでいく。しかし、とあるトラブルからロボットはコニー・アイランド・ビーチの砂浜で翌年の海開きまで放置されてしまうことに。ドッグはあの手この手でロボットを救出しようと試みるが…。
本作を一言で表すなら、「優しさと希望に満ち溢れた、素敵なお別れ」だろうか。「別れ」という悲しい選択をしながらも、決してネガティブな幕引きではないというバランスが素晴らしい。
実を言うと、ポスタービジュアルのドッグとロボットがビーチの砂浜で並んで立っていながらも2人の影が別々の方向へ進もうとしている様子、「きみは覚えてる?あの夏、出会った日のことをー」というキャッチコピーから、鑑賞前は本作が決して明るい結末を辿るものではないだろうと予想していた。
実際、作中でもドッグはロボット救出が困難である事を理解すると、スキーツアーに友達作りに参加するし、公園に凧揚げをしに訪れた際に出会った“ダック”に淡い恋心を抱いている。ロボットの救出の為、ドッグがビーチの警備員や環境管理局に懇願しようと幾度となく却下される様子から、「ロボットはあくまでロボット。所詮は動物(人間)の代用品」という現実を我々観客に突きつけ、ひたむきにドッグとの生活に戻る日を夢に見ながらも、風雨に晒されて錆び付き、次第に命の灯火が潰えてゆくロボットの感情と、新しい生活を手に入れて次第にロボットの存在を忘却していってしまうドッグの非情さを対比させ、感情の比重の違いによる悲哀を描くのだろうと思っていた。
しかし、新しい生活に手を伸ばしならもドッグはロボットを、ロボットはドッグを忘れてはいなかった。それでも、運命の悪戯によって引き離されてしまう世の中の残酷さが浮き彫りになる。そして、互いに新しい生活を手に入れたからこそ、ラストでは相手の事を思いやって身を引くという選択をする。この優しさと切なさに満ちたラストが強烈に胸を打つ。作中度々掛かるEarth, Wind&Fireの『September』の歌詞のワンフレーズ“Do you remember?(覚えているかい?)”に象徴されるように、互い相手の事を忘れてはおらず、その上で「あなたと出会えたからこそ、私は前に進めました。そして、その先でお互いに新しい生活を手にしたからこそ、私達は別々の新しい未来に向かって歩き出してゆくべきなのです。」という希望に満ちたメッセージで本作は幕を閉じる。
これほどまでエモーショナルな感動に包まれる本作は、全編台詞無し。キャラクターの表情や動き、音楽のみで2人の友情物語が紡がれてゆくという非常に攻めた作り。
音楽は前述した『September』が印象的で、元々が超有名楽曲である為、サビの部分ならば老若男女問わず誰しもが耳にした事があるだろう。この曲は2人の男女が9月21日の夜を機に愛を深め、12月となった今も愛が続いているという事を歌っている。この曲の歌詞とは違い、2人はそれぞれ新しいパートナーと新しい生活を得て、それぞれ別々の人生へと旅立っていくが、歌詞の中に“My thoughts are with you
Holdin' hands with your heart to see you
(君のことを考えているよ。君の心も手も握って、君を見ているよ)”というフレーズがある。離れ離れになりながらも、互いの心の中には、共に過ごした一夏の日々がいつまでも残り続けてくれる事を願うばかりだ。
パンフレットによると、冒頭数分間のドッグの孤独な生活描写は、今回の映像化に際して監督の意思によって追加された要素なのだそうだが、その選択は英断であったと思う。
大都会ニューヨークの片隅、小さなアパートの一室で明かりも点けずにTVゲームをプレイするドッグ。しかも、ゲームは2人対戦のテニスゲームであるにも拘らず、コントローラーは2つともドッグが操作しているという1人遊び。夕食は大量買いしてストックしてあるレンチンする冷凍食品。ふと、前を向くと、消えたTVの黒画面に反射する孤独な自分。気晴らしにTVを点けてチャンネルを回すも、TVの雑音すら鬱陶しく、堪らず消音。向かいのアパートに視線を移すと、カップルが一つの器に盛られたポップコーンを手に仲睦まじく過ごしている。
このたった数分間の映像に、ドッグが友達も恋人もおらず、同じ冷凍食品で飢えを凌ぐ変わり映えのしない日々を過ごしているという、彼の抱える「孤独」がこれでもかと詰め込まれている。このシーンがあるからこそ、友達ロボを注文してロボットと出会った事で、彼の孤独に満ちた日々が癒されてゆく後の展開が活きていく。
そんな孤独なドッグのパートナーとなるロボット。個人的に、このロボットが終始可愛らしく、愛おしく感じられて堪らなかった。初めて目にするニューヨークの生活の陰陽に、平等な好奇心を向けて目を輝かせている様子。砂浜に置き去りにされながらも、ドッグとの再会を夢見る様子。渡り鳥の巣を守る中で、雛の一羽と友情を深め、彼らの成長と旅立ちを見守る様子。一度はスクラップにされ、“ラスカル”によって新しいボディと生活を与えられながらも、偶然目にしたドッグと彼の新しいパートナーの“ティン”が仲良く通りを歩く姿を目の当たりにしながらも、妄想の中で彼を追わずにはいられない想い。しかし、その想いは内に秘め、新しいラジカセ姿のボディで2人の思い出の曲『September』を掛けて、再会ではなく音楽で想いを伝える優しさ。
本来、感情のない無機物であるはずのロボットが作中1番感情豊かに、表情豊かに、何より夢を見ながら行動している様子が可愛くて仕方がなかった。AIによる統計的な行動選択、累積された経験による判断などでは決してなく、間違いなく彼の中に「心」があるのだ。
ドッグの孤独感を拭いたい必死さも切なく魅力的。作中通して描かれるドッグのロボットに対する感情が、時に友人であり、時に恋人のようでもありというバランス感覚が素晴らしい。友情であれ愛情であれ、彼はとにかく「孤独感」を埋めたいのだ。
また、前述した冒頭のアパートでの私生活描写は勿論、スキーツアーや夢で見たスノーマンとのボウリング描写から分かるように、彼は決して人付き合いが上手いわけでも、要領が良いタイプでもないのだろう。夢の中で彼を拒絶し、失敗を嘲笑する人々は、恐らくドッグがこれまで歩んで来た人生の象徴だろう。そんな彼に、作中唯一対等に接してくれる動物がダックだ。しかし、アウトドアが好きで誰にも分け隔てなく接する彼女は、ドッグには高嶺の花。そもそも、自由奔放な彼女は誰かのものになるタイプでも一箇所に留まるタイプでもなく、ヨーロッパへと移住してしまう。
結局、自分にはロボットしかいないと悟った(冷蔵庫に貼られたメモ書きが、彼が友人や恋人を求めた際には他の紙に埋もれ始めたのに対して、悟った時には元に戻っている演出がニクい)ドッグは、海開き当日にロボットを回収しに行く。しかし、ロボットは既に廃品回収工場でスクラップになってしまっており、失意の彼は似たタイプの安売りされていた子供ロボのティンを購入し、新しい生活を始める。
ラストシーンの素晴らしさについて1つ付け加えるなら、『September』をバックにドッグを励ますティンが、これまでのドッグのダンスとは違ったパフォーマンスを追加し、ロボットは新しいパートナーであるラスカルと共に踊る事で、それぞれが思い出の一曲に「新しい思い出」を積み重ねている点だ。この「積み重ね」がミソで、決して「上書き」ではない所が良い。ラジカセのボディを手に入れたロボットは、胸に“ロボットのお気に入りトラック”と“ラスカルのお気に入りトラック”の2つのカセットテープを内蔵している。このカセットが、ロボットが異なる環境で積み上げてきた「思い出」を視覚的に表現しているのは明らかだが、ロボットは自らのお気に入りにラスカルとの日々もこれから積み重ねてゆくのだ。
アニメーション表現の素晴らしさも忘れてはならない。電子レンジ内部から孤独感に包まれるドッグを眺めるショットをはじめ、ロボットが春の陽気を夢見る際、冬の景色の枠外へと飛び出して舞台転換する演出、春の陽気の中花々が一糸乱れぬタップダンスを披露するシーン等、アニメーションならではの表現の数々が新鮮で楽しい。度々出て来る真上からの空撮ショットを模した構図も美しい。
作中の舞台となる「1980年代」のニューヨークの風景や、散りばめられた様々な小ネタは、パンフレットの解説が充実しているので、そちらを是非手にとっていただきたい。個人的には、映画好きとしては、ドッグとロボットがレンタルビデオで借りてくる『オズの魔法使い』、ハロウィンでドッグの家を訪ねる『シャイニング』の双子コスや『エルム街の悪夢』のフレディコス、ドッグが就寝前に読んでいるスティーヴン・キングの『ペットセメタリー』オマージュ等にクスリとさせられた。
豊かなアニメーション表現と台詞を拝しキャラクター描写に信頼を置いたエモーショナルな表現、全編を彩る数々の楽曲で紡がれる普遍的なメッセージは、キャッチコピーにある通り「宝物」となる一作だった。
唯一不満を挙げるならば、こんな素晴らしい作品が小規模公開な事だろう。台詞を拝した表現は幼い子供達にも伝わりやすいはずだし、今後口コミで上映館数を増やして、是非とも親子で鑑賞してほしい。
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